goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

カン・スンヨン監督「1980 僕たちの光州事件」を観る ~ 韓国で1980年に出された非常戒厳令の下で分断された家族を描いたドラマ

2025年04月08日 00時09分49秒 | 日記

8日(火)。わが家に来てから今日で3738日目を迎え、米国のトランプ大統領は、「相互関税」の発動で株価が急落していることについて、貿易赤字の解消には関税が不可欠だとして、方針を見直す考えがないことを強調したが、ゴールドマン・サックスは、米国のリセッション(景気後退)が今後12か月以内に起きる確率を35%から45%へ引き上げた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

  下がった株価は必ず上がる  しかし元のレヴェルまで戻るとは限らない  トランプは楽観的過ぎ

         

昨日、夕食に「タンドリーチキン」「生野菜とモッツアレラチーズのサラダ」「シメジの味噌汁」を作りました タンドリーチキンは柔らかくて美味しく出来ました

         

昨日、池袋のシネマ・ロサでカン・スンヨン監督による2024年製作韓国映画「1980 僕たちの光州事件」(99分)を観ました

1980年5月17日。チョルス(ソン・ミンジェ)の祖父(カン・シニル)は念願だった中国料理店をオープンさせる 父親(イ・ジョンウ)はなぜか家にいないが、母親(キム・ギュリ)やチョルスの大好きな幼馴染ヨンヒや優しい町の人たちから祝福され、家族は幸せに包まれていた 輝かしい未来を夢見る彼らだったが、後に「光州事件」と呼ばれる歴史的悲劇が起きたことで、平和だった家族の日常は一変してしまう

この映画は1980年5月に軍事政権下の韓国で起きた民主化運動と、それに対する国家権力の弾圧が行われた「光州事件」を、市井の人々の視点から捉えたドラマです

「光州事件」は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国の全羅南道の道庁所在地だった光州市を中心に発生した、市民による軍事政権に対する民主化要求の蜂起です

1979年10月26日に韓国の朴正煕大統領が暗殺された後、韓国には民主化の波が押し寄せましたが、それを抑え込むために全斗煥陸軍少将がクーデターを起こしました 全斗煥が率いる新軍部は民主化運動を抑え込むため1980年5月17日に非常戒厳令を全国に拡大し、野党指導者である金泳三、金大中などを逮捕・軟禁するとともに、軍による一斉射撃などで一般市民に多数の死者を出しました この事件では、市民側の目的である民主化達成と軍事政権打倒は成りませんでしたが、7年後の1987年に軍事政権側が8.29民主化宣言を出し、言論の自由と大統領の直接選挙を認めました

この映画のポスターの中央に「ねえ、なんでー?」というコピーがありますが、これは幼いチョルスの言葉でしょう チョルスの父親は民主化運動の活動家で、一方チョルスの幼馴染の少女ヨンヒの父親は軍人です チョルスの父親の弟(叔父)は軍人から「おまえは兄貴同様アカだ!」と言われ無実の罪で捕らえられ、ヨンヒの父親から拷問を受け「兄貴の居場所を教えろ」と迫られます 町の人たちは民主化を求める市民や学生たちを弾圧する軍部に反感を持っているので、ヨンヒの家族に辛く当たります 「ねえ、なんでー?」というのはヨンヒと彼女の母親の疑問でもあります 政治のために市民の幸せな生活が分断される理不尽です

2024年12月3日の夜、韓国で突然「非常戒厳令」が発令され、わずか6時間後に解除されるという前代未聞の出来事が起きました 尹大統領と野党との確執などが背景にあるようですが、1980年の光州事件を経験している韓国民は背筋が凍る思いをしたことでしょう


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「東京春祭ディスカバリー・... | トップ | ロバート・ゼメキス監督トム... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事