AKB48の原点は、過去のアイドルも歌っている (KC)
記憶力が弱いので、昔のアイドルの曲をよく覚えていない。
何度も、繰り返して、アルバムを聴いたはずのアイドルでも、他人から言われると、「そういえば、そんな歌があった」と思い出すけど、自ら思い出すことができない。
記憶力が弱いおかげで、昔のアイドルの曲を聴くと、新鮮である。
AKB48を好きになったおかげで、昔のアイドルの曲が楽しい。
このブログでは、繰り返し、語られているテーマであるが、秋元康は、過去の自分の曲、過去のアイドルの曲、過去の歌謡曲をふまえて、作詞している。
意図的に、本歌取りしている曲があれし、
意図的に、似せて作っている曲もあれば、
テーマは同じだけど、現代風な詞にしている曲がある。
たとえば、「好き 好き 好き」の「草食」とその反対概念としての「油っぽい」男の子
「ポケベルが鳴らなくて」というドラマがあった。
ポケベルは、すぐすたれて、携帯電話に置き換わる。
ポケベルが歌詞にある曲は、「ポケベル」が世で使われていたあの短い期間を想起させることはできるが、その歌詞を聞いた、後世のアイドル歌謡ファンが、イメージできないとしたら、それはその曲の弱点となってしまう。
「草食」は、時代を超えて残りそうなのでよいが、なるべく、残らない風俗・技術のフレーズは、入れない方が、私は好きだ。
普遍的な芸能として、アイドルが継承されるように、弱点は少なくしておいてほしいという発想。
最近、昔のアイドルのアルバムを聴き直している。
今、「AKB48が歌っている曲」と、昔のアイドルの距離感をはかりながら。
たとえば、84年菊池桃子、85年南野陽子、87年酒井法子。
秋元康作詞の曲がある菊池桃子が一番AKB48に近いかというと逆で、
(近い)
酒井法子
南野陽子
菊池桃子
(遠い)
の順だと感じる。
酒井法子は、「夢を追求しよう」「努力して、困難を打破しよう」という曲が多いのが、似ている。
南野陽子は、純粋なラブソングも多いが、歌っている主人公が、大学生という設定が多い。AKB48には大学生と明確にわかる曲は少ない。サークルという歌詞がでてくる「恋愛禁止条例」はあるが。
菊池桃子は、「よく分からない」情景を歌うことが多く、AKB48からは遠い。
南野陽子の「日曜日のクラスメート」というアルバム曲には、「ダビングしたエーミン」
AKB48チームBの「キャンディ」というユニット曲には、「お気に入りのカユラ」
という歌詞はない。
南野陽子のという昔のアイドルのアルバムを聴いて、今のAKB48で歌われているのとテーマが近いことを発見するという楽しみ。
南野陽子を聴きこんでいるときめき研究家氏に、
(1) AKB48の原点を歌っている
(2) 太田裕美の「九月の雨」をふんでいるところが、チームA5「109」と共通。「公演通り」が舞台。
(3) Youtubeにもあるから、テレビでも歌っている南野陽子のアルバム曲
とクイズを出した。
まだ、回答がないので、何がAKB48なのか、解説したい。
雲
夕立
陽ざし
春
花びら
季節
桜
枝
嵐
吹雪
夏
風
緑の木々
季節
一つの曲に、これだけ季節感を盛り込んだAKB48の曲はあっただろうか。
すっかり、南野陽子という昔のアイドルで、AKB48を回想している。
桜の花びら というAKB48が毎年春に歌い継いでいるテーマ。
AKB48で歌われる桜の花が、卒業・出発ち(たびだち)を隠喩しているのに対して、
南野陽子が歌っている桜の花は、彼との幸せな日々を隠喩している。
桜の花は一瞬しか咲かないが、彼との幸せな日々の間は、自分自身の心の枝に咲き続けていた。
しかし、季節はめぐり、彼と別れた今、彼との日々を回想している。
そして、この曲はエッチである。彼は私の花びらに口づけ手、私は彼と乱れて、彼は私の花びらを抱きしめて、私に彼のぬくもりが残る、とセックスを暗示している。
しかし、これは、よく聞きこまないと、分からない。
南野陽子は、別れた彼を、ひたすら「愛してる」と歌い続けているから。
南野陽子の曲は、「桜の花びらたち」より、古い。
だけど、「桜の花びらたち」をふまえて、「心の枝に咲く桜の花」に新しい解釈を提示しているように聞こえる。
こういう発見をするのが、アイドルの歴史的鑑賞の醍醐味。
南野陽子の曲、youtubeをリンク テレビ1.5
音源フルコーラス
歌詞カードを見たら、作詞:南野陽子/平出よしかつ と書いてある。歌手本人の作詞を、プロが完成させた。
夢に、「作詞家になりたい。」というメンバーが、そろそろあらわれてもよいのではないか。
この記事を書くにあたり、youtubeをいろいろ見たが、南野陽子は、テレビで、アルバム曲をたくさん歌っている。
AKB48も、シングル曲だけではないく、公演で歌っている曲を、テレビで歌ってほしい。
南野陽子は、シングル曲をテレビで歌いつくした後、次のシングルが出るまでの間、歌番組で、アルバム曲を歌っていた。
たとえば、デビューアルバムA面一曲目「春景色」 を映像から推察すると、デビュー5年目くらいに、デビューアルバムから、「名曲だから、一度はてテレビで歌いたい、(ファンが見たい)」から歌ったと想像。
南野陽子の曲は、主人公が大学生は、デビューアルバムから。主人公が大学一年、彼が浪人生。
「阪急電車」という小説を本屋で見かけた時に、この曲を思い出した。曲では、阪急電車という歌詞はないけど、阪急を暗示する神戸線という表現がある。阪急、JR、阪神いずれの鉄道にも、神戸線はないから、作詞家の想像の産物。
アイランドカフェ、はあるのだろうか。神戸に詳しい人に聞いてみたいものだ。
85年のデビュー時は、やさしい陽ざしに甘えていた南野陽子は、陽ざしの中で夢も愛もかなえ合ってしまう。
めげずに、アイドルの素晴らしさを、語り継ぎたいブログ。
KC
記憶力が弱いので、昔のアイドルの曲をよく覚えていない。
何度も、繰り返して、アルバムを聴いたはずのアイドルでも、他人から言われると、「そういえば、そんな歌があった」と思い出すけど、自ら思い出すことができない。
記憶力が弱いおかげで、昔のアイドルの曲を聴くと、新鮮である。
AKB48を好きになったおかげで、昔のアイドルの曲が楽しい。
このブログでは、繰り返し、語られているテーマであるが、秋元康は、過去の自分の曲、過去のアイドルの曲、過去の歌謡曲をふまえて、作詞している。
意図的に、本歌取りしている曲があれし、
意図的に、似せて作っている曲もあれば、
テーマは同じだけど、現代風な詞にしている曲がある。
たとえば、「好き 好き 好き」の「草食」とその反対概念としての「油っぽい」男の子
「ポケベルが鳴らなくて」というドラマがあった。
ポケベルは、すぐすたれて、携帯電話に置き換わる。
ポケベルが歌詞にある曲は、「ポケベル」が世で使われていたあの短い期間を想起させることはできるが、その歌詞を聞いた、後世のアイドル歌謡ファンが、イメージできないとしたら、それはその曲の弱点となってしまう。
「草食」は、時代を超えて残りそうなのでよいが、なるべく、残らない風俗・技術のフレーズは、入れない方が、私は好きだ。
普遍的な芸能として、アイドルが継承されるように、弱点は少なくしておいてほしいという発想。
最近、昔のアイドルのアルバムを聴き直している。
今、「AKB48が歌っている曲」と、昔のアイドルの距離感をはかりながら。
たとえば、84年菊池桃子、85年南野陽子、87年酒井法子。
秋元康作詞の曲がある菊池桃子が一番AKB48に近いかというと逆で、
(近い)
酒井法子
南野陽子
菊池桃子
(遠い)
の順だと感じる。
酒井法子は、「夢を追求しよう」「努力して、困難を打破しよう」という曲が多いのが、似ている。
南野陽子は、純粋なラブソングも多いが、歌っている主人公が、大学生という設定が多い。AKB48には大学生と明確にわかる曲は少ない。サークルという歌詞がでてくる「恋愛禁止条例」はあるが。
菊池桃子は、「よく分からない」情景を歌うことが多く、AKB48からは遠い。
南野陽子の「日曜日のクラスメート」というアルバム曲には、「ダビングしたエーミン」
AKB48チームBの「キャンディ」というユニット曲には、「お気に入りのカユラ」
という歌詞はない。
南野陽子のという昔のアイドルのアルバムを聴いて、今のAKB48で歌われているのとテーマが近いことを発見するという楽しみ。
南野陽子を聴きこんでいるときめき研究家氏に、
(1) AKB48の原点を歌っている
(2) 太田裕美の「九月の雨」をふんでいるところが、チームA5「109」と共通。「公演通り」が舞台。
(3) Youtubeにもあるから、テレビでも歌っている南野陽子のアルバム曲
とクイズを出した。
まだ、回答がないので、何がAKB48なのか、解説したい。
雲
夕立
陽ざし
春
花びら
季節
桜
枝
嵐
吹雪
夏
風
緑の木々
季節
一つの曲に、これだけ季節感を盛り込んだAKB48の曲はあっただろうか。
すっかり、南野陽子という昔のアイドルで、AKB48を回想している。
桜の花びら というAKB48が毎年春に歌い継いでいるテーマ。
AKB48で歌われる桜の花が、卒業・出発ち(たびだち)を隠喩しているのに対して、
南野陽子が歌っている桜の花は、彼との幸せな日々を隠喩している。
桜の花は一瞬しか咲かないが、彼との幸せな日々の間は、自分自身の心の枝に咲き続けていた。
しかし、季節はめぐり、彼と別れた今、彼との日々を回想している。
そして、この曲はエッチである。彼は私の花びらに口づけ手、私は彼と乱れて、彼は私の花びらを抱きしめて、私に彼のぬくもりが残る、とセックスを暗示している。
しかし、これは、よく聞きこまないと、分からない。
南野陽子は、別れた彼を、ひたすら「愛してる」と歌い続けているから。
南野陽子の曲は、「桜の花びらたち」より、古い。
だけど、「桜の花びらたち」をふまえて、「心の枝に咲く桜の花」に新しい解釈を提示しているように聞こえる。
こういう発見をするのが、アイドルの歴史的鑑賞の醍醐味。
南野陽子の曲、youtubeをリンク テレビ1.5
音源フルコーラス
歌詞カードを見たら、作詞:南野陽子/平出よしかつ と書いてある。歌手本人の作詞を、プロが完成させた。
夢に、「作詞家になりたい。」というメンバーが、そろそろあらわれてもよいのではないか。
この記事を書くにあたり、youtubeをいろいろ見たが、南野陽子は、テレビで、アルバム曲をたくさん歌っている。
AKB48も、シングル曲だけではないく、公演で歌っている曲を、テレビで歌ってほしい。
南野陽子は、シングル曲をテレビで歌いつくした後、次のシングルが出るまでの間、歌番組で、アルバム曲を歌っていた。
たとえば、デビューアルバムA面一曲目「春景色」 を映像から推察すると、デビュー5年目くらいに、デビューアルバムから、「名曲だから、一度はてテレビで歌いたい、(ファンが見たい)」から歌ったと想像。
南野陽子の曲は、主人公が大学生は、デビューアルバムから。主人公が大学一年、彼が浪人生。
「阪急電車」という小説を本屋で見かけた時に、この曲を思い出した。曲では、阪急電車という歌詞はないけど、阪急を暗示する神戸線という表現がある。阪急、JR、阪神いずれの鉄道にも、神戸線はないから、作詞家の想像の産物。
アイランドカフェ、はあるのだろうか。神戸に詳しい人に聞いてみたいものだ。
85年のデビュー時は、やさしい陽ざしに甘えていた南野陽子は、陽ざしの中で夢も愛もかなえ合ってしまう。
めげずに、アイドルの素晴らしさを、語り継ぎたいブログ。
KC