22日(月)。昨日の朝日新聞朝刊のコラム「日曜に想う」に編集委員の吉田純子さんが「静寂なき時代 芸術家たちの葛藤」という見出しによるエッセイを寄せていました 吉田さんは冒頭、次のように書いています
「ショパンの吐息は1万人以上の心に届いただろうか 角野隼人さんのピアノを満席の日本武道館で聴く。3年前のショパン・コンクールで脚光を浴びた ユーチューブの登録者は135万人。機材で音響を増幅させると、どうしても自ら奏でている本来の生音がきこえづらくなる 注目に応えるということは、己の壊れやすい心を守る闘いを引き受けることでもあるのだと思い知る」
7月14日に開かれた「角野隼人ピアノリサイタル at 日本武道館」には、何と1万3千人の聴衆(観衆?)が集まったといいます 朝日も日経も事前に報道しなかった(ニュースバリューを認めなかった?)ので、公演が終わってから参加者のXへの投稿で知りました ネット上のニュースによると、オープニングはショパン「スケルツォ第1番」、「ワルツ第14番」「木枯らしエチュード」で始まったようです 1万3千人が相手なので当然アンプで音を増幅してスピーカーから流すことになります こういう経験のない私などは「えっ、ショパンをアンプで拡大して流すの」と驚いてしまいます しかし、角野ファンにとっては、同じ会場で本人の演奏姿を見ながら直接演奏を聴くことが最大の目的であり喜びでしょうから、生の音だろうがアンプを通して拡大した音だろうが、どうでも良いのだと思います 宇佐美りんではありませんが「推し、燃ゆ」の世界です 「クラシックの聴き方としてこういうのはどうなのか? 本当に音楽を聴きに来たのか?」と疑問に思う人もいるかもしれません しかし、何かに熱中できるというのは素晴らしいことだと思います ただ漠然と毎日を過ごす人生なんて寂しいものです
それでは演奏する立場からはどうなのか? というのが吉田さんの問題提起です 彼女は冒頭の文章に続けて次のように書いています
「即興演奏へと解き放たれると、中世の聖歌の断片やショパンの協奏曲の緩徐楽章が見え隠れ この人らしいまっすぐな内省の跡や無邪気な遊び心に触れるたび、ほっとする」
私なりに解釈すると、「ショパンの3曲のようなガチ・クラシックを演奏する時は、本当は機材により増幅した音でなく生の音を聴いてほしいのだが、それでは1万3千人の耳に音が届かないので、仕方なくアンプを使わざるを得ない しかし、ガチ・クラシックを離れて即興演奏になると、ほとんど角野の自作自演の世界に浸れるので、あえて生の音にこだわる必要もなくなり、演奏する側も聴く側もリラックスできる」ということではないか、と思います
さて、角野隼人の演奏するショパンの吐息は 1万3千人の心に届いたでしょうか
ということで、わが家に来てから今日で3478日目を迎えバイデン米大統領が11月の大統領選に出馬すること関し、民主党内で撤退すべきだという意見が複数出ていることについて、バイデン氏は「まだまだやり遂げることがある」と訴え、撤退しない考えを表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
数々の言い間違いや 危うい足どりを見ていると 高齢以前の問題で勝てないと思う
20日(土)午後3時からの東京シティ・フィルのコンサートの後、午後6時からサントリーホールで東京交響楽団「第722回定期演奏会」を聴きました プログラムは①ラヴェル「クープランの墓」(管弦楽版)、②ブルックナー「交響曲第7番 ホ長調 WAB107」(ノヴァーク版)です 指揮は東響第3代音楽監督ジョナサン・ノットです
オケは12型で、左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置をとります 舞台上手にはハープが1台スタンバイします。コンマスは小林壱成、隣はグレブ・ニキティンというダブルトップ態勢を敷きます
1曲目はラヴェル「クープランの墓」(管弦楽版)です この曲はモーリス・ラヴェル(1875-1937)が1914~17年にピアノ曲として作曲、1919年に管弦楽版に編曲しました
ラヴェルは、第1次世界大戦で命を落とした友人たちや、同じ時期に世を去った自身の母親を偲ぶため、フランス・バロック界の巨匠フランソワ・クープランの偉業の記念碑(トンボ―)という意味合いを込めて「クープランの墓」というタイトルを付けました 第1曲「前奏曲」、第2曲「フォルラーヌ」、第3曲「メヌエット」、第4曲「リゴードン」の4曲から成ります
ノット得意のラヴェルということで、色彩感溢れる演奏が繰り広げられました 特に荒木良太のオーボエ、竹山愛のフルートが冴え渡っていました 荒木良太は、読響に移った荒木奏美の後任の首席、竹山愛は東京シティ・フィルから移ってきた首席です ともにすっかり新しい環境に慣れている姿が頼もしく感じました
プログラム後半はブルックナー「交響曲第7番 ホ長調 WAB107」(ノヴァーク版)です この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1881年から83年にかけて作曲、1884年12月30日にライプツィヒでアルトゥール・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されました なぜウィーン・フィルでなかったかと言えば、ブルックナーはウィーン・フィルからイジメのような冷たい仕打ちを受けており反感を覚えていたからです この辺の事情は今年5月26日付toraブログでご紹介した高原英理著「不機嫌な姫とブルックナー団」に詳しく書かれています 興味のある方はご覧ください いずれにしても、この演奏会をもってブルックナーは60歳にして初めて音楽界に認知されるようになったのです
この曲は第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ:極めて荘重に、そして極めて穏やかに」、第3楽章「スケルツォ:極めて速く」、第4楽章「フィナーレ:快速に、しかし速すぎずに」の4楽章から成ります
オケは16型に拡大しフルオーケストラ態勢となります ステージ下手にはワーグナー・テューバとホルンとバス・テューバが並列にスタンバイしているのが特徴的です
ノットの指揮で第1楽章に入ります 演奏は比較的ゆったりしたテンポで進行し、雄大な音楽が構築されていきます ワーグナー・テューバの演奏が素晴らしい ティンパニの連打が強烈です さて、この曲の演奏では次の第2楽章「アダージョ」が白眉でした かなりテンポを落とした演奏で、ワーグナー・テューバとヴィオラによる哀悼を込めた演奏に 弦楽器群による慟哭の演奏が交差します この楽章は83年2月に死去したワーグナーに対する追悼音楽ですが、ノット ✕ 東響は流麗な音楽作りにより、永遠に続くのではないか・・と思うほど連綿と、深いアダージョを奏でていきました 終結部はオケ総力によるアグレッシブな演奏でクライマックスを築き上げました 第3楽章のスケルツォは一転、高速テンポで演奏に入り、トランペットによるテーマが高らかに奏でられます この楽章ではエネルギーの爆発を感じました 第4楽章は冒頭から軽快な演奏が展開します そして、管楽器が咆哮し、打楽器が炸裂し、弦楽器が渾身の演奏を展開する中 輝かしいフィナーレを飾りました
満場は拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました
この日の演奏を振り返ってみると、ノット ✕ 東響は「喪失から再生へ」という流れで演奏したのではないか、と思いました ワーグナーへの追悼の世界から、ブルックナー自身の評価の確立へと変遷する過程を表現したのではないか、と