ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

良い子をたくさん社会に送り出す仕組み アイデア広場 その1365

2024-03-06 17:28:33 | 日記


 文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校調査」では、2019年のいじめの認知件数は61万件でした。それが、2020には52万件減少したのです。でも、2021年には61万件になり、2022年には68万件になってしまいました。クラスメイトの陰口を言ったり、無視したり、持ち物を隠したりすることに、喜びを感じる子どもがいます。クラスメイトの前向きな雰囲気を、破壊することに喜びを感じる子どもがいることが60万件のいじめが物語っています。このような問題行動を真似する「模倣犯タイプ」の子どもたちも、クラスにはいるようです。いじめている側は自分たちの行動に対して、「悪いことをしている」という認識は希薄です。このような屈折した子どもの保護者は、子どもを内面で評価していない傾向があります。このような保護者は、成績や勝ち負けに大きな価値をおいています。結果として、表面的なしつけになりやすく、学習やスポーツの成績は良くても、道徳心は育っていないことが多いのです。これらの子ども達には、得意な分野で活躍するように支援することが大切になるようです。問題行動を持つ子ども達には、学習や運動などの得意分野の能力を伸ばすことが、一つの支援策になるというわけです。
 よい先生は子どもと共に笑い、良くない先生は子どもを笑うとよく言われます。この良くない先生は、子ども達を力でコントロールして、さまざまな活動を意味もなくただやらせることがあります。参加の喜びのない達成感がない、つまらない授業を繰り返す傾向があります。できていることや良いふるまいを「当たり前」とみなして、ほめない。「早くしないと、〇〇させないよ」、「それじゃあ○○できなくなるけどいいんだね」などと、ネガティブな指導を繰り返します。「あの子は指示を聞こうとしない」など、子どものできていない部分を笑う光景も見られます。これらの教師の中には、上下関係を強調するような指導や言動をして、ネガティブな言葉で周囲のやる気を削ぐ教師もいます。また、「足並みをそろえる」という言い方で、優れた実践を妨げる教師もいます。群れて自分たちの意見の正しさを主張し、頑張っている同僚の足を引っ張る教師たちも見られます。良くない教師の心理的背景には、「自分よりも先を行く人が目障りだ」という嫉妬心もあるようです。子どものできていない部分を笑う会話が飛び交う職員室は、あまり望ましい教育環境とは言えません。
 もっとも、日本全体で見れば、これらの良くない先生は、ほんの一部になります。「悪貨が良貨を駆逐する」ということわざがあります。でも、日本の教育は、良くない先生によって、良い先生が駆逐されることはありませんでした。それには、理由があります。教師という仕事は、「感情労働」という側面が強いのです。感情労働は、肉体労働や頭脳労働に続く第三の形態になります。教師の仕事には、「感情の抑制、忍耐、緊張感」がつきものです。残念なことですが、学校現場では実践に意欲的な先生は、異端視され、変わり者扱いされることがあります。学校には、意欲的な先生とその障害になる先生がいます。誰かの悪口で盛り上がりそうになったときに、子どもや同僚教師の良い点を言える先生が存在するのです。笑う会話の場に居合わせたら、意識的に話題を転換する「スイッチャー」になれる先生の存在です。スイッチャーとは、その場の空気を壊さずに話題をそらし空気が悪くなること防ぐ人になります。このスイッチャーの存在は、学校の人的環境の崩れを未然に防止する効果があります。子どもにも先生にも、自己主張する側面と、自己を抑制する側面があります。相手の事情に考慮しながら、上手に自己主張していくことが望ましいわけです。学校における人間関係は、達成すべき目標の共有、メンバー間の協力関係、役割の明確化、互いの立場の尊重という要素が複雑に絡み合っています。これらを考慮して、自己主張と抑制を行うことは、良い訓練の場になります。上手な主張や加減は長い目で考えれば、社会を構成する教師や子どもたちの財産になることは間違いありません。ただ心配な点は、このスイッチャーの役割を行ってきた先生が減少していることなのです。
 問題行動について、再三注意を促すといった指導だけでは無理があります。「自発的に心が動く」場面を生み出すことが、今の子どもたちの実態に見合った授業になります。授業で参加感を持たせ、達成感を積みあげ学習に集中できるようにすることが望ましい姿です。「失敗しても大丈夫」という安心感を、クラスの中に育てていくことが大切になります。援助を求めるスキルを学べる場にクラスを育てていくことも、教師の大切な役割です。今注目を集めているソーシャルスキルの考え方も、実は援助を求めることが重要なスキルになります。問題行動を起こす子ども中には、学習に秀でていたり、世情に明るかったりと強み持つ子も多いのです。これらの子どもが、自分の間違いに気づき、どうすれば良いかを考えることもあります。そんな時、支援を求めるような事態になれな、軌道修正の大きなチャンスになります。たくさんある間違いから、新たな気づきが生まれることもあります。クラスの雰囲気を前向きにするために、どの子をほめるかも重要になります。クラスのソシオメトリーを把握しておき、どの子をほめるとプラスの影響がほかの子にも波及しやすいか、見極める必要もあります。
 先生の仕事で大切なことは、多くの子どもたちにとって、わかりやすく学びやすいように教育をデザインしていくことになります。クラス全体の子どもたちに、学びの主眼を置いた取り組みを行います。子どもが無自覚である場合や未学習である場合、何度も叱るのは下策になります。子どもが未学習である場合、身につくまで何度も粘り強く「教える」姿勢が大切になります。一度教えたから、分かっているはずだという思考は危険です。「わかった」「できた」を、より多くの子どもに提供していくことが先生の役割です。子どもは、正解が好きです。もちろん、先生も子ども達が、正解に到達することが好きです。先生の場合、子ども達が正解に到達する過程も重視することになります。知識の定着には、コツがあるようです。わかったと思っていた上位の子に、別の正解の道筋を教えることも面白いようです。さらに、この上位の子どもに、下位の子どもの支援をお願いすることも、面白い支援方法になります。教える子どもは、知識がより深く定着し、下位の生徒は、分かりやすく教えてもらえるというメリットが生じます。一人にアプローチするよりも、周囲によい反応が広がる子にアプローチする仕組みも選択肢になります。先生は、教授法を磨くことに加えて、クラスの子ども達の動向を把握する感性もみがく必要があるようです。
 余談ですが、聞かせようとするよりも、子どもたちが思わず取り組みなくなる授業をつくりたいものです。授業は、簡単すぎても、難しすぎても嫌われるものです。世の中には、子ども達を、簡単すぎもせず、難しすぎもせず、目的に向けて努力する方向へ導くことができる人たちがいます。それは、ゲームの製作者たちです。カナダ、ケベック州のモントリオールには、ゲーム開発をするうえで密接に関わる産業が200社以上あります。ゲーム開発には、映画製作、CGソフト、音響ソフト、アニメーション制作、シナリオライター、品質評価会社、大学、人材コンサルタント、広告代理店などが必要になります。これらの企業が、モントリオールに勢揃いしています。これらの企業が作るすぐれたゲームは、子ども達を長時間もひきつけることができるのです。優れたゲームは、「少し手ごわいけれども、頑張ってやってみるか」という難易度をキープしていきます。初期の目標はとても近いところに設定されていて、すぐに手が届くようになっています。目標までの道のりが伸ばされていることに、子ども達に気づかれないように進められていきます。スモールステップの組み方が絶妙でまた、最終目標もぶれることがありません。現在、ゲームは学校現場では「良くないもの」「好ましくないもの」と見なされる傾向が根強くあります。確かに、やりすぎれば、望ましくない依存症になります。でも、ゲームは、プレイヤーに「自ら取り組んでいる」という実感をもたせることができます。先生方は、ゲームがもつ魅力を丁寧に分析し、その要素を授業に取り入れることが、ある意味で教育活動を充実させるかもしれません。難易度の設定を上手に設定して、ほめて育てながら、達成感を高めさせることも一つの支援の選択肢になります。
 最後になりますが、失敗や反省、そして悔しさを多く経験していると、素質が開花すると言われています。子どもをほめれば、子どもはポジティブになって右肩上がりに成長するという考えは単純すぎます。ほめることだけが良いとされた場合、失敗は挑戦として許容されます。でも、何でもほめられる場合、失敗の問題点を分析できない子どもになります。失敗してもほめられるから、問題点を分析できないので、解決も改善もされなくなります。教師や大人は、「やった」行動や挑戦した気持ちをほめて、必要に応じて助言することが求められます。このような助言を受けて成長した子どもは、失敗を力に変えたり、反省を力に変えたり、悔しさをばねできるようになります。日頃から失敗と成功の両方を経験している子どもは、どんなことも自分で考えて行動ができるようになります。失敗や反省、悔しさ、そして成功体験を多く経験していれば、逆境をどう乗り越えるか分かる子どもになります。彼らは、ポジティブを感情とネガティブな感情との間を、大きく行き来きしながら成功にたどり着くという経過をたくさん経験しているとも言えます。私たちは、そんな子ども達を社会にたくさん送り出したいものです。