AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

筒美京平を偲んで2。『教科書に載せたいアイドル史の100曲』以外の名曲たち。(ときめき研究家)

2020-10-25 13:20:06 | ときめき研究家
私が選んだ『教科書に載せたいアイドル史の100曲』に、筒美京平作曲の作品は12曲含まれていた。
しかし、それ以外にも素晴らしい楽曲は沢山ある。

榊原郁恵『ROBOT』(1980年)。
榊原郁恵は私が最初に好きになったアイドルだ。
ホリプロスカウトキャラバンの初代優勝者。1977年のデビュー後、順調にヒット曲を重ね、2年目の『夏のお嬢さん』が代表曲となる。『100曲』でも当然その曲を挙げている。その後、好感度の高いタレントとして2020年の現在まで活躍を続けているが、アイドルとしては『夏のお嬢さん』のピークを越えることはなかった。
『夏のお嬢さん』後も、様々なタイプの楽曲を出し、試行錯誤を続けたが、大きなヒットはなかった。
そんな中の1曲が筒美京平作品の『ROBOT』である。テクノポップを取り入れた革新的な楽曲。ロボットをイメージするような銀色の超ミニのタイトスカートで、カクカクした振り付けで歌っていた。興味深いチャレンジだったが、時代がこの曲に追いついていけなかったからか、大ヒットとまでは行かなかった。アイドルファンの間では評価が高く、『レコードコレクターズ』2014年11月号の「80年代女性アイドルソングベスト100」では28位にランクインしている。

小泉今日子『半分少女』(1983年)。
『100曲』では『なんてったってアイドル』を挙げているが、小泉には筒美京平作品が多い。
小泉のデビュー年は迷走していた。『私の16才』『素敵なラブリーボーイ』とカバー曲が続き、オリジナルの『ひとり街角』『春風の誘惑』もどこか古めかしい楽曲だった。ファーストアルバムでは少女漫画とのタイアップもしていた。スタッフは、小泉で古典的なアイドル像を追求していたのだと思われる。実際、可愛らしいルックスと、地声を押し出すような拙い歌唱など、古典的なアイドルとしての高い資質を備えていたことは事実だ。1年目の楽曲も私は好きだ。
ブレイクスルーが起きたのは初の筒美京平作品『真っ赤な女の子』だった。実験的な楽曲を与えられ、「聖子カット」の髪を短く切り、新たなアイドル像であるオリジナリティのある「コイズミ」または「Kyon2」が降臨した。
それに続いて発売されたのが『半分少女』だ。一見するとまた古典的な路線に回帰したようにも思えるが、1年目とは似て非なるもの。「コイズミ」化した彼女が歌うと、爽やかな風が吹くような新鮮さを感じる。1年目のスタッフが追求した普遍的な「アイドル的なもの」と、『真っ赤な女の子』で現れた革新性が融合され、「古くて新しい」境地を切り拓いて見せた会心作だと思う。前出の『レコードコレクターズ』でも40位にランクイン。小泉今日子の楽曲では4番目だ。
次の『艶姿ナミダ娘』(これは筒美作品ではないが)と合わせたガール3部作(女の子→少女→娘)は、小泉今日子の様々な可能性を示した金字塔である。
それにしても、小泉の歌唱は何年経っても上手くならない。ミュージシャンではなくアイドルなのだ。それが素晴らしい。

守谷香『あの空は夏の中』(1987年)。
守谷香は松竹レインボーガールで、実はTBS『ザ・ベストテン』にランクインしたこともあるのだが、一般的な知名度は低い。むしろアイドルとしての活動を終えた後、X-JAPANのTOSHIとの結婚、宗教団体への傾倒でゴシップを提供した。
デビュー曲の『予告編』、2曲目の『あの空は夏の中』は、筒美京平作品であり、アイドルポップの真髄と言うべき名曲だ。特に『あの空は夏の中』は、銀色夏生作詞で、さり気ないエピソードの中に甘酸っぱい初恋の香りが漂う佳曲である。後に銀色夏生の詩集のタイトルにもなっていたくらいなので、自身も気に入っていたのだろう。
筒美京平の楽曲も負けていない。筒美作品はポップな楽曲が多い印象があるが、この曲はフォークソング調で、幼く淡い感情を乗せるのにマッチしている。しかし決してベタベタしておらず、湿度の低い爽やかな曲調だ。浅田美代子『赤い風船』とも似たトーンだ。こういう作品も書けるのが、彼の引き出しの多さだろう。
守谷の歌唱も絶品。幼くたどたどしい歌唱は楽曲にぴったり。単に拙いだけではなく「下手の醸し出す良さ」を引き出されていて、正にアイドルの真髄だ。
松竹レインボーガールなのに映画主演もなく、子供向けテレビ番組『世界はじめて物語』のお姉さん役をしばらく務めていた。後に『失恋座』という至高の名曲も出している。教科書には載らないかもしれないが、忘れられないアイドルの1人だ。
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筒美京平を偲んで。『教科書に載せたいアイドル史の100曲』に何曲あるか?(ときめき研究家)

2020-10-14 16:35:08 | ときめき研究家
筒美京平が亡くなった。彼の業績に関しては充分報道されているので、改めて書くまでもないだろう。
しかし、私がかつてこのブログに掲載した『教科書に載せたいアイドル史の100曲』に、彼の作曲した作品が何曲含まれているか興味があったので検証してみた。

『教科書に載せたいアイドル史の100曲』その1(70年代)

『教科書に載せたいアイドル史の100曲』その2(80年~82年)

『教科書に載せたいアイドル史の100曲』その3(83年~87年)

『教科書に載せたいアイドル史の100曲』その4(88年~2010年)

100曲のうち、筒美京平作曲は以下の12曲だった。

南沙織『17才』
麻丘めぐみ『私の彼は左きき』
浅田美代子『赤い風船』
太田裕美『木綿のハンカチーフ』
岩崎宏美『ロマンス』
松本伊代『センチメンタルジャーニー』
小泉今日子『なんてったってアイドル』
早見優『夏色のナンシー』
三井比佐子『月曜日はシックシック』
斉藤由貴『卒業』
本田美奈子『1986年のマリリン』
田村英里子『ロコモーションドリーム』

もっと多いのではないかと思っていたが、12%でも充分高い占率だ。
2番目に多かったのが後藤次利の6曲。おニャン子関係の4曲で稼いでいる。
3番目は、森田公一、都倉俊一、松任谷由実がそれぞれ4曲ずつだ。

『教科書に載せたいアイドル史の100曲』は、客観8割・主観2割で選定しているが、アイドル史上重要な100曲だと考える。この100曲だけを見ても、筒美京平作品の圧倒的な高占率を実証できていると思う。

一方で、山口百恵、松田聖子、中森明菜といったトップアイドルには書いていないのも特徴的だ。それぞれ事情もあったのだろうが、彼女たちが筒美京平先品を歌うのも聴いてみたかった気がする。

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松田聖子のアルバム曲ベスト10。(ときめき研究家)

2020-10-10 18:44:13 | ときめき研究家
松田聖子がデビュー40周年ということで、先週はシングルベスト5の記事を掲載した。
今週はアルバム曲を振り返りたい。曲数が多いのでベスト10としたい。順番はなく、発売順に。

『スコール』(1stアルバム『スコール』収録)
ドラマチックな楽曲だ。アルバムの中の1曲と言うより、1篇の映画のような楽曲だ。
イントロなしで聖子のスローな歌い出しから始まり、すぐにテンポアップして派手なロックンロールが繰り広げられる。パワフルで伸びやかな聖子の歌唱が、歌姫の登場を自ら祝福している記念すべき1曲だ。

『オンリーマイラブ』(2ndアルバム『ノースウインド』収録)
長い間コンサートのラストに歌われていた歌。「あなたと今この道歩いて行きたい」という歌詞はファンへのメッセージにもなっている。『赤いスイートピー』で「同じ青春走って行きたいの」と歌う2年前から歌っていたのだ。

『いちご畑でつかまえて』(4thアルバム『風立ちぬ』収録)
アルバムのA面5曲は大瀧詠一作品で占められ、5曲どれも個性的な作品だ。迷ったが遊び心満載のこの曲を選んだ。「母親からの恋の手ほどき」というアイドル定番テーマで、風変わりだが可愛らしい作品に仕上げている。サリンジャー起源の「〇〇畑で・・・」というタイトルは、その後何人かのアイドルが踏襲した。ダリア、たんぽぽ、ポップコーン。私が思い出せるのはこの3つ。

『ひまわりの丘』(5thアルバム『パイナップル』収録)
ひと夏の恋と別れを描いた歌。そう書いてしまうと月並みだが、月並みに感じさせない聖子のドラマチックな歌唱に魅せられた。この曲をモチーフに小説まで書いてしまったほどである。

『マイアミ午前5時』(7thアルバム『ユートピア』収録)
この歌もひと夏の恋と別れを描いた歌。『ひまわりの丘』は国内の海辺の町が舞台だったが、この歌はマイアミだ。午前5時にタクシーで空港に向かう直前の別れの情景が切ない。後にサンミュージックの後輩、北岡夢子がシングル曲としてカバーした。

『ピーチシャーベット』(7thアルバム『ユートピア』収録)
シャイな男の子を誘惑するパターンは聖子の得意とするところだが、この曲が一番好きだ。プールの帰りに2人でピーチシャーベットを食べているという状況がいい。一緒にプールに行っている時点でもう両想いのはずだが、直接的な一言がほしいのが女の子なのだとこの曲で学んだ。

『シルバリームーンライト』(8thアルバム『カナリー』収録)
プロポーズされたが「友達のままでいたいの」と拒絶する歌。その理由は「今は自由に生きたい」からという抽象的なもの。夢を叶えるために1人旅立つというアルバムタイトル曲の『カナリー』とは似て非なる設定だ。釈然とはしないが、静かな決意が伝わる厳かな曲だ。

『時間旅行』(13thアルバム『スープリーム』収録)
空港で偶然すれ違った昔の恋人と、一瞬視線を合わせただけで時間旅行するというセンチメンタルな曲。情景がありありと浮かび、胸が締め付けられる。

『瑠璃色の地球』(13thアルバム『スープリーム』収録)
コロナ禍で改めて注目を浴びた歌。人類愛、地球愛を歌い上げた壮大なバラード。

『ペーパードライバー』(32thアルバム『永遠の少女』収録)
長い間アルバムを購入していないブランクがあって、ふと思い立って買ってみたアルバムで発見した名曲。ペーパードライバーの彼女は、運転に必死で、助手席の彼には「怖いなら降りて」と冷たい。コミカルな歌詞だが「ぶりっ子」聖子の本領発揮でときめいた。年齢は関係ない。

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松田聖子がデビュー40周年。(ときめき研究家)

2020-10-04 18:34:41 | ときめき研究家
松田聖子がデビュー40周年ということで、記念アルバムを出し、テレビ出演が続いた。NHKの特番とフジの「ミュージックフェアー」を観た。

1980年『裸足の季節』でデビューして、2曲目の『青い珊瑚礁』で早速トップアイドルとなった。その後年間4枚のペースでシングルを出し続け、オリコン連続1位の記録を作った。
私がシングルを欠かさずに購入していたのは1985年の『ボーイの季節』まで。その後、アメリカ進出や、結婚・出産などを経ても、ほぼブランクなく今日まで活躍を続けているのは驚異的だと思う。

せっかくなので、松田聖子シングルベスト5を選定してみた。
特別番組でも過去の映像を沢山流していたが、どの曲も懐かしい。当時は歌番組も多くて、3カ月ずっと聞き続けていると飽きてきてあまり好きではない曲もあったのだが、時間が経って聴くと、どの曲も素晴らしい曲に思えるのは不思議だ。
ほとんどの楽曲が松本隆作詞、そして作曲は彼の懇意のミュージシャンたちが入れ代わり立ち代わり参入した。創造されたのは、革新性と大衆性を兼ね備えた作品ばかり。そしてそれらの曲を事も無げに歌う聖子は天才であり、間違いなく稀代のアイドルだった。

ではシングルベスト5。記載は発売順。

『夏の扉』。
この曲までは松本隆作詞ではない(三浦徳子作詞)。作曲は財津和夫。デビュー2年目の聖子の伸びやかな歌唱を存分に楽しめる曲だ。道路の向こうから「好きだよ」と叫ぶ彼の非常識な衝動は、ANB48の『大声アイアモンド』の源流。
この年のNHK紅白歌合戦への出演時、本当に「髪を切っ」て現れた聖子に驚いた。

『赤いスイートピー』。
呉田軽穂(ユーミン)作曲の、一般的な人気も高い曲だ。男性ファン中心だった松田聖子に、この曲で女性ファンが増えたと言われている。男性ファンとしても「知り合った日から半年過ぎても手を握らない」奥手の彼にシンパシーを感じた。
B面の『制服』も切ない卒業ソングの名曲。

『天国のキッス』。
細野晴臣作曲の軽快な曲。海でふざけ合って溺れかけている不謹慎なカップルの歌なのだが、あまりに幸福そうなので祝福してあげたくなる。
B面の『わがままな片想い』はテクノポップ風で可愛らしい歌。

『ガラスの林檎』。
細野晴臣作曲の地味な曲。しかし、秋の夜長の静謐な空気を感じさせる厳かなサウンドと清らかな歌唱には心洗われる。
B面(後に両A面扱いになった)は有名な『SWEET MEMORIES』。

『瞳はダイアモンド』。
ユーミンの作曲。失恋の歌なのだが、凛とした歌唱のせいで、そうだとはすぐには気が付かない。しっとりとした聖子の歌唱が最高潮。
両A面扱いのカップリング曲は『蒼いフォトグラフ』。テレビドラマ『青が散る』の主題歌。

次点として大瀧詠一作曲の『風立ちぬ』を加える。
グリコのCMソングで、アイドルの秋らしいシングルという発注に忠実に従っていながら、どこからどう聴いても大瀧詠一が自分の趣味を前面に出している曲だ。これが「革新性と大衆性の両立」の典型だ。


しかし振り返ってみると、私がアイドルとして松田聖子を鑑賞し続けていた期間は6年くらい。AKB48を鑑賞し続けているのは既に13年になる。松田聖子の2倍以上だ。
メンバーが新陳代謝するグループアイドルというのは長く鑑賞し続けられるという長所があることを再認識した。
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秋元康の指原莉乃に対する評価 (総選挙分析ライター)

2020-10-02 21:50:00 | 分析系 メンバー
筆者は長く組織人をした経験から組織を動かすキーマンがそのメンバーに対してどういう評価をしているかを追うことによってそのメンバーの組織における位置づけや重要度合がわかると考えており、指原莉乃に興味を持った2011年からAKB48Gのキーマンである秋元康氏(総合プロデューサー)が指原に対してどういう発言、評価をしているかを早くから注目してきた。

今回、秋元氏の指原に対する発言や指原に対する評価を多少細かく拾ってみて、時系列に並べてみるとAKB48Gが生んだ不世出のアイドル指原莉乃の成長過程が総合プロデューサーの秋元氏からどう見えたのかを辿(たど)ることができて非常に興味深い。

指原は2007年にAKB48に合格しているが、その時のオーディションではAKB48の総合プロデューサーである秋元氏の目には全く留まらず、「この子は絶対に来る」というような”選ばれた人”ではなく、one of themのメンバーとしてスタートしている。

それが、『週刊AKB』のバンジージャンプで再チャレンジしても飛べず「ヘタレ」と呼ばれたところから次第に秋元氏の注目を惹き、ブログの面白さと「週刊プレイボーイ」の初ソログラビア「さしこのくせに生意気だ」のネーミングで指原にファンが増え始めると指原のキャラクターと才能に魅力を感じ始めたようだ。秋元氏はこのころから指原に「チャンスの順番」を回すようになり、その後秋元氏自らが”指原推し”を公言し強力に指原を売出すようになった。

ところが2012年6月の文春スキャルダルにより指原は秋元氏からHKT48への移籍を申し渡され「AKBで一番期待に応えないメンバー」とまでこき下ろされるのだが、指原は移籍先のHKTで指導力、トーク力、プロデュース力等を発揮し、それを見ていたファンの応援により奇跡の”復活”を果たす。

当時圧倒的な人気があった大島優子をファンが推しあげた指原が破って総選挙1位になった時、AKB48は新しい時代(第2章)に入ったのである。

そして、秋元氏は”復活”後才能を飛躍させていく指原に対して驚きを持って「天才」、「悪魔」、「無双」、「怪物」、「超越」、「最強」という最大級の賞賛を贈っている。

最近、秋元氏は指原を「面倒くさすぎる」と評しているが、指原が自らを「超え」、自らの手を離れて独り立ちしていく寂しさがそういうアンビバレントな発言になったのかもしれない。



以下 秋元康の指原莉乃評
<2007年10月AKB48第2回研究生オーディション合格>
「オーディションでは(指原のことを)全然覚えていない。」・・・2012年9月29日発行劇場版ミューズの鏡マイプリティドール

<2009年10月『週刊AKB』でバンジージャンプに再チャレンジするも飛べず>
「(指原の「ここが光る」と感じたのは)やっぱり『週刊AKB』のバンジージャンプのとき。飛べないのはよくあることですが、スタッフがもう一度チャンスを作って特集をしたのにまた飛べなかった。そんなところがキャラクターとして面白いなと思いましたね。ただ、その時点でも、まだ彼女にポストイットを付けたくらいでした。」・・・2012年9月29日発行劇場版ミューズの鏡マイプリティドール

<2010年4月ブログ「指原クオリティー」開設>
「(指原のブログは)センスがいいなと思った。最初の日のブログが道端にネギが落ちていた話でそんなところに目をつけるアイドルはいないから」・・・2013年8月4日発行日経エンタテインメント「秋元康が語る指原莉乃が愛される理由」

<2010年5月「週刊プレイボーイ」で初ソログラビア「さしこのくせに生意気だ」>
「指原にとっての恩人は「さしこのくせに」というグラビアを雑誌で企画してくれた編集者だと思う。指原がまだそれほど人気がない頃だったが、それが面白かった」・・・2012年9月29日発行劇場版ミューズの鏡マイプリティドール

「指原が「『ヘビーローテーション』のMVに2.5秒しか映ってないんです」って主張してきたので、「さしこに名前を変えたら?」と言ったら、『ヘビーローテーション』のテレビスポットに1本だけ「さしこ改名」というネタを入れることになった。でも、彼女自身は、乗り気でなかった。いじられて目立つのではなく、正統派アイドルとしてセンターに立ちたい気持ちがあったんじゃないか」・・・130804日経エンタテインメントP64

僕はこの『期待されないところから意外にいいんじゃない?と見直させるエネルギー』を“さしこ力”と名付けた。今の日本に必要なのはこの“さしこ力”なのではないか?」・・・2010年9月25日発行雑誌「WiLL」2010年11月号

<2010年12月ブログ1日100回更新>
「だいたいあんまりしゃべる奴はセンターになれない。昔から売れるアイドルですごくおしゃべりな人はいない。そこに指原は果敢にもいどんでくる。・・僕は指原に真顔で勧めているのは放送作家にならないか。ブログがすごくおもしろい。書くことにすごく力がある。・・たぶんあと何年かしたらAKBの裏方として番組の構成とかやっている」・・・2010年12月6日インセプションアワード(注1)

<2011年1月初の冠番組『さしこのくせに』放送開始>
「それ(「週刊プレイボーイ」の「さしこのくせに」というネーミング)が面白かったのでTBSでも同じタイトルの番組をやらせてもらった。それほど人気がないくせに冠番組を持ってしまう」・・・2012年9月29日発行劇場版ミューズの鏡マイプリティドール

「3列目に指原莉乃という子がいる。「さしこ」というあだ名で大ブレークした。最前列のスターよりファンが多い。ファンが「後列の人たち、頑張れ」とこの子を応援した。僕はこれを「さしこ力」と呼ぼうと。期待されない時に人は力を出すということ」・・・2011年1月4日讀賣新聞 (注2)

<2011年6月AKB48第3回総選挙9位>

<2011年6月 渋谷109シリンダー広告 指原巨大写真掲載>

「(指原は)企画もの、本流ではなく後ろから這い上がって来た、AKBの中の珍味担当」・・・2011年8月21放送「EXILE魂」(注3)

<2011年10月『笑っていいとも!』レギュラー出演>
指原地味ですから。指原は一番最初にミュージックビデオに出しても映らない、監督が指原を映さない。指原は忘れられている。今は「いいとも」に出してもらって人気急上昇中なのに2月に出すミュージックビデオをこないだ見たら全然映っていない。なんか背後霊のように見えるのかな。そこがファンの皆さんがさっしー頑張れと言ってくれているところではないか。投票で指原9位ですよ。タモリさんから見ても指原地味でしょう。本人はもともと大分出身で、ハロプロ、アイドルが大好きで「私(指原)もいけるのではないか」とちょっと自信があったらしい。大分ではハロプロの女の子のファンで、かわいい子がいるらしいということで、けっこう有名だった。それで指原はいけるんじゃないかと思ってAKBのオーディション受けに来て、周りにいっぱいかわいい子がいてだんだん落ちていく。いわゆる少年野球の時にけっこういけたが、野球の進学校に行ったらちょっと後退する感じ。でもそれが指原の奇跡ですから。びっくりです。最近オーディションやると若い12、13歳の子が将来の目標は誰ですかと聞くと「指原さん」と答える。びっくりですよ。目標指原、「ちっちゃー」て感じでしょう。でもかわいいですよ、指原は」・・・2011年12月23日「笑っていいとも」(注4)

<2012年1月初主演ドラマ『ミューズの鏡』放送開始、1stフォトブック「さしこ」発売>

僕はAKBの中では指原莉乃を推している」、「指原莉乃は見事にダメ、結果を出さない奴。「イヤーしゃべれませんでした」あのヘタレ感が勇気づけられる。指原の全然ダメ感が日本を元気にする。あいつだってがんばってるんだから。あれは凄いですよ。指原って」・・・2012年1月2日「NKH新春TV放談2012」(注5)

「業務連絡。指原、どう?どんな感じ?」「指原は、衣をつけられ、油の中で揚げられる天ぷら。他の天ぷらと同じ温度だ。頑張れ!職人の手に委ねろ。」「指原、自信持て!今回の天ぷらは指原が海老なのだよ。さつまいものふりをしなくていい。すごく素敵な共演者は白いご飯だ。海老らしく、堂々としろ。」・・・秋元康 Google+ 120106(注54)

AKB48とは指原莉乃の”奇跡”のことである」・・・2012年1月19日発行1stフォトブック「さしこ」

期待に応えないところが指原の才能」、「指原って、自分の大きさがわからなくて、結局、手前で止まっちゃうかもしれない」
指原は指原のベストポジションで全力投球するしかない。わかったら、指原の中の前田敦子を全部、捨ててしまえ! 」・・・2012年1月19日発行1stフォトブック「さしこ」指原莉乃×秋元康対談

<2012年5月『それでも好きだよ』でソロ歌手デビュー>
「指原が号泣していると言うので話を聞きに行った。……そりゃあ、泣くわな。う~ん、「次、頑張ろう!」としか言えなかった。……指原らしい展開だ。大丈夫。話しているうちに元気になったよ。ファンのみなさん、心配しないで。さしこは泣きながら、うにスパゲティーを食べていました。」・・・2012-05-03秋元康(Google+)(注52)

<2012年6月AKB48第4回総選挙4位、HKT48へ移籍、日本武道館で「ゆび祭り」開催>
指原がそういうふうに(AKBを応援してくれるファンに対して)誤解されるような行動をとったわけだから。何もなくスルーすると、指原だけに甘いのかという声も出てくるし、あるいは指原、反省しているのかとなるし、かといって指原が全面的に悪いわけでもないし、すごい難しい。で、いろいろ考えました。ちゃんとAKBのためにがんばってもらわなければいけない と思ったので。指原は、できるだけ早く、HKT48に移籍します。博多のメンバーは、まだ、一期生しかいないし、どうしていいかわからない。そのひとたちといっしょにHKTを盛り上げて、だから、指原はできるだけ早く、博多に引っ越して、博多に住んでHKTの活動をしなさい!レギュラーの「笑っていいとも」のときには東京に帰ってきて出るのもかまわないし、他の番組に出るのもかまわない。だけど、籍はHKT48。だから、これから番組に出るときも「HKT48の指原莉乃」です。もしかしたら、一期生で何もわからない子たちが指原と同じようにどこかで誤解されるような行動をとる可能性がある子たちに、そうじゃないよとかこういうふうになるとそういうふうに見えちゃうよということを指導しつつAKBのためにがんばってもらうのが良いんじゃないか。だから君は明日からHKT48の指原莉乃です」・・・2012年6月15日ANN(注44)

「ファンのみなさんにせっかく4位にしていただいた指原ですが、どこまで“ヘタレ”なのでしょう。肝心なこの時期に…。でも、それが指原なのです。そのうちにグループ最強のHKT48を率いてやって来るかもしれません。あるいは、グループ最強のHKT48に紛れてやって来るかもしれません。AKBで一番“期待に応えないメンバー”指原莉乃を温かく見守ってやってください」・・・2012年6月16日秋元康Google+(注6)

指原は頑張る象徴、日本中の希望、期待の星」、「(西部ドームコンサートで)満身創痍の前田敦子が、僕らは病院に行かせろと言っているのに、立ち上がってふらふらと来て、フライングゲットのイントロのところから立ち上がると、笑っているんだよね。それが前田敦子のスター性。指原はそれがない。だから指原伝説をもう一回博多でつくらないと」、「指原は無理難題をやればやるほど良い。だから寒ブリみたいなもん。冷たい海流の中を、泳げば泳ぐほど、身が締まって脂が乗ってくる」・・・2012年6月17日 ラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」(注7)

「僕(秋元)は”指祭り”が心配でブーイングが起きたらどうしようとか、指原自身が思うところがあったらどうしようと。指原が出てきてイントロで普通ならお騒がせしました、博多に行っても頑張りますと言うと思った。そうじゃないんですよ。イントロが出たら「莉乃ちゃんコールでお願いします!」 と言った。(指原は)おかしいでしょ。人として」・・・2012年7月ごろTVで(注9)

「HKTの今後の起爆剤となるには、指原みたいな、ある種ヘタレでずうずうしくてダメダメなやつが孤軍奮闘すると思う。そういう意味では指原自身が相当頑張らなければならないので楽しみだと思います。・・指原が(HKTに)来ることによって、メンバーも身構えますし、ファンの皆さまも身構えますし、それから指原自身も身構えると思います。その何か緊張感がたぶん今後のHKTに必ず良い結果を残すと思います。今も指原は今までで一番真剣なくらいレッスンをしていますのでおもしろいんじゃないかと思います。・・博多の皆さん、すでにお聞き及びだと思いますが、指原莉乃がHKTに移籍ということになりました。もちろん、裸一貫でこれから皆さまのご理解をいただいて全力で頑張ると思います。あのヘタレ、ダメダメな、本当にダメなやつですが一生懸命にやるところが指原莉乃の良いところだと思います ので、是非応援してあげてください。」・・・2012年6月25日RKB毎日放送「今日感テレビ」インタビュー(注8)

<2012年7月HKT48劇場デビュー>
「(指原は)日本中の元気の象徴になれば良い。スキャンダルとか人生色々な事があるけれども頑張れば報われるようにしてあげたい」・・・2012年7月5日指原莉乃HKT48劇場デビュー前会場付近でのTVインタビュー

指原はもっと図々しくないと、打たれないと、ヒールで」・・・2012年7月8日 今日は一日"AKB"三昧 IN 東京ビッグサイト (注28)

<2012年9月初主演映画「ミューズの鏡」公開、2ndシングル「意気地なしマスカレード」発売>
「(指原の魅力は)誰にでもチャンスがあると感じさせてくれるところ。そこから誰もが勇気をもらえる
「(指原の演技は)下手だと思う。でも、それでもいいんです。演技がうまい人はいっぱいいますから。”指原は指原でしかない”わけで、そういった存在感を持っている人はなかなかいない。おまけに今回はその勢いだけで”さしこのくせに”映画に主演までしてしまった。でも、そんな未完成な部分が面白い
歌はうまい。声もアイドル声でいい声、でも歌っているときの顔は憎たらしい。今回の主題歌「意気地なしマスカレード」も指原だから真っ当じゃつまらない と思っています。「それでも好きだよ」のときは、乃木坂46のシングルと同時発売だったんですが、今度はなにをしようかと考えているところです」・・・2012年9月29日発行劇場版ミューズの鏡マイプリティドール

<2013年3月 HKT48 1stシングル「スキ!スキ!スキップ!」発売>
「(2013年は)指原みたいなのがどうなるか。HKTは来年(CD)デビューするけれど、そこをどう引っ張って、その勢いをどう自分に持ってきて選挙を戦うか。・・あのコはバカじゃないから、九州地区は全部取ったんだってふうになるんじゃないかな」・・・2013年2月1日発行GQ JAPAN 2月号 対談:秋元康と宇野常寛 P74

<2013年4月HKT48劇場支配人を兼任>
今年から指原に劇場支配人を兼任してもらっている。指原が一番、劇場のことをよく分かっているし、最強のグループにしようとしている。アイツ(指原)は雑誌の編集長にお願いして(HKT48の)これから伸びる子たちを出してくれと。若手に声をかけて、懇切丁寧に指導するのも、自分が天才じゃなくて、そのコたちの気持ちがわかるからこそですね。聞いた話ではHKT48メンバーが「私に入れないで指原さんに1票入れてください」と言ったと。着々と指原派閥を作り出している感じ」・・・2013年8月4日発行日経エンタテインメント「秋元康が語る指原莉乃が愛される理由」

指原は田中角栄的な派閥を作ろうとしている。いろんなところで芽が出そうな子をすごくかわいがる」・・・2013年5月26日めちゃ×2ユルんでるッ! (注10)

<2013年5月 SKE48松村香織ソロデビュー曲をプロデュース>
「SKE48終身名誉研究生の松村香織がソロデビューをするので、指原がプロデュースをしてやってくれ。アイドル大好きな指原だからこそ、松村の魅力を引き出せ。曲を決めて、アレンジを発注して、指原が歌詞を書くんだ」・・・フジテレビ「映像センター」130513(注53)

<2013年6月AKB48第5回総選挙1位>
「”指原莉乃”という名前はご存知だろうか? 彼女は、6月4日の「AKB48総選挙」で1位当選を果たしたアイドルである。その17日前に投票速報が発表された時、感想を求められた僕は「校内マラソンで初めの1週目だけ全力で走って、2週目からどんどん順位を落とす奴っているでしょう?」と冗談で言っていたくらい意外だった。AKB48には、大島優子というかつての前田敦子と人気を二分していたエースと、次世代のセンターを担う渡辺麻友がいて、そのどちらかが1位だろうというのが大方の見方だったからである。「まあ、速報だからね」。 誰もが最終的には入れ替わると思っていた。ところが、開票当日、番狂わせがあった。トップスリーに大島優子、渡辺麻友、そして指原莉乃が残ったのである。さらに、3位に渡辺麻友が発表され、1位、2位は大島優子か指原莉乃になった。 「まさか」。 僕の近くにいたスタッフがぼそっとつぶやいた。 「第2位 AKB48チームK 大島優子」の発表を聞いて、イベント会場の日産スタジアムの7万人の観客はどよめいた。と同時に笑いも起こった。 「ということは、1位は指原?」 誤解しないでいただきたいのは、指原が1位になっては困るということではない。むしろ、それだけの票を集めたのだから、堂々の1位だ。 指原のファンの皆さんのおかげだ。オーバーに言うと、「人生って捨てたもんじゃないな」と僕は思った。 持ち前のへたれキャラ(何をやってもダメな感じ)が受けて、去年の総選挙で4位に急浮上した指原は、スキャンダルでAKB48からHKT48へ移籍(左遷ではなく、まだ立ち上げたばかりのHKT48で汗をかかせようと思ったため)。ところが、その後、スキャンダルにもまれながらも、希望を失わず、初めは受け入れてもらえなかった博多に一人で住んで、HKT48のメンバーやファンの皆さんに少しずつ認めてもらうのだ。そして、指原より若手がセンターを務めるHKT48のデビュー曲をいきなり1位に導くのだ。また、出身地の大分市を大切にしていることも支持を得たのだろう。 要するに、大島優子や渡辺麻友にはなれないけど、指原莉乃にならなれるかもしれない。あんなへたれでスキャンダルまで犯しても、あきらめずに頑張れば”敗者復活戦”があるんだ。そんな夢を見た皆さんが指原に投票してくれたのではないかと思う。こんなストーリーが生まれるのがAKB48なんだとほっこり感動しながらも、AKB48の総合プロデューサーとしては、指原センターでどんな曲を作ればいいのか?とちょっと悩む。」・・・2013年6月30日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話)(注29)

「指原莉乃の総選挙1位」総選挙の開票結果驚いた。と、同時にAKB48にとって新しい時代の到来を感じた。」・・・2013年12月22日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話)(注33)

指原が(大島)優子に勝った時にすごいなと、すごい時代が来たと思った。あれはやっぱ新しい時代のAKBだと思う」・・・2016年3月12日AKB48SHOW たかみな(前)総監督のお説教部屋(注42)

後悔はしないが、小さな反省はいつもしている。最新の反省はさしこが1位になったこと。次のシングル、どういう曲を作ればいいのか・・・・ 」・・・2013年6月12日TOKYO FMのラジオ番組『ジャパモン』~小山薫堂×秋元康対談~

ソロまで要求する? 」・・・2013年6月21日TOKYO FMのラジオ番組『よんぱち 48 hours ~WEEKEND MISTER~』(注30)

「前田敦子は世の中に1%しかいない先天的なスター。99%側の指原は地味な努力の積み重ねで少しずつ前に進むしかない。でも彼女が出世していくのを、みんなが「私の代わりに頑張ってくれている」と重ねながら見られるところに、魅力がある」・・・2013年8月4日発行日経エンタテインメント「秋元康が語る指原莉乃が愛される理由」

次のプロデューサーは指原莉乃か岩崎しかいない」・・・2013年11月1日ニコニコ生放送「秋元さん、いらっしゃい!」(注11)

指原は選曲感覚が鋭い」・・・2013年12月20日発売「月刊AKB48グループ新聞」(注12)

「今年もあと9日で終わる。今年のAKB48を振り返り、10大ニュースを考えてみた。・・3位「指原莉乃の総選挙1位」総選挙の開票結果驚いた。と、同時にAKB48にとって新しい時代の到来を感じた。「こういうのもありなのかなあ」と、勉強になった。2位「恋するフォーチュンクッキー」のヒット ありがたいことに、この曲はAKB48のエバーグリーンとなった。みなさんが踊った映像がアップされたYOUTUBEも人気だった。1位「六本木カニ鍋置いてけぼり事件」 2013年を振り返って、僕にとって衝撃的だったのはこの事件しかない。圧倒的1位だ。詳しく説明したいのだが、スペースの関係で書ききれない。次回、2014年に報告したいと思う。」・・・2013年12月22日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話)(注33)

お前(指原)さ、このまま残すと、俺(秋元)は1人でカニ鍋食べんのか? 」・・2013年12月25日ANN(注34)

<2013年12月 1st写真集「猫に負けた」発売>
『帯原稿を書いてください』と言うから、『自分で書けよ』と答えたら、本当にいくつか書いて来た。自分で帯を書くアイドルなんて指原くらいだろう」・・・2013年12月30日発行指原莉乃写真集 「猫に負けた」

「(大島優子が抜けて)「しめた」と考えるのは指原くらいだと思う。指原はAKB48のパワーがダウンしようが、自分がそこの中心でありたい人」・・・2014年1月4日発売AERA「秋元康・大島優子対談」(注13)

<2014年1月HKT48九州7県ツアースタート>

指原はいじり甲斐がある。何やってもOkだから」「すべてのスタートは指原から」・・・2014年3月28日「あさイチ」NHK(注27)

「やっぱり指原はすごい。恐るべき才能がある」、「指原は政治家なんだ。ウィンストン・チャーチルもマーガレット・サッチャーも時代に押されて力を持った。指原もそういうところがある。劇的なストーリーに、去年は日本中が盛り上がった。『指原がんばれ』という雰囲気ができて、1位になった」、「(指原が)HKT48は福岡、九州のグループですから、九州をまめに回りたいです、とにかくツアーを。(指原は)まず僕(秋元)のところ言いに来て、次にマネジャーに話しを通す。いつの間にか、僕がHKT48のために1曲書かされている。(指原は)人の心をつかむのが、本当にうまい。昨年1位になったが、もう”はい上がりストーリー”は使えない。指原はよくわかっているから地盤を固め、勢力を大きくし、虎視眈々と準備する。それがあいつのすごいところだ」、「舞台や映画をもっと見させたいんだけど、指原はぜんぜん興味を持たない。すすめても、見ようとしない。刹那的で、向上心がない。でも作詞をやらせたら、いきなりいい詞を書いてくる。そういう指原が嫌いな人はもちろんいるだろう。でも指原が素晴らしいのは、嫌われる勇気を持っていること。自分の『毒』を消したら、自分の良さがなくなることがわかっている。それを本能的に知っている。指原は、アイドルであることにおいて天才なんだ」・・・2014年6月9日発行AERA 現代の肖像「指原莉乃 アイドルという才能」P48~52

<2014年6月AKB48第6回総選挙2位>

指原は悪魔」・・・2014年9月5日秋元康755(注14)

「指原から怒りのLINEが来た。『秋元さんが新曲のポジションがくるくる変わるのは指原のアイデアだって755に書いたから、叩かれたじゃないですか!』って。『私が言ったのは、テレビに出るときに二列目も三列目も映るようにポジションを変えたいって言っただけです』と。ごめん、ごめん。僕の言い方だと誤解されるか。確かに指原に意見は言わせるが、選抜のメンバー決めはHKTの劇場スタッフとユニバーサルの金谷と矢部の案を僕が承認したものです。指原も悪魔の癖に意外に気ぃ遣いなんだよな。まさに、小心者力、ネガティブ力。指原がHKTを何とか売りたいと必死にやっていることはメンバーもファンもわかってくれてるって。ねえ?」 「指原は面白いなあ。変なところでナーバスになる。僕が指原に甘いように見えるのかなあ。たぶん、一番厳しいと思うけど。指原にはまだ人事権はないです。責任者は尾崎ですから。別に気にしなくてもいいのに」・・・2014年9月8日秋元康755(注46)

指原無双」・・・2014年9月26日秋元康755(注40)

<2014年10月 AKB48への復帰の意思があるかを確認される>
(指原が)AKBに早く戻りたいというのはないんだ。わかった。じゃ、(指原は)HKTでお願いします。私(指原)にはHKTがあるんだということがわかった」、「指原は九州地区でHKT王国ができている感じがする」・・・2014年10月22日ANN(注15)

「(麻雀の役で例えるなら) 指原は多牌。チョンボです」、「ばるるは少牌」、「多牌は、即チョンボ。少牌は上がり放棄で続行。誰も上がらなければ、最終的にはチョンボだけど。多牌が指原、少牌がぱるる。わかったような、わからないような」・・・2014年11月2日秋元康755 (注56)

<2014年12月8日 AKB48 9周年記念公演に指原莉乃呼ばれず>
「そんな中、一人自宅で「めちゃイケ」の録画を観ながら鍋を食べていたという指原に「なんで来ないんだよ」とLINEを送ったら、「呼ばれていないから」とちょっと拗ねた返信が来ました。HKTだから、AKBの9周年に行ってはいけないと思ったようです。これは、スタッフが悪い。スタッフを叱りました。指原もAKB48の9年間を支えたメンバーなんですから呼ぶべきです。指原は、「何でAKBじゃないのに来るんだよ?」というアンチの声が怖かったようです。そのくせ、たかみなの卒業発表後、真っ先に心配してLINEを送って来たのは指原でした。もっと、図々しく来ればいいのに。女の子は難しい。」・・・2014年12月9日秋元康755(注47)

<2015年1月 ネット上で騒動>
「握手会の指原の列に並んでいるみなさん、もう、六本木のお店の話はしないでください。指原がまじで怒っているので。六本木の話に触れたい方も、ぐっと堪えて、紅白歌合戦初出場おめでとうございますと言ってください。」・・・2015年1月11日秋元康755(注36)

指原率いるHKTのコンサートは勉強になる。(指原の居るライブは)サービス精神が違う」・・・2015年2月15日秋元康755(注39)

<2015年4月明治座「HKT48指原莉乃座長公演」>
「明治座での「HKT48指原莉乃座長公演」が大入り、大盛況のうちに幕を閉じた。 稽古が始まる直前、「座長の指原のノリが悪い」と――。おそらく、根っからのアイドルヲタクの指原は、このような由緒ある明治座で芝居をすることに戸惑っていたのだろう。今まで、明治座はもちろんのこと、アイドルのコンサート以外、舞台を観に行ったことがなかった指原には、その面白さも自分が演じる意味もわからなったのだと思う。この話をいただいた時に指原には相談して、「やります」とは言っていたものの、自分の知らない世界だったので、稽古が始まる段になって不安になって来たのかもしれない。だから、僕は、直接、指原ともう一度話した。 「人生は、食わず嫌いをするのが一番、もったいない。一度、食べてみて、嫌いだと思うならいい。自分で可能性の扉を閉めるな。騙されたと思ってやってみたことで新しい自分が生まれるんだ」 そして、指原は、今度は力強く、「やらせてください。頑張ってみます」と答えた。 指原は、元々、勘のいい人間である。稽古をするうちに、あっという間に、座長として何をすべきかを読み取り、その責を全うした。指原の使っていなかった感性が覚醒したのである。明治座で何十年も舞台のエレベーターを操作している裏方さんが「あのコはなかなかのものだね」と言ってくれていたというのを聞いて、僕は嬉しかった。そんな目利きが、指原の可能性を認めてくれたのだから」・・・2015年4月26日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注16)

彼女(指原)は恋愛スキャンダルのけじめとして福岡に単身移籍し、アイドルファンだった自らの経験を武器に発足間もないHKT48を全国的な人気グループに押し上げた功労者である」・・・2015年5月31日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注38)

<2015年6月AKB48第7回総選挙1位>
「ヨシマサ、指原が1位になったので、路線変更します」・・・2015年6月7日秋元康755(注31)

1位の指原莉乃は『私は落ちこぼれです。選ばれた人間ではありません。全国の落ちこぼれのみなさん、(指原でさえ1位になれたことを)どうか自分の自信に変えてください』。素晴らしいスピーチだった。」・・・2015年6月28日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注32)

指原は、いろいろ、ちゃんと考えている」・・・2015年7月10日秋元康755(注35)

「"マジすか0 〜木更津乱闘編〜"オフラインを観た。みんな、お芝居が巧いなあ。指原先生も、さすがです。」 「指原先生は、どんどん、怪物になっていきます。もう、誰も止められない」「(指原先生は)すでに(自分を)超えています」 「指原先生のことを、ちょっと褒めたら、もうニュースになっていた。(笑)さすが、指原先生です。」・・・2015年11月3日秋元康755(注17)

「(指原莉乃は)本人も気づいていない努力(によって出世した)」・・・2015年12月21日秋元康755(注41)

<2016年1月 初監督映画「DOCUMENTARY of HKT48」上映>
思ったより泣けた」・・・2016年2月1日岐阜新聞(注25)

指原はどこを目指しているのか?僕にもわからないし、もう、止められない」・・・2016年2月7日秋元康755(注37)

<2016年3月 2nd写真集「スキャンダル中毒」発売>
「どうなのかね、指原?ちょっと、いい女ぶってる。こじはる路線?」・・・2016年2月11日秋元康755(注51)
指原莉乃は、スキャンダラスなアイドルである。いや、もうアイドルという枠を超越している。さらに、困ったことに、指原はスキャンダル中毒である」・・・2016年3月22日指原莉乃写真集「スキャンダル中毒」

<2016年6月AKB48第8回総選挙1位、史上初2連覇達成>
「第8回AKB48選抜総選挙が終わった。1位は史上最高得票数でHKT48の指原莉乃が初の2連覇を成し遂げた。2位の渡辺麻友に大差をつけてのぶっちぎりの1位である。なぜ、指原莉乃は選挙に強いのか? テレビタレントとしての圧倒的な露出量による知名度の高さもさることながら、彼女の徹底したサービス精神の賜物だろう。スキャンダルで一時、人気を失墜してしまったが、移籍した福岡の新天地でHKT48を盛り上げ、奇跡のカムバックを遂げた。人数の多い組織の中で、自分の長所、短所を考え、必要とされるポジションを明確にしたセルフプロデュース能力には驚かされる。「こうなりたい」と理想をただ追うのではなく、 「今、自分ができること」を確実に積み上げた結果である。 指原莉乃はああ見えて、実は努力の人だ。へらへらして、面白おかしく生きていても奇跡なんか起きないことを知っている。常に、どうすれば、自分が旬でいられるかを考えているのだ。だから、TwitterなどのSNSを駆使する。今や、自分から話題を発信できる時代なのだ。指原莉乃は、ネットを使って選挙を戦ったと言っても過言ではない。選挙期間中だけではなく、日常から選挙キャンペーンを展開していたのである。 最後のスピーチで「みなさん、私の1位を祝福してください」と訴えた。スキャンダル成金(スキャンダルを肥やしに這い上がったという自虐ネタ)など、リップサービスを交えながら、彼女は、前田敦子や大島優子や渡辺麻友とは、異なる1位宣言をしたのである。 指原莉乃の選挙キャンペーンは、来年に向けて、今年、1位を獲った瞬間から始まっているのである。」・・・2016年6月26日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注18)

「(指原莉乃は)面倒くさすぎる」・・・2016年7月24日AbemaTV「徹の部屋」(注19)

<2016年7月 指原莉乃が代々木アニメーション学院のプロデューサーに就任>
「(指原莉乃は)最強のアイドル」・・・2016年8月7日代々木アニメーション学院特別講義(注20)

今の指原莉乃の成功は、週プレにあると思っているんです。週プレが昔、全然人気がないときの指原を「さしこのくせに生意気だ!」っていうタイトルでグラビアを撮影してくれましたよね。あの言葉がすべてなんです。当時の指原は全然人気がなかったのに、ああいうイジリ方をしてグラビアを撮った。それが面白かったんですよ。それを見て「よし、24時間テレビの放送中に、指原用のスポットCMを入れよう」とか、『さしこのくせに』っていう冠番組を作ったりとか、指原なのに『それでも好きだよ』っていうタイトルの曲をソロで歌わせたりとか・・」・・・週刊プレイボーイ2016年11月7日号「秋元康が語る”週プレ”と”アイドル”」P53

<2016年11月 指原莉乃ディナーショー開催>
指原が今後、芸能界でやっていくには絶対ディナーショーだ」・・・2016年11月20日東スポweb(注48)

<2017年1月 指原莉乃が声優アイドルプロデュースを発表>
「もちろん相談に乗るし、話も聞くけど、基本的には指原の好きなようにやりなさい」・・・2017年1月30日モデルプレス(注49)
指原、頑張れ! 」・・・2017年1月30日秋元康755(注50)

指原莉乃は、スキャンダルをバネに、持ち前のアドリブ力、プロデュース力で総選挙2連覇を成し遂げた」・・・2017年2月26日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注55)

「(指原は)本当バラエティーの人
「そういう(お願いする)時に指原泣きますからね。奥の手は泣く
「(指原は)山口百恵さん、小泉今日子に続く第3弾 アイドルの革命
出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれないようにもう指原先生は誰も文句言えない
「北野武さんから古館一郎さんから鶴太郎さんから小室哲哉さんから稲垣潤一さんからいろんな人が来たのが、全部指原の前座のように・・最後に指原があそこから「はいおつかれちゃん、どうも、どうも」凄い大物感でしょう」・・・以上2017年5月3日NKHラジオ『今日は一日“秋元康ソング”三昧』(注58) (注59)

<2017年6月 AKB48第9回総選挙1位、3連覇達成>

「惜しくも指原莉乃に敗れて2位となった渡辺麻友が卒業を発表した。3連覇を成し遂げた指原莉乃も今年が最後の選抜総選挙である。何かが大きく変わろうとしている。全ては、スクラップ&ビルドである。これからのAKB48グループが楽しみだ。」・・・2017年6月25日讀賣新聞(秋元康の1分後の昔話) (注61)

<2017年9月 指原莉乃プロデュース =LOVEデビュー>

<2017年12月 安倍首相と会食>

合議制から指原莉乃は生まれないんですよね。「アイドルとはこういうもんだ」っていうことの、最大公約数を煮詰めていくと、指原莉乃は生まれないんですよね。きっと、誰か「そういうのが出てもいいんじゃないですか」『別にスキャンダルとかあってもいいでしょう』という人がいて、ああいう人が出てくるわけじゃないですか」・・・2017年12月13日 TBSラジオ「伊集院光とらじおと」(注60)


<2018年1月 初のソロコンサート開催>

<2018年4月 秋元康氏、指原莉乃が手がけた=LOVE(イコールラブ)の歌詞を採点 >・・・2018年4月18日オールナイトニッポン
リスナーから「秋元先生的に指原さんの歌詞は何点ですか?」という質問に対して秋元氏は
「80点から90点? うまく書けてるなぁ。だけど指原らしいのがきっともっと書けると思う。点数は30点だけど、耳に残るものとか」と回答。

<2018年5月 女子アイドル部門タレントパワーランキング3年連続1位>

「AKB48Gの中でプロデューサーは指原なんですよ」
指原の詞は凄く良いと思う。・・本当は指原だったらもっと指原にしか書けない世界を書けばいいと思うんだけれどどっかこうかっこをつけちゃうんだよな。・・うますぎて。もっと指原っぽさを出した方がいいよ」
「僕は誰よりも早く大きなライブハウスで「ハーイ」と言って俺が手を上げて「秋元康は卒業します」とか言って、それで指名を「指原莉乃に次のセンターをお願いします」・・・以上2018年5月3日NKHラジオ『今日は一日“秋元康ソング”三昧』(注62)

<2018年6月 AKB48第10回総選挙、出場辞退>

「語りたくなるアイドル」が、最強のアイドルだと思います。・・1つのアイドルグループを目撃した人が「このアイドルのデビューはこうで、メンバーはそれぞれこういうルーツを持っていて、メンバーがチェンジして……」といった経緯を覚えていて、新しくそのアイドルを知った人に語れることが、最強のアイドルだと僕は考えています。 ・・・秋元康が考える“最強のアイドル”とは? 『ラストアイドル』誕生秘話 Abema TIMES 2018.08.26(注64)


<2018年12月15日 指原莉乃 東京ドームシティホールにてHKT48からの卒業を発表>

「ここで報告があります。私、指原莉乃はHKT48を卒業します。急になってしまって本当に申し訳ないんですけど、でも何年も前からずっと決めていて、すでに卒業コンサートの日程も一部のスタッフと話して決めています。
まずは卒業コンサートの日程を発表させてください。4月28日に、これちょっとびっくりすると思いますが横浜スタジアムで(行います)。
そして、福岡の皆様とのごあいさつはアイドルを卒業した後に、5月28日にマリンメッセ福岡で指原莉乃大感謝祭を行いたいと思います。
まずびっくりさせてしまって申し訳ないんですけど、ずっと前から心のどこかにあって、みんなが本当に大好きで、それにずっと甘えて、私もなかなか卒業発表できなくて、いつも「今日かもしれない、今日かもしれない」と思ってコンサートを進めてきました。
でもこのコンサートをスタッフから教えられた時に、今日言いたいと思ったので、私の最後のわがままだと思って許してください。
でも、すごく考えて、いっぱい考えて出した結果なので応援してくださると、私の背中を推していただけると、うれしいです。
何を言っていいのか分からないんですけど、ギリギリまで一生懸命アイドルとして頑張ろうと思ってるので、ごめんね、本当に、申し訳ない。
申し訳ないとか、自分で決断したことなので、あんまり言いたくないけど、本当にHKT48が大好きなので、次のHKTが見てみたいな!と思います。応援よろしくお願いします。
(メンバーに向かって)本当に本当に信じてるから発表したから。(矢吹)奈子も(宮脇)咲良も、もっと強くなって帰ってくると分かっているし、帰ってきた時に、これまで二人が「こんなに守ってくれてたんだ」って思ってくれるくらいに頑張って欲しいの。私もギリギリまでもうちょっと頑張るから!」

「卒業発表」 2018-12-15 20:32:08 (指原クオリティーより)
「今日のHKT48のコンサートで、卒業発表をしました。
突然ビックリさせてしまって、ごめんなさい。
突然思いついて発表したわけではなく、もう何年も前からずっと考えていました。
応援してくださるファンの皆さんの声援やメッセージ、とにかく可愛くて大事なHKTメンバー、そして同期のように仲良くしてくれるAKBメンバー…。
みんなに会うたびに、やっぱりここでずっと楽しくやっていたいという思いが強くなります。
ただ自分のためにも、グループのためにも卒業したほうがいいという気持ちもずっとありました。
咲良と奈子が2年半韓国に行くタイミングで、これからのHKT48を考えた時に、この壁はきっと私がいてみんなで乗り越えるでは意味がないんだなあと感じました。
そして今日のコンサートの日程を伝えられた時に、その日が発表するタイミングなんだなって。
ファンの方はなんとなくわかってくれると思いますが、スタッフもわかってくれたようで何も言わずに背中を押してくれました。
私はHKT48が大好きです。
出会ってからたくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん怒って、いろんなことを乗り越えてきた、大好きな仲間です。
大好きなメンバーと大好きなステージに立ち、卒業発表できたことをとても幸せに感じています。
卒業は4月28日の横浜スタジアムです。
そして卒業した後に福岡の皆さんに最後に挨拶をしたいと思っています。
5月28日、マリンメッセ福岡です。
平成のギリギリまでアイドルとして粘りたいと思います。笑
短い時間ではありますが、全力で楽しみたいと思います。
HKT48 指原莉乃 」


「指原は、ここ数年、ずっと悩んでいました。自分はいつ卒業すればいいのだろう? 自分の未来が不安というより、後進に道を譲るタイミングを迷っていたのです」、「今日、(IZ*ONEの)宮脇咲良と矢吹奈子を送り出すに当たって、このピンチこそが、そのタイミングではないか?と決断したようです」、「ピンチを迎えるこれからのHKT48と、宮脇咲良、矢吹奈子、そして、指原莉乃の応援をよろしくお願いします」・・・秋元康氏、指原は「後進に道を譲るタイミングを迷っていた」 サンスポ 2018.12.15


<2019年4月28日 横浜スタジアム 指原莉乃卒業コンサート『~さよなら、指原莉乃~』での最後の挨拶>

「4ヶ月前に卒業発表してから、あっという間に時間が経って、きょうこの日が、そしてこの時が来てしまいました。こんな時じゃないと感謝の気持ちも言えない口下手なので、ここで少し時間をください。

まず、HKTマネージャー、そしてHKT運営の皆さん、今まで本当にありがとう。特にマネージャー陣には、たくさん怒ってごめんなさい。みんなには感謝の気持ちもたくさんあるんですが、これからのHKTに関してお願いがあります。それは、メンバーのお話をちゃんと聞いてあげてください。メンバーみんな、人生をかけてアイドルになっています。だからこそ、みんなの話をしっかりと聞いてあげてほしいです。でも間違ったことを言ってしまう場合もあります。その時は、目を見て一から何がいけないのか、分かるまで教えてあげてください。ワンマンになってはいけません。ファンを信じて、メンバーを信じて、一緒に進んでいってください。みんなでHKT48です。これからも風通しのいいHKTでいてね。

そして、メイクさん、衣装さん。みんなのおかげでこうやってステージに立ててます。本当に今までありがとうございました。でもこれからの皆さんの力は、AKBグループの誇りだと思っています。これからもグループをよろしくお願いします。

そして、演出チームの皆さん、コンサートスタッフの皆さん。皆さんのおかげでアイドルとしての寿命がすごく伸びた気がします。皆さんに出会ってからのコンサートは、本当に本当に楽しかったです。タレントとしての仕事も好きだけど、やっぱりステージが好きでした。本当にありがとうございました。たくさんワガママ言ってごめんなさい。全部かなえてくれてありがとうございました。

そして、秋元先生。見つけてくれて、育ててくれて、本当にありがとうございました。私がAKBを好きになったきっかけは、秋本先生の詞です。今になって秋本先生に詞を書いていただけるありがたさを感じています。自分のプロデュースする立場になって、発表したように新公演を書いています。そんな時に秋元さんの凄さ、偉大さを改めて実感しています。今までありがとうございました。「恋するフォーチュンクッキー」に出会えて、とっても幸せです。これからもたまには、アドバイスをください。

そして、メンバーのみんな。仲良くしてくれてありがとう。何より大切な宝物です。みんなに出会えてよかったです。しつこいけど、優しくて強い女性になってください。みんななら、ファンの皆さんに必ず幸せを与え続けられるって信じています。おバカさんばかりで、でも正直で嘘をつけない一生懸命なみんなのことが大好きです。みんなの幸せを何より願っています。つらいことがあったとき、うれしいことがあったとき、いつでも連絡してね。

そして最後はファンの皆さん。11年間、アイドル・莉乃ちゃんでいさせてくれて、本当にありがとう。みんななら分かってくれるはず、優しいみんなに甘えて、感謝の言葉も、正直な気持ちも伝えるのが苦手で、本当にごめんなさい。どんなときも守ってくれて、本当にありがとう。これから先、他のアイドルを好きになることがあると思います。私ももちろんそんなことでは怒りません。だけど元々、私のことを応援してくれた人として、恥ずかしくない行動をとってね。アイドルに優しくしてね。意地悪なことを言ったり、説教しちゃうような人にはならないでください。

ここからは、アイドル・指原莉乃と、そのファンとの最後の約束です。みんなが将来、指原を応援していたと言っても恥ずかしくない人間でいます。ちゃんと幸せでいます。だからみんなも幸せでいてね。私は11年間、本当に幸せでした。アイドルになったことを後悔した日は一度もありません。嫌で辞めたいと思ったこともありません。私はアイドルという仕事が大好きでした。みんなのことも大好きです。本当にありがとう。」


<指原莉乃卒業に秋元康氏が送ったメッセージ>

「『AKB48とは高橋みなみのことである』と言ったことがあります。決して、器用ではない高橋みなみが夢のためにただひたすら努力する姿が、まさにAKB48のコンセプトだったからです。
そして、今は『AKB48とは指原莉乃のことである』と言えるでしょう。引き篭もりで落ちこぼれだったアイドルヲタクの少女が一念発起して自らがトップアイドルになり、後進を育てるプロデューサーになったんですから。
指原莉乃はなぜ、逆境からここまで登り詰めたのでしょうか? 彼女と一緒にいると、いつも、 歌を口ずさんでいることに気づきます。AKB48グループだけでなく、その時のお気に入りのアイドルの曲を口ずさんでいるんです。辛い時も悲しい時も寂しいも、もちろん、楽しい時も。彼女にとってはアイドルが全てなんです。“自分が好きなものをずっと好きでいたい”そんな単純なことが彼女をここまで頑張らせた原動力だと思います。
指原莉乃はAKB48グループを卒業しますが、彼女は生涯アイドルです。お疲れ様でした。そして、これからも頑張れ。 2019年4月28日 秋元康 」


<2020年9月秋元康氏がラジオ番組に出演し、タレント・指原莉乃さんを初めて「さっしー」と呼び、指原さんを驚かせた >

指原さん「秋元さんに曲を書いていただくのが1年振り以上なので、新鮮です」
秋元氏「ちゃんと指原莉乃に愛情があることを伝えとかないとさ。なんか平手友梨奈だけに俺が愛情注いでるみたいなことに……。平手だけを贔屓してるんじゃなくて、さっしーにも!」
指原さん「初めてさっしーって呼ばれた!」と笑った。・・・2020/09/09ラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」(TOKYO FM)


<2020年9月25日、パッションリーダーズ全国定例会 作詞家 秋元 康氏 基調講演より抜粋 >

「僕は、AKB48というアイドルグループをプロデュースしています。このグループの転機は、2013年の「AKB48 32ndシングル 選抜総選挙」で指原莉乃が1位になったときでした。それまでは、アイドルの王道である前田敦子や大島優子がセンターを務めていましたが、指原というこれまでにないキャラクターが1位になり、これは予定調和を壊す良い機会だと思ったんです。
このときのシングル曲が『恋するフォーチュンクッキー』でした。昔のモータウン系というか、スローテンポのディスコミュージックで、実は当初、指原は自らが初のセンターを務めるこの曲が大嫌いでした。大号泣するほどだったんです。
アイドルの醍醐味は、アップテンポな曲を歌い、間奏でファンから自分の名前をコールされること。それを求めている人が多く、指原もそうでした。バリバリのアイドルになりたくてAKB48に入ったのに、念願のセンターを勝ち取ったら、スローテンポの曲を歌うことになって、それが嫌だったんだと思います。
ですが、僕は逆で、それまでのアイドルの概念を壊し、ここで指原が違うものをつくっていったほうがいいと感じました。」


<2020年10月2日 秋元康氏がニッポン放送『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』(22:00~)に出演。指原莉乃が初のセンターを務めた、AKB48の代表曲「恋するフォーチュンクッキー」の制作秘話を語った >

秋元氏「『恋するフォーチュンクッキー』も指原は本当に嫌いで、泣いたんですから。『せっかく総選挙で1位を獲ったのに、こんな歌か』と」、「彼女は前田敦子や大島優子みたいにファンがコールしやすいアップテンポの曲で『さっしー!』と応援されたかったのに、すごいあの曲はテンポが遅いですから、『なんでこんなクソ曲を』とハッキリ言いました(笑)」、「でも、おかげさまで世界的に大ヒットしたわけですよ。それからいつの間にか、『これは私があっきーに書かせた』と(笑)」


<2021年11月12日 秋元康氏がさしはらちゃんねる登録者数100万人を記念して「秋元さんYouTube初出演でそんな話やめてください…」に出演し、指原莉乃さんの作詞をほめるとともに指原さんにだまされたエピソードなどを語った >

秋元氏「百万人突破記念で言うわけではないけど、指原の作詞能力は相当ある。フック、タイトルとか。辞書を読んでいるのだろうと思うのは、サブリミナルとかシトロンとか、ピックアップする言葉が良い。そこが重要なんだ。
何をピックアップするかということもあるけれども、なぜその言葉を使ったのかというのが詞を読むと、あっそういうことでこのタイトルなのね、そこがちゃんとできているのが凄いなと思うね。」

秋元氏 「俺の一番好きなエピソードで会う人ごとに指原エピソードで必ず言うのは「俺は指原にだまされた。指原がまだ研究生かそんなに人気が出ていない頃にAKBのマネージャーが「指原があそんでいるらしい」という噂が出てきたと言ってきた。俺は「何言ってるの。指原とはこの間さしで話したがその時に指原は「秋元さん、私は中学の修学旅行の時に奈良の大仏の前で男の子と二人で写真撮っちゃったのがある。あれ、まさか流出しないですよね」と言った子だぞ。そんな子が遊ぶわけないだろ」とマネージャーに言って「お前は女の子のそういうところがわかってないんだ」と怒った。その何か月か後に文春砲を喰らって「えっ」となった。」

秋元氏 「一番はキッカケがあるかどうか。「売れる」「売れない」は「運」なんだよね。もちろん、努力、才能は大事なんだけれどもいくら努力しても才能があっても何かのキッカケがないと人の目につかない。指原の場合はたまたま一回目のブログに「私が家に帰る途中に白いネギが落ちていた」というだけのブログで、「なんだ、こいつは」と思って、「こいつおもしろいなぁ」というところから始まった。」

秋元氏 指原さんの「私、どういう人と結婚すると思いますか?」という質問に対して「理想は、こういう世界の事も知らなくて、『私がタレントやってたことも知らないんですよね~』っていう、ある種学者肌じゃないんだけど。なんも知らないんだけど、ホッとできるような人。この人だけは絶対指原を裏切らないんだろうなあっていう、そういう安心感を持ってる人。あとはもう盛り上がった恋愛の末、結婚するか。盛り上がりが終わったときに冷める場合が多いよね」


<2023年1月12日 秋元康氏がフジテレビ系「トークィーンズ」に出演。指原さんの恋愛観について自論を語った >

秋元氏 「指原はマイペース恋愛。切なくて泣いているとかはない。あの人の場合は恋愛がスポーツ」


く指原が秋元氏に直接言われた指原評>
えっ、この指原別人みたいだな。だったら、せっかくだから飾ろう」・・・2011年6月渋谷109シリンダー広告に指原巨大写真掲載(注65)
「(大島優子が”票数は愛です”と言ったけど)お前の票数は”情け”だ」・・・2012年5月26日東スポ(注43)
「(総選挙4位に)この順位じゃ、もっと上に行くか、下に行くかしないと中途半端だよね」・・・2012年6月12日カゴメCM記者会見
お前はもうアイドルじゃない」・・・2013年8月10日発行「AKB48総選挙!水着サプライズ発表2013」
「秋元(康)さんからメールが来ました。『スケジュール合わせて(滝行)やるぞ』と…。いつかどこかでやることになると思います」・・・2014年6月16日トヨタCM発表会
男を選べ、自分みたいな人を選べ」・・・2014年7月25日放送「ライオンのごきげんよう」(注21)
お前はアイドル界の田中角栄だ」・・・2014年9月20日朝日新聞(注22)
妊娠して卒業して欲しい」・・・2015年1月2日「ぐるナイ」新春ごちSP(注23)
お前は猫飼って幸せな感じを出すのはダメだ」・・・2015年12月20日「ボクらの時代」(注24)
「(指原は)バラエティ1本で行けるほどパワーがあるわけじゃないから、 ちゃんと考えなさいよ」・・・2016年1月1日『ワイドナショウ』(注57)
なんで、指原がラスベガスでテニスやるんだ。意味がわからない」・・・2016年3月22日発行指原莉乃写真集「スキャンダル中毒」
お前が何でスターになれないか教えてやる」・・・2016年7月21日放送「HKT48のおでかけ!」(注26)
結婚して卒業しなさい」・・・2016年8月30日「BEAUTY WEEK AWARD」授賞式(注45)
「(これからのAKBどうします?という指原の質問に対して) さや姉も卒業するしババア二人(指原&柏木)で頑張るしかないな」・・・2018年8月3日「TIF2018」(注63)

「結構前に、秋元康さんとご飯を食べた」、「私も最近、秋元さんみたいにアイドルグループ、プロデュースしてるんですよ」「それもあって、なぜか印税の話になって」、「『秋元さんって実際どうなんですか?』って聞きたくなって聞いたら、『俺はね、印税とかもうどうでもよくて、ヒット曲をどれだけ出せるかなんだよ』って言われて」、「ぶん殴られた気持ちになりました」・・・2020年9月14日放送『痛快TV スカッとジャパン』

(指原)「私も秋元さん、いまだに怒られます」「最近は、『お金のことばかり考えて仕事するのはやめなさい。そういう人だと思われてしまいます。ちゃんと夢を追いかけ続けて仕事をしないとダメです』って(笑)」・・・2022年5月15日放送「超無敵クラス」(日本テレビ系)


各(注)の出典を見たい方 ↓ (データ量が多いため出典は別ページに分離)
「秋元康の指原莉乃に対する評価」 記事の出典一覧


以上

(続)指原莉乃 100人からの評価 時系列(総選挙分析ライター)

「指原莉乃 100人からの評価 時系列」

指原莉乃に対する各界著名人、関係者の評価(人名アイウエオ順)

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