人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番」,ショスタコ「第4交響曲」を聴く~東響第603回定期演奏会

2012年09月17日 07時00分10秒 | 日記

17日(月・祝日).今日は「敬老の日」.総務省が16日に発表した高齢者人口推計によると,65歳以上は前年から102万人増えて3074万人(男性1315万人,女性1759万人)に達し,初めて3000万人を超えたとのことです.これからも増え続ける方向にあるといいます 日本の成長はどうなる?日中問題はどうなる?日韓問題は?日露問題は?民主党どうする?自民党どうする?新興勢力どうする

 

  閑話休題  

 

15日(土)午後2時からの錦糸町のトりフォニーホールでの新日本フィル定期公演に次いで,午後6時からサントリーホールで東京交響楽団の第603回定期演奏会を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番K.595」、②ショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調」の2曲、指揮はヴァシリー・シナイスキー、ピアノはデジュー・ラーンキ,コンサートマスターは大谷康子です

 

          

 

指揮者シナイスキーは,キリル・コンドラシン,イリヤ・ムーシンに師事.1973年カラヤン国際指揮者コンクールで金メダルを受賞,2010年からボリショイ劇場の首席指揮者・音楽監督を務めています 

 

          

 

ラーンキはハンガリー出身のピアニストで,フランツ=リスト音楽院で学び,1969年にドイツのロベルト・シューマン・コンクールで優勝しました

 

          

 

舞台に登場したラーンキの白髪を見て,”紅顔の美青年だった彼も年を取ったなあ”と思いました.モーツアルトの「ピアノ協奏曲第27番K.595」は最後のピアノ協奏曲です.1791年1月5日に完成し,同年3月4日にウィーンで作曲者自身の演奏で初演されました 彼はこの年の12月5日にこの世を去っていますから晩年の曲といえます 第3楽章のテーマは歌曲「春への憧れ」として転用,K.596として「全自作作品録」に登録されています.モーツアルトはこのメロディーがよほど気に入っていたのでしょう

シナイスキーは指揮台を置かず,タクトを持たずに登場します.第1楽章冒頭の淡々としたメロディーに次いで,ラーンキのピアノが入ってきます.第1印象は”すごく柔らかい演奏”です これは最終楽章まで変わりませんでした.ラーンキは終始軽やかにモーツアルトを弾き切りました

終演後,会場のブラボーと拍手に3度舞台に呼び戻されましたが,袖に戻ろうとしたとき,コンマスの大谷さんが一言ラーンキに声をかけました.多分”アンコールしないの?”と言ったのだと思います すると,ラーンキはピアノに向かい,聞き覚えのあるメロディーを軽やかに弾きはじめました モーツアルトのピアノ・ソナタK.454の第3楽章です.これも素晴らしい演奏で,オケのメンバーもニコニコしてラーンキの演奏に耳を傾けていたのが印象的でした.みなさん子供時代にピアノのレッスンで弾かされた曲なのかも知れませんね

ショスタコーヴィチの「交響曲第4番ハ短調」は15曲ある交響曲の中でも最大規模の編成をとります.通常は管楽器は2管編成ですが,4管編成を取ります.クラリネット,トランペット,ファゴット,オーボエが各4本,ホルンに至っては8本(この日は9本)という陣容です しかも3楽章なのに1時間もかかる大曲なのです

この曲は1935年9月13日から翌36年4月26日までの間に作曲されましたが,36年12月に予定されていた初演に向けてリハーサルを続けていたものの,演奏会当日,ショスタコーヴィチ自身が取りやめたいうことです 演奏会当日の機関紙「プラウダ」には「ショスタコーヴィチ自身が作品の欠点を認め,初演の撤回を要求した」と書かれていますが,その背景にある本当の理由は政治的な事情によると言われています

初演されたのは完成から25年後の1961年12月30日でした.キリル・コンドラシン指揮モスクワ交響楽団の演奏によりモスクワ音楽院大ホールで演奏され,この時初めて大成功を収めたのでした

シナイスキーは,この大曲でもタクトを持ちません.オケは管楽器群を中心に会場狭しと舞台いっぱいに広がります.シナイスキーの合図で第1楽章「アレグロ・ポコ・モデラートープレスト」が始まります 冒頭から”ショスタコーヴィチ”と分かる特徴のあるメロディーです.ときにマーラーを思わせる曲想が現われます ショスタコーヴィチはこの曲の作曲中,マーラーの交響曲のスコアを手元に置いて,その一部を抜き書きしていたといいますから,その影響は間違いないでしょう 途中,弦楽器だけで最速のスピードで演奏する部分がありますが,東響の弦楽セクションの腕の見せ所でした 曲の印象としては,いろいろメロディーが混然一体となった”音楽の坩堝”といった感じです

シナイスキーは,第1楽章と第2楽章との間をあまり空けずに演奏しました.第3楽章「ラルゴーアレグロ」の冒頭は,最初管楽器で,次いで弦楽器が加わって,マーラーの葬送行進曲めいたメロディーを奏でます 最後は,ショスタコーヴィチらしく,プレスとで大々的にフィナーレを飾る,と思いきや,消え入るように曲を閉じます この辺が”社会主義リアリズム”の社会体制に受けなかったのかな,と勘繰ったりしました

拍手に応えるシナイスキーを見ていて,なぜか,ロシアの巨匠スベトラーノフを思い出しました.シナイスキーがもっと年を取ったらスベトラーノフのようになるんだろうか,と想像しました

この曲はベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィルのショスタコーヴィチ交響曲全集のCDで何度か聴いていましたが,ナマで聴くのは初めてでした やっぱり,マーラー,ショスタコーヴィチはナマで聴かなければ,と再認識した演奏会でした

 

          

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする