AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

櫻坂46『Start over!』と日向坂46『Am I ready?』を聴く。(ときめき研究家)

2023-09-15 21:00:00 | ときめき研究家
櫻坂46と日向坂46の新曲は、どちらもグループの特徴がよく出た曲だと思う。

櫻坂46『Start over!』
イントロから腹に響くようなベースの低音。ジャズのビッグバンドっぽいめくるめくサウンドにクールな曲調。
歌詞の内容は、タイトル通り「やり直せ」。忘れかけた夢、諦めかけた人生を取り戻し、やり直すのは今しかないという啓発ソングだ。欅坂時代から歌い続けていた反抗ソングの系列ではあるのだが、社会や大人への反発というより、自分自身の劣化、鈍化に対して抗おうとしている。
「深夜のコンビニのレンジで弁当温め どんな奇跡を待っているのか」というフレーズが刺さる。その後にも「自動ドア出た瞬間に別人にもなれる」「防犯カメラに守られるより自由がほしい」と、コンビニのイメージを持続させながら心情を重ねていく手法は見事だ。
歌われているとおり、何かを始めるのに遅すぎるということはない。60歳を過ぎて芥川賞を取った作家もいる。80歳を過ぎてゲームを作ったプログラマーがいる。私も59歳でようやく初めての長編小説を書き上げた(ただ、次回作がなかなか書けずにいる)。

ましてや、以前からずっと忘れていない夢ならば、これまで始めなかったのは熟成期間だったのであって、ようやく今始めるべき時が来たのだと思えばいい。これまでが怠惰だったとか、臆病だったとか反省しても何の益もない。でも、まさに今、その時が来たと自覚したのに何もしないのは怠惰だ。そんな厳しい歌なのだ。
この歌の特徴は、「君」に対して「僕」も、ただ上から目線で発破をかけて啓発するのではなく、自分も安全地帯のぬるま湯から抜け出したいと決意していることだ。この「君」と「僕」は、リスナーと櫻坂46のメンバーとも置き換えられるのだろう。

日向坂46『Am I ready?』
こちらは対照的に、フワフワ、シャラシャラしたつかみどころのないサウンドだ。韓流やNiziUの楽曲にありそうな感じだ。よく言えばお洒落、意地悪に言えば聴き流してしまいそうな楽曲。

歌詞の内容も、ほとんどどうでもいいような内容。久しぶりの恋のときめきを、ノーマークだった幼馴染に感じて、キスの準備はできているの?と自分に問いかけている、そんな感じだ。ありがちな状況を、ありがちな言葉で描いている。
でも、この曲はそれがいいのだろう。何回も聴き流しているうちに、なぜか印象に残り、無意識に口ずさんでいるとか、そういう楽曲なのだろう。もちろんメンバーのファンなら、その子の歌唱やダンスをつぶさに追いかけて楽しむのだろうが。

乃木坂46の『おひとりさま天国』を含めて、3グループはうまく世界観を棲み分けている。それぞれのグループらしい楽曲を歌っている。シャッフルして、別のグループが別の曲を歌っても、何かしっくりこないのではないか。それがグループの個性。
ところが一筋縄では行かないのは、カップリング曲には、そういうグループの個性にはお構いなしに様々なテイストの楽曲が収録されている。櫻坂に日向坂っぽい楽曲があったり、その逆もしかり。考えてみればそれも当たり前だ。ソロアイドル、例えば松田聖子や中森明菜だって、1人で実に多様な楽曲を歌っていたのだから。
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AKB48『アイドルなんかじゃなかったら』を聴く。(ときめき研究家)

2023-08-31 19:59:38 | ときめき研究家
AKB48の新曲は、一見刺激的なタイトルの問題作だ。しかし、実は、AKBグループの初期の頃から何回も繰り返し歌われてきた「アイドルの心得」を改めて宣言するという意味合いの楽曲だと解釈する。

昨年、岡田奈々の恋愛が発覚した際に、「緊急投稿、いま改めて恋愛禁止を考える」という記事を書いた。
その記事の主旨は、「AKBグループにとって、恋愛禁止は自覚と自己責任で守るべき規範である」ということ、そしてそれは遥か昔、2013年に『清純フィロソフィー』で明示されているということだった。
それでも理解していないメンバーがいる、あるいはファンもいる。だったら、カップリング曲なんかではなくシングル表題曲として、より明確な形でその規範を示そうとしたのが『アイドルなんかじゃなかったら』なのだろう。そう感じた。岡田奈々も卒業し、2013年以降に加入したメンバーがほとんどになった今、ここまではっきり言わないと分からないのかという嘆きのような気配もうっすら感じられる。

もう一つ憶測するなら、YOASOBIの『アイドル』のヒットに触発された秋元康が、対抗心を燃やして作ったのかもしれない。YOASOBIと比較すると、アイドル自身の視点に固定して、より分かりやすい内容の歌詞になっている。アイドルと恋愛という古くて新しいテーマに、こっちはもう何十年も付き合ってきたんだよという気概を感じる。令和版『なんてったってアイドル』はこっちだよ、と言っているようだ。「飛び降りる」「スキャンダル」「アイドルはやめられない」という、元祖『なんてったってアイドル』と共通のフレーズを目立つように使っているのがその証拠だ。

ファンの中に好きな人がいる。でもステージ上から微笑むことしかできない。私がアイドルなんかじゃなかったら告白し、キスもしたいのに。
そんな歌詞は、ファンに「もしかしたら」という幻想を抱かせるようなあざといレトリックだ。
でもアイドルはやめられない。ファンを裏切れない。卒業するまでは誰も好きにならない。そういう歌詞を直後に置くことで、その健気なプロ意識を応援したいという気にさせる。
そう、疑似恋愛はどんどんしてください、でもあくまで疑似ですよと、ファンを教育し飼いならす目的の歌詞でもあるのだ。
こういうコンセプトソングの上手さは秋元康の真骨頂だろう。

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乃木坂46『おひとりさま天国』を聴く。(ときめき研究家)

2023-08-10 18:56:42 | ときめき研究家
乃木坂46の『おひとりさま天国』は、わかり易く、それでいて色々なことを考えさせる楽曲だ。

友達は皆いつも恋バナばかりで、おひとり様は肩身の狭い思いをして来たが、慣れるとおひとり様は快適で天国だという歌詞。他人の目を気にせず、自分の心地よい生き方でいいのだというメッセージソングである。

ただ、影響力のある乃木坂46が歌うには、このメッセージは10年遅すぎたのではないか。既に現在の日本社会において、おひとり様は充分に市民権を得ており、敢えて世に訴えるという役割は無用と思われる。どちらかと言えば、世の中の風潮に追随して歌を作った感さえある。
という私の感覚がずれている可能性もある。若者の世界では、今もって恋愛至上主義、恋人自慢が盛んで、恋人がいない娘はかわいそう、一人が好きなんて変わり者、そんな空気が残存しているのだろうか。若者は案外保守的だし、空気を読むことに過敏だと聞く。もしそうだとすれば、人気アイドルグループである乃木坂46のメッセージは、少数派であるおひとり様たちにとって救いとなるのかもしれない。

そもそも「おひとり様」には2つの意味がある。1つは、恋人や配偶者のいない独身、シングルという意味。
もう1つは、恋人がいる・いないに関わらず、1人で行動する人という意味だ。独身であっても、1人で食事や映画に行くことができず、いつも友達を誘うというタイプの人もいる。逆に、恋人がいても常時2人で行動するのではなく、1人でキャンプや旅行に行くのを好む人もいる。人それぞれだ。

この歌の「おひとり様」とはどちらの意味なのか? 1番は前者、2番は後者の意味のように聞こえる。恋人がいなくても平気、1人で行動するのも平気。両方の意味でおひとり様は天国だと歌っている。2つの意味をあまり区別せず使っているようだ。恋人がいれば2人で行動するのが普通、恋人がいなければ1人で行動するのが普通、そう決めつけているようだが、本来はそうではないのではないか。

一方で、世の中で市民権を得ているのはどちらの意味の「おひとり様」なのか考えてみたが、主に後者だろう。1人焼肉、1人カラオケ、1人キャンプ、1人旅など、「1人〇〇」は普及して来ている。それは経済的要因であって、1人客を獲得することがお店やサービス提供者の利益になるからだ。
一方で前者の「おひとり様」を貫いて「生涯独身」で過ごす人も増えてきているが、彼らにとって住みやすい社会かどうかは微妙だと思う。少なくとも「天国」ではなかろう。少子化、晩婚・非婚化に焦る政治家たちは、「早婚多産社会(産めよ増やせよ)」への回帰を望んですらいるだろう。そう考えれば、乃木坂46の『おひとりさま天国』は、遅すぎたとも言えないのかもしれない。

曲調はアップテンポで心地いいが、どこか野暮ったく、日本的なサウンドだ。「〇〇音頭」的なノリを感じる。イントロや間奏の俗っぽいメロディーに心を奪われる。特にAメロは何かに似ていると思ったが、NMB48『ワロタピーポー』のAメロに雰囲気が酷似している。
カップルで過ごす日として「誕生日、クリスマス、バレンタインデー、ゴールデンウイーク」を挙げているが、AKB・坂道グループ伝統の「3大きっかけデー」にゴールデンウイークを追加しているのが新しい。
(「3大きっかけデー」は、『気づいたら片想い』『1,2,3,4ヨロシク』などに登場)

ちょっと脱線して、『〇〇天国』というタイトルが付いたアイドルの楽曲を思い出してみる。
『学園天国』(1974年:フィンガー5、1989年:小泉今日子がカバー)は、両バージョンともロック調の派手なアレンジでヒットした。歌詞の内容は、クラスの「席替え」で憧れの彼女の隣になれるか祈るという他愛のない学園ソング。その他愛なさがシンプルでいいのだろう。
『メビウス天国』(1987年:水谷麻里)は、不思議系アイドル水谷麻里の7枚目のシングル。「ヘッドフォン電車で聴くな」とか「ファッション雑誌を持つな」とか「振られて海など見るな」とか、オタク系男子を叱咤激励するような歌詞が秀逸。本人もノリノリで歌っていて、エンディング近くの「メビウス天国」の部分の声が裏返っているのに、制作側もそのテイクをそのまま使う荒業を見せていた。何がメビウスなのかは未だに不明。
『フリフリ天国』(1990年高岡早紀)もアンニュイな雰囲気の隠れた名曲。
アイドル以外では『おさかな天国』(1991年:柴谷裕美)、『サーフ天国、スキー天国』(1980年:松任谷由実)などという曲もあった。

『〇〇天国』ではないが、『天国のキッス』(1983年:松田聖子)、『天国にいちばん近い島』(1984年:原田知世)などもある。AKB48では『天国野郎』(2009年:チームB:センターは浦野一美)。天国ではないが英語だと『稲妻パラダイス』(1984年:堀ちえみ)、『パラダイス銀河』(1988年:光GENJI)も懐かしい。
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日向坂46『One choice』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2023-07-28 22:31:07 | ときめき研究家
いつものことながら、坂道グループのCDは、数回聴いただけでは良さが分からない。何回も聴き続けて、メロディーや歌詞の一部がじわじわと脳内に浸透してくるような感覚だ。

『One choice』。
7曲の中では、やっぱりこの曲がシングル表題曲らしい楽曲だ。フラメンコギターのようなアレンジが耳に残る。どちらかと言えば乃木坂っぽい楽曲だ。
君を好きになったので、他の選択肢は目に入らない、君一択だ、という内容の歌詞はシンプル。重厚なサウンドとは裏腹に、幼い一途な思いをひたすら歌う歌詞だ。自転車を立ち漕ぎしながら好きな子のことを考えるというのは、AKBグループ、坂道グループ共通の伝統と言える。
テレビで歌うのも、ミュージックビデオも見ていないが、ダンスはきっと激しいのだろう。

『恋は逃げ足が速い』。
バイト先で好きになった彼女に、タイミングを見て告白しようと思っていたら、いつの間にか彼女はバイトを辞めていたという歌詞。若い頃にありがちの出来事だ。私にも思い当たる節がある。恋の逃げ足が速いのではなく、君の行動が遅いのだと教えてあげたい。
でも結局、彼女がもしバイトを辞めなかったとして、それでも彼はいつまでも告白できないだろう。彼は片思いの甘美さに酔っているのが好きなのだから。そして逃げて行った恋を惜しむのも好きなのだ。
コミカルな歌詞に似合った軽快な曲調もいい。

『シーラカンス』。
古代生物のように、自分の中で死滅したと思っていた「恋するときめき」を思い出した、という歌詞だ。ただ「ずっと忘れていたよ こんなエモい瞬間」という言葉のチョイスは好きではない。「エモい」という形容詞自体に私がまだ馴染めていないせいもあるが、世の中でもまだ結構ニュアンスにブレがある段階の言葉だと思う。微妙な心の揺れを表現するのに、そういう生煮えの言葉を安易に使用している感じがしてしまう。
それはまあいいとしても、今度はそのときめきの対象となった女性の行動が腑に落ちない。急に降り出した雨に困っている知らない男性に傘を差しかけてあげて、更には雨宿りにまで付き合っている。その行動の動機が不明だ。彼のことがタイプだったのか、それとも彼が忘れているだけで、実は知人だったのか。いろいろ想像できるが、一般的ではない行動だ。ミステリアスと言えばそうだが、そんなことをいつもしていたら誤解されたり、危険な目に遭いかねず、心配になる。彼の方も、思いもかけぬ出会いに不意を突かれていつも以上にときめいている感がある。この2人の今後の展開が気にかかる。
楽曲は、軽快なフォーク調で一番好きだ。歌詞のシチュエーションは、さだまさし『雨やどり』を連想させる。

『パクチー ピーマン グリーンピース』。
食べ物の好き嫌いが激しい男の歌だ。表題の3つのほかにも、「人参、トマト、きゅうり、椎茸」「レバー、梅干し、生クリーム」「なまこ、らっきょう、ブルーチーズ」と列挙する。どれだけ嫌いの範囲が広いんだろう。
そのうえで、誰もが好きなもの、嫌いなものがある、無理して食べることない、好きなものだけ食べればいいと開き直って正当化している。その子供っぽさが微笑ましい。その勢いで、世の中に色々な女性がいるけど、僕は君だけが好きだと強引に結び付けている。そんな告白で喜ぶ女性がいるだろうか。
この曲も、軽快なメロディーで楽しい歌だ。

『You’re in my way』。
タイトルは、あんた邪魔だからどいてよ、とくらいに訳すのだろう。
優しくされたり、守ってもらったりするのは好きじゃない。放っておいてほしいというような歌詞が続く。しかしよく聴くと、それは強がりで、本当は愛されたいのかもしれないとも解釈できる。どちらとも取れる。
そして歌詞の「あんた」とは誰のことか? 私は父親のことのように聴こえてならず、娘を持つ身としては心が痛い。

『友よ、一番星だ』。
友との別れの歌だ。もしかしたら卒業するメンバーの卒業ソングかもしれない。そう思って調べたら、やはり、影山優佳の卒業ソングだった。サッカー解説で注目され、クイズ番組などの出演も多い彼女のことは気になっていた。良いタイミングでの卒業なのだろう。
お互いがそれぞれの夢に向かって歩き出すという前向きな別れの歌だ。力強いメロディーもいい。
ミュージックビデオも観てみた。サッカースタジアムで撮影したもので、シンプルだけどメンバー全員が魅力的に写っていた。特に、影山優佳のファンは満足できる内容だったと思う。最後に彼女がゴールを決めるが、これから先、芸能界というピッチで新たな試合に挑む彼女を応援したくなる作品だ。

『愛はこっちのものだ』。
サックスのイントロが恰好いいダンスナンバー。
クラブで久しぶりに会った彼女に運命を感じ、一緒に踊ろうと、独りよがりに言い寄っているが、気が付けば彼女は彼氏連れだったというオチ。とても恰好悪い。恰好いいサウンドとのギャップを楽しむ曲だろう。

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今日のあまちゃん。アイドル歌唱で「影武者」は成り立つか?(ときめき研究家)

2023-07-21 21:05:21 | ときめき研究家
再放送中の『あまちゃん』。ストーリーは知っているのに、引き込まれて観ている。
今日は春子(小泉今日子)の若い頃(有村架純)に、鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の影武者だったという過去が明かされた。人気女優の鈴鹿ひろ美は極度の音痴だったので、主演映画の主題歌『潮騒のメモリー』を歌う
に当たって、無名のアイドル志望の春子が代わりにレコーディングしたというのだ。これは、このドラマの根幹となる設定なので、非現実的というような批判はしたくない。そういう設定だと受け入れて、当時は楽しんだし、今回も楽しんでいる。しかし、敢えて、本当にそのような「影武者」が可能かどうか、研究者として考察してみたい。

まず、喋る声と歌声がかなり違っている人は珍しくないという事実がある。
当の薬師丸ひろ子自身、『セーラー服と機関銃』の頃は、喋り声はやや甲高く人工的な声だったが、歌声は柔らかく清らかで、ギャップを感じた記憶がある。
松田聖子がサントリービールのCMソングとして『SWEET MEMORIES』を歌ったとき、英語歌詞ということもあり、当初は松田聖子が歌っていると気づく人は少なかった。
最近では、演歌歌手の真田ナオキは、歌声だけが極度なガラガラ声である。

そもそも、視覚的な容姿と異なり、声の特徴を聴き分けるのは難しいものだ。長年アイドルを聴いているが、持ち歌以外を歌っている時に声だけで分かるというアイドルはそんなにいない。伊藤つかさ、松本伊代、坂上とし恵、菊池桃子、南野陽子くらいだろうか。AKBグループだと渡辺麻友は分かるつもりだが、絶対の自信はない。好き嫌いは別として、河合奈保子、石川秀美、松本典子のような美声のアイドルはまず聴き分けられない。

そういう前提で考えれば、『あまちゃん』の世界で、影武者が成り立ったというのもあながち非現実的ではないと思う。しかし、レコードになった歌声を何回も聴いているのに、春子の親しい人達(母親の夏、娘のアキを含む)が気づかないというのは少し無理があるかもしれない。
ドラマの構造として更に興味深いのは、影武者として有村架純が歌うシーンで、実際に流れる歌声は小泉今日子の歌声だということだ。影武者の影武者ということだ。それでも、有村架純は自分が歌っているかのようにノリノリで演技をしているので、収録時には口パクではなく実際に歌っていて、後で音声を吹き替えたのだと推察する。

更にすごいと思うのは、薬師丸ひろ子の影武者を小泉今日子が演じるという構造だ。一般的な意味での「歌唱力」なら薬師丸ひろ子の方が格段に上だということは当時のアイドルファンなら周知の事実だ。おそらく本人達も、脚本のクドカンも自覚しているだろう。その上で、面白がってこの設定を演じているところに、このドラマの奥深さを感じるのだ。しかも、ドラマ終盤に、この虚実相まった構造が更に複雑な面白みを生み出すことになる。

やや強引に結論を付けるとすれば、80年代アイドルはソロアイドルが主流で、「歌唱力」があろうがなかろうが、個性的で魅力的なソロアイドルが多数活躍していたということ。そして薬師丸ひろ子も小泉今日子もその中心にいたということ。有村架純の歌の巧拙は分からないが、もし彼女が当時に生まれていたなら、きっと歌も歌い、魅力的なアイドルになったであろうということ。そんなことを考えた。
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=LOVE『ナツマトペ』を聴く。(ときめき研究家)

2023-07-01 11:30:29 | ときめき研究家
ブログ読者の方からの勧めがあって=LOVE『ナツマトペ』を聴いた。
女子だけのグループで旅行に行く歌で、乃木坂46『ガールズルール』と似たシチュエーションの歌だ。森高千里『私の夏』も、グループではないが女友達と2人旅の歌だ。
『ガールズルール』の目的地がバスで行ける近場の海岸なのに対し、『ナツマトペ』は飛行機で「南の島」と豪華だ。森高と同じ沖縄かもしれない。

タイトルの『ナツマトペ』とは、擬音語・擬態語を指す「オノマトペ」をもじった造語だろう。夏を現すオノマトペを特別にそう呼んでいるのだ。
オノマトペを多用する文章は、幼稚とか、品がないとか言われがちだ。そういう定説に対抗して、敢えてオノマトペを多用した夏ソングにしてやろうという、作詞家指原莉乃の意気込みが感じられる。「目に映るトキメキを表す言葉 ナツマトペ」と定義していて、ときめき研究家としては注目しない訳にはいかない。
とは言え、思ったほどオノマトペは多くない。常識の範囲での使用に留まっている印象だ。
ビュン、ソワソワ、キラキラ、ギラギラ、ドキドキ、チクタク、プカプカ、パシャリ、もぐもぐ、キンキン、きゅー、ズキズキ。
抜き出してみると、でもやっぱり多いのか。ただ日向坂46『キュン』とは異なり、オノマトペが歌詞のキーワードにはなっていない。あくまで彩りを添える役割として使われている。だからそんなに目立たないし、幼稚な感じもしないのだろう。オノマトペの他にも、随所に挟まれるセリフやファンとの掛け合いパートも彩りを加えていて、賑やかで楽しく、おじさんには少し気恥ずかしいくらい派手な夏ソングになっている。作詞家指原の狙いは成功していると言えるだろう。

そして曲を通して伝えているのは「王子さまはいらない プリンセスだけでいようよ」というスタンスだ。『ガールズルール』も、女子だけの旅を満喫してはいるが、「待って もう少し 男の子たちがやって来る」とも歌っていて、女子だけの友情は一時的なもの、いずれは恋愛を優先する時が来るという気配を漂わせている。森高の『私の夏』も、今年の夏はたまたま彼氏がいないから女友達と2人で沖縄に行こうという内容で、やはり一時的なものだ。その2曲と比べれば、『ナツマトペ』は男の影は微塵もなく、ピュアな女子だけの旅を謳歌する内容だ。どちらが良い悪いということではなく、曲の世界観が違うということだ。

歌詞の遊び心を2つ発見した。
数字をカウントしている歌詞はよくあるが、日本語、英語、フランス語、さらにスペイン語まで4言語使っている曲は珍しいのではないか。キャンディーズ『微笑がえし』でも、日、英、仏の3言語だった。
「1、2、3、4」「ワン、ツー、スリー、フォー」「アン、ドゥ、トロゥ、?」「ウノ、ドス、トレス、?」。4つ目があまり馴染みがないスペイン語とは今風だ。麻雀好きのおじさんなら中国語で「イー、リャン、サン、スー」だろう。
もう一つ、「いつもより派手なワンピース」というワードは、指原ファンへの大サービスだと思う。HKT48時代のカップリング曲で指原がメインボーカルだった名曲『波音のオルゴール』に「地味なワンピース」というワードがあり、そこからの転用だろう。

そういえば、AKB48の夏ソングというものが出なくなって久しい。

=LOVEの楽曲に関する過去記事。
=LOVEのデビューシングル『=LOVE』を聴く。
=LOVE『虹の素』『ズルいよズルいね』を聴く。作詞家指原莉乃の実力。

過去記事を読んで思い出したが、全曲指原莉乃作詞によるHKT48のオリジナル公演『いま、月は満ちる』はどうなったのだろう。ネットで検索してみたら、昨年、指原は既に納品していてHKT48の運営サイドの事情で保留になっているとの情報があった。せっかくの作詞家指原の仕事が早く日の目を見てほしい。

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YOASOBI『アイドル』は令和の『なんてったってアイドル』か?(ときめき研究家)

2023-06-23 21:22:03 | ときめき研究家
YOASOBI『アイドル』が世界中でヒットしているようだ。
アニメ『推しの子』の主題歌ということで、そのアニメの世界観を反映しているのだろう。しかし私はそのアニメを観たことがなく、原作も読んだことがないので、純粋に1曲の楽曲として鑑賞した感想を記したい。

曲の印象は、複雑で目まぐるしい。そしてそんな曲を完璧に歌いこなしている。素人がカラオケでいきなり歌えるようなものではない。高度な音楽だと思う。
そして、歌詞も複雑だ。ファンの視点、同僚アイドルの視点、そしてアイドル本人の視点が混在して、立体的にそのアイドル像が描かれる。即ち、絶対的な至高のアイドル、完璧で一寸の隙も無く、万人に崇めたてられる教祖のような存在だ。「恋愛はしたことがない」という嘘を平気でつくが、いつか嘘が嘘でなくなる、皆がそれを信じればそれが真実になる、そんな一種オカルト的な内容だ。

昭和の末期、アイドルの存在を客体化し、パロディーのように歌ったのが小泉今日子『なんてったってアイドル』だった。小泉今日子本人は「大人が悪ふざけしている」と受け止めていたらしい。しかし、今聴き直してみると、それほど過激な内容ではないと思える。
「恋はするにはするけど スキャンダルならノーサンキュー」「イメージが大切よ 清く正しく美しく」というフレーズは、元も子もないようだが、当時から「アイドルとはそういうものだろう」と一般に認識されていたそのままだ。強いて言えば、誰もがそう思っても敢えて口に出さない「暗黙の了解」を、あーあ言っちゃったという感じが過激だったのだろう。
アイドルだって人間、恋もするし、オナラもする(本田美奈子は薔薇の香りだと絶妙なことを言っていたが)。それは分かっていても、テレビの中のアイドルは「清く正しく美しい」存在だという虚構を楽しんでいたのだ。

昭和と令和では時代が違う。昭和、アイドルは主にテレビで鑑賞するものだった。生身のアイドルに関する情報は、明星・平凡に載っている「取材用のプライベート情報」か、歌番組の中の短いトークくらいしかなかった。ファンクラブに加入すればもう少し詳しい情報が得られたかもしれないが、それだって事務所が介在した公式の情報に違いなかっただろう。だから我々は「TVの国からキラキラ」したオーラを放つ存在を、一方的に見るだけの「ファン」たり得たのだ。
平成から令和、「会いに行けるアイドル」という風潮が広まり、更にインターネット、SNSの普及により、アイドル自身がプライベートも含めて積極的に発信せざるを得ない状況になっている。受け手側もそれを求め、一方的に見るだけでなく、彼女を「推し」て、育てて、一緒に生きて行く存在になったのだ。令和のアイドルは、だから気が休まる時がなく、しんどいと思う。人気が出ないということは、ルックスや楽曲や事務所のプロモーションが悪いからではなく、彼女の人間性全部に魅力がないからだと受け止めてしまいかねない。
そんな時代の『アイドル』は、昭和の頃のように生身と虚像を使い分け、見えるところだけ「清く正しく美しく」あればいいわけではない。嘘を言ってもそれが真実になる、世の中の全員を全身全霊で愛し、愛される、そんなあり得ないような存在を目指し、信じ込み、そして実際にそうなりきって行くのだ。24時間アイドルを演じているうちに、それが人格そのものになっていくのだ。

昭和から令和まで、一貫して主に音源のみで楽曲を鑑賞している私は、そういうアイドル観の変遷とは比較的遠い位置にある。しかし、『なんてったってアイドル』と『アイドル』の圧倒的な違いを考えると、もう引き返せない所にきてしまったのだなと実感する。
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NHK朝ドラ『あまちゃん』再放送中(ときめき研究家)。

2023-05-17 21:05:44 | ときめき研究家
2013年に放送された『あまちゃん』が、BSで再放送されている。
2013年当時、このブログのライター達も熱心に視聴し、沢山記事を書いた。
当時の記事一覧はこちら

当時もとても面白いと思って見ていたが、10年経って見てもやはり面白い。
そもそも宮藤官九郎の脚本が秀逸でドラマとして面白いし、私の青春時代である80年代ノスタルジーでもあり、アイドル論も随所に散りばめられている。
そして2023年の今、ドラマを見ながら、10年前のブログ記事を読み返して当時何を考えたのかを思い出すという新たな楽しみも加わった。ブログを書いていて良かったと思う。

今日5月17日は、春子(小泉今日子)が10代の頃(有村架純)アイドルになりたくて、オーディション番組に歌のデモテープを送る話があり、歌っていた曲が村下孝蔵『初恋』だった。10年前もそのことを記事にしていて、小泉今日子本人が「スター誕生」で歌った曲が石野真子『彼が初恋』であることを意識した選曲ではないかと書いていた。我ながらマニアックだ。
今日は、ドラマの中での『初恋』の歌声に注目した。てっきり小泉今日子が歌っていると思い込んでいたが、よく聞くと彼女の独特の押し出すような歌い方ではなく、素直で癖のない歌い方だった。もしかしたら、あれは有村架純の歌声なのではないかと、10年前は思わなかった説を思いついた。

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HKT48『突然 Do love me』とSTU48『息をする心』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-29 18:51:40 | ときめき研究家
両グループの新曲は対照的な曲調だが、どちらもこれまでの各グループの楽曲イメージを踏襲したものになっている。

HKT48『突然 Do love me』。
内気な男子を女子の方から誘惑する歌だ。榊原郁恵『DO IT BANG BANG』、早見優『誘惑光線クラッ』など過去のアイドルでも定番のテーマだ。
HKT48の過去の楽曲では『Make noise』とか『しぇからしか』に曲調が似ている。激しいリズムとサウンドを楽しむための曲だろう。私の中ではHKT48はいつまでも「末っ子」のイメージで、『スキ、スキ、スキップ』やら『メロンジュース』を元気に歌っている印象が焼き付いているが、その後NGT48やSTU48ができ、チーム8もでき、全然「末っ子」ではないのだ。
こんな激しい曲を、激しいダンスをしながら歌うお姉さんグループなのだ。認識をそろそろアップデートしなければならない。
せっかくのノリのいい曲だが、歌詞の乗せ方が不自然で気な箇所が多い。特に以下の3か所は気になって仕方がない。こんなことが気になるのは私だけだろうか。
1.「向こうから来ないなら」が「むーこから」となっていて、「婿から」または「猫から」かと思う。同じ音符に乗せるなら「むこぅかーら」の方が自然だ。あるいは「そっちから」にしてもいい。
2.「胸が張り裂けそうで」の「張り裂け」を1音に乗せているので、全く聞き取れない。
3.「YesでもNoでもいいの」も早口過ぎて、「ゲテモノでもいいの」に聞こえた。歌詞を見ながら聞くと、確かに「YesでもNoでもいいの」と辛うじて聞こえる。
無理な歌詞の乗せ方は今風なのかもしれないが、私は好きではない。歌うメンバーたちも歌いにくいのではないか。

STU48『息をする心』。
これもまたSTU48らしい、おっとりした楽曲だ。
他人に合わせるのは苦手だが、気の合う「君」に出会って、呼吸も楽になったというような歌詞。「君」のことを好きだという自覚はあるが、急ぐことなくゆっくり距離を縮めようとしている。
乃木坂46『今、話したい誰かがいる』あるいは『君の名は希望』のような世界観だ。
この歌の聴き所は、声に出して「好きだ」と言ってみていることだ。言霊というか、自己暗示というか、自分の気持ちを「好きだ」と定義づけることで、彼は気持ちが楽になっている。それはそうだろう。言葉にできない、得体のしれない気持ちを持ち続けることは苦しい。「好きだ」と声に出すことで、ああ、自分は彼女を好きだったんだと確認できて安心する。そんな瞬間のことを写し取っている歌詞だ。
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AKB48『どうしても君が好きだ』を聴く。(ときめき研究家)

2023-04-23 12:24:06 | ときめき研究家
AKB48の原点回帰というか、昔よく聴いたような楽曲だ。
イントロのギターは『言い訳Maybe』に似たフレーズがあるし、ソロの歌い出し部分は『大声ダイアモンド』のようだ。全体としても、素直に気持ちを伝えようといった『会いたかった』の世界観だ。

踏切の向こうにいる彼女に「好きだ」と叫ぶのは、松田聖子『夏の扉』で道路の向こう側から彼が「好きだよ」と叫んでいる場面を想起させられる。
2番の「もし君と出会わず生きていたなら どこを歩いているだろう」という仮定法は、麻丘めぐみ『芽ばえ』の「もしもあの日あなたに会わなければ この私はどんな女の子になっていたでしょう」という歌い出しへのオマージュだ。
そうした古典的なアイドルソングの系譜を踏むクラッシックな楽曲なのだ。

この曲を何回もリピートで聴きながら、今一つ盛り上がれない自分に気が付いた。
なぜ今、この歌なのだろう。そんな気がしてしまった。

かつてどこかで聴いたような曲であっても、今日的なときめきが感じられればそれでいい。
AKB48を17年続けてきて、彼女たちは様々な楽曲を歌ってきた。メンバーもどんどん入れ替わる中、以前歌ったような楽曲を歌ってももちろん何の問題も無い。むしろ、青春の「ときめき」と「じたばた」というような永遠のテーマを巡り、同じような内容の歌を、少しずつ変化を付けながら歌い続けてきたのがAKBグループなのだと言える。
何より踏切越しの片思いという同じ状況を歌ったSKE48『初恋の踏切』という歌まであるのだ。


同じような歌に、以前のようなときめきを感じなくなったのは、私の方に問題があるのかもしれない。
10年以上前から聴き続けているファンはもはや少なく、乃木坂とか別のグループにシフトするか、アイドルファンをやめてしまっているのかもしれない。『どうしても君が好きだ』は、そんなオールドファンなど眼中になく、今のテーンエイジャー達に向けた楽曲なのかもしれない。たぶん、そうだ。

それでも、目新しくてちょっと耳を引くのは、1番のサビ部分の歌詞の乗せ方だ。
「ずっと言いたかった 僕の想いよ」の「ぼくの おもいよ」が、音符が足りないので「ぼ・く・のお・も・い・よ」と当てはめている。「の」と「お」で1音使うのだが、母音が同じなので歯切れが悪く聞こえる。
続く「通り過ぎる電車に かき消されたって」の「とおりすぎるでんしゃ」は、「とおりすぎーるでんしゃ」と乗せているので「るで」が忙しい。
これらはきっとわざとそう乗せていて、聴いた時のちょっとした違和感を楽しませようとしているのだ。2番の同じ場所ではそういうことはなく、1音ずつ奇麗に乗っている。この趣向、私はあまり好きではないが、耳に残ることは事実で、楽曲の個性化には貢献しているだろう。

もう1つ気になるのが、エンディングだ。「生きている間にどけだけの踏切があるのだろう 言いたいことはどこからでもいいから叫べ」といったこの曲の要約を歌っている。私には蛇足に思えてならない。それでもメロディーが秀逸で、心揺さぶられるならそれでもいいが、何だか取ってつけたようなメロディーだ。私はこのパートは無くてもよかったと感じた。同じようなことを最近書いたなと思ったら、日向坂46『一生一度の恋』のエンディングにも似たような蛇足感を感じたのだった。 

『一生一度の恋』だって、青春の一度限りの夏の恋を歌って、何度も歌い尽くされたテーマだ。だけど私は激しく心揺さぶられた。『一生一度の恋』と『どうしても君が好きだ』のどこに違いがあるのか、もう少し考えてみたい。
コメント
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