『風に吹かれても』。
タイトルはボブ・ディランの『風に吹かれて』をひねっている。フォークソングの名曲『翼をください』をひねって『翼はいらない』にしたのと同じ趣向だ。歌詞の内容はボブ・ディランと全く関連がない。社会批判を忍ばせたボブ・ディランと違い、君と僕は告白できず恋人になれない関係だけど、そんな関係もいいじゃないか、なるようになるさというお気軽な感情を歌っている。
曲調は斬新。これまでの欅坂46のシングル曲とは全く違って、能天気な曲調だ。どこがサビなのかよくわからない、ダラダラとした楽曲だ。それがかえっていいのだろう。
メンバーは集団で笑いながら踊っている。黒いスーツ姿なのは、型にはめられたような就活生を揶揄しているのか。メガネ姿の平手は、神秘性がなくなっていて、そこらのお兄ちゃんのようだ。メッセージ色が強くなっていたグループに、ひとときの開放感を与えるような楽曲だ。
『それでも歩いてる』。
この曲の方がボブ・ディランっぽい。
というより吉田拓郎、または長淵剛っぽい。青春の挫折と反骨を歌った骨っぽい楽曲だ。1番はアコースティックギターだけの伴奏で、2番も少ない楽器のバンドサウンドで、歌を前面に出している。そんなごつごつした曲を若い少女たちに歌わせることにギャップと面白さがある。
反骨の対象となる「上から目線で偉そうに腕組みする」とは秋元康自身のことと思われ、自虐的だ。
『結局、じゃあねしか言えない』。
カップリング曲の中で一番気に入った曲だ。
AKBグループの楽曲で何回も歌われた片思いの愉悦を歌う。自転車通学の帰路、偶然会ったふりで少しだけ話して、別れ際「じゃあね」しか言えない。告白する勇気もつもりもなく、今の状態が少しでも長く続けばいいと願っている。切なくももどかしい。彼に教えたい。好きでもない男子といつも一緒に帰ったりはしない、彼女も君に好意を持っているよと。
片思いの自転車通学と言えば『偶然の十字路』を思い出す。今回久しぶりにその曲を聴き直してみたが、エバーグリーンと言うか、爽やかな楽曲だ。AKBメンバーの声が若い。「僕の自転車が走る 君の自転車が走る」という大サビには心が揺さぶられる。『ポニーテールとシュシュ』の「君は君で 僕は僕で走るだけ」と同様だ。
同じような状況の楽曲を何曲も作ることで、重層的な世界を構築しているのだ。
『波打ち際を走らないか?』。
南沙織『17才』の頃から恋人たちは波打ち際を走ったものだ。河合奈保子『夏のヒロイン』、堀ちえみ『夏色のダイアリー』、中山美穂『C』、芳本美代子『白いバスケットシューズ』など、事例は豊富だ。
この歌も同様に、恋人に波打ち際を走ろうと誘っているようだが、よく聴くと状況が少し違う。季節はもう秋、恋人とは既に心が離れているようで、楽しかった夏の恋を思い出すために走ろうと呼び掛けているのだ。つまり、一緒に走るのは彼の妄想に過ぎないのだ。『ポニーテールとシュシュ』が、やはり妄想の中で彼女と海辺を走る歌だったのと鏡写しのような趣向なのだ。
どこまでも明るい楽し気な曲調なのに、切ない歌詞。そのギャップが面白い。
『再生する細胞』。
今泉佑唯のソロ曲。ゆいちゃんずのフォーク路線とは違って、アンニュイなバラードだ。
「さい生する さい胞」とは韻を踏んでいるのか。観念的な歌詞で、いまひとつピンと来ないが、チャーミングな声を聴いていると穏やかな気持ちになって来る。惜しむらくは、ソロ曲なのに、声や歌い方の個性がまだ少し物足りない。
『NO WAR in the future』。
反戦歌。『僕たちは戦わない』など、これまでも数多の反戦歌があったが、この曲は生ぬるい。反戦へのメッセージをただストレートに歌うだけでは伝わらない。何かしら心に届く仕掛けが必要なのだ。私はこの曲にそういう仕掛けを見つけられなかった。
「光を求めるなら風を吹かせるしかない」という歌詞はタイトル曲とリンクしている。
『避雷針』。
ラップ調の部分も交え、複雑な楽曲だ。
一人が好きで、ネガティブを装っている彼女を、僕だけは理解して、守ってあげたい、僕は君の避雷針というメッセージを歌った歌詞だ。松任谷由実『守ってあげたい』を現代風に回りくどくしたようなものだろう。
タイトルはボブ・ディランの『風に吹かれて』をひねっている。フォークソングの名曲『翼をください』をひねって『翼はいらない』にしたのと同じ趣向だ。歌詞の内容はボブ・ディランと全く関連がない。社会批判を忍ばせたボブ・ディランと違い、君と僕は告白できず恋人になれない関係だけど、そんな関係もいいじゃないか、なるようになるさというお気軽な感情を歌っている。
曲調は斬新。これまでの欅坂46のシングル曲とは全く違って、能天気な曲調だ。どこがサビなのかよくわからない、ダラダラとした楽曲だ。それがかえっていいのだろう。
メンバーは集団で笑いながら踊っている。黒いスーツ姿なのは、型にはめられたような就活生を揶揄しているのか。メガネ姿の平手は、神秘性がなくなっていて、そこらのお兄ちゃんのようだ。メッセージ色が強くなっていたグループに、ひとときの開放感を与えるような楽曲だ。
『それでも歩いてる』。
この曲の方がボブ・ディランっぽい。
というより吉田拓郎、または長淵剛っぽい。青春の挫折と反骨を歌った骨っぽい楽曲だ。1番はアコースティックギターだけの伴奏で、2番も少ない楽器のバンドサウンドで、歌を前面に出している。そんなごつごつした曲を若い少女たちに歌わせることにギャップと面白さがある。
反骨の対象となる「上から目線で偉そうに腕組みする」とは秋元康自身のことと思われ、自虐的だ。
『結局、じゃあねしか言えない』。
カップリング曲の中で一番気に入った曲だ。
AKBグループの楽曲で何回も歌われた片思いの愉悦を歌う。自転車通学の帰路、偶然会ったふりで少しだけ話して、別れ際「じゃあね」しか言えない。告白する勇気もつもりもなく、今の状態が少しでも長く続けばいいと願っている。切なくももどかしい。彼に教えたい。好きでもない男子といつも一緒に帰ったりはしない、彼女も君に好意を持っているよと。
片思いの自転車通学と言えば『偶然の十字路』を思い出す。今回久しぶりにその曲を聴き直してみたが、エバーグリーンと言うか、爽やかな楽曲だ。AKBメンバーの声が若い。「僕の自転車が走る 君の自転車が走る」という大サビには心が揺さぶられる。『ポニーテールとシュシュ』の「君は君で 僕は僕で走るだけ」と同様だ。
同じような状況の楽曲を何曲も作ることで、重層的な世界を構築しているのだ。
『波打ち際を走らないか?』。
南沙織『17才』の頃から恋人たちは波打ち際を走ったものだ。河合奈保子『夏のヒロイン』、堀ちえみ『夏色のダイアリー』、中山美穂『C』、芳本美代子『白いバスケットシューズ』など、事例は豊富だ。
この歌も同様に、恋人に波打ち際を走ろうと誘っているようだが、よく聴くと状況が少し違う。季節はもう秋、恋人とは既に心が離れているようで、楽しかった夏の恋を思い出すために走ろうと呼び掛けているのだ。つまり、一緒に走るのは彼の妄想に過ぎないのだ。『ポニーテールとシュシュ』が、やはり妄想の中で彼女と海辺を走る歌だったのと鏡写しのような趣向なのだ。
どこまでも明るい楽し気な曲調なのに、切ない歌詞。そのギャップが面白い。
『再生する細胞』。
今泉佑唯のソロ曲。ゆいちゃんずのフォーク路線とは違って、アンニュイなバラードだ。
「さい生する さい胞」とは韻を踏んでいるのか。観念的な歌詞で、いまひとつピンと来ないが、チャーミングな声を聴いていると穏やかな気持ちになって来る。惜しむらくは、ソロ曲なのに、声や歌い方の個性がまだ少し物足りない。
『NO WAR in the future』。
反戦歌。『僕たちは戦わない』など、これまでも数多の反戦歌があったが、この曲は生ぬるい。反戦へのメッセージをただストレートに歌うだけでは伝わらない。何かしら心に届く仕掛けが必要なのだ。私はこの曲にそういう仕掛けを見つけられなかった。
「光を求めるなら風を吹かせるしかない」という歌詞はタイトル曲とリンクしている。
『避雷針』。
ラップ調の部分も交え、複雑な楽曲だ。
一人が好きで、ネガティブを装っている彼女を、僕だけは理解して、守ってあげたい、僕は君の避雷針というメッセージを歌った歌詞だ。松任谷由実『守ってあげたい』を現代風に回りくどくしたようなものだろう。