22日(日).昨日,すみだトリフォニーホールで新日本フィルのトリフォニーシリーズ第487回定期演奏会を聴いてきました 曲目はマーラーの「交響曲第9番ニ長調」の1曲のみ.指揮は1975年イギリス生まれのダニエル・ハーディングです
オーケストラの配置は第1ヴァイオリンと第2バイオリンが左右に分かれるいわゆる「ゲヴァントハウス方式」で,コントラバスが左サイド奥に陣取ります.中央にチェロ,その右にヴィオラ,そしてヴィオラの右後ろにハープ2台が配置されています.コンマスはソロ・コンサートマスターの豊嶋泰嗣.この人がコンマス席に座ると安心感があります その反対側の第2ヴァイオリンの首席の位置に,いつもと違うけれどお馴染みの人が座っています.プログラムに挟み込まれた出演者一覧表で確かめると田尻順とあります.彼は東京交響楽団の第1ヴァイオリンのアシスタント・コンサートマスターです.マーラーの交響曲のような大規模な管弦楽を演奏するには楽員だけでは足りず,外部に応援を頼むことになります 田尻順については,いつも東響のコンマスの隣で控えているのを見るとなぜか安心します.指揮者の信頼も厚いのではないでしょうか.それにしても,だれが,どういう関係から他の楽団から”借りてくる”のでしょうか.いつも不思議に思います
マーラーは,ベートーヴェンやブルックナーが第9番まで交響曲を作曲し死去したことから,9番目に作曲した曲に交響曲第9番と名付けることを嫌い,番号を振らず「大地の歌」と名付けました.その後,彼は交響曲第9番を作曲し完成させましたが,その後の交響曲第10番は完成を見ないまま死去しました.結局,マーラーは第9の宿命から逃れられませんでした
オーケストラのチューニングが終わり,ダニエル・ハーディングの登場です.背丈はどちらかといえば低く小柄です.彼のタクトで第1楽章が始まります.冒頭から”この世への別れ”のような曲想が奏でられます 第2楽章は,むしろ諧謔的な曲想で始まり,ユーモアさえ感じます 第3楽章は一転,嵐のような曲想で一気に走り抜けます
第3楽章から第4楽章「アダージョ」へは間を置かず入ります.マーラーの指示は「きわめて遅く,一段と控えめに」となっています.同じ「アダージョ」でも第5番の耽美的な音楽とは違い,また,ブルックナーの交響曲のアダージョのような宗教的なものとも違った,この世との別れの音楽が静かに穏やかに続きます マーラーは弦楽器だけによる最後の小節に「死に絶えるように」と記しています.
弦楽によるピアニッシモのメロディーがどんどん小さくなっていき,とうとう最後の一音が消え去ります・・・・・ハーディングはタクトをもったままその場に立ちつくし,弦楽奏者は弓を上げたままの姿勢です.会場は咳払いさえなく静まり返っています・・・・・1分ぐらい経ったでしょうか.ハーディングが静かにタクトを下ろし,楽員も弓を降ろしました.拍手の波が起こり,それが徐々に大きくなって会場を満たしていきました 小さなハーディングが大きく見えます.じわじわっと感動が押し寄せてきました この「アダージョ」を聴くと,それまで聴いてきた第1楽章から第3楽章までが,そこに至るまでの一過程に過ぎなかったのだと感じます マーラーはこの「アダージョ」を書くためにその前の楽章を付け足したのだ,とさえ想ってしまいます.それほど崇高な音楽です
ハーディングはこの1分間の無音の中,何を想っていたのでしょうか?マーラーの魂に別れを告げていたのでしょうか?それとも・・・・昨年3月11日の大震災の時,彼は新日本フィルでマーラーの第5交響曲の指揮をとるため来日中でした.コンサートは急きょ中止になりました 日本で自ら大地震を経験し,被災地の状況をテレビ等で目の当たりにした彼は,ぎりぎりまで日本に残って,自分に何か出来ないかと模索していたと聞きます.結局6月に代替公演を挙行しましたが,合わせて被災者のためにチャリティー公演も実施しました.そんなハーディングですから,被災者の追悼のため祈りを捧げていたのかも知れません それにしても,これまでン十年もコンサートを聴いてきましたが,終演後の沈黙がこれほど長く,人々のそれぞれの想いが充満していたコンサートは今まで経験がありません
新日本フィルは,ハーディングの指揮のもと弦楽器も管楽器も打楽器も渾身の演奏を展開しました とくに管楽器は安定した演奏で楽しませてくれました.今回の演奏は新日本フィルの演奏史に残る名演だったといえるでしょう
〔追伸〕昨年2月15日に始めたこのブログは400本目を迎えましたこれからもよろしくお願いいたします