富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

「社会保険」を考える

2007年06月08日 | Weblog

社会保険(しゃかいほけん)とは、と調べてみると
社会保障の分野のひとつで、
国民が生活する上での疾病、老齢、失業、
労働災害、介護などの事故(リスク)に備えて、
事前に強制加入の保険にはいることによって、
事故(リスク)が起こった時に現金又は
現物給付により生活を保障する相互扶助の仕組みである
とご大層に書いてある。

小泉という人は、厚労族とかいう、「すみか」からはい出た
ネオコンかぶれの人と見えた
彼は、およそ政策とは無縁の三世世襲議員で
ものの弾みのように間違って選ばれて
政府の主となってしまったために、
事もあろうに、アメリカかぶれの学者気取りの
討論会の司会者に、政策の全てをゆだねてしまった。

その学者は、ことのほか、この国の風土を好まない。
この国の事情に否定的で、
ただ一つの方策しか頭にないようだった。
「グローバル化」とアメリカンスタンダード
彼の雇い主といえば留学したイギリス仕込みの?
カタコト英語で英語に弱く、やたら英語混じりの説明というか
まるでお医者さん気取りの
インフォームドコンセント(informed consent )に

何を言っても「うんうん」うなずくだけ・・・
学者のいうことを鵜呑みにするより
コイズミには、仕方なかったのかも知れない。

その学者は、ただやりたい放題に
好きなアメリカからの強欲な要求には
規制緩和」というお念仏を唱えて、
あらゆるこの国の経済的な仕組みを
アメリカの「ファンド」とか「ヘッジファンド」という
ハゲタカの前にさらけ出し、
あげくに「ライブドア」やの「ヒューザー」やの
近頃は「コムスン」などという名前を聞いただけでは
ほとんど中身の知れない
和製のハゲタカをこの世の表舞台に野放しにした。

彼らの共通項は、「コンプライアンス」という名の下の
裏腹な「脱法行為」と私利私欲にまみれており
「規制緩和」の後ろ盾で、金をかき集め、
おまけに程度の低いマスコミは、こぞって
「時代の寵児」などと彼らをもてはやしたのだった。
彼らは何かを作りだしたわけではない
ただ「銭もうけ」に執心しただけなのに・・・・
結果は、「お金」というものの軽さを助長している。
さらに悪いことに
何も出来ない・考えてないはずの「政治家の子供」をして
「小泉」という「幻想」を映像化して持ち上げてしまう始末の悪さ。
彼こそは、「小泉というチルドレン」だったはずなのに・・・


やがて改革気取りの連中は、郵政民営化などという
どうでもええような、大芝居をやり始め
効率化という念仏と「コストダウン」こそ
身命などと唱えるもんだから、元来仕事の
あるはずの若い世代が「非正規雇用」の
憂き目に追いやられていったのだと思われる。

上場企業だけの収益が上がり始めた頃を
見計らって、自分らはささっと身を引きながら
「経済が回復傾向」にあるという妙な
「おしまい」宣言で、いつの間にか「猿芝居」も幕を閉じた。

歯がゆいまでに、やりたいことされても
刃向かえなかった「抵抗勢力」と揶揄された
もの達も、ボンボン育ちの2世議員
の「改革勢力」とお名乗りになるお仲間集団も
口をそろえて「景気が回復した」と与党としての言葉に
するようになった。無抵抗で気のなえた野党も野党そのもので
「安部のボンボン」をみんなで担いで・・・仲良しこよし
政治はいかにも安っぽく
そして軽々しく見える。野党もその例外ではない

どうやら、この国が回復したのではない
この国も、アメリカ主義のシステムに組み込まれた
気がする。

アメリカという国がこの世界から
マネー」を根こそぎ吸い上げるシステムのもとで
たくさんの貧しい国々を作り上げた図式に似て
景気回復したというこの国の現状は
東京以外の貧しい地方を作り上げたようだ。

彼や小泉が言っていた「改革なくして未来はない」などいうのは、
単にキャッチコピーにすぎず
実際、「経済の回復が、軌道に乗った」というまでに
実に5年を要している。5年もかかってるわりに・・・
あるいは5年もすぎたら、
思惑とは違った方向で、変わりもするわいなぐらいの経済変化やし、
景気の回復?それは、どこの話なんやろか

そして、今は東京だけが、アメリカ的企業の潤いにひたっている。
「杉並区」は、18歳まで無料医療が受けられるそうだ。

一人の成り上がり長者を産むためには、
多くの貧者が必要である。
中国という国が今そうであるように・・・


その間に、このことと対のように言い続けていた言葉が
セーフティネット」だった。
多くは絵に描いた餅のようだが
改革のために耐えねばならないとされた私たちには
社会から約束されるものがあったはずなのに
今、非正規雇用などと小難しい冠詞で呼ばれる
若い連中の間に「派遣社員」や
「ニート」「ネットカフェ」族という現状が存在している。
大きな企業の利益は向上したのかも知れない
実は、保障をそぎ落とされた彼らのおかげで・・・

一方、ナントか安定している多くの「正規雇用」には
彼らのような非正規雇用とは、ちがって
セーフティネット」がかろうじてあるはずだった。
この根底に「社会保険」が存在するという理由で。

がそれも幻想だと思わせる
このたび発覚した5000万件から6500万件の未整理

若者の「国民年金」の未納を責めるに値しない
考えられない怠慢とええ加減さに言葉もない。

社会保険庁」というような役所の仕事といえば
僕には、「社会保険の管理」しか思いつかない。
にもかかわらず、彼らは、何も「管理」などしてこなかった
私たちから「天引き」などの強制徴収をしながら、
何一つ仕事をしなかったどころか、
おまけに「ボーナス」まで巻き上げていたのだ。

彼らが、今「コムスン」の不正請求を糾弾するとき
心を痛めて見えない不条理が、全く腹立たしい
厚生労働省にいながら
それ以上の国家的サギをしでかしておきながら・・・

もう何も信用できない「不安」を与えておいて
それでも彼らは、必死にならず 失態を取り返そうともしない
いわれるまでは、彼らに責任などないと
みんなで思ってるから・・・・これほど何も
しないできた上に、彼らのこれからにも
日曜も土曜も休みがあるらしい
一部の交代勤務で、休日出勤して対応するのはするのだが
やっぱり休日は休日なんやろ・・・彼らにとっては
休まず、寝ずに取り返すべき「怠慢」に対して
「鈍感」どころか、無関心そのもの

あげくに「救済」をいう
救済」???
自分たちのミスや怠慢でしでかした不祥事にもかかわらず
こうむった私たちの被害を「救済」してやるとは、
なんという発想なんだろうかこの国の意識に気が遠くなる。


社会保険庁のWebサイトに
年金個人情報提供サービス」がありますので
まず、右側の青い方の「初めて利用する方に」の中の
利用登録」ボタンをおして、必要事項を書き込み
IDとパスワードが送られてくるのを待ちます。

待つこと1週間
送られてきた封書のIDとパスワードを元に
今度は同じページの右側の緑の「すでに登録されている方
の「年金加入記録照会」ボタンを押して確認します。

案の定、僕の国保分のデータは
厚生年金分から欠落していました。
そして、社会保険事務所は証拠持参でここまで来いといいました。
ここに国保の年金番号があるというのに・・・
役場に連絡を入れると今度は
こともなげに対応して
書類を送付しますと今度は、裏がえったような返答です。


個人の年金情報」は個人宛に早急に送られてくると
今なお、信用の出来ない厚労大臣や
早口でたどたどしい安部のボンボンが
言い続けています。
昨日まで5000万件といっておき、1500万追加とか
これからソフトを開発???これから開発するんですよ
出来るんか?

信じられますか?この何もかもを
社会保険事務所までは、西京極まで行かねばなりません
いきついたとしても最低2時間待ちです。
あほらしくなります。


手をこまねいていたら
日が暮れる
それならネットの環境から、社保庁にアクセスして
調べておくにこしたことありません。

ちなみに、こんな有様で「ボーナス」をむさぼった
社保庁の者どもの「共済」の納付記録
議員年金とともに社会保険からは隔離され
納付記録は100%もれなく記載されていると聞く

こういうのが、「あり」というのが、
許し難いはなしではありませんか!


 


バックアップのススメ:いざというときの為に

2007年06月08日 | パソコン

随分と記事の投稿をさぼっていたような気がします。
というのも、自分のを含めて、いくつかのパソコンの調子が悪くなり
あれやこれや、思案したり自分なりの浅はかな知識で
メンテナンスしたりしていたためでした。


この経験は、パソコンという「精密機器」がいつか壊れたり
壊れなくても故障する事は、
その要因が様々にあったとしても
誰のパソコンにとってさけられない「リスク」であるという
事を今更ながらに思い知らされもしました。


バックアップ」とは、決して消したくないデータを
いざというときの為に、別の場所にコピーしたり
あるいは、移動させて保存しておくことを意味します。

最近のパソコンには、リカバリディスクというディスクが
付属しています。
ちょっと前のパソコンなら
数枚のCDにわけて、添付されていたり
現行のパソコンのように100GBをこえる大容量の
PCには、ハードディスクの一部にリカバリ領域がこしらえ
あらかじめ保存されている場合が大半です。
これらのリカバリ(再生)機能をつかえば、
故障やトラブルなどの
不具合に見舞われた時でも、
購入時」の状態に戻すことなど
きわめて簡単に行えます。


が、「購入時」のまっさらな状態に戻ってしまうということは
そのまま、今までこしらえたり、
保存してきた大切なデータが
キレイさっぱり消え去ることを意味します。


写真の数々、メールやアドレス、あるいは住所録などは
日頃PCの体調のいい時期に「いざという時」の為に
別の場所に保存しておくのが賢明です。
更にそんな機器が見あたらなくても
「オンラインストレージ」という方法もあります。

これは、ネット上で提供されるデータの保存領域で
写真などの保存をネットに指定される方は意外に多いのです。
こうしておくメリットは、パソコンは自分ので
なくても呼び出せたり利用できる点で
多くの人との共有も可能です。
ただ、デメリットもあります。
そのサイトが閉じられてしまうと、データが読み出せない上に
よほどの信頼感のおけない限り
自分のプライバシーを侵害されるリスクが生じるでしょう。
しかし、明らかに「バックアップ」の
一つの形であると言えるでしょう。

大事なデータは、例えば
Windowsが同居するCドライブをさけて、Dドライブに
移すのは、最低限の心がけとして
CDやDVDのメディアに書き込むか
あるいは、外付けのハードディスク(HDD)に保存して
PCとは離れた場所にあることがより安全だと言えます。




今回、僕の場合HDDを交換しました。
この際、今までの30Gから80Gに換装したのですが
本来なら、一からHDDをフォーマットしOSを新規に
インストールしなおし、BIOSのアップグレードから
アプリケーショーンの入れ替えまで、数日かけなければ
ならないと覚悟を決めてはおりましたのですが、
現行のCドライブを丸ごとイメージにして
バックアップ出来る「PowerX Hard Disk Manager 7.0」という
ソフトの試用版の存在を「Vector」で見つけて
このソフトを使わせてもらって、外付けHDDのケースを購入し
このケースに付属するケーブルで、接続した上で
あらかじめ新しい方のHDDに
現行の「Cドライブ」をOSもアプリケーションも
データも丸ごとバックアップし、
このHDDを「バックアップディスク」としておきました。

次にHDD交換して、PCには、先ほどバックアップした方の
HDDに付け替えてPCを起動すると、

ナ、ナント・・・ですね オロロイタコトニデスヨ

PCが通常の起動をしてしまったんです。

パソコンは、いとも簡単に復元でき、
交換しかえた新しい方をCドライブとし
今度は外付けでつなぎかえてた古い方のドライブが
「バックアップディスク」に入れ替わる
という「手品」もどきの優れものでした。



なんということでしょう!こんな事が
簡単にできるようになったことがすばらしいと思う反面
ひょっとして、パソコンの中身なんて簡単に入れ替えられるという
何とも空恐ろしい気分にもなりました。


なんにしても「バックアップ」は、PCを使う上で、大切な心がけです


代表の観戦記:Vs モンテネグロ

2007年06月03日 | サッカー

久々に代表の試合を見た。

案の定、稲本の出し「オシム」で、
テレビはベンチの稲本を
映し出していた。

だいたい、どうでもええ解説を、
あの「タケダ」やら「ジョー」が
いっかどの見識をしゃべっている事だけで
ちゃんちゃんらおかしかった。
彼らの音声はテレビ観戦するには、
耐えられないノイズでしかない。
態勢をくずして苦し紛れに
ふかしたシュートが枠をはずれる
それを、かつて何度も自分たちがゴール前で
外し続けたことを弁解するように
二人が「すばらしい」とほめる

ドイツのワールドカップで辛酸をなめた
我々のサッカー観は
彼ら二人には通じてはいないようだった。
「枠をはずれても、シュートで終わる」みたいな
念仏をとなえるのも、はずれたシュートほめることも
僕らはとっくにあきてます。

さて、代表の試合は、始まりの15分を除けば
代わり映えのしない同じリズムの展開と
戦術論にばかり縛られて、ポジショニングにこだわる
選手達に一体感を感じとれることもなく
誰もを自分を表現することも、
その意志を伝えることもなかった。
それは、かつてドイツで見た「ナカタ」のいたJapanから
ただ、ナカタがいなくなっただけでしかナカッタ
(※我ながら、しょーもないけど)

「展開」とは戦術に依存しすぎず、
詰まるところは、個人の「アイデア」であり
フットボールの本質は、
結局「ゲーム」という楽しさなのであって
日本語の「試合」というような苦難ではない。

「ケンゴー」ですら、サッカーで表現するというよりも
与えられたものを「こなす」ことに
一生懸命のように見えた。
戦術をこなすのではなく、
個々人の違った個性と技術を集積し
ゴールをこじ開ける「アイデア」を感じたかった・・・

楽しさを満喫するためには、技術と戦術眼と
体力と「オシム」の場合は「走力」を求めている

走力とは、瞬時にターンオーバー出来る
意志のある「走り」であり、守備の背面に攻撃への
意志を求めている
ナカタ的呪縛の解けた「イナモト」と「シュンスケ」は
どうなんやろ?

いかにも皮肉な物言いの「オシム」だが、
彼が世界にはびこる「パワーサッカー」に対して
作り上げようとするアジアンサッカーは、
アジア人的特性を利用しようとしてるようには見えものの
その道は、まだ遠くに思える。

オシムに「個人プレー」に走る
連中がいると揶揄された「プレイ」とは、
アジア的体躯では、「ヨーロッパ」流の
パワーサッカーは出来ないと観念した「オシム」にとって
苦し紛れのロングゲインのパスや
力ないロングシュートが、
「チャンピオンズリーグ」のまねごと
に見えたということなんだろう。
「アイデア」と意志に満ちたパスに活路を見いだす
それが、アジアンサッカーのエッセンスだと
断言するように・・・・・

それについては、賛同する
6月5日のコロンビア戦に
「Inamoto」を出すのなら、
彼のいう「代表」のゲームをもう一度見たい