人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ハルトムート・ヘンヒェン+新日本フィルでドヴォルザーク「スターバト・マーテル」を聴く~トリフォニーホール

2016年10月23日 09時13分14秒 | 日記

23日(日).昨日 土曜日の午前中は,いつものように音楽を聴きながらワイシャツに(今回は娘のブラウスもついでに)アイロンがけをして,軽くストレッチ体操をして,再び音楽を聴きながら新聞2紙に目を通しました  朝日朝刊・社会面「メディアタイムズ」コーナーに,「昼の民放 都政だらけ」という記事が目に付きました 私は基本的にテレビはニュース以外は見ないのですが,記事によると

「民放各局の昼の番組は,知事会見や都議会の生中継など『小池劇場』が続いている ネット時代の各局の思惑や視聴者の傾向,小池氏のメディア戦略が絡み合う」という現象が起きているようです この記事を読んでいて面白いと思ったのは,元吉本興業常務でフリープロデューサーの木村政雄氏のコメントです 彼は小泉純一郎元首相や橋本徹前大阪市長などテレビが好んで取り上げた政治家と比較して『小池氏の方が上』とみているようで,「無礼な質問も受け流し,最後にニコッと笑う おじさんたちを悪役の『越後屋』に見せてしまう つまらないドラマよりよほど面白い

というものです.思わず笑ってしまったのが「越後屋」コメントです 商人の越後屋が悪代官に賄賂を贈ると,悪代官が「越後屋,おぬしも悪よのう,ムフフフ」と笑うあのシーンを思い浮かべます

今日は小池百合子氏の知事転出により3候補の争いとなった衆議院東京10区補選の投開票日です 投票用紙が届いているのでこれから投票に行きます

ということで,わが家に来てから今日で755日目を迎え,廊下を散策中 スマホ・カメラに気づきポーズを決めるモコタロです

 

          

          廊下を滑って転ぶとロウカ現象だって言われるから気をつけよっと

 

  閑話休題  

 

昨日,すみだトリフォニーホールで新日本フィルの第563回定期演奏会を聴きました プログラムはドヴォルザーク「スターバト・マーテル」(哀しみの聖母)です 出演は,ソプラノはドイツ国立マンハイム音楽大学院を首席で卒業の松田奈緒美,メゾ・ソプラノは慶応義塾大学卒業,ワーグナーを得意とする池田香織,テノールは東京藝大卒,ミュンヘン音楽大学院修了の松原友,バリトンは東京藝大卒,新国立オペラで活躍中の久保和範,合唱は栗友会(りつゆうかい)合唱団,指揮は1943年ドイツ・ドレスデン生まれのハルトムート・ヘンヒェンです

 

          

 

「スターバト・マーテル」は「悲しみに沈める聖母は立つちぬ」の一節に始まるカトリック教会の聖歌(続唱)で,詩の内容は「磔刑のキリストを前にした『悲しみの聖母』の嘆きを共に分かち合い 神の恩寵を願う」というものです 第1曲~第10曲から構成されていますが,演奏時間にして約90分の大作で,この日は休憩なしで演奏されます

この曲を聴くうえで不可欠なのは,この曲を作曲した当時のドヴォルザーク家で起こった悲劇を理解することです 1874年にはブラームスにも認められて国家奨学金を獲得し,さあこれから というところでしたが,1875年9月,長女が生後数日で亡くなっていまったのです これが直接のきっかけになったかどうかは不明ですが,1876年2月から「スターバト・マーテル」の作曲に取り掛かります ところが,翌1877年の夏,今度は次女が劇薬の誤飲により死去し,さらに唯一残された長男まで天然痘で亡くしてしまいます すべての幼子を立て続けに失うという不幸が 結果的に作曲を早めることになり,1877年11月13日に「スターバト・マーテル」が完成しました

 

          

 

オケの後方に約100人の混声合唱団が入場します そして,コンマスの西江辰朗以下オケのメンバーが配置に着きます 弦楽器の配置は通常の通り,左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスという編成です

ヘンヒェンのタクトで第1曲から開始されます.4人のソリストは揃って素晴らしかったですが,とくに感心したのはソプラノの松田奈緒美です 小柄な身体のどこからあのような声が出てくるのかと思うほど深みある力強いソプラノです 声質はドラマティック・ソプラノです メゾ・ソプラノはどうしても声が通りにくいのですが,池田香織はさすがにワーグナーを得意としているだけあって声に底力があり,よく通ります テノールの松原友は後半に行くにしたがって良くなってきました 久保和範は深みのあるバリトンを聴かせてくれました

「交響曲第9番”新世界より”」「チェロ協奏曲」「弦楽四重奏曲”アメリカ”」などに馴染んだ耳で「スターバト・マーテル」を聴くと,ドヴォルザークらしいメロディーがほとんど出てこないということに気が付きます 唯一ドヴォルザークらしいと思われる箇所は,90分の演奏のうち最後の5分です 「これで終わりか」と思っていると,また演奏が始まり,「今度こそ終わりか」と思っていると,また演奏が始まる,といった具合になかなか終わらないところです

ヘンヒェンは新日本フィルの演奏がたいそう満足だったらしく,西江コンマスはじめ弦の首席クラスと力強く握手,さらに 合唱団の健闘が相当気に入ったらしく 両手でガッツポーズを作って讃えていました  確かにオケも合唱も聴き応えのある素晴らしい演奏でした

コメント (2)
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