AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

2016年ベスト12を選定。(ときめき研究家)

2016-12-31 19:35:56 | ときめき研究家
恒例だが、大晦日なので、2016年に発売されたAKBグループの楽曲からがベスト12を選定してみた。

1位『Maxとき315号』(NGT48)
この曲があまりに素晴らしかったので、秋元康はNGT48としてのデビューシングルを書けなくなったのか。冒頭は川端康成を本歌取り。

2位『サイレントマジョリティー』(欅坂46)
衣装問題でミソを付けたが、楽曲としての完成度は高い。本気を出した時の秋元康の仕事だ。緊迫感のあるアレンジも秀逸。

3位『裸足でSummer』(乃木坂46)
じわじわと良さが分かって来る曲。A+B+サビ、B+サビ、A+サビという複雑な構成が醸し出す洒落たムードに浸る幸福。

4位『ショートカットの夏』(須藤凛々花)
現代に再現した『夏のお嬢さん』。歌詞の内容はどうでもよく、須藤凛々花の独特の声をただひたすら味わうための曲。

5位『清純タイアド』(てんとうむChu!)
『清純フィロソフィー』へのアンサーソング。てんとうむChu!の最後の曲、西野未姫の卒業ソングになってしまうのか。悲しい。

6位『メロディ』(山本彩)
才能もあり努力もした山本彩がソロアルバムを出せたことは喜ばしい。自作詞・作曲の『雪恋』もいいが、スガシカオの本曲が一番気に入った。

7位『青空が違う』(欅坂46)
『木綿のハンカチーフ』の呪縛を解くべく戦う遠距離恋愛カップルの歌。曲調も軽やか。

8位『渋谷からPARCOが消えた日』(平手友梨奈)
欅坂46のエースの堂々たるソロ曲。「PARCO  PARCO」の連呼が最初は気になったが慣れると快感。

9位『渋谷川』(ゆいちゃんず)
欅坂46グループ内のフォークデュオ。昭和の香りのする爽やかな楽曲。渋谷川探索は未だできていない。

10位『フェリー』(NMB48チームBⅡ)
一時帰省していた彼女がフェリーで都会に戻るのを見送る歌。切ない心をアップテンポで歌う佳曲。

11位『空耳ロック』(HKT48チームTⅡ)
今年HKT48にはあまりいい曲がなかった。その中ではこの曲か。さりげないけれど生きていく勇気が出てくる曲。

12位『翼はいらない』(AKB48)
AKB48から1曲も入らないのもどうかと思い、1曲選んだのがこの曲。フォークソング調の曲にはついつい評価が甘くなる。

次点『プライオリティー』(木下百花)。
年末ギリギリに発売されたNMB48の新曲『僕でない誰か』は聴き込み不足で感想を記事にできていない。カップリングのこの曲は気に入っていて繰り返し聴いている。

欅坂46から何と4曲もランクイン。実際にいい曲が多い。秋元康の力の入れ方が明らかに違っていた。
ともあれ、今年も多くの楽曲にときめくことができた。感謝。


2015年のベスト12はこちら。

2014年のベスト12はこちら。

2013年のベスト12はこちら。

2012年のベスト10はこちら。


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じゃんけん民『逆さ坂』とカップリング曲『奇跡のドア』を聴く。(ときめき研究家)

2016-12-28 22:00:23 | ときめき研究家
『逆さ坂』。
『北酒場』とか『浪花節だよ人生は』のような、賑やかな演歌風。全編親しみやすく歌いやすいメロディーだが、サビへのつなぎ目が唐突な感じがして残念。歌い出しの田名部のソロは、コブシも少し効いていていい感じだが、せっかくならもう1フレーズ長く歌わせてほしかった。
歌詞も「上り坂も逆から見れば下り坂、人生いろいろあるけど頑張ろう」というような、これもまた古い演歌にありそうな題材だ。
長年苦労した田名部のセンター曲ということで、どんな曲が与えられるのか注目していたが、こう来たか。AKBグループで演歌と言えば岩佐美咲『無人駅』があるが、今回のような賑やかな演歌は初めてだ。単にカッコいいダンス曲とかではなく、個性的な曲でよかったと思う。歌詞の内容も苦労人にふさわしいし、着物姿での歌唱も案外田名部に似合っている。「人生どこにも坂道ばかり」とは、指原莉乃『初恋ヒルズ』の「青春はいつだって坂道だらけ」の引用で、それは徳川家康「人生は重い荷を負って坂道を登るごとし」や、岡田奈々(70年代の方)「青春は長い坂を上るようです(『青春の坂道』)」から連綿と続いているテーゼでもある。
それにしても、何回も聴くと脳に刷り込まれて行くようなベタなメロディー、サウンドだ。この歌をテレビで何十回も歌うことができたら、もしかしたら大ヒットするかもしれない。あるいはカラオケで火がつけば・・・。否、そんな仮定は無意味だろう。

『奇跡のドア』。
AKBグループでは何度となく歌われて来た啓発的な歌詞だ。「誰もが信じていなかった奇跡の伝説を諦めず探し続けていたから、ある日奇跡のドアが現れた」というようなファンタジー、もしくは根性譚だ。いつ見つかるかわからない奇跡のドアを求めて、諦めず努力せよと説いている。
じゃんけん大会で勝ち抜いてカップリング曲に参加できた幸運なメンバーに歌わせているから、若干のリアリティはあるが、それは「奇跡」と言うにはささやかな成果だろう。テレビで歌われることは多分なく、グループ内のイベントで何回か歌われてそれで終わりとなる運命の楽曲だ。アリバイ作りのようなおためごかしだとメンバーも気づいているだろうが、それでも全く成果がないよりはいい。
それにこの『奇跡のドア』という楽曲はいい。曲調にスピード感があり、思い切り声を出して歌える曲だと思う。
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欅坂46『二人セゾン』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2016-12-22 23:00:00 | ときめき研究家
早や3枚目のシングルとなった。秋元康の欅坂46に傾ける情熱の強さはあからさまだ。その情熱の「1/3」でもいいのでNGT48のファーストシングル曲制作に注ぐことはできなかったのだろうか。

『二人セゾン』。
乃木坂46を思わせるようなシックな曲調と、印象的な冒頭サビのメロディー。いきなり聴く者を引き付ける力を持った曲だ。そして歌詞が相当難解だ。
そもそも「二人セゾン」とはどういう意味か。「二人の季節」という意味か。春夏に恋した彼女のことを思い出している歌か。否、別のところでは「君はセゾン」とも歌っていて、自分の周りを移ろっていく季節への感傷を歌っているとも解釈できる。それはAKB48『君はメロディー』とも似た構図でもある。そういえばAメロの最初の部分のメロディーも少し似ている。
また、「僕」のイヤホンを突然外した「君」は、春夏に恋した彼女のことなのか、新しく現れた別の女性なのか、それとも季節を擬人化しているのか、いずれの解釈もできる。引きこもっていた「僕」を世界に引き戻してくれたという点では、乃木坂46『君の名は希望』でボールを投げ返すまで待っていた彼女と同じだ。
そんなことをあれこれ考えながら、何回聴いても飽きて来ない、聴くほどに味わいが分かって来る佳曲だ。

『夕陽1/3』(てちねるゆいちゃんず)。
過去2作のCDでもデュエット曲を与えられていた「ゆいちゃんず」に平手、長濱の2トップを加えた「てちねるゆいちゃんず」の4人ユニット曲。さすがに力が入った作品で、今回の収録曲では一番気に入った。
放課後、校舎の屋上に登って一人で夕陽を眺めていたら自然に泣いていたという歌詞で、思春期の抽象的な感傷を歌っている。恋愛とか友情とか具体的な要素は全くなく、わけもなくただ涙が溢れているのだが、そういう境地には覚えがある。見るもの聞くもの全てが、とにかく切なく思える、そんな時期があるものだ。
1番では夕陽の3分の1が沈んでいて、2番ではまだ3分の1が残っているつまり3分の2が沈んだ状態で、時間の経過を示している。
どこか懐かしいような素朴なメロディーは、「ゆいちゃんず」のテイストを引き継いでいる。音階が上下するAメロのたどたどしさが印象的。一転してサビは伸びやかだ。

『制服と太陽』。
高校の三者面談を題材にした珍しい歌だ。卒業したらどうするのか、大学に行くのか、就職するのか。一番悩んでいるのは自分自身なのに、周りから結論を急かされることへの違和感や苛立ちを歌っていて、確かにそんなこともあったなというリアリティを感じる。結論が出ないのではなく、まだ結論を出したくないのだ。まだ今を楽しみたいのだ。
そういう重いテーマを歌いながら、曲調はほのぼのとしている。「何十回何百回」という部分が耳に軽やかだ。その時が来たと自らが思えるまで、自由を存分に味わうがいい。

『僕たちの戦争』(FIVE CARDS)。
彼女の父親が二人の交際に反対していると聞いて、荒れ狂っている男の歌だ。ペットボトルを壁に投げつけてみたり、かと思えば自分が消えればいいのかと卑屈になったりとか、動揺し混乱した心情がストレートに出ている。最後には少し冷静になって、命を懸けて君を幸せにすると決意表明しているが、ヒロイズムに酔っているようだ。詳しい状況は分からないが、彼女の父親に一度は会ったことがあるのだろうか。じっくり話して、自分を理解してもらう努力はしたのだろうか。「戦争」などと大袈裟に構えるより、まずは「外交交渉」で妥協を目指すべきだろう。
曲調はむしろ軽快な感じだが、歌詞の印象がどうにも強すぎて、聴いていて楽しい気持ちになれない。

『誰よりも高く跳べ』。
高く跳んで「ここじゃないどこかへ」行きたいと歌っている。
「ここじゃないどこか」とは、現状には満足できないが明確な目標を持てない現実逃避の常套句としてネガティブな印象にまみれた言葉だろう。そんなことは承知の上で、「ここじゃない ここじゃない ここじゃない どこかへ」と3回も繰り返して歌っているのはどういう意図だろうか。あえてネガティブな印象の言葉によって、人からどう思われようが構わないという強い思いを込めているとか。
曲調も陰鬱な感じであまり好きになれなかった。

『大人は信じてくれない』。
この歌もあまり好きになれない。
自分の苦しさ、寂しさ、辛さを大人は分かってくれない、本気で死んでしまいたいという内容の歌詞で救いがない。曲調もどんよりしている。



『世界には愛しかない』とカップリング曲の感想はこちら。
『青空が違う』はこちら。
『渋谷からPARCOが消えた日』はこちら。

『サイレントマジョリティー』とカップリング曲の感想はこちら。
『渋谷川』はこちら。


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第6回AKB48グループ紅白対抗歌合戦を映画館で鑑賞。(ときめき研究家)

2016-12-16 20:21:51 | ときめき研究家

何だかんだ言って、第2回、第4回を除いて毎年見ている。
セットリストなどは色々な所に掲載されているので、印象に残ったパフォーマンスにのみコメントする。

今年の渡辺麻友は、白組のトリで、ミュージカル歌手井上芳雄さんをゲストに迎え、『アラジン』の劇中歌『Whole New World』をデュエットした。伴奏はピアノのみで、会場も静まり返った中、しっかりとした歌唱を披露した。
正直に言えば、聴いている間じゅう、ドキドキしていた。子供が学芸会で失敗しないか見守る親の心境だった。歌い出しからの井上さんの歌唱があまりに朗々としていて、引き込まれ、それに互して歌えるのかという、麻友に対しては失礼な心配をしてしまったのだが、幸いにもそれは杞憂に終わった。声量ではだいぶ差もあった。歌い方も、いわゆるミュージカル風の歌い方(神田沙也加のような)ではなくではなく、いつもの麻友の歌い方だった。でもそれは属するジャンルの違いであって、決定的な問題ではない。自分の持ち味を出しながら相手にも合わせ、1つの世界を歌い上げていて、デュエットとして立派に成立していたと思う。感激した。歌唱後に井上さんから「いつでもミュージカルの世界にいらっしゃい」という言葉もあったが、社交辞令だけではなかったと思う。自分の出番の後、画面に時々映り込んだ麻友は、燃え尽きたかのような表情をしていて、相当のパワーを使ったことが見て取れた。エンディングでは舞台上にもいなかったと思う。

紅組の最後、大トリは指原莉乃だった。選んだ曲は『赤いピンヒールとプロフェッサー』。紅組メンバーを従え、激しいダンスをしながらこの曲を歌い上げた。生歌かかぶせかは判別できなかった。
指原がその曲を選んだことに深い意図を感じた。その曲は今年1月のリクエストアワーで1位を獲得した曲。本来は松井珠理奈のソロ曲で、あまり知名度のない曲だったことから1位になったことが物議を呼んだりもした。しかし私は楽曲として、非常にいい曲だと思う。『Dear My Teacher』の大学生バージョンと言うか、教授を誘惑する曲で、往年の荻野目洋子『ダンシングヒーロー』を彷彿とさせるフレーズもある。指原もこの曲が好きでよく歌うと言っていたが、リクエストアワー1位の楽曲をファンに再評価させたいという思いがあったのだと思う。また、麻友の『Whole New World』とは全くテイストの違う曲をという計算もあったのだと思う。
歌唱とは関係ないが、紅組副キャプテンという立場で、時々発する一言一言には、バラエティ番組で鍛えられたさすがのセンスを感じた。

審査員席に座っていた小嶋陽菜が、同じく審査員の井上ヨシマサのキーボード演奏に合わせてサプライズで歌い始めたのが『泣きながら微笑んで』。狭い審査員席で、生伴奏に合わせた生歌という歌いづらい状況で、それでも彼女らしい歌唱を聴かせてくれたのはさすがだと思った。若干音程が怪しいところもあったが、楽曲を自分のものとしていて、大島優子とはまた違った味わいで表現していた。いいものを聴いた。

峯岸みなみ、宮崎美穂、田野優花らの「チームボーカル」が『ハイテンション』のカップリング曲『また あなたのこと考えてた』を歌った。オリジナルメンバーが持ち歌を歌うのはこの歌合戦では異例だが、納得のパフォーマンスだった。CDでは通常の楽器伴奏があるバージョンだが、この日はアカペラで歌った。かなり練習したと思われ、もちろんところどころ危なっかしい個所もあったが、ゴスペラーズほどではないものの美しいハーモニーを聴かせてくれた。こういう楽曲の魅力を伝えるようなパフォーマンスは嬉しい。

横山由依のフォークギター弾き語りによる『365日の紙飛行機』、山本彩のエレキギターとバックバンドによる『夢見る少女じゃいられない』は、「ギター対決」などと言われていたが、NHKのど自慢に出場したとしたら横山は鐘1つか2つ、山本は鐘3つだっただろう。今はなきヤマハのポプコンなら、横山は地方予選落ちレベル、山本は本選進出だろうか。しかし、アイドルのパフォーマンスというのはそんな単純なものではないのだ。
横山がたどたどしい指使いで弾くギターと、彼女のやや甲高い歌唱は、バラバラで、とにかく完奏するだけで精一杯というレベルだったと思う。しかし、見ている者の視線を釘付けにし、終わった時の横山のはにかんだような笑顔に全てを許してしまう気にさせられるのだ。いいものを見たという思いしか残らない。
一方の山本は、いつもの山本であって、好きな人にはたまらないかもしれないが、私には意外性やときめきは感じられなかった。アルバム『Rainbow』は評価しているし、山本の音楽はよいと思うが、今日のところは相手が悪かった。

チーム8選抜の『清純タイアド』も良かった。寸劇をしながらのパフォーマンスで、おそらく生歌ではなくかぶせだったが、改めてこの曲はいい曲だと思った。卒業を発表した西野未姫が入ったてんとうむChu!メンバーでこの曲を歌うのを見ることはできるのだろうかと寂しくなった。
その西野未姫は『フライングゲット』に参加していたが、和太鼓を叩きながらのパフォーマンスだったので、いつもの破壊的なダンスを見ることができず残念だった。

全体として、大人数の歌唱が多く、映画館なので仕方がないことだが、ほんの数秒ごとに画面が切り替わるので、メンバーの顔を特定することもままならい。ごく少数のトップメンバー以外には活躍の場が与えられていないと感じた。司会や審査員、ゲスト(ダチョウ倶楽部)に割く時間を削って、1曲でも多くの楽曲を入れ、ソロや少人数ユニットで活躍の場を与えてほしかった。
また、歌の途中で、マジックをしたり、寸劇をしたり、早変わりをしたり、足にばねをつけて飛び跳ねたり、大人数のダンス集団とコラボしたり、芸能人かくし芸大会のような出し物が多かった。その場合、もちろん歌唱はかぶせである。むしろ歌はかくし芸のBGMのような扱いだった。ただ歌うだけだと退屈だろうというサービス精神なのかもしれないし、そういう演出を好むファンもいるのだろうが、私はあくまで歌がメインという形が好きだ。

第5回紅白対抗歌合戦の感想はこちら

第3回紅白対抗歌合戦の感想はこちら

第1回紅白対抗歌合戦の感想はこちら


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(再掲載)古典的アイドル現場とは、ヲタより一般人が多い(ナッキー)

2016-12-16 00:33:36 | アイドル論
古典的アイドル現場とは、ヲタより一般人が多い(ナッキー)

最近読んだ新聞記事に、アグネスチャンが売れなくなってから、スーパーのイベントでビール箱の上で歌った、と書いてあった。数多くのアイドルイベント見てきたが、残念ながらビール箱の上のアイドル生で見たことない。写真ならWink見た記憶あり。


ビール箱が象徴しているのは、アイドルファン以外の一般人へのアピール。
アイドルファン・ヲタの前での活動が主体(それだけというアイドルも多数いる)なのが現代的とすると、ヲタ以外にも歌を聴いてもらおうとするアイドルは古典的。あくまで歌を聴いてもらう、パフォーマンスとは言わない。

例えば、新潟古町のアーケードで歌うRYUTist。
秋葉原の路上で、さくらシンデレラのメンバーに勧誘され、専用劇場に入った新規さんの中に、アイドル生で見るのは初めてという方がいれば古典的。
#さくらシンデレラ
#RYUTist

明日の告知、http://ameblo.jp/cross-yuka/entry-12228288618.html
ビール箱ならぬビールフェス。300席の中でアイドルを見るために来てビール飲む人数より、ビール飲みに来て、たまたまアイドルのステージに遭遇する客の人数が多いと予想します。古典的アイドル現場を体験できる。是非行きたい。
#有香

ナッキー、分家ブログ記事を再掲載
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乃木坂46『サヨナラの意味』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2016-12-12 21:17:21 | ときめき研究家
『サヨナラの意味』。
橋本奈々未がセンターを務める、彼女にとってのラストシングル。前作『裸足でSUMMER』と同様に、じわじわと良さが判って来るような地味な曲だ。地味だけど一本芯が通った力強さを感じる。
サヨナラを乗り越えて、強く生きていくという決意を爽やかに歌っていて、「サヨナラに強くなれ」というのが印象的なフレーズだ。それから、2番のAメロ部分の歌詞、「列車の轟音の中で君が何か言ったけど聞こえない、答えを待つ君にそっと頷いた」という部分は秀逸だ。言いたいことが通じたのか通じなかったのか不明でもやもやするが、恐らく気持ちは通じたのだろうし、もはやこの時に言葉は不要なのだろうから、それでいいのだ。
大サビの「遠くに見える鉄塔」とは、AKB48『やさしさの地図』や『向日葵』にも出て来た鉄塔で、世界の秩序を守っているものの象徴と読み解く。今日別れた仲間も、これからも同じ空の下で生きていく。

『孤独な青空』。
ポジティブそうな曲調とは裏腹に、シリアスなテーマを歌っている。本当の親友などいない、悩みを打ち明けたり激論を交わすような関係は避けている、いわば群衆の中の孤独だ。「青春はいつだって虚しい」などと悟ったようなことを朗々と歌っていて切なくなる。『太宰治を読んだか』のように、人生を語る友ができた人は幸せだ。人はいつも一人、それを自覚しながら生きていく。

『2度目のキスから』。
2度目のキスからは冷静になれ、ムードに流されるなという教訓を歌う。ユーモラスで楽しい歌。「恋の駆け引きシリーズ」と言ってもいい。「若くない」を「若くにゃい」と歌っているのは、わざとなのか、滑舌が悪いだけなのか、ふざけた感じが出ていて良いと思う。

『あの教室』。
久しぶりに再会した同級生(異性)と、母校を訪ね、思い出を語っている歌。お互いに好きだったことを今さら告白し、もう帰れないなどと言いながら、何かが始まる予感に胸躍らせている、そんなときめきが伝わる歌だ。自転車の2人乗りは、AKBグループの楽曲に頻出する幸福な行為だ。

『ブランコ』。
ラップ調の歌い出しから、通常のメロディーになっても起伏を抑えて、淡々と流れる歌。
秋元康はシーソーの方が好きなアイテムだったが、ここに来てブランコを取り上げている。静かな曲調に静かな情熱が歌いこまれている。

『君に贈る花がない』。
好きになった君にはもう恋人がいて、それは僕の友達だという、よくある三角関係の歌。
『片思いの対角線』のように身を引くスタンスの歌で、『嵐の夜には』のように強引に奪いに行く歌ではない。どちらが正解ということではなく、どちらを選んでも心に傷は残る。だから歌になるのだ。

『ないものねだり』。
橋本奈々未のソロ曲。シャンソン風というのか、アンニュイな感じのデリケートなメロディーが続く。橋本の歌声は、そっけなく、艶っぽくなく、投げやりな感じさえする。よく言えば自然体。卒業ソングという気負いもなく、上手に聞かせようとか、可愛く聞かせようとかいう欲を全く感じない。
しかし、歌詞の内容と同じく、「今持っているものだけで充分、ないものねだりはしたくない」という執着のなさが彼女の魅力なのだとすれば、それを如何なく発揮しているとも言える。
不思議なメンバーの不思議なパフォーマンスだ。

それにしても、橋本の卒業・引退発表には驚いた。理由が「お金のために働いていたが、もうお金はいらなくなったし、母親から無理しなくていいと言われたので辞めます」という主旨だったと思うが、身も蓋もない。
職業差別をする訳ではないが、まるで風俗で働いていたかのような言い方で、彼女にとってアイドルとはそういうものだったのかと思うと、寂しい気持ちになる。
もちろんプロの芸能人だから、パフォーマンスが素晴らしく、見る人・聴く人の心をときめかすことができれば、心の中はどうであっても構わないという考えもある。人格と作品は別物だ。私も本来そういう考えだ。人間性が最悪であっても素晴らしい小説を書いた作家や、魅力的な交響曲を作曲した作曲家がいたのと同じことだ。私が以前からもっと橋本のアイドルとしてのパフォーマンスに注目して見ていれば、作家や作曲家と同様に、アイドルも心の中と切り離して、魅力的でありえるかどうかという事例検証が行えたはずだが、それ程彼女に注目していなかったので残念ながら判断できない。もし生田絵梨花が橋本と同じようなことを言って辞めるとすれば、まさしく彼女はプロの芸能人だと断言できる。
しかしアイドルという存在は、生身とパフォーマンスのギリギリの狭間で勝負する存在であって、作家や作曲家とは少し違うかもしれない。薬物で逮捕されたミュージシャンは復帰できるが、アイドルは難しい。
それに、どうせ辞めるのなら、そんなことをわざわざ公言しなくてもと思う。多くのファンは裏切られたような気持ちになるのではないか。せめて「最初はお金を稼ぐためにアイドルになったが、やっているうちにファンの喜ぶ姿を見て、やりがいも感じていた。アイドルとしてやれることはやり切ったので引退する。」くらいに言ってくれた方が、彼女のファンや他のメンバー、スタッフなど、みんなが幸せな気持ちになれただろう。

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AKB48『ハイテンション』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2016-12-07 22:18:29 | ときめき研究家
『ハイテンション』。
島崎遥香センターで「ハイテンション」とは何かの冗談かと思ったが、ミスマッチの妙と言うか、なかなか似合っている。ダンスミュージック風で、レコード盤の傷により同じ場所が何回も繰り返し再生されているようなサビ部分が印象的だが、「ションションションション」という歌詞は立小便しているみたいで抵抗がある。
「間違い英語」というのは「ハイテンション」のことだろう。本来は、気分が高揚しているというより、緊張しているという意味らしい。勉強になった。ミサイルが飛んでも関係ない、ワーカホリックなんて流行らない、今を楽しく踊り過ごそうという刹那的な衝動を歌っていて、これはこれで心地よい。『皆さんもご一緒に』を思い出す。ラップ部分も洒落ている。

『Better』(島崎遥香と9期生)。
これが島崎の卒業ソングなのか。卒業ソングっぽくない曲だ。
防波堤で過ぎた日々を振り返っている2人は『Only today』を思い出す。普通の青春回顧の曲かと思った。歌詞をよく聞くと「理解されなくてわがままと言われたって 正しいと思う強さを忘れるな」、この部分が島崎へのメッセージなのだろう。だとすると「僕が守れたらよかったのに」と悔いているのは秋元康自身なのか。
淡々と穏やかな曲調で、さりげなく卒業を歌うのは、島崎らしいと言えなくもない。
エンディングの「バスが近づく時間だね」というフレーズには思わずホロリとさせられる。

『抑えきれない衝動』(ウェイティングサークル)。
「全てが愛おしい 全てが美しい」などと、私が現役の高校生だった時は思わなかった。そんな余裕はなかった。そんなに俯瞰的に自分を見ることはできず、目の前の問題にじたばたしているだけだったと思う。それでもそういう青春が愛おしくて美しいということは事実であって、誰もが後から気づくのだ。それを歌として可視化している所が素晴らしい。
モップで消した落書きは、乃木坂46が歌った「謎の落書き」だったのか。野球部の練習の声は『僕の桜』の彼が聞いたのと同じだったか。「窓を開けて冷たい風を入れる」という描写は、伊藤智恵理『雨に消えたあいつ』の彼女がコートの前を開けて風を入れたのを思い出す。

『ハッピーエンド』(レナッチーズ)。
夢で見たストーリーのハッピーエンドを願う少女の気持ちを歌う。その夢は具体的に語られることはなく、現実とも連動していないようだ。Aメロ、Bメロ、サビと、いかにもAKBグループという曲調だ。いつか同じような曲を聴いたような気がするが、それは錯覚。あるいは夢の中の出来事か。若いメンバー中心の、活き活きした歌唱が楽しめる。

『星空を君に』(チーム8EAST)。
『パジャマドライブ』を思い出すような、真夜中のドライブの歌。歌い出し部分は女性視点から、その後男性視点からの歌詞になっている。車を飛ばして星空の美しい場所に連れて行き、愛を確かめるという陳腐と言えば陳腐な歌だが、チーム8メンバーが爽やかに歌っている。「教えてくれない」の「ない」が語尾を短く切るような歌い方で印象的だ。

『思春期のアドレナリン』(チーム8WEST)。
若くて力を持て余している少女の欲求不満が爆発している歌。ユニークだ。
勉強、スポーツ、部活だけじゃ疲れない、恋でもしなきゃ力を持て余すがそんな対象がいない。そんな活力が羨ましい。月に向かって吠えたりして、通報されないように気をつけた方がいいだろう。

『またあなたのことを考えてた』(チームボーカル)。
「チームボーカル」と言うくらいだから、歌唱力重視で選抜されたメンバーなのだろう。その歌唱力を活かすために、メロディアスな曲調が続く。ねっとりした感じの曲調はあまり好きではないが、声が頻繁に入れ替わるのでまだ我慢できる。どのメンバーがどのパートを歌っているのか判れば更に味わいが深いだろうが、勉強不足ゆえ判らない。

『清純タイアド』(てんとうむChu!)。
この曲については、既に記事を書いたが、聴くほどに良さが判って来る名曲だ。AKBグループのこととは切り離して、1人の少女の脱清純派宣言の歌として聴いても、切実感が激しく伝わってきて心を動かされる。完成度の高い楽曲だ。
今回のCDの中ではやはりこの曲がダントツだ。
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(再掲載)アイドル供給過多故、レベルの高いアイドルを最前列で鑑賞できる(ナッキー)

2016-12-01 23:16:17 | さくらシンデレラ、など集中掲載グループ
アイドル供給過多故、レベルの高いアイドルを最前列で鑑賞できる(ナッキー)

今日は会社の同僚を、秋葉原のアイドルステージ(さくらシンデレラのライブ)に連れて行きした。アイドルを生で見るのは初めてと言う彼に、最前列で見せようと19時10分を目指して向かったのですが、遅れて19時25分(ステージ開幕5分前)に到着。それでも二人最前列に着席。
今日はステージ開始時の観客、本日は17人、一昨日火曜は30人くらい。

アイドルの質・レベルの高さでは、さくらシンデレラとAKB48とはほとんど差はない。
しかし、人気と知名度には大差がある。
ナッキーのアイドルを深く・広く鑑賞する努力が、無名であるが故に、AKB48と同じくらい素晴らしいアイドルを毎日最前列で見ることができるという果実に結実している。

秋葉原には初めて来たという同僚を、20時30分にドンキ8階に連れて行く。
AKB48の公演は18時30分から。終わってしまっているかと思いながら8階につくと、生誕祭がモニターに映っていた。モニターを立ち見している客は、満員だった頃に比べて6割くらい。

腰から下をサイボーグに改造して、どんなに立ち見をしても疲れない体を得たなら、毎日モニター観戦に行くのも面白い。
ネット配信を自宅で大画面で見れるようにすれば、秋葉原に行かなくてもリアルタイム映像で見られるので、サイボーグより低リスク・低コストでAKB48が見られる。
サイボーグにも、自宅大画面も選択しないのは、
現在のAKB48より素晴らしいアイドルが、毎日最前列で見られるから。

AKB48にしろ、ももクロにしろ、人気のない頃はいくらでも生で見られたのに、人気がでてからは苦労しても小さくしか見られないのは、「人気のある株を手に入れたいのに、高値すぎて買えない」のと似ている。

さくらシンデレラが簡単に見られるのは、市場参加者が認知していないから、「現在価値が高い株なのに、安く買うことができる」のと似ている。

現在価値が同等でも、ブランド力に大差があるので、それが株価の差となっている。アイドル株を買う(アイドルを見に行く)市場参加者は、ブランドは求めても、価値を評価しきらない。
数多いアイドルの中から、アイドルの「よさ」を求めて、多大な時間をかけることは、大多数のアイドル市場参加者にはできないから。


さくらシンデレラのように質の高いアイドルは、そのうちファンが増えてくるから、気軽に見ることができるのも、ほんの短い期間なのかもしれない。株価急騰して買えなくなる有望株というところ。

アイドルが株と異なるのは、株は安く買って高く売ることに妙味があるのに対して、
アイドルは安く買い続け、経済学でいう効用を享受しつくす、ところに意味がある。

「安く買える」とは、「素晴らしい鑑賞環境でアイドルが見られる」ということで、
「株価が高くなる」とは、「客が増えて、アイドルが見にくくなる」

質の悪いアイドルは、いくらでも「よい鑑賞環境で見られる」のですが、どんなに見やすい環境でも見たくないアイドルは見ない。
アイドリアンとは、よいアイドルが「よく見られる」一瞬をのがさない日々の努力。

さくらシンデレラが人気が出たら、見に行かなくなるしかない。AKB48を見られなくなったように。
次の「よい」けど「見やすい」アイドルを探しにいくことになる。
さくらシンデレラ、あまりに質が高いので、「自分が鑑賞できるのもあとわずか」と悲観的。

ナッキー、分家ブログ記事を再掲載
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