人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ストラヴィンスキー「春の祭典」,ラフマニノフ「第3ピアノ協奏曲」を聴く~藝大フィルハーモニア演奏会

2016年10月29日 08時40分11秒 | 日記

29日(土).わが家に来てから今日で761日目を迎え,文化勲章受章者決定のニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

          

             受賞者は15人だけど 一番若い人で69歳だな  文化って年月が必要らしいね

 

  閑話休題  

 

昨夕,上野の東京藝大奏楽堂で「藝大フィルハーモニア第377回定期演奏会」を聴きました プログラムは①セルゲイ・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」,②イーゴリ・ストラヴィンスキー「春の祭典」です ①のピアノ独奏は東京藝大准教授・有森博,指揮は東京藝大教授で東京シティ・フィル常任指揮者・高関健です

会場は全席自由です.出足が遅かったため残念ながら通路側席が取れず,1階16列10番,左ブロック右から3つ目の席を押さえました

本公演に先立って18時15分からプレコンサートがあり,藝大フィルハーモニアのメンバーによりストラヴィンスキー「弦楽四重奏のための3つの小品」が演奏されました 演奏の前にチェロの松本氏が「藝大フィルハーモニアの名称を11月1日から藝大フィルハーモニア管弦楽団に代えることになった.前身である旧東京音楽学校管弦楽団の原点に立ち返る意味を込めた」旨を説明し,次いでストラヴィンスキーの演奏に入りました この曲は「春の祭典」の次の年(1914年)に作曲されたとのことで,ストラヴィンスキーらしいエクセントリックな曲(10分程度)でした

 

          

 

さて,本番です.オケのメンバーが入場し配置に着きます 指揮者が高関健の場合はコントラバスとチェロが左サイドに配置され,ヴァイオリン・セクションが左右に分かれる対向配置をとります.コンミスは野口千代光です

1曲目はラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」です この曲は1909年6月から9月にかけて作曲されましたが,第2番のコンチェルトと並んでラフマニノフらしいロマン溢れる傑作です 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・タント」,第2楽章「インテルメッツォ:アダージョ」,第3楽章「フィナーレ:アッラ・ブレ―ヴェ」から成ります

ピアノ独奏の有森博が高関健とともに登場,さっそく第1楽章が開始されます この部分は聴いていてゾクゾクします この冒頭を聴くとオーストラリア出身で 天才ピアニストと言われたヘルフゴットを主役とした映画「シャイン」を思い出します  この第3番のコンチェルトが通奏低音のように全編を通して流れていました

第2楽章は冒頭,オーボエが寂しげなメロディーを奏でますが,この演奏が素晴らしかった  第3楽章は終始 勇壮でドラマチックな曲想です  有森の高速かつ確実なテクニックが冴えわたります フィナーレはオケが咆哮します

会場いっぱいの拍手に,有森はJ.S.バッハ(ジロティ編)「プレリュード」を演奏,弱音の美しさを会場の隅々まで響かせました

 

          

 

休憩後はストラヴィンスキー「春の祭典」です この曲は「バレエ・リュス」率いるセルゲイ・ディアギレフの依頼により作曲されたバレエ音楽です

オケの規模が拡大しています.よく見ると,ヴィオラの首席には元N響首席で藝大教授の川崎和憲氏が,ホルン首席には日フィル,読響,N響などで活躍した准教授・日高剛氏がスタンバイしています

「春の祭典」は,太陽神イアリロに捧げられた生贄の処女が,祭壇の前で生贄になるまでのロシアの異教時代の原始的な儀式を,さまざまな踊りとして扱ったものです 第1部「大地の崇敬」,第2部「いけにえ」から成ります

高関健のタクトで第1部がファゴットの独奏で入りますが,この演奏が素晴らしかった ここで躓くと後が大変です 最初のうちは弦楽器がややおとなしいかな,と思いましたが,それは最初だけでした この曲は音楽の3要素(リズム,メロディー,ハーモニー)のうちリズムを主体とする音楽ですが,管打楽器は最初から絶好調です とくに第2部はオケ全体がフル稼働で圧倒的なダイナミズムを具現していました それを可能にしていたのは高関健のタクトさばきだったと思います 彼の指揮ぶりを見ていると,無駄な動きが一切なく,指示が明確で,演奏する側は演奏し易いのではないかと想像します カリスマ性こそ薄いものの,楽員は正確無比のタクトさばきに安心してついて行けるのではないか,と思います

胸のすくようなダイナミックな素晴らしい演奏でした こういう曲は家のオーディオ装置で聴いていても,その迫力は伝わってきません.その場で空気の振動を全身で受け止めて初めて感動が湧いてくるものです

さて,話は180度変わりますが,この曲の「プログラム・ノート」を早稲田大学の助教が書かれています(なぜ東京藝大の人ではないのか不思議です)が,今までにない書き方だったので新鮮でした

「春の祭典」に関するほとんどの解説は概ね次のような内容になっています

「バレエ・リュスの興行主セルゲイ・ディアギレフの依頼により『火の鳥』『ペトルーシュカ』に次いで作曲したバレエ音楽である 初演は1913年5月29日,パリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮,ニジンスキーの振付けでロシア・バレエ団が踊った 初演は罵詈と賞賛に分かれたが,罵詈の方が多く失敗に終わった 当時のパリの聴衆にはあまりにも刺激的で先進的だったからである

これに対して,この筆者は作曲の経緯や初演に漕ぎ着けるまでのことに触れ,「パリでもっともメジャーな新聞『ル・フィガロ』の朝刊に掲載された告知文のとおり,その夜の初演は,バレエ・リュスが次なる段階へ確実に踏み入ったのを,芸術界に知らしめることとなった」と書いてはいるものの,初演の時の聴衆の反応がどうだったかについては具体的に触れていません

例えば,この曲を初めて聴く人がこのプログラム・ノートを見て演奏を聴いた時,初演は何の問題もなく大成功に終わったと勘違いするのではないか,当時としては評価が二分されるほど先進的な曲だったことを理解しないまま聴くことにならないか,という疑問を抱きます

おそらく筆者は「東京藝大のコンサートを聴きにくるほどの聴衆は,初演の結果など分かった上で聴くはずだから,あえて触れる必要はない」と判断したのかも知れません

ところで,「もし自分が1913年5月29日の初演に居合わせたとしたら,どんな風に受け止めただろうか?」と考えるのは興味深いことだと思います 今でこそCDが普及し,ユーチューブでも聴くことができ,コンサートでも時々取り上げられるようになっているので,当然のように「クラシック音楽」として聴いていますが,その当時は聴くための何の手段も情報もないわけで,まさに当時の「現代音楽」であるハルサイをいきなり聴いたら,そのエキセントリックな曲想に拒否反応を起こしていたのではないかと思います

プログラム・ノートを読んで,そんなことを考えました

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

プログラム冊子に下のチラシが挟まれていました 11月13日(日)午後3時から東京藝大の第6ホールでベートーヴェンの「セリオーソ」,メンデルスゾーンの「八重奏曲」などが演奏されます 入場無料だそうです.メンデルスゾーンを聴きたいのですが,残念ながら当日 別のコンサートが入っていて聴きに行けません どなたか代わりに行ってください

 

          

コメント (9)
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