浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」

2008年02月22日 | 忘れられた作品作曲家
2度の出張で永らく家を開けてゐたが、久しぶりに我が家でゆっくりと音楽に浸りたくなった。どっぷりと浸りきることのできる音楽はそう数あるものではない。ふと、自然に手が伸びたのはCDラックのZの棚だ。

曲は、作曲されてから80年ほど行方の分からなくなってゐたツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」である。3楽章形式のシンフォニーとも考えられ、冒頭に現れるなんとも退廃的なメロディが循環してゐる。作曲者は第4楽章を加えて「死の交響曲」として発表する計画もあったといふことだが、混沌とした中に木管で奏される下降形の音列や、全体から感じるこの不安定さはいったい何を表現しやうとしたものなのか。

海の精(人魚姫)が玉子(王子だったかも知れない)と出逢って、結局は結ばれない哀しいストーリーがカイセツに載ってゐるが、純粋音楽として聴いても十分に感動的だ。フルトヴェングラーの交響曲よりもずっと叙情的で聴きやすく、R・シュトラウスほど技巧に凝っておらず、マーラーのやうに馬鹿騒ぎもやらない。「浄夜」や「叙情組曲」といった新独逸楽派の作品群に加わるべき優れた作品だと思ふ。

ゾルタン・ペシュコ指揮南西独逸放送響による演奏は、シャイーのやうにキリリと引き締まっていなくて、情緒溢れる素晴らしい雰囲気を醸し出してゐる。

盤は、独逸Wergoによる1988年のデジタル録音 WER6209-2。


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