富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

オカダ・そして世襲制限

2009年05月21日 | フットボール

すごく悲しい気分になる。あれほど我を忘れて見入った
代表のフットボールに、関心を持とうとしないボクがいる。
それはひとえに「カリスマ性」のかけらもなく、もう遠くに消え入りかけた
「メキシコの残照」に未だに浸ってるような世代の「オカダ」が監督に居座るせいだ
彼には、ぬぐいきれない「フランスでの無様なスプリットのないゲーム」の責任があり
そして、決してそこを抜け出られないほどのフットボール観のなさが彼のすべてだと思える


守備ということは、パスコースを断ち切り、献身的に身をテイすることと信じているのだろう
オシムのあとに就いたときに、「ラグビー」の戦法を持ち出したときに
あきれ果ててしまった。日本ラグビーは、身を殺す連続の守備陣形を是としてスローフォワード
を否とする陣地取りのゲームに近く、大局も局面も
ターンオーバーが支配するフットボールの対極にあるセオリーが占めている

我々が、代表に求めるのは何度もゆうようにくだらない戦術論などではない
国際語に等しい共通言語の「フットボール」を通して何を表現するか、何を伝えるか
というコンセプトが見たいのだ・・・・少なくとも彼にそれを見るチカラそのものがない
したがって、彼が選んだという「代表」の信憑性が疑わしいし
日替わりメニューのようなぽっと出の代表候補に、ほとんどボクなどは認める才能を見つけることが出来ない


そのことが最終予選にいたった現時点でもなお、目を背けさせる
それは、代表への多くの関心を奪っている実情が物語る・・・もう青色に
コクリツが埋まることなどないのだ
いつまでも消えて久しい「メキシコ五輪の栄光」をポケットからひけらかした世代が
協会などいう組織ばったシステムにこだわっている場合でもなく
才能もないヒトをいつまでも、この国のフットボールの「かお」にしておくことこそ
未来をふさぐ、こんな事をゆうのも口幅ったいけども彼の顔そのものが代表に似つかわしくない


同じような釈然としない思いが「世襲制限」などとぶち上げた「マニフェスト」なるものと
この国の「政治家」と自称する怪しげな連中に感じる
我々が「世襲」を嫌うのは北の国に例を見るまでもなく、内閣や要職を2世が占めている
寒々しい現状である。そして、2世は2世を担ぎ上げ平気でこの国のトップに仕立ててきた。
口先だけで、思慮もなくアイデアもなく、ただ坊ちゃん顔のアメリカかぶれの金融第一主義者の
学者くずれに国策を丸投げして、あげくに国の政治の後釜に平然と次男を世襲させるコイズミや
政権を軽々と放り投げた「アベ」やの「フクダ」、世界中にこの国に赤っ恥をかかせた「ナカガワ」に
字も読めず人権意識のかけらもなく10%程度の支持しか得られない「アソー」らの情けないありようを
見せ続けられてきた。それは「キタノ国」とどう違うのかとさえ思うほどだ
そのすべてが世襲であり、それを「毛並みの良さ」などうそぶいて
その周りに派閥やグループと称してたかり続けるどいつもこいつもが
国政をにない政策を立案するものとして、アイデアにかけ
資質としても欠格しているという認識が世間を覆っている現実・・・
けれどもそのええ加減さと安直さが国政を劣化させた責任を全く感じていない
鈍感さ・・・言い換えれば世襲ゆえの無能さ、無気力、無関心さが結果、
いつも、官僚ののさばりを許して「財政」という政治主導など足蹴にされてきたのだ。
ところが「世襲制限」の対象にこれらのおびただしい現職は含まれないといい、
2世の2世だけが対象になるという「茶番」が、あまりにもばからしいし悲しい。
その上で抜け道というか、2世を公認せずに無所属で立候補させて、
当選後の党への所属は認められるという・・・
それは選挙民への裏切りではないとぬけぬけと断言する
その見識の低さと、どうでもええようなあきれ果てた政治感覚・・・・
本来、世襲を禁じて立候補を制限すべきは、そうした数々の醜態と無能をさらした「今ある世襲議員」のすべてであり
5人が5人とも、あるいは金まみれ体質野党党首に至るはずで、
彼らの無能ぶりからも、現職の首相でさえためらいなく立候補が制限されて、
結局オザワも議員引退となるはずではないのか・・・少なくともボクは
そうあってこその「世襲制限」という意味をなし、
それぐらい反省できていないともう世の中が前に行きそうにないとさえ思う

けれども、どっちもどっちの「実力者」気取りの人間たちが記者インタビューに
答えている様は、「器も度量もそして、哲学そのものが小さく、
視野も狭すぎて国民感情からは遠すぎる・・・このままでは
政権交代で起こるとしても「想定の範囲内」のさざ波が立つぐらいなのではないのか・・・
国会議員の半数を超える小粒な2世議員をそのままに放置するのだから・・・
「代表のゲーム」と同じように「総選挙」自体に希望など持てそうになく関心すら薄れて
やがて、「閉塞感」があたりを覆いそうな気がする・・・


こんな絶望的な見方してるんは・・・ボクだけやろか・・・


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
僕も暗かったりして (K太)
2009-05-22 07:16:45
暗い。暗すぎるでおっちゃん。。。
でも何か分かる気もする。きっと世論が2世議員のことについても異論を唱えたから
今回、このような政策?になったんやろうけど、
結局、表面上では「ちゃんとやりまっせ。」って言っておいて、
蓋を開けてみたら「全然できてませんやん。」「誰が考えても何にも変わってないし。」みたいなことが
ホンマに多いっすねぇ。で、それを堂々とできる無神経さというか、なんと言うか。
介護保険でも改正時に報酬アップといって騒いでたけど
蓋を開けてみれば、報酬アップでも何でもない。
介護認定の時に軽くでるようなシステムをつくってるし、たぶんそれに批判が出てんでしょう。
経過措置として、前の介護度でもいいって。
そもそも、経過措置をとらんなん認定がおかしいやん
って誰が考えても分かる。
で、それを何で誰も言わないの?

ホンマこんなん続いたら閉塞感感じるわ。
はぁ
返信する
続き (K太)
2009-05-22 07:24:58
ごめん。続けます。
誰も何も言わないって言ったけど、
ホンマ言わなあかんのは、介護関係者。
それも行政の担当者達や、ケアマネさん達や事業者ですよ。

見えていることを見ようとしないなら、
介護の本質である目に見えない、その人、家族の気持ちや背景なんて見えるはずがないよ。

また介護の話になってしもた。すんません。
静かに怒っています。
返信する
ひだまりで一人 (tom)
2009-05-22 21:34:07
寂しいわ・・・
介護の問題は、今ある社会のひずみの縮図です
Kたの指摘もよくわかる
制度化したものの、介護する思いの
スピリットもないままに
財政とか行政的手法だけが
事務的に始まってるから利用者や事業者が置き去りにされる
一方で、こんな制度にしてしまわないかんほど
世間や家庭の中に世代間の断層がうまれ
それを埋める手立ては、「こころ」なんていう
精神論のよりどころさえなくなっている
欧米のように個々の自立をあいまいにしてきているから
余計に始末が悪い
都合のいいときだけ「情」とか
持ち出してくる
みんながまず制度を理解すること
あるいはみんなが考えてみること
小さくても自力で積み重ねること
「お上」頼みでは
もう何も作り出せへんしな

暗いいわれて、反省した
自分は前向てるで・・・これでも
返信する

コメントを投稿