浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

東通りの哀歌 

2010年11月22日 | 日本國の作品
街角に音楽家が居た。演奏会の帰り道、東通りの路地裏で通行人に向けて喇叭(らっぱ)を吹いてゐた。通行人は皆、前を素通りして行く。友人Iは演奏会には必ず携帯用小型録音機を持参してゐたから、友人Yが其れを使って直ぐに音を録った。今日、聴いてゐるのは其のときの録音だ。

1001ページ目を飾るのは、無名喇叭奏者による「東通りの哀歌」といふ無伴奏らっぱの作品である。「ドッミッドッド、ドッミッドッミ、ソー、ソッミッソッミ、ドッミッドッソッドー」有名な旋律である。親父に聞かせると「起床らっぱじゃないか」と言ふ。戦争を経験した帰還兵だったのだらうか。そう言われると其のやうにも思へる。途端に哀しい旋律に聞こえるから不思議だ。

友人Yは酔っ払い客が行き来する中で無事録音を済ませると、少し離れた場所に移動して、繰り返し何度も吹く喇叭奏者に気づかれぬやうに再生した。驚いたらっぱ奏者は、辺りをキョロキョロと見廻し、他にらっぱを持った帰還兵が居ると勘違いしたのか、探してゐる様子だ。

これを見て友人Yは更に愉しいことを思い付いた。次に、無名喇叭奏者が繰り返して吹き終わるや、今度は携帯用小型録音機のピッチコントローラーで微妙に音程を変えて再生した。「東通りの哀歌」が音痴になって路地裏に響き渡った。これには喇叭のおっさんも慌てた。これをしつこく何度も繰り返してゐると、さすがにおっさんも自分の音を録音されてゐることに気づいたやうで、怒り出した。此の頃になると、成り行きを楽しみに立ち止まる人々も出始めた。東通りの一角で、おっさん対友人Yのらっぱ合戦が繰り広げられた。

友人Yは携帯用小型録音機を隠して場所が分からぬやうに移動しながら、ますます調子はずれな音で応じた。おっさんは自分の音が狂ってゐると勘違いしたのか、何度も同じフレーズを確かめてゐる。友人Yは更に調子に乗って、長く伸ばす音をまるで屁のやうに音程をずり上げたり下げたりしてボリュームいっぱいに響かせた。

やばい!おっさんが本気で犯人探しを始めた。かなり怒ってゐるやうだ。友人Iと僕は逃げた。其の後友人Yがどうなったかは、誰も知らない。

私家版CDR 765-0039。


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