子前中から選考会議、しんどかった。
お昼は、1時過ぎていた。疲れた。
....そう言われる。過去同僚に言ったことがある。でもこれは、言葉通りではない。
3年間担任をして、やっとここ(家庭研修期間)までたどり着いたのを、お互い知っている。この言葉は、「3年間お疲れでした...」の意味だ。
言われた方は、「別に」とか、「せいせいした」とか返事をする。これも言葉通りではない。さびしいかどうかはともかく、言われたら嬉しい。この時期、時間の余裕は増えなくても、物を考えるえる余裕が少しできる。
自己申告・評価をまとめよう。大学院Rep.も仕上げなきゃ...
もうすぐ学校だ。
勤務校は月曜日が3年生の成績決定日だった。
各教科担当からクラスの成績が担任に伝達される。(学校によって呼び方は違うけど)「成績個票」に成績と欠席等を書いたものが担任のところに来る。勤務校では成績データが校内LANで入力され、クラスの成績一覧表もすぐ完成になる。すごく便利。ありがたい。
3学期の評価は1年間の評価。3年生だけでなく、どの学年でも今学期だけがんばっても余り成績は変化しない。1学期2学期の成績が芳しくない者は、3学期もよほどいい点数をテストで取らない限り成績は10段階で1か2(いわゆる赤点)しかつかない。だから、担任をしているクラスの生徒には、今年赤点を取った者は月曜日いっぱい自宅待機を申しつけておいた。
午後各教科担当(自分も含む)から、クラスの生徒の成績個票が来た。ありがたいことにどうにか全員合格点(10段階で3以上の評価)をいただけた。
…正直ホッとした。
学年の成績会議が終わり、ほとんどの生徒はひとまず卒業内々定である。
この後、赤点を取った者は補習と追試が待っている。追試を受けて合格できなければ卒業はできない。合格できれば、赤点がなかった者といっしょに、学校全体の成績会議で卒業の認定を受け、3月の卒業式で卒業である。
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この時期、あまりうれしくない思い出がある。
学校全体の成績会議で卒業を認められた後の生徒たちの身分は「卒業見込み(卒業内定)」である。まだ、卒業ではないのだ。この時期、事故で高校生が亡くなることがある。仮に卒業の認定を受けていても、卒業式の日に「生きていない」とどうなるか。実は卒業取り消し。除籍なのである。
随分前のことになるが、勤務校に重い病気を患った生徒がいた。どうにか学校に通い、勉強して、テストでも合格点を取った。出欠席のハードル(一定数以上の授業欠席は単位を認められない)もクリアして、後は卒業を待つばかりだった。学年の担任も誰も、どうにか無事に卒業の日を迎えて欲しい、そう願っていた。
3月になり、あと数日で卒業という日に、その生徒は亡くなってしまった。
当時担任が保護者から亡くなったことを電話で連絡を受け、校長に報告に出向いたとき、校長がまず言ったことは、「除籍(卒業取り消し)」だった。
このときばかりは、怒った。あまりのことにめまいがした。何とか卒業させる方法がないものか、考えようともしないことが納得できなかった。
結局、学年の総意として、校長・県教委に掛け合い、亡くなった生徒の卒業日を、亡くなった日に繰り上げて、卒業は正式に認定された。あの年のあの学校の卒業生は、1人だけ卒業の日が違う。でも、きちんと保護者の方に卒業証書を渡すことができた。でも、つらい思い出である。
不幸にもこんなことが起きてしまったら、前例として話すつもりではある。でも、病気でも事故でもあんな悲しい、そしてつらい思いはしたくない。
本当に心底そう思う。あと一ヶ月で卒業なのだから。