農家の力が衰えるにしたがって、野生鳥獣の農業地域に進出勢いが増してきているようです。農林水産省によると、2020年度の野生鳥獣による農作物 被害は約161億円になります。このうちシカが約56億円、イノシシが約46億円を占めています。山林に近い小規模農家の営農意欲が低下していく傾向と反比例して、獣たちの活動を活発化していく様子が見えるようです。協力や共同の意識の高い集落ほど、効率的で安価な鳥獣対策が取れるものです。農村社会の力もしだいに萎えてきたことが一つの原因になっています。地方の農村は、高齢化や過疎化で鳥獣対策を取れる人が減っているわけです。さらに、耕作放棄地の増加や地球温暖化は、野生動物の生息域を拡大していることも、被害を増加させる原因になっているようです。現在、野生動物の捕獲圧において、その最前線で活躍している方は狩猟者になります。イノシシの捕獲数は、1950年半ばまではわずか3万頭でした。それが、1990年以降は10万頭となり、2019年は64万頭に急増しているのです。イノシシの繁殖率の高さから、強力な捕獲圧に加え個体数をたえず抑制しておくことが不可欠になっています。長い歴史の中で、イノシシを完全に抑え切った地域が、対馬藩です。対馬藩は1700年から9年の年月かけて、8万余頭のイノシシを全滅させた実績があります。イノシシの被害に限らず、野生の鳥獣対策は、ある意味、有史以来の人間の課題でした。その一つの具現されたものにヘビの形が埋め込まれた土偶があります。今回は、人間が食物を確保するために、どのように野生の鳥獣と戦い共生してきたかを探ってみました。
縄文中期以降には、縄文人は従来に比べ劇的に炭水化物を確保できるようになりました。その理由は、難易度の高いアク抜きの技術を開発したことになります。それまでは、クリやアクの少ないイチイガシなどが食物の中心でした。アク抜き技術が成立した縄文中期には、アクの多いコナラやミズナラ、トチノミなどの実、いわゆるドングリの確保にいそしむことになります。そのドングリを狙うイノシシは、ある意味で天敵でした。特に、トチノミは重要でした。この実はトチノキの種子で、コメと同等の炭水化物を含有しているのです。トチノミは有毒成分を含有しているため、アク抜き処理を行わないと食用にできませんでした。この実は、9月になれば熟して重力で地面に落下します。このトチノミを狙っているのは、人間だけではありませんでした。イノシシも狙いますが、人間の最大のラバルが「アカネズミ」だったのです。このネズミは、唾液と腸内細菌によって有毒成分のタンニンを無害化できる能力がありました。アカネズミは、北海道から九州の低地力から高山帯まで広く分布している日本固有種になります。アカネズミによる迅速かつ網羅的な「持ち去り」は、中期以降の穐文人には重大な脅威になっていたのです。このアカネズミを捕食するマムシは、人間にとって敵の敵は味方ということになります。その現われが、神聖な土器に刻まれたマムシの姿になります。
土偶は、生命を育む女性の神秘と力を表現し、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられました。ネズミは、トチノミをそのまま食べることができます。縄文人は、そのネズミを敵とみなします。ネズミを捕食するマムシは、縄文人にとって得難い味方になるわけです。時が経るにしたがって、マムシはトチノミの精霊の使いとして表象されるようになります。マムシの仮面を装着したトチノミの精霊像が、土器にヘビの形に昇華していきます。もちろん、豊穣の象徴である女性の土偶にも精霊の形が塗りこめられています。土偶の顔(仮面)そのものが、マムシの顔だったという説もあるようです。縄文人は、敵を葬るだけでなく、その供養も行ったようです。山梨県の金生遺跡で、人為的に火で焼かれたイノシシの幼獣の下顎骨が100点以上見つかっています。火で焼かれたイノシシの幼獣の下顎骨は、動物霊の送りの儀礼があつたことを想像させています。千葉県の取掛西貝塚からは意図的に配列されたシカやイノシシの頭蓋骨が発見されています。「捕りっぱなし食べっぱなし」ではなく、しかるべき祭祀が行われていたのです。動物の命を奪うことと、奪った動物を大切にすることは、矛盾しないことを世界の民族史は示しています。縄文時代から、時代を経たアイヌ文化にもその一面が見られます。それが、日本のアイヌのイヨマンテです。熊送りは、イヨマンテ(霊送り)といわれています。熊に変身した神は、お土産(熊自身の毛皮、肉、内臓など)を持って村にやってきます。アイヌの村人は遊びに来た熊に、酒や餅を持たせて神の国に「お送り」(死者として)をする儀式がイヨマンテでした。アイヌの人たちは、自然の恵みは受け取るが、それ以上に自然を大切にすることで、自然に報いていたわけです。
人類が優位になる以前は、どうだったのでしょうか。人類の祖先は、穀物よりも昆虫を食べていたようです。昆虫は、今から3億6000万から4億1000万年前のデボン紀に誕生しました。誕生から数億年たった1億4000万から2億1000万年前のジュラ紀に、最盛期を迎えます。でも繁栄すれば、その敵も現れます。昆虫はジュラ紀に現れた恐竜に追われて、夜行性を余儀なくされていきます。同じように、恐竜から逃げ隠れていた夜行性の原始哺乳類たちの食料源となりました。人類の誕生は、500万年前と言われています。森で細々と生活する人類は、昆虫を食べながら命をつないでいたのです。その名残が、現在のサルに見られます。サルは虫が好きで、特にゴキブリが大好きです。人類は、樹の上で昆虫を捕まえるのに役だつ身体的特徴を進化させました。昆虫を食べる生活は、手の器用さ、手と足の分化、頭脳の発達という基盤を人類にもたらしました。人類が採集活動を行い、「昆虫を食べること」は古くから行ってきた自然な行為だったのです。
一方、手の器用さ、手と足の分化、頭脳の発達を獲得した人類が失ったものもあります。それは、色覚です。この色覚は、魚類、延虫類、鳥類において4色型が基本になります。基本的に脊椎動物は4色型なのですが、私たちの祖先である噛乳類は錐体を2種類失って、2色型になります。中生代の恐竜の時代、噛乳類の祖先は、夜行性の小動物でした。夜行性の小動物には、高度な色覚の必要がありませんでした。2色型は暗いところに行けば行くほど、昆虫取りに有利で、3倍ほど効率が良いとされます。でも、われわれの祖先は、噛乳類から霊長類と進化していきます。中世代の夜行性の生活から、新生代初期には広葉樹の大森林で生活をするようになります。狩猟採取生活になると、木の実も主食になっていくわけです。2色型の霊長類には、弱点があります。葉の緑の中から、赤っぽい色の果実を識別するのは難しいのです。霊長類は、いったんなくした「緑型」を、「赤型」の木の実を見つける視力を新たに創りだしたというわけです。霊長類はこういった光の状態が複雑な環境の中で、3色型の色覚を取り戻したという経過があります。そして現代になって、再度、昆虫食を求める時代になってきたわけです
アメリカでの昆虫考古学の研究の特色の一つが、糞石中から出土する昆虫の研究があります。オレゴン州の岩陰から糞石からは、アリやシロアリが未消化のまま残されています。シロアリの糞石の年代は、9500年前のものです。古代先住民たちがときおりシロアリだけの食事を摂っていたことを示唆しているのです。また、メサ・ヴェルデ遺跡のアナサジ族の糞石の中からは、セミとバッタの遺体が発見されました。アナサジ族は7〜18世紀、アメリカ南西部の広い地域に住み、トウモロコシなどを栽培していた農耕民族です。アナサジ族の周辺の環境が変化し、低木や草原が優勢になり、バッタの数が増えた時期がありました。彼らが、バッタをよく食べるようになります。そして、面白いことが起きてきます。糞石の中には、バッタと七面鳥の骨も増加してくるのです。家畜化した七面鳥が、畑に群がるバッタの被害を防ぐ目的で飼育されたようです。アナサジ族は、バッタと七面鳥からたんぱく質を摂取していたということが分かります。
最後になりますが、人類は、千六百種を超える昆虫を食べているのです。改めて、昆虫食に注目が集まる背景にあるのが「たんぱく質危機」があるからです。危機があれば、それに備えるのが人類です。コオロギ養殖場が、2014年に米国オハイオ州のヤングスタウンに創立されました。それ以降、次々に欧米では、食用コオロギやハエ(幼虫)の養殖が各地で行われているようになりました。コオロギ粉入りパンがヨーロッパで好評を博すなど、昆虫食は徐々に家庭に浸透しつつあります。人類は昆虫を食べるだけでなく、昆虫の攻撃に対して効果的なツールも作り出しました。ドイツのべルレプシュ男爵は、巣箱を考案しました。この男爵は、13baの林地に3000個の巣箱をかけました。1905年に、男爵の住む地域にハマキムシの幼虫が大発生し、大きな被害があったのです。でも、周囲では被害があったにもかかわらず、男爵領地では被害らしいものがありませんでした。男爵の林には、36種類の560つがいが、巣箱で繁殖していました。それらの鳥たちが、ハマキムシを捕食してしまったのです。巣箱のおかげで、男爵家の領地ではほとんど被害がなかったというわけです。この巣箱は、マムシを埋め込んだ縄文の土器のようなものになるかもしれん。魔除けが転じて、巣箱が虫の撃退する盾になっていると考えられなくもありません。もう一つの対策が、イノシシなどの野生鳥獣の害になります。
ドローンの赤外線カメラは、イノシシの移動する道や居場所を特定することが可能になります。居場所が特定できれば、猟犬を効率的に使うことができます。Low Power Wide Area(LPWA)とセンサーを組み合わせれば、イノシシの移動や生息状況が把握できます。生息数が増えたときには、捕獲圧をかける時期や場所を把握することもできます。奈良公園の鹿の角を切る行事のように、イノシシを捕獲するイベントを企画することも可能になるかもしれません。イベントの時には、食肉処理ができる移動車両を配置も考えられます。イノシシやシカは捕獲時点で、劣化する肉質の部分があります。今までは、野外で捕獲されるイノシシやシカの肉を、エイジングすることが困難でした。捕獲現場での肉処理を可能になれば、均一のイノシシの肉を外食業者へ提供することができるようになります。狩猟で獲ったイノシシやシカを、食肉として提供するジビエが広がりを見せています。このジビエに、より良質の肉を提供できるようになるわけです。縄文人とは違う現代人の工夫が、より美味しいジビエ料理を作り出すことが可能になります。美味しいジビエを末永く食べられるようにするには、野生鳥獣との共生も大切になります。