渡辺麻友のAKB48卒業後の最初の大きな仕事となる主演ミュージカル。
初日を観ようかとも思ったが、平日の夜は不測の事態で行けなくなるリスクもあるため、日曜日の昼公演の切符を取った。劇場へ向かう電車の中では、自分で編集した「渡辺麻友ベスト」曲集を聴きながらテンションを高めて行った。
自分で選曲したので当然好きな曲ばかりだが、改めて渡辺麻友の歌の上手さ、それからアイドルらしい魅力的な歌唱法の多彩さと煌めきにはうっとりしてしまう。『三つ編みの君へ』の甘酸っぱくて少し苦い切なさ、『青春のフラッグ』の健気な凛々しさ(「立てた目標絶対守ろう」は私の座右の銘)、『アボガドじゃねーし』『姉妹どんぶり』での相方との絶妙のコンビネーション。これらの曲を私が死ぬまでに何十回も何百回も聴くことができる幸福を噛みしめる。
しかし、これはもう過去の渡辺麻友だ。今日からはミュージカル女優として新たな境地を見せてくれるはずだし、まっさらな気持ちでそのパフォーマンスに向き合うべきことは分かっていた。
到着した銀河劇場は、客席は約750席。3フロアーのすり鉢状になっていて、どの席からも舞台がよく見える。ドーム球場や大きな体育館とは異なり、ゆっくり演劇を楽しめる空間だ。私の席は2階ボックス席で、舞台まで20メートル程度、舞台全体を俯瞰でき、双眼鏡を使えば演者の表情まではっきり見える特等席だった。
客層は男女半々。一般的なミュージカルの客と比べると平均年齢はやや低いのだろうか。私を含め、ちょっと場慣れしていない、明らかに渡辺麻友のファンと思われる客も相当割合で含まれていた。それでも3階席の一部には少し空席があった。
上演が始まると、普通の演劇と違い、歌に合わせてテンポ良くお話が進むので、ついて行くのに精一杯になった。若干自信がないが、以下のようなお話だったと思う。
心臓に病気がある少女アメリは、刺激を与えないようにという両親の考えで、学校にも行かずいつも家の中で育った。勉強は母親が教えたが、「目的地までの半分行ってもまだ半分残っている。その半分を行ってもまだ半分残る。その繰り返しで、目的地にはいつまで経っても到着できない」という妙なパラドックスを教え込まれる。その母親を不慮の事故で亡くし、父親はそのショックで塞ぎ込んでしまう。アメリは空想の中で遊んでばかりの風変わりな少女になって行った。
やがて成年したアメリはカフェ店員として働き始め、ダイアナ妃のように周囲の人達を助けることに喜びを見出すようになる。そしてある時、ある青年に恋するが、アメリは勇気を出して直接会うことができない。まるで母親から教わったパラドックスのように。果たして二人の恋の行方は?
いろんなエピソードが詰め込まれているので、上辺だけをなぞったような消化不良の印象を少しだけ受けた。
このお話の解釈は人によってまちまちだろうが、私は「親離れ、子離れ」の物語だと受け取った。どんなに手の中で大事に育ててもやがて子は自分の力で歩いて行く。そんなお話だと解釈した。後半はほとんど父親目線で観ていた。
しかしストーリーはメインではなく、この作品では歌や踊りが中心なのだろう。フランスっぽいサウンドの楽曲の数々を、渡辺麻友はじめ演者たちが歌い踊りながら舞台は展開して行く。
たいへん失礼なことだが、はじめのうち、どの演者も歌があまりに上手く、乱れることが全くないので、もしや口パクなのではないかと疑った。しかし双眼鏡で観ると全員目立たないようなヘッドセットマイクを付けているし、間違いなく生歌だった。本当に失礼なことだ。ミュージカルというものに対する無知と冒涜だった。更に言えば、演奏はさすがに録音だろうとずっと思いこんでいたが、カーテンコールで演奏者が紹介され、生演奏だと明かされた。たいへん贅沢なエンターテメントなのだと再認識した。
そんな中に混じって、というかその中心で、渡辺麻友は堂々と歌い踊っていた。歌い方は、さっきまで聴いていたアイドル歌唱とは違い、あくまでミュージカル風の歌い方だ。1人だけ、1曲だけで完結するアイドルポップの世界と、劇の中の一部として存在、調和するミュージカルナンバー。それはTPOということで、どちらが上手い、優れているというものではないのだろう。こちらの渡辺麻友もとても魅力的だった。
何より歌が上手い。全く乱れることがなく、AKB時代も上手いとは思っていたが、より一層上達したと感じた。あるいはAKB時代のコンサートとは桁違いに長い時間練習を積んだのだろう。ミュージカル歴の長い周囲の演者に混じっても全く遜色がなく、本当に堂々としていた。思わずうるっとなった。
周囲を固めていた他の演者から見て、渡辺麻友はどう思われていたのだろうか。アイドル上がりで経験もないのにいきなり主役かという反発、あるいは羨望のような感情も無いとは言えないのではないか。しかし一方、ジャンルは違えど多くのファンを魅了して来た芸能人としてのオーラも感じられたのではなかろうか。何より、ビジネスとして考えれば、渡辺麻友主演という前提でこの作品が企画されたのであって、多くのファンを動員できる存在として認めざるをえないのだろう。そういう意味でも、渡辺麻友ファンは1回でも足を運ぶことが重要だ(6月5日まで上演中)。前田敦子や大島優子の主演映画がガラガラだったのを何回も見て来た経験からつくづくそう思う。
というのは私の杞憂に過ぎず、ミュージカル好きの人達はすんなりと渡辺麻友という新人を認め、受け入れてしまうのかもしれない。それはそれで娘を奪われた父親みたいで寂しくもあるが。
初日を観ようかとも思ったが、平日の夜は不測の事態で行けなくなるリスクもあるため、日曜日の昼公演の切符を取った。劇場へ向かう電車の中では、自分で編集した「渡辺麻友ベスト」曲集を聴きながらテンションを高めて行った。
自分で選曲したので当然好きな曲ばかりだが、改めて渡辺麻友の歌の上手さ、それからアイドルらしい魅力的な歌唱法の多彩さと煌めきにはうっとりしてしまう。『三つ編みの君へ』の甘酸っぱくて少し苦い切なさ、『青春のフラッグ』の健気な凛々しさ(「立てた目標絶対守ろう」は私の座右の銘)、『アボガドじゃねーし』『姉妹どんぶり』での相方との絶妙のコンビネーション。これらの曲を私が死ぬまでに何十回も何百回も聴くことができる幸福を噛みしめる。
しかし、これはもう過去の渡辺麻友だ。今日からはミュージカル女優として新たな境地を見せてくれるはずだし、まっさらな気持ちでそのパフォーマンスに向き合うべきことは分かっていた。
到着した銀河劇場は、客席は約750席。3フロアーのすり鉢状になっていて、どの席からも舞台がよく見える。ドーム球場や大きな体育館とは異なり、ゆっくり演劇を楽しめる空間だ。私の席は2階ボックス席で、舞台まで20メートル程度、舞台全体を俯瞰でき、双眼鏡を使えば演者の表情まではっきり見える特等席だった。
客層は男女半々。一般的なミュージカルの客と比べると平均年齢はやや低いのだろうか。私を含め、ちょっと場慣れしていない、明らかに渡辺麻友のファンと思われる客も相当割合で含まれていた。それでも3階席の一部には少し空席があった。
上演が始まると、普通の演劇と違い、歌に合わせてテンポ良くお話が進むので、ついて行くのに精一杯になった。若干自信がないが、以下のようなお話だったと思う。
心臓に病気がある少女アメリは、刺激を与えないようにという両親の考えで、学校にも行かずいつも家の中で育った。勉強は母親が教えたが、「目的地までの半分行ってもまだ半分残っている。その半分を行ってもまだ半分残る。その繰り返しで、目的地にはいつまで経っても到着できない」という妙なパラドックスを教え込まれる。その母親を不慮の事故で亡くし、父親はそのショックで塞ぎ込んでしまう。アメリは空想の中で遊んでばかりの風変わりな少女になって行った。
やがて成年したアメリはカフェ店員として働き始め、ダイアナ妃のように周囲の人達を助けることに喜びを見出すようになる。そしてある時、ある青年に恋するが、アメリは勇気を出して直接会うことができない。まるで母親から教わったパラドックスのように。果たして二人の恋の行方は?
いろんなエピソードが詰め込まれているので、上辺だけをなぞったような消化不良の印象を少しだけ受けた。
このお話の解釈は人によってまちまちだろうが、私は「親離れ、子離れ」の物語だと受け取った。どんなに手の中で大事に育ててもやがて子は自分の力で歩いて行く。そんなお話だと解釈した。後半はほとんど父親目線で観ていた。
しかしストーリーはメインではなく、この作品では歌や踊りが中心なのだろう。フランスっぽいサウンドの楽曲の数々を、渡辺麻友はじめ演者たちが歌い踊りながら舞台は展開して行く。
たいへん失礼なことだが、はじめのうち、どの演者も歌があまりに上手く、乱れることが全くないので、もしや口パクなのではないかと疑った。しかし双眼鏡で観ると全員目立たないようなヘッドセットマイクを付けているし、間違いなく生歌だった。本当に失礼なことだ。ミュージカルというものに対する無知と冒涜だった。更に言えば、演奏はさすがに録音だろうとずっと思いこんでいたが、カーテンコールで演奏者が紹介され、生演奏だと明かされた。たいへん贅沢なエンターテメントなのだと再認識した。
そんな中に混じって、というかその中心で、渡辺麻友は堂々と歌い踊っていた。歌い方は、さっきまで聴いていたアイドル歌唱とは違い、あくまでミュージカル風の歌い方だ。1人だけ、1曲だけで完結するアイドルポップの世界と、劇の中の一部として存在、調和するミュージカルナンバー。それはTPOということで、どちらが上手い、優れているというものではないのだろう。こちらの渡辺麻友もとても魅力的だった。
何より歌が上手い。全く乱れることがなく、AKB時代も上手いとは思っていたが、より一層上達したと感じた。あるいはAKB時代のコンサートとは桁違いに長い時間練習を積んだのだろう。ミュージカル歴の長い周囲の演者に混じっても全く遜色がなく、本当に堂々としていた。思わずうるっとなった。
周囲を固めていた他の演者から見て、渡辺麻友はどう思われていたのだろうか。アイドル上がりで経験もないのにいきなり主役かという反発、あるいは羨望のような感情も無いとは言えないのではないか。しかし一方、ジャンルは違えど多くのファンを魅了して来た芸能人としてのオーラも感じられたのではなかろうか。何より、ビジネスとして考えれば、渡辺麻友主演という前提でこの作品が企画されたのであって、多くのファンを動員できる存在として認めざるをえないのだろう。そういう意味でも、渡辺麻友ファンは1回でも足を運ぶことが重要だ(6月5日まで上演中)。前田敦子や大島優子の主演映画がガラガラだったのを何回も見て来た経験からつくづくそう思う。
というのは私の杞憂に過ぎず、ミュージカル好きの人達はすんなりと渡辺麻友という新人を認め、受け入れてしまうのかもしれない。それはそれで娘を奪われた父親みたいで寂しくもあるが。