富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

観戦記:SouthAfricaW杯2010

2010年06月19日 | フットボール

ずいぶん長い間このブログを放置し続けている間に
相も変わらぬ政権の投げ出しがあり、「選挙」ポスターの掲示板があちこちの辻に
立てられている。この国の閉塞感はきわまってさえ思えて、
経済的悪化は身の回りの 深刻さをいっそう際どく感じさせる。

一方で心待ちにしていた南アのW杯も開幕し、テレビの前で
メッシやフォルランなどの創造的なフットボールに わくわくさせられ、
強固なセルビアのデフェンスに感心もさせられた。チリやウルグアイのサッカーは
スペクタルがあって、おもしろく、一方でアフリカ勢がなぜかことごとく
期待はずれのパフォーマンスであり、ヨーロッパの強国の出来が
必ずしもよくない・・・・確かにこれはグループリーグであって
多くの強国のゲームマネージメントや視線は、その先のトーナメントにあるのだが、
フランスは言うまでもなくスペインもイングランドもイタリアもポルトガルも
南米勢との違いははっきりしている。韓国に完敗したギリシャがその象徴であった。


眠い思いをしながらテレビ観戦し続けてはいるけれど、
日本の試合もオランダ戦を含めてグループリーグはもう2試合を終わってしまった。
直前のテストマッチのふがいなさと、指揮官の悪いイメージで
決して盛り上がりもなかったこの国のサッカー熱も
1戦目の思いがけない勝利で急にあつくなり、・・・なったところで結局点もとれずに2戦目を落とした。
正直、1戦目の勝利には釈然としない感慨を感じずにはいられなかった。
あれほどなりふり構わずにただ無意味にクリアするだけの守備は、歯がゆさと
裏切られたとさえ思えるほど、「蹴る」ことだけに終始して見え
ただただつなぐこともないクリアが見るものの感動を呼び起こしたとも思えない
カメルーンの試合以前のチーム的崩壊とふがいなさを目の前に、
誰一人勇気も創造性も見いだせない有り様は、一度の決定機に珍しくゴールを獲れたものの
この4年の月日とこれからこの国の「フットボール」のために
それだけでは、決して夢を与えられる結果でもないように思えた。
僕らの意志に反して呼ばれる「OkadaJapan」というものの勝利ではあったかもしれないが
日本のサッカーにとって大きな勝利とは思えなかった。
ここまでの道のりをまるで時計を逆回しにしたように、ただ守るだけで、拾った勝点と感じられた。
1戦目に見せた韓国の戦いと比べると、
多くのヨーロッパの論調を待つまでもなく、エトーを無意味にしてしまった
戦略なきカメルーン共々、マン・オブ・ザ・マッチのいない
たぶんここまでの最低のゲームだったといえる。

2戦目も「惜敗」と呼ぶには、正直レベルの差は依然として大きく勝てそうにはない試合であり、
その中身は1戦目に大差ない守備偏重のただシステマチックな ありように変化はなかった。
直前の強化試合の結果は、それまでのいわゆる「コンセプト」たらゆう
いっかどの看板をおろさせて、「世界を驚かす」などという意気込みを、完全に心変わりさせたのだろう
Hondaは一度も機能せずに、一度もキープできなかったし、Shunsukeに至っては
案の定もう通用しないし、彼のところに球が行くたびに何もかもが遅れてしまう。
彼らが3戦目のピッチは踏まないものと思う。
オランダそのものも他のヨーロッパ勢と同じように「予選リーグ」のパフォーマンスは
決してできがよく見えなかった。
ファン・デルファールトやファンペルーシ、スナイデル、エリアだけに攻撃を任せて
引いて見せても・・・日本は決して攻めてこずに、ずっと自陣に引きっぱなしの姿に
ある種戸惑いもあったのだろう。体力の消費を抑えるように
繰り返し2列3列と寄せては返しもせず、右左にポジションを動かし続けることをすることもなく
あれは明らかにいつものオランダではなかった。カメルーンの2の舞を回避して
彼らのシナリオは、せいぜい結果通りの1-0にあったのかもしれない。
そのできのよくないオランダの球を奪い取れるシーンはなかったし、そもそも球をとってもそこからの
アイデアは日本には、たぶん皆無だったとも思える
2戦目もまたテレビの前で、こみ上げてくるものを感じなかった。
「惜敗」と呼ぶにはその内容に偽りがあって、惜しかったと呼べるものがない


政権公約のほら吹きとええ加減さに少々嫌気がさしていたが
同じような意味で「ベスト4」などと途方もない言葉を口にした指揮官を未だに信用できないし
創造的に次につながる「フットボール」へのあこがれを見いだす試合を次にできないのなら
サッカーの祭典も、一時の「ゆめ」に終わって、フットボールの未来を裁ち切りかねない。
誰もが求めてやまないのは、今までとは違う確かな創造性なのだ。
それは政治もサッカーでも 同じことに思える。
確かに日本人的な精神性から言えば、この「勝利」はうれしいし 敗戦は悔しい
行き詰まった政権から変化した新政権にも期待したい、しかしそれもただ目の前の
対処やただ勝ちさえすればいいのではなく、次に伝えるべきメッセージがあり
夢を見ることのできるビジョンがなければ
その先が見えない我々の心を動かせるはずもない。

サッカーは楽しくわくわくさせて、「フットボール」の醍醐味を与えてくれる
それを成し遂げてこそ、たんなる目の前の勝ち点ではない未来へのあこがれと
「夢」を作り出せる・・・3戦目はなりふりかまずに、前を向いて、いつも獲れない「点」を
取りに行く本来のサッカーを体現してほしい・・・


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