その前にね。スーパーの食玩売り場で、ずっと気になっていた四式重爆「飛龍」を連れて帰りました。食玩にしては、値段が高かったので、見送って来たのですが、残念ながら、その割には、胴体のパーツの合いなどはあまり良く無いのが残念なところ。最近は金型技術が良くて、殆どのモデルで良い出来ですが、このモデルは、一昔前のレベルですね。でも、飛龍のモデルは少ないし、スマートな機体で好きですね。陸軍機でありながら、優れた運動性を見込まれて、雷撃も出来るという機体。陸軍は、一つ前の中島の「呑龍」が対ソ連を仮想敵国とした設計で、重武装ではあっても、見るものが無い性能で、旧式の九七重爆を運用し続けた反省から三菱に試作を命じた機体ですね。重爆はやはり九六陸攻や一式陸攻を設計した三菱が経験豊富です。しかし、呑龍も立川飛行機でも生産されたようで、私の叔父が、購買課で部品を手配していたと聞きました。しかし、すでに制空権を奪われ、練達の搭乗員(陸軍だから操縦者?)も少ない戦争末期の登場は遅すぎた感があります。まぁ、少しぐらい早く出現しても、戦況には影響は無かったわけですけど。YS-11から40年ぶりとなる国産旅客機、三菱のMRJが成功すると良いですね。
では、はじめましようかね。1966年2月製のPEN-S3.5です。3.5にしては、裏蓋の劣化などが目立つ個体ですよ。分解歴はありますが、シャッターは緩慢な動きをしています。
特に極端に悪いと言うところは無いですので、UPする内容も無いと思いますが・・トップカバーですが、巻上げ側の吊環部をへこましています。こちら側は珍しいのよ。その衝撃で、駒数ガラスの接着が脱落しています。横のビスは、まだスリ割りビスの頃です。ファインダーも樹脂製のため、接着が外れているか、簡単に剥れてしまいます。
シャッターユニットは幸い未分解でした。すでにO/Hを終えており、特に問題はありません。本体と裏蓋は洗浄してあります。この裏蓋。ちょっと本体との合いがきつ目ですね。シボ革のOLYMPUS部分が盛り上がっている部分がありますが、これは、リベットの錆膨張したのが原因で、2.8の中頃まての個体に多いのですが、もしかしたら、裏蓋は別の個体のものかも? まぁ、オリジナルということにしておきましょう。
トップがハーは、吊環を分離したのち、へこみの修正をしてあります。めっきの汚れが目立ちましたので、超音波洗浄をしましたら、梨地の奥にこびり付いた汚れが落ちて、ピカピカになりました。しかし、彫刻文字の色が抜けてしまいました。失礼。入れ直します。最後に駒数ガラスを再接着。
シャッターユニットから出ているリード線のターミナルは、かなりの確率で半田が剥離しています。研磨をして再半田をしてあります。
レンズは前玉に細かなキズありですが、まぁきれいなほうでしょう。シボリリングの動きが異常に硬いので調整。トップカバーをセットして完成です。よくよく見ると、この個体はft機ですね。海外からの里帰りということですね。彫刻文字の色を入れ直してありますが、英字部分が微妙に盛り上がっています。裏を見ると、ドライバーの先のようなもので、叩いたようなキズが多数ありました。しかし、普通あれだけ叩けば、表面がデコボコしてしまうはずですけど、それは無いのです。ちよっとミステリーというか、私には出来ない芸当です。調子は、巻上げは軽く、シャッターも快調です。
烈風改の図面は設計者の堀越二郎氏の親族から発見されたのでしたかね? 敗戦後は、占領軍が進駐して来る前に、軍事秘の資料は大半が焼却処分されたのでしょうけど、設計者は、隠し持っても捨てらなかったのでしょう。青写真と言っても、三面図など、基本図面だけだと思いますが、それがあれば、プラモデルなら正確な金型設計が出来ますね。(笑) 堀越二郎氏と言えば、今度、ジプリの映画「風立ちぬ」のモデルだそうで、どんな作品になるのでしょうね。紅の豚などは面白い作品でした。中島飛行機の糸川英夫氏なとどは、堀越氏のことは、あまり良くは言ってなかったと思います。零戦などは、東大で習ったことをそのまま図面にしただけのような・・確かに、イギリスのグロスターF5/34とそっくりです。しかし、自動車も生産できない工業力で、最先端の戦闘機を開発するためには、欧米の先進技術をコピーするしかありません。それは、自動車、カメラ、時計、なんでも昔から同じです。
カメラや時計の中にあるひげぜんまいやルーペで見なきゃ歯の数すらわからないような小さな歯車など、当時どうやって作ってたのですかね。大変、興味深いです。
万年時計とかワクワクします。