AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

『私も投票します』動画の報道に違和感。(ときめき研究家)

2021-10-28 21:02:45 | ときめき研究家
小栗旬、二階堂ふみ、菅田将暉、橋本環奈ら14人の芸能人が「私も投票します」と、見る人に投票を呼びかけた動画が話題になっている。参加した14人全員の名前を知りたいと思い、書かれたニュースがないか探したが、見当たらなかった。AKB坂道関連ではAKB48卒業生の秋元才加が参加しているようだ。
若者の投票率が低い中、彼等の呼びかけは有意義だと思うし、これで少しでも投票に行く人が増えればいいと思う。

一方、少し違和感があったのが、「これまで芸能人が政治的な発言をすることは珍しかったが、・・・」といった報道のされ方だ。「投票します」「投票に行こう」という呼びかけは「政治的な発言」なのか?
「私は○○党を支持します」とか「○○○の政策には反対です(賛成です)」という発言なら、明らかに政治的発言で、確かに芸能人にとってそういう発言は憚られるだろう。いろんな考えのファンがいる中、特定の政治信条を表明すると反発されることも考えられ、支障がある。だから芸能人は表向き「ノンポリ」がいいのだろう。それは芸能人に限らず、会社員でも同じだ。会社でそのような発言や議論をすることは、多くの会社員は避けているだろう。私もそうだ。
でも、「投票に行こう」というのは、国民の権利の行使の勧めであって、特定の政治信条とは関係ない話だ。どんな政治信条の人にとっても共通の、反発されることのない主張だと思うのだ(国民の政治参加は無用で、絶対君主の独裁政治が望ましいという政治信条の人がいれば例外だが)。
誰でも小学校でクラス委員の投票をして、選挙と民主主義について学んだはずだ。それを思い出して実行しようというのは、「交通ルールを守ろう」「税金を払おう」などと同様の、当たり前の呼びかけに過ぎないと思うのだが。
そう思うのは私だけで、実は「投票に行こう」という呼びかけすら、政治的メッセージであって、芸能人がそれを発する事にはリスクを伴うのだろうか。投票に行かないファンが、そんな説教をされるくらいならファンをやめるとか、そういうムードがもしあるのだとしたら、恐ろしいことだ。

2001年、モーニング娘。は、『ザ☆ピース』で「選挙の日はうちじゃなぜか投票行って外食するんだ」と歌っていた。直接的に「投票に行こう」と呼び掛けている訳ではないが、選挙に子供を連れて行って外食して「大事なイベントなのだ」と教育する健全な家庭と、子供心にそんな家族を誇らしく思う気持ちが描かれている。そしてそのことが、デリバリーピザのLかMか迷うことや恋愛のときめきと同列に語られていて、ごく普通のこととして肩肘張っていないことが秀逸だ。作詞したつんく♂は、20年前に既にそんなメッセージを、さりげなく発していたのだ。

付言するなら、私は20歳以来、投票権のある全ての国政選挙、地方選挙、AKB選抜総選挙で、1回も棄権したことが無い。
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NHK『わが愛しのキャンディーズ』を見る。(ときめき研究家)

2021-10-12 21:09:55 | ときめき研究家
10月10日にNHKで放送された特番を見た。キャンディーズのデビュー当時から解散コンサートまでを90分にまとめた番組で、非常に見応えがあった。

番組の中で、主な楽曲はフルコーラスで収録されていた。名曲ぞろい。1曲が3分程度と短いため、フルコーラスでも長く感じない。
歌番組でも、解散コンサートでも、当然のことながら全て生歌唱である。口パクではない。振り付けもしながら、音程も確かだし、ハーモニーも美しい。また、声が明瞭で歌詞が聞き取りやすい。
デビュー曲『あなたに夢中』を、作曲者の森田公一のピアノ伴奏でレッスンしている映像は貴重だった。デビュー前なのに、既にしっかりした美しいハーモニーを聴かせていた。

解散を宣言した日比谷野音ステージの映像が衝撃的だった。
コンサート終了時、スタッフに事前に予告もせず、ステージ上で突然3人が解散の宣言をしたのだ。悲鳴だか怒号だかわからない観客の叫び声、その後不揃いな「キャンディーズ」コールが自然発生。泣きながら話を終えた3人はステージに座り込んで動けない。投げ入れられた紙テープが床にうず高く積もり、大袈裟ではなく3人が埋もれてしまいそうだった。舞台裏から現れたスタッフに引きずられるようにして退場する3人。
比較のしようもないが、AKBグループや坂道グループのメンバーの「卒業」宣言も、時に涙を流しながらの場合もあるが、キャンディーズほどの衝撃はない。誰にでもいつか来る「卒業」で、本人もファンも受け入れる心構えができているからなのだろう。また、当時と今では芸能人とファンの距離感が違う。SNSで頻繁な発信が求められる現代の芸能人と違い、当時は、テレビ番組や「明星」「平凡」といった雑誌など、マスメディアを通じた限られた情報しかない芸能人は「雲の上の人」だった。

解散コンサートは、当時では「女性歌手ではじめて」後楽園球場で開催された。それほど大きな会場でのコンサートは珍しかったのだ。当時、まだ東京ドームではない。当日、晴れて良かった。
コンサート開催日は1978年4月4日。日比谷野音の「開催宣言」では1977年9月までで解散と言っていたので、色々な事情や調整の結果、半年延びたのだろう。
意外だったのは、最初から最後まで衣装替えはせず、同じ衣装で通したことだ。白く光沢のある生地に何層もの襞が入っていて、それぞれ赤、青、黄のラインがあしらわれている。その後の映像でも何回も見たあの衣装である。衣装替えで舞台を外すよりも、1秒でも長くファンに姿を見せたいと思ったのだろうか。

『微笑返し』は、改めて良い曲だと思った。阿木燿子の歌詞が素晴らしい。
若い男女の切なくも前向きな別れを歌っているが、そこには解散するキャンディーズ3人の別れも重ね合わせてある。そして、歌詞の中に、これまでのキャンディーズの楽曲のタイトルが多数織り込まれている。「春一番」「わな」「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」「アンドゥトロワ」。彼女たちの業績を振り返り懐かしむファンへのサービスだ。この手法は、この後、多くのアイドルに踏襲される。
特に「アンドゥトロワ」は、1番では「ワンツースリー」2番では「いちにさん」と歌っていた部分で、焦らして焦らして、最後の繰り返しでやっと「アンドゥトロワ」と歌うところが心憎い。
また、今回初めて気づいたのだが、曲名の「微笑返し」は、『わな』の中の「あの人は微笑み返してくれる」という歌詞から引用しているとも解釈できる。

高校2年生だった私は、まだ意識的な「アイドルファン」ではなかった。ごく普通の一高校生として、テレビなどで見ているだけだった。「全キャン連」とか、熱心なファンのことは「よくやるなあ」という目で見ていた。
当時は、アイドルも、演歌も、ニューミュージックも、同じ土俵で「音楽」として鑑賞していた。
地方の高校生にとって、後楽園球場に解散コンサートを見に行きたいなど全く思いもしなかった。あと2年早く生まれて、東京の大学生だったら見に行ったかもしれない。歴史の目撃者にはなれなかったが、こうして40年以上経ってテレビで鑑賞できるのは素晴らしいことだ。

2011年、スーちゃんこと田中好子さんが亡くなった時の記事はこちら
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AKB48『根も葉もRumor』を聴く。(ときめき研究家)

2021-10-10 19:42:52 | ときめき研究家
約1年半ぶりのCD。しかもAKB48の15周年後の初めてのCD。そのタイトルが『根も葉もRumor』と聞いて、ちょっとがっかりしていた。秋元康お得意の言葉遊び、1つのアイデアで1曲創り上げてしまう錬金術ならぬ錬曲術の匂いがプンプンする。
そんな先入観を持って聴いたが、そこまでひどい曲ではなかった。

今ふうのビートの効いたダンスミュージックなのだろう。過去の曲では『ハイテンション』と似た印象を受けた。特に「Rumor Rumor  Rumor」というサビは、「ションションションション」というサビに似ている。
歌い出しの英語歌詞は、何と言っているのか分からないが、こういうのが恰好いいと思っているのだろうか。
「Nothing Nothing Nothing Nothing」という部分は「のっし のっし のっし のっし」と聴こえる。相撲取りが歩いているのか?その発音が良いのか悪いのかは分からないが、一般的には「ナッシング」と発音するのではないか?面白がらせようとわざと「のっし のっし」と歌わせているのかもしれない。

歌詞の内容は、突っ込みどころ満載の内容だ。
ダンスクラブかどこかで久しぶりに会った彼女は、学生時代は「ポニーテールとシュシュ」姿の幼く地味な娘で興味の対象外だったが、今は大人っぽく変身している。その間に何があったのか、色んな噂は聞くが自分は信じない。今夜は踊り明かそう、というような歌詞だ。
結局彼は、大人っぽくなった彼女に魅力を感じているのだ。だとしたら、彼女を変身させた恋愛経験や色んな噂は甘んじて受け入れなければならない。それを「ただの噂だろう」と否定したいのは矛盾しているように思える。それとも、彼女の内面は学生時代のまま純真で、恋愛経験もなく、外見だけ大人っぽく美しく変わったとでも思いたいのか?都合が良すぎる妄想だ。
それとも、「噂」というのが、単なる恋愛遍歴ではなく、もっと衝撃的な内容なのか。例えば、薬物中毒とか、反社会的勢力に関わりがあるとか。そこは根も葉もないことと否定したいが、普通の恋愛経験は多少積んで、それで魅力的な大人の女性になったと思いたいのか?それだって相当都合の良い妄想だろう。
そもそも彼は彼女のことをずっと好きだったという訳でもなく、彼女のことはほとんど知らないのに、どうしてそこまで噂を否定できるのだろう。疑問が尽きない。

まあ、でもこの曲はそういう歌詞の内容よりも、ダンスミュージックとして、サウンドを楽しむ曲なのだろう。私のような面倒くさい疑問は持たなくていいのだ。

そして、深読みするなら「ポニーテールとシュシュ」とか、「スカート翻して走っていた」(『スカートひらり』)とか、初期AKB48のモチーフを出すことで、AKB48自体も「変わったのよ」と言いたいのかもしれない。
確かに、初期メンバーは誰もいなくなり、メンバーもすっかり入れ替わった。「シンディー」って誰?というファンも多いだろう。もしかしたら現役メンバーでも知らない人もいるかもしれない。
だとしたら少し寂しい。
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