富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

Special Wedding(スペシャルなウェディング)

2011年04月30日 | Weblog

Will&Kate のRoyal Wedding(ロイヤルウエディング)で
世界が華やいだ一日。
「ロイヤル」を垣間見て、それはそれはスペシャルな
MichaelとElizabethの結婚式を思い出し、その場に立ち会えた興奮と
すばらしい感動がもう早ひとつき前にもなるのに、僕の心に鮮やかに甦りました。
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「ウェストミンスター」ではなかったけれど、シドニーの閑静な場所にある教会は
清楚に白くたたずみ、ただそれだけで心洗われる雰囲気に包まれていました。
ブライドの明るい笑顔、迎えるグルームの優しいまなざし
それはどこかで見た映画そのものに思えて、心がふわっと浮き上がって
その場の雰囲気と儀式の荘厳さに酔うように包まれていた気がします。
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思えば、マイケルが我が家に来たときそれは17年も前の話ですが・・・
出会った瞬間には、お互いの文化の違いに戸惑いながらも(カルチャーショック)
あっという間にその距離を縮めて、心から通じ合えるのに、それほどの時間はかかりませんでした。
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当時15歳だった彼から、僕自身は多くのことを学び、考え方において
一つの転機になるヒントを与えてくれたような気がします。
マイケル以前の僕と、マイケル後の僕は、家族もそうであるように
大きく違った気がします。
人に比べて自分を見るのではなく、自分をちゃんと見つめて
ただ、自分自身のベストを尽くすというあり方は、今僕の気持ちの大部分を占めています。
ともすれば、あの人はどうのこうのと、ちいさく仕切った世間という器のなかに
人も自分も閉じ込めて、物事を推し量るありようは、窮屈でやがて息苦しくなります。
人は違って当たり前で、そのことを自覚すれば、自分自身を大事に思い
自分以外の人格も物差しなしにちゃんと見つめ尊重できるのです。
どうやらそれまでの僕は「・・・あの人しっかりしたはるわ・・・」などという表も裏側もある
どうでもええような言葉につきまとわれかけていましたが、マイケル後に
そんなことがどうでも良くなった自分を取り戻した気がします。
人が自分を評価するのではなく、自分を評価するのは自分自身なのです。
人がどう見るのかということに気をとられる人は、その時点で自分を見失いがちです。
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マイケルは、遠く離れたお互いの家族の架け橋にもなりました。
僕らの子供達とマイケル達の兄妹達はまるで家族のように交流でき
掛け値なしに、僕らにとって、マイケルの両親であるIanとGeniaは心から通じ合える親友です。
今度の結婚は、マイケルへの祝福というのが大前提でしたが
彼らの喜びを、彼らと共に同じ空間で共有できたことが何よりの喜びでした。
彼らと過ごした数日は、かけがえのないすばらしい時間となり、
彼らの暮らし方、彼らの生き方にはいつも素敵な印象持つことができ、
自分たちにとって大きな刺激にもなり、尊敬に値します。
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なかなか立ち上がれないほどの大災害に見舞われ、被災地のみならず
僕らも、ある意味津波をかぶったように、先を見失っています。
今まで、物にあふれた生活に便利ばかりを貪ってきて、その消費によって
経済を支えてきたと今更ながらに振り返る・・・何もかも失ってなお、
みんなが「物を買おう」と口をそろえる・・・
まるで、物を消費することが豊かな生活 の本質だとでも言いたげに・・・
物にあふれた時を取り戻すことが「幸せなこと」の形だとも言いたげに・・・・
唯一無二の被爆国でありながら、便利と裏腹の浪費の挙句に多くの原発を
地震の巣の海沿いに、国策としておびただしく建設し続けた経緯が現実としてある。
どうやら巨大地震と大津波によって、そのパンドラの箱がひっくり返って
どうもしようのない暗雲がこの国にたちこめていて、晴れ間が見えないでいる。
それでも、物を買うことで救われると念を押すセリフがテレビに飛び交う。
それしかないのか・・・となぜか立ち止まりたくもなる。
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彼らの生活に触れて直感的に思うこと、それは家の中に物が少なくて
必要なものを最小限にしていて、けれども一つ一つに意味を持たせていること。
いずれ必要などといって買い置きすることは、一週間分の食べ物以外に見あたらない。
物がないことが貧しく見えないし、むしろ豊かに暮らしが彩られて見える。
今自分にふさわしいものが、基準となって生活を演出する。
決してあれもこれもと飾り立てず、いい物を自分にふさわしい物だけを手に入れて
自分らしさを演出することを忘れず、ナチュラルでいて
それが美しい・・・・・

あっという間に大津波に襲われて、家族の命も家も家財すべてを失って
途方に暮れる・・・失ったものは何なのか、
再生すべきものは、何なのか・・・そう思うときに
僕らが「物を買う」ことで得られるものがすべてではないと思えてくる。

僕がオーストラリアの友人達の暮らしに触れて、見たものに答えがあるような気がしてならない。