AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

(再掲載)古典的アイドル現場とは、ヲタより一般人が多い(ナッキー)

2016-12-16 00:33:36 | アイドル論
古典的アイドル現場とは、ヲタより一般人が多い(ナッキー)

最近読んだ新聞記事に、アグネスチャンが売れなくなってから、スーパーのイベントでビール箱の上で歌った、と書いてあった。数多くのアイドルイベント見てきたが、残念ながらビール箱の上のアイドル生で見たことない。写真ならWink見た記憶あり。


ビール箱が象徴しているのは、アイドルファン以外の一般人へのアピール。
アイドルファン・ヲタの前での活動が主体(それだけというアイドルも多数いる)なのが現代的とすると、ヲタ以外にも歌を聴いてもらおうとするアイドルは古典的。あくまで歌を聴いてもらう、パフォーマンスとは言わない。

例えば、新潟古町のアーケードで歌うRYUTist。
秋葉原の路上で、さくらシンデレラのメンバーに勧誘され、専用劇場に入った新規さんの中に、アイドル生で見るのは初めてという方がいれば古典的。
#さくらシンデレラ
#RYUTist

明日の告知、http://ameblo.jp/cross-yuka/entry-12228288618.html
ビール箱ならぬビールフェス。300席の中でアイドルを見るために来てビール飲む人数より、ビール飲みに来て、たまたまアイドルのステージに遭遇する客の人数が多いと予想します。古典的アイドル現場を体験できる。是非行きたい。
#有香

ナッキー、分家ブログ記事を再掲載
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アイドルのブログ写真、ツイッター写真には、全身写真が少ない。(ナッキー)

2016-10-13 07:51:37 | アイドル論

アイドルのブログ写真、ツイッター写真には、全身写真が少ない。(ナッキー)

一つ前のブログに、ブログ写真ツイッター写真を評価してライブ行きブーツで落胆した経験を書いたが、ほんんどのアイドルの写真は足元を含める全身が写っていない。
上の写真は、めるる、という大阪の地下アイドル。ファンが撮った写真を、私がフォローしている別のアイドルがリツイートしたから見ることができた。
めるる本人のツイートには、この写真は出ていない。

アイドルがツイッターに載せる写真はほとんど自撮りだから全身映らない。
AKB48グループメンバーが、握手会の私服を載せるために、鏡に映る全身写真をアップしてくれるのは例外。

最近見かけたアイドルの足元写真の事例。ナッキー
↓X21公式、靴下履いていないながら可憐

↓コロンビア主催のアイドルグループ、靴下良いが、靴には不満

↓Ange☆Reve、同上


↓自分が撮影、こけぴよ
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素晴らしいアイドルは、衣装と靴と靴下が素晴らしい(ナッキー)

2016-10-06 23:20:35 | アイドル論
素晴らしいアイドルは、衣装と靴と靴下が素晴らしい(ナッキー)

土日で6時間約100組のアイドルを見てから、対バンライブ三本。月曜80分4組。火曜80分5組、木曜120分8組。
数多くのアイドルを、「アイドルらしいか否か」に分類しようとして、私はこれまで、「可愛いか」「振り付け」「曲がよいか」等、じっくり見ないと判断が難しい基準をよっていた。

「衣装と靴と靴下」がアイドルらしいアイドルは、アイドルらしい。

これが最近発見した法則です。

素晴らしいアイドルの実例 放課後プリンセス「秘密のティアラとジェラート」2016年
リンクしたPVと同じ衣装でステージで歌います。

昔はアイドルを見る時に顔から目線を下に移して衣装を見ていましたが、最近は靴と靴下を一番最初に見ます。
白いハイヒール
白い靴下 (足の甲は透明で足首からは網模様)
七色のスカート
けばけばしくないシンプルな半袖

この曲を日曜日に見た時に、腰を抜かすほど驚きました。
リンクしたPVは運営発表で、私が腰を抜かした演出はカットされています。衣装に感動して腰を抜かしました(気が動転しました)。
PVで先に秘密を見てしまったお客さんが、ステージを見て「サプライズを味わえなかった」「感動できなかった」という文句を防止している。


次にダメな衣装の実例 放課後プリンセス 「ジュリエット~君を好きな100の理由」2012年
靴:ブーツがアイドルを台無しに。ブーツは踊りやすくアイドル本人にはよいのでしょうが美しくありません。
靴下:ブーツなのでありません。
スカート:ドンキホーテで売っているような安物感
ノースリーブ:一見問題ないようですが、PVのスクリーンショットを比較してみると、デザインのセンスに大差があります。

ナッキー

↓「秘密のティアラとジェラート」2016年

↓「ジュリエット~君を好きな100の理由」2012年

PVの衣装はつまらないですが、曲は素晴らしいです。山口百恵の曲を思い出しました。
イミテーションゴールド、去年と違うのは




ほくろ




利き腕

放課後プリンセス、ジュリエット、君を好きな理由、いくらでもリストにできるけど、

声◯

優しい心△
仕草
笑顔


髪△
少しぬけたところ
ほくろ◯



手足
ひたむきな横顔
うなじ
全部

「秘密のティアラとジェラート」の靴と靴下が明確に映っている写真↓
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歯列矯正のアイドルは、その治療故により輝く、というアイドルの逆説。(ナッキー)

2016-10-04 22:56:26 | アイドル論
歯列矯正のアイドルは、その治療故により輝く、というアイドルの逆説。(ナッキー)

土日二日間合計6時間お台場野外ステージで100組近くのアイドルを見ました。初めて見るアイドル、久しぶりに見てその変貌に驚いたアイドル、久しぶりに見たらメンバー全員入れ替わって実質的には初めてのアイドル、時々見ているアイドル。

時々見ているアイドルは、「メンバーの中で誰が好き」は決まっているのですが、時には、そうでないメンバーの魅力に気がつき、それまで「魅力に気がついていなかった自分を責める」ことがある。

六つの野外ステージを巡回しながら見ていたので、鑑賞位置は客先の最後列。時々見ているアイドルは、ルックスよりフォーメーションを楽しむ度合が強い。あるアイドルグループ、全体を見ていたら、ハッと、おや?、このメンバーはこんな表情をするのか、という発見。

じっくりと姿を見たくなり、他の五つのステージは捨てて、客席を前方に移動、左の端ニ列目で、彼女の歌う姿、振り付けの姿、踊る姿に見入った。

するとそこで、さらに新たな発見。歯列矯正をしている。
そのアイドルはグループの新しいメンバーですが、私はレッスンイベントで一回、対バンで一回(物販は参加しなかったけど眺めていた)見ているが歯列矯正していたという記憶はない。

彼女のツイッター・ブログを見ましたが、明確に歯が映っている写真は見つからず。
2014年12月によく見ていたアイドル4人が歯列矯正している写真を貼って記事にしましたが、私は、否定されても魅力的なのがアイドルの存在意義だと思うので、例えば、

演歌歌手に比べると歌唱力はないけど、アイドルは魅力的
女優に比べると美人ではないけど、アイドルは魅力的
ファンの男性とセックスしたことが公表されてしまったけど、指原莉乃は魅力的
セックスが好きだと公言しているけど、指原莉乃は魅力的
歯列矯正はルックスとしてはハンディキャップだけど、アイドルとして魅力的

もし、私が、歯列矯正に気がつく前に、遠目で見て魅力的だと感じたアイドルが、
「歯列矯正していることを隠したい、目立たないようにしたいと、笑顔を控えている」としたら、むしろ、堂々とふるまることを勧めたい。
治療が終わって歯列がきれいになった自分を想像して、ファンに笑顔を見せる。

現代のアイドルファンは、心が広いから、歯列矯正をしているからと理由でアイドルを嫌ったりしないと思うから。少なくともナッキーはそうです。
指原莉乃がブスであることを自己PRしてビックなアイドルになったという先人の実例から、歯列矯正を自分の個性として、屈託なく、堂々と。
それができれば、一皮むけて、ファンも増えるのではないでしょうか。(ご本人に大層なアドバイスを面と向かって言う勇気はないので、ブログに書きました。)

ナッキー
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アイドルの歌、天使の歌(ナッキー)不思議TOKYOシンデレラ、さくらシンデレラはAKB48初期の楽曲の素晴らしさ

2016-06-26 23:07:56 | アイドル論
アイドルの歌、天使の歌(ナッキー)不思議TOKYOシンデレラ、さくらシンデレラはAKB48初期の楽曲の素晴らしさ

6月22日・24日とステージを見たさくらシンデレラを、今週も2回は見に行きたい。
過去三回の記事では、企画としてのさくらシンデレラの面白さを中心に書いたが、最大の魅力は楽曲です。

アイドルの歌が好きな人に好かれたい、
アイドルの歌に興味がない人は、見に来て(聴きに来て)くれなくても結構というすがすがしいまでのアイドルポップス。

シアター公演ではまったAKB48のCDをipodで熱心に聴いて堪能した頃の音楽。
最近は新しいCDを聴かなくなり、新しいアイドル曲は現場で初聴きというパターンなので、曲に飽きるまでは、さくらシンデレラの現場には行くことになりそう。

二日しか見ていないが、さくらシンデレラの曲は二つに分類できる。
一つ目は、アイドル自身の決意を歌う歌。AKB48でも頻発され、ときめき研究家さんの言う、「自己言及ソング」「楽屋落ち」
さくらシンデレラは「楽屋落ち」が歌になるほど、メンバーの歴史がないから(ナッキーが知らないだけなのかもしれないが)、アイドルなり、競争している者が目標に向かって励む(その意味で)普遍的な歌。だけど、ナッキーの好みではない。
観戦メモより
ステージの君だけに (シアターの女神がモチーフか?)

二つ目、女の子の学園生活や、淡い恋心を歌った歌。
ナッキーの定義では、アイドルがアイドルであるために歌うべき歌。
相撲取りが髷をとってしまったら相撲取りでなくなるのと同じ意味で、アイドルが歌いつがなくなくなったらアイドルでなくなるタイプの歌。

観戦メモより
クラスメイト、昨日までの二人の関係、
タイプだったけど、まさかのーーー
突然のシチュエーションに、とまどっている私

観戦メモより
ちょっぴりせっかちな青い空
ひと足早い夏 やってくる予感
渚はスローモーション (中森明菜)
はじける笑顔まぶしくて わざとよそ見したんだ (グリコCM)
せつなさを追い越せない
はしゃいだ 波打ち際を さえぎる足跡

中森明菜のデビュー曲のプロモ映像(ゴリラが登場)は車で渚に行くというシーンがあったと記憶。
グリコCM:田原俊彦が「ハッとして!Good」をバックに、高原の電話ボックスを背にする松田聖子に近づくと、松田聖子が(はやる心を抑えて)後ろずさるシーンを想起。

アイドル楽曲について、
AKB48はアイドルコアから大衆に媚びる曲が増えて、つまらなくなった。「River」から。それでもアイドルが歌うにふさわしい曲はなくなったわけではない。
「River」はアイドルが歌っているので天使かと誤解するが、曲の本質がアイドルでないという意味で悪魔。東京女子流は全て悪魔。
洋楽や、K-POP、演歌、シンガーソングライターの歌は、最初からアイドルではないと分かっている故、聴かないので、天使にも悪魔にもならない。要注意なのは天使(アイドル)かと惑わされる悪魔(アイドル性のない)曲。
私事ながら、58才で引っ越した。大量のCDを減らさないと新居に住めないので、
天使曲は、もう一度聴く可能性があるので、新居に持っていくか倉庫に預ける。
悪魔曲は、もう二度と聴かないので捨てる。広義でSPEED、浜崎あゆみ、宇多田ヒカルまで。
狭義悪魔曲東京女子流はCDを買って聴いた時間は命を短くしたのも同然(他のアイドルの曲を聴くべきだったという意味)という反省を忘れないようにするために、一枚だけ残した。

ナッキー
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市川乙女、初観戦その3、アイドル鑑賞の真髄の一つの方向(ナッキー)

2016-04-11 00:29:24 | アイドル論
市川乙女、初観戦その3、アイドル鑑賞の真髄の一つの方向(ナッキー)

相撲好きは、小兵力士が上手出し投げから小股すくいを決める瞬間を見たい一方で、大型力士が45日(一突き半)で相手を土俵の外に突き飛ばす豪快な相撲も見たい。
野球好きは、無死一塁から盗塁と送りバントの後スクイズで一点という小技を見たい一方で、一発で逆転する満塁ホームランも見たい。

アイドル好きは、アイドルという伝統芸能を高度に極めたアイドルの技量が発揮されるパフォーマンスを見たい一方で、技は未熟でも見ているだけで楽しい・微笑ましくなる素朴なアイドルも見たい。

「技は未熟でも」 は、「技は未熟が故に」 なのかもしれない。

アイドルとは二律背反する存在なのだが、両方とも好きなアイドルファンなら、どんなアイドルでも楽しめる。
その楽しみは、両極端なアイドルを見た時に極大化するようである。

市川乙女、素朴な方で純度が高かった。

地下アイドルの多くが、芸能人の技を習得してファンを喜ばせる現代では、ローカルアイドルしか、こういう味は出せないという意味での素朴さ。
市川乙女が高度化してしまう前に、観戦を続けるべきと、自分自身で決意。

対極として、一番高度なアイドルは、X21

ナッキー
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童謡がアイドルの起源という新説(ナッキー)

2016-01-17 20:43:57 | アイドル論
童謡がアイドルの起源という新説(ナッキー)

書名:童謡の近代
著者:周東 美材
岩波書店 2700円 この本が日経新聞去年の12月13日、朝日新聞本日に載っていたので要約して引用します。

日経新聞見出し 「未熟さ」尊ぶ起源見出す
童謡が大正時代、ちょうど社会が近代から現代に脱皮する過程で生まれた。
進学や就職で地方から大都市に出てきた、新中間層が、子供を中心とする家庭をアイデンティティのよりどころとし始めた。
子供向けの雑誌「赤い鳥」は1918年の創刊。鈴木三重吉。

本居長世は「赤い靴」「青い目の人形」を作曲。自分の三人の娘を歌手にして、童謡の普及に貢献した。
その経緯は日本のポピュラー音楽におけるアイドルの起源とも重なる


子どもの可愛らしい歌を尊ぶ「未熟さ」に積極的な価値を見出す。
現在の日本文化の特徴として受け継がれている


この本を読んでいないで批評は控えるが、現在アイドルがこれだけ盛んになっていなければ、未熟さに積極的な価値が日本文化とは言われないから、歴史は現代によって新しく解釈されることのみ指摘できる。
朝日新聞書評は次回に。

ナッキー
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70年代最大のアイドルと前田敦子との共通性は「何故人気があったのか分からない」(ナッキー)

2015-12-03 21:54:02 | アイドル論
70年代最大のアイドルと前田敦子との共通性は「何故人気があったのか分からない」(ナッキー)

私が初めてAKB48の握手会に参加したのは、「軽蔑していた愛情」
当時はCD一枚買うと、好きなメンバーを選択できた。
私が選んだのは、大島優子。まだ特定の推しはいなかったので、一番アイドルらしいメンバーという理由で。

大島優子が現代の桜田淳子というと過大評価となるが、初期AKB48で、アイドルの代表が大島優子だったのは間違いない。

AKB48の中で、アイドルの代表が大島優子なら、ダメアイドルの代表が前田敦子だった。
何故人気があるのか分からない、アイドルらしくない、これがダメ。

10年、20年たち、AKB48の前田敦子をリアルタイムで見ていない未来のアイドルファンが、初期AKB48の映像を見て、「何故こんなメンバーが一番人気だったのだろう」と理解に苦しむ。
まるで、70年代前半のトップアイドルの天地真理の当時の映像を見て、「何故こんなブスな歌手が、一番人気のアイドルだったのだろう」と感じるのと同じように。

天地真理・前田敦子
桜田淳子・大島優子
山口百恵・指原莉乃  という構図・なぞらえが成立する。

第二次世界大戦の前の日本は、同盟国がドイツ。現代の日本は、実質的な同盟国がアメリカ。
第二次世界大戦の前の日本は、敵対国が「鬼畜米英」。現代の日本の脅威は中国と言われている。
第二次世界大戦の前の日本は、アメリカと手を結ぶことなど想像外だったが終戦後実現する。現代の日本は、中国と手を結びことなど想像外だが、・・・
ドイツ第三帝国・アメリカ
アメリカ・中華人民共和国  という歴史のなぞらえも考えられる。

ナッキー

前田敦子に関する記事、「苦役列車の観客の少なさ」をトップ、それ以外は古い順にリンク
前田敦子ファンは一体何をしているのだろう。総選挙でお金を使うこともなかったはずなのに、CD1枚とほぼ同じ料金で鑑賞できるのだから、「苦役列車」を2回、3回と繰り返し見ればいいと思うのだが。

気持ちを顔に出せる、それこそが前田敦子の魅力(KC)
気持ちが顔に出る-----ずっとそう言われてきた
うれしい時、つかれている時、気分がのらない時も、前田敦子はすべて表情にでてしまう。
それは、アイドルとしてプラスであり、時にマイナスでもあった。

もしドラ映画鑑賞(ナッキー)フレッシュをキャッチフレーズにしている、峯岸みなみは、高校生を演じきっていましたが、前田敦子は、少しきつかった。特に制服のシーンが。ジーンズをはいて、本屋でのシーンは、カジュアルな服装のセンスがよく、輝いていました。

「もしドラ」鑑賞記(ときめき研究家)興行成績はいまひとつのようなので、前田ファンは、CDを1枚多く買ったと思って、映画館に見に行くべきだろう。

前田敦子の卒業は、宝塚トップスターの退団と同じ(ときめき研究家)2012-4-12 AKB48が宝塚のように100年続いて、芸能人の供給源となっていくことを狙うとしたら、このタイミングでのトップ交代は賢明な判断だと考える。今後の前田のソロとしての活躍と、残ったメンバーの活性化がうまく行くことが条件になる。

秋元康にとって前田敦子は特別な存在(ときめき研究家)2012-5-14 『今 君といられること』も、間もなく卒業してしまうまでの貴重な時間のことを歌っているようだ。「来年のことなのに 卒業近づいてきた」という歌詞がそれを暗示していたのだ。

前田敦子のファンはいないのだろうか、アイドル時代は、「ものすごかった」(KC)

普通の女の子がアイドルとして人気が出てしまった前田敦子(KC)

前田敦子の不思議な魅力、それはダンスでもなく、秀でているからでもない(KC )

前田敦子の不思議な魅力、それは「色がない、素の魅力」(KC)

AKB48の一員だから前田敦子を応援した。AKB48でなくなった前田敦子は応援する意味・価値がない。引退は詐欺だ、というファンの声

「ファーストラビット」を再評価(ときめき研究家)2012-10-5 危険も省みず、夢に向かって駆けていくパイオニアたる「ファースト・ラビット」は、もちろん前田敦子そのものだ。しかし、「ファースト・ラビット」は前田敦子だけではない

兒玉遥は、前田敦子の踊りは大きくない、と評した。前田敦子は自分が自分のアンチ。(KC)

映画「苦役列車」 本当に見て欲しい時に…君がいない(ピーナッツ)

前田敦子、BRUTUS表紙 自分は「嘘の塊」だと思うと、発言(KC)

前田敦子の声に強いアイドル性(KC)

2012年AKBグループ楽曲ベスト10(ときめき研究家) 『君は僕だ』(前田敦子)。吹っ切れたような前田の歌唱が素敵な1曲。「君」と「僕」が何を指すのか、色々な聴き方ができる歌詞だ。『ファーストラビット』(AKB48)。これも結局、前田敦子のことを歌った曲だ。MVでは、そこには映っていない彼女の存在感ばかりが強調されているようだった。

前田敦子の後継者は梅田綾乃である。2012年見逃した君たちへDVD「恋愛禁止条例」 13期研究生(ナッキー)

「指原莉乃1位にしらけた」に反論、前田敦子よりずっと可愛くてアイドル性が高い(KC)

指原莉乃と前田敦子の似てるトコ(ピーナッツ)

『クロユリ団地』は、あまり怖くないホラー映画。(ときめき研究家)

「クロユリ団地」前田敦子よかったです。(ナッキー)

あまちゃん、アメ女国民投票は、アイドルの順位とはこうあるべきというモデル(ナッキー)本来、前田敦子は、一回だけ1位になる人材であったことを、あまちゃんの有馬めぐが暗示している。

前田敦子は、「普通の女の子に見える」アイドルであり、「本当に」普通の女の子ではない。ナッキー

『タイムマシンなんていらない』。世界一幸福なラブシング。(ときめき研究家)

山下監督の女優前田敦子評(KC)『私を見て』という押し付けがましさがない。

『もらとりあむタマ子』。だらだらとした至福の時間を楽しんだ。(ときめき研究家)AKBグループのファーストラビットである前田敦子が、卒業後にどのような活躍をするのかは、見届けたいという思いがある。

「前田敦子はキリストを超えた」感想(ナッキー)AKB48ファンとして、ひまわり組公演の時の輝きの前田敦子の印象のまま、消えて欲しかったという想いはある。

教授の質問:何故、前田敦子がAKB48のセンターだったのか(ナッキー)「秋元康は一番センターに向いていないという理由で、アイドルとして未完成だった前田をあえてセンターに指名した。」これは秋元康の公式見解。
前田敦子はセンターになってしまったっから、アイドルとして魅力がなかったという印象が残ってしまった。
センターになっていなかったら、おニャン子クラブの永田ルリ子のように、可愛い伝説が残ったかもしれない


秋元康発言の原典。ほかの子たちはみんなセンターになりたいし、ソロ曲がほしいんです。僕のプロデュースで、その子がセンターに立つかソロ・デビューして“にんまり”しちゃうと、そこからはもうドラマが生まれないんです。だから前田敦子しかいない、というのがありました


前田敦子では、地下アイドルのセンターはつとまらない。秋元康の誤算は渡辺麻友の全盛が長かったこと。(ナッキー)
まゆゆの可愛らしさがこんなに長く続くなら、総選挙なんか導入せず、前田敦子を1年くらいでおろして、渡辺麻友をセンターにしておけば、よりアイドルらしいグループになって、よかった。
地下アイドルは目立たなくてはならないから、前田敦子タイプがセンターは無理。

城恵理子が可愛くない、前田敦子の全盛は長いか短いか(KC)
前田敦子が、ひまわり組の時は可愛かったのに、RIVERで売れたAKB48のセンターとしてテレビに出始めた頃には、可愛くなくなっていたのを、走馬灯のように思い出す。
応援し続けていたAKB48が、やっと売れたのに、センターに「アイドルとして」魅力のないメンバーが座り続けた罪は大きい。
選抜総選挙という制度がなければ、魅力減退の前田敦子のセンターは短かっただろうから、総選挙制度の罪も大きい。

松田聖子の全盛、前田敦子の全盛、渡辺麻友の全盛(KC)
アイドル前田敦子の全盛がひまわり組で、芸能人前田敦子の全盛はAKB48のセンターとしてテレビで活躍した頃、松田聖子と、前田敦子は、アイドル的でなくなってからが、芸能人としての全盛でした

劇団なら、誰だって所属できる。(ナッキー)感想:AKB48のセンターなら光るものがなくても主演映画を何本も撮ってくれる。


1月18日有吉ジャポン、前田敦子「アイドルが一番簡単」「誰でもできます」(ナッキー)
感想:前田敦子って潔いですよね。自分は能力がない。自分にできる。誰でもできる。簡単。

健全なHKT48、不健全だったAKB48(ナッキー)長い間、前田敦子という本来センターに座るべきでないメンバーが長期にセンターなために不健全だったAKB48の戦訓が活かされていると思います。

出来のいい前田敦子は、形容矛盾(ナッキー) 「前田敦子の存在価値は、出来が悪いのにセンターになったこと」
「前田敦子がセンターだけでなく、総選挙1位になったのはAKB48の黒歴史」
と、AKBをテレビでしか見たことない連中から、集中砲火。
現場で見た前田敦子は、アイドル性低かったけど、罵倒の対象になるほどではなかったのだが、・・・

『前しか向かねえ』の前は前田敦子の前?(ときめき研究家)
 『前しか向かねえ』の「前」とは、前田敦子のことを意味するという解釈も成り立つのではないか。
AKBグループでは宿命のライバルであり、グループを背負うリーダーとして理解し合えた仲でもあった2人。一足先に卒業して、決して平坦ではないソロ芸能人としての道を歩んでいる前田敦子の後を追って、大島優子もまた厳しい道を歩き始める。
AKBグループが芸能人の登竜門として、宝塚歌劇団のように100年続いて行くためには、トップを究めて卒業したOGが、宝塚OGのように芸能人として活躍して行かなければならない。本人が望む望まないに関わらず、その使命を前田敦子は負っている。そして大島優子もまた同じ使命を負うことになる。
後ろを振り返っている場合ではない。

恥をかく覚悟ができた 前田敦子に期待(ピーナッツ) 

『さよなら歌舞伎町』を鑑賞。少し辛口の前田敦子評。ネタバレあり。(ときめき研究家)
前田敦子は映画の集客のために「主役」扱いされながら、映画の中での存在感は軽く、輝いてもいない。集客することも大きな貢献なのだが、これまでの主演映画の客入りを見ても、AKBグループのファンは映画館にはあまり行かないような気もする。前田敦子ファンで『さよなら歌舞伎町』を観た人はどのくらいいるのだろうか。

AKB48がももクロに負けたのはセンターの差、前田敦子vs百田夏菜子(ナッキー)
ナッキーは長い間AKB48の大ファンで、それが理由で、ももクロは見逃していたのですが、
映画一本で、うかつなことは言えないけど、アイドルの価値として、ももクロの方がAKB48より上。
その一番の理由は、センター、前田敦子と百田夏菜子の差。

前田敦子出演ドラマ『ど根性ガエル』を観る。第5話まで。(ときめき研究家)

前田敦子出演ドラマ『ど根性ガエル』を最終回まで観る。ネタバレあり。(ときめき研究家)


本ブログは、ライターの誰かが、前田敦子を鑑賞し続け、世界で一番長く前田敦子を語り続けるブログを目指します。編集ナッキー
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前田敦子・大島優子・指原莉乃を、黎明期のアイドルになぞらえる(ナッキー)

2015-12-02 21:11:10 | アイドル論
前田敦子・大島優子・指原莉乃を、黎明期のアイドルになぞらえる(ナッキー)

「指原莉乃は存在感と大物感がある」という総選挙分析ライターさんの記事を読んで、指原莉乃と山口百恵は、存在感・大物感というキーワードで結びついていることに気がついた。

山口百恵は、大物という位置づけだった。アイドルとしてレコード大賞を受賞する最初の歌手として期待されたが、勝負曲のめぐり合わせが悪く、中森明菜まで待つことになる。
ピンクレディのレコード大賞は、アイドルではなく、大衆歌手としての受賞と定義しておく。

山口百恵が芸能人として大物化したのは、ドラマがヒットしたにもかかわらず演技力が評価できないので、存在感という表現で絶賛されてから。「よく分からないけれど、人気があるから」大物となる。歌が上手いとか、演技力があるとか、評価されるポイントがあると、大物にならないという逆説。
指原莉乃には、山口百恵になかったトーク力がある。

山口百恵のライバルで、最初はアイドルらしさで圧倒していた桜田淳子に位置する黎明期アイドルは大島優子。
共通点は、高度な技術力。一度は頂点に立った。
桜田淳子は、後に80年代に松田聖子が継承した「ぶりっ子」の元祖。自然とアイドルらしく振舞っているのに、その本質を見抜けない鑑賞者には「わざとらしく」見えてしまう。どれだけアイドルとして輝いているかを見なくてはいけないのに。
1975年のトップアイドル桜田淳子に、総選挙1位の大島優子をなぞらえることができる。

次回は前田敦子。

ナッキー
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アイドル・芸能人を評価する、存在感という言葉(ナッキー)

2015-12-02 05:38:43 | アイドル論
アイドル・芸能人を評価する、存在感という言葉(ナッキー)

11月26日朝日新聞社会面より引用
「(原節子は)田中絹代や高峰秀子のように演技で見せるのではなく、存在感で印象づけるタイプの映画スターだった。」

芸能人を評価する際に、「存在感がある」という表現が使われるようになったのは、いつからなのだろうか。

私が、「存在感がある」と言葉を知ったのは、山口百恵。
大好きなアイドルだった、山口百恵がだんだんアイドルらしさが減じてきた時、反比例して、存在感があると評価されるようになった。

アイドルは好きだで、アイドルを論じる文章はたくさん読んでいるが、芸能一般の文章はそんなに読んでいないので、山口百恵以前に「存在感」という評が一般的だったのかは分からない。

仮に、存在感が、山口百恵からだとすると、原節子が活躍していた時代には使われていなかった表現で、死後語られたことになり、それはそれで面白い。

ナッキー
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文化・アイドル論(ナッキー)

2015-12-01 00:13:28 | アイドル論
文化・アイドル論(ナッキー)

ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロス
「文化とは何か。それは国の吐息だ。
文化がなければ、それが迫害されれば、国は息ができなくなり窒息してしまう。」

イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベン
「資本主義とは単なる経済の一つの主義というよりも、一つの宗教だ。
資本主義はただの宗教ではない。
より強く冷酷で、非合理で息のつまる、かつてない宗教だ。
(資本主義を生み出した)キリスト教のような、救済も、贖罪も、破門も資本主義にはない。
何者にも邪魔されずに、その信仰を延々と保つことのできる絶対的な文化というレベルの宗教だ。
現代世界はこの資本主義という宗教によって、より非合理な形で支配されている。
私たちは選ばなくてはならない。国内総生産の成長か、それによって失われる人間性の方か。どちらが大事か。
彼ら(資本主義)宗教者たちは、もちろん、常に安定した成長を手にするために、人間性の破壊をよしとするだとう。
資本主義(という宗教)が見据えているのは世界の変容ではない。世界の破壊だ。


アイドルは文化である、がこのブログの主張であるが、文化を定義することは難しい。
相撲は文化である。
歌舞伎は文化である。
落語は文化である。以上は、日本人の共通理解、普遍性が高い。

アイドルは文化である、と言えるのか。
アイドルが迫害されれば、日本は息ができなくなり窒息してしまうのか。

相撲も、歌舞伎も、落語も、観客を引きつけることで存続・継承してきた故、競争に勝ち残ってきた歴史より、資本主義の一部なのである。しかし、文化の一部であり、文化を破壊するものではない。
アイドルは行き過ぎた資本主義として、文化を破壊するおそれがある文化なのかもしれない。

ナッキー

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原節子(ナッキー)

2015-11-26 07:08:30 | アイドル論
原節子(ナッキー)

アイドリアン史観で新聞報道を読むと、原節子はアイドル価値が高い。

 「わたし昔から大根々々といわれつけているので悪口いわれても平気になった」(31歳の原節子の発言)

 一般の神話のイメージとは違って、とっても気さくな方なんです。原さんの一番の魅力ですか? 私は、清潔感だと思います。演技では出せない生地の魅力ですね。(司葉子の発言)


演技力がないけど魅力がある、のはアイドル。
演技力よりも生地の魅力で大衆を引きつける、のもアイドル。

演技力を歌唱力に置き換えると、1970年以降のアイドル歌手の価値・魅力。

原節子が引退したのは1962年、アイドルの夜明け1971年の南沙織デビューの9年前。
アイドルという文化は、突然生まれたものではなく、日本文化の伝統から派生したもの、と考える方が自然。
ナッキー
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指原莉乃、最高の地下アイドル(ナッキー)

2015-10-30 18:16:04 | アイドル論
指原莉乃、最高の地下アイドル(ナッキー)

何故AKB48という国民的アイドルでの二大人気者が、前田敦子と指原莉乃という、
美しくも、可愛くもないメンバーなのか、かねがね不思議に思っていたのですが、ある地下アイドルの文章を読んで、指原莉乃については納得。

引用開始
 もし、「一応アイドルとは名乗ってますが……」と腰が引けているメジャーなアイドルと、「私はアイドル!」とアイドル然としている地下アイドルがいたとして、どちらがより“アイドルっぽい”と思うだろうか。

パッと見たときの容姿の可愛さはメジャーなアイドルのほうが勝っていたとしても、長い目で見たら、自分が「アイドル」であることに疑問を持たずにアイドルとして振る舞っている後者のほうが、徐々にアイドルっぽく見えてきてしまいそうである。

つまり、人をアイドルたらしめるのは、容姿や技術にかかわらず、どこまで屈託なく自らを「アイドル」と思い込めるか、なのではないだろうか。

それは、インディーズかメジャーか、地下なのか誰でもなれるのか、そういった部分は関係ないのかもしれない。
引用終了

指原莉乃には、ここに書かれているような、アイドルとしての魅力がある。
前田敦子には、ここに書かれているような、アイドルとしての魅力はないのに、オーラがあるとなど、過大な評価を得たのは、依然として謎である。

ナッキー
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アイドルの様式美、安島菜々の右手手のひら(ナッキー)

2015-08-26 22:21:07 | アイドル論
アイドルの様式美、安島菜々の右手手のひら(ナッキー)

こちらの記事で、「人間ではない、人形のアイドルが見たい」と書きましたが、もちろん、
人形のアイドルロボット・アイドルサイボーグを見たいのではなく、
人形のようなアイドル、人形に見える人間(女の子)を見たいのです。

AKB48・ももクロに代表されるダンスアイドルは、あんなに動いてしまうと、人形ではなく人間に見えるので、私にとっては、それだけで、アイドルらしさを失ったアイドル。

ライブアイドルで、最もアイドルらしく見える(人形のような)アイドルは、安島菜々。
Barbeeなる四人組アイドルで歌う時は、ダンスもあり、大きな振り付けもありなので、人形らしさは減りますが、ソロとしてライブで歌う時は、昔のアイドルを見ているよう。

今日も、川崎で、ソロライブ見ました。いつもはミニスカートの安島菜々が、今日は浴衣(ゆかた)姿。
いつものライブでは、頭から足のつま先まで見られる距離からステージを見て、人形のような足の美しさに見とれてしまうのですが、今日は浴衣に隠れて足は見えません。

マイクを左手に歌う安島菜々。右手でリズムをとり、右手の動きのみがふりつけ。
これが魅力的。特に、ふりつけで動かした右手の手のひらを開いて、胸(首と胸の間)にそえるところ。

アイドルの様式美、ここにあり。

打者野村克也(元南海ホークス)が、投手稲尾和久(元西鉄ライオンズ)に、「世間では稲尾の決め球、最も得意とする変化球はスライダーだと言われていたが、本当はシュートだった」と指摘し、稲尾がうなずいたという逸話を思い出す。
安島菜々の魅力は、足の美しさだと評価してきたが、本当は右手にあると、浴衣姿で歌うライブを見て、ようやく気がつきました。

ナッキー

安島菜々、過去の記事
シュルエットだけでも、魅力的なのが、アイドル(ナッキー)
可愛いだけなら、歌うアイドルでなくても、芸能界には大勢いるでしょう。
美人なら、アイドルよりも、女優、 かっこいいなら、アイドルよりも、モデルに多いでしょう。
アイドルの本質的な魅力は、可愛い、美人、かっこいいとは違う
たくさんの歌うアイドルを見て、時には、シュルエットだけでも、魅力的だというアイドルに、出会います。
体全体からアイドルらしさを発散している、
例えば、振り付け、手の動き、顔の傾け方
例えば、歌のリズムに合わせた足のステップ

アイドルの歌を現場でしか聴かなくなって、ライブで聴く歌に力が入ります(ナッキー)
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武藤貴也の基本的人権の尊重主犯説と、AKB48恋愛禁止条例、パロディです(ナッキー)

2015-08-03 08:32:57 | アイドル論
武藤貴也の基本的人権の尊重主犯説と、AKB48恋愛禁止条例、パロディです(ナッキー)

次に「恋愛禁止条例」について。
私はこれがアイドル鑑賞精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「恋愛禁止条例」は、AKB48前は制限されて当たり前だと考えられていた。
全てのアイドルは、基本的人権があり、恋愛の自由があり、プライバシーがあり、その中で生きている。
基本的人権が滅ぼされてしまったら、当然その国のアイドルも滅びてしまう

従って、アイドルの目標やファンの願望を守るためには恋愛禁止条例は、例え「アイドル批判権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。
もちろんその根底には「アイドルの基本的人権を守る」という「ファン精神」があったことは言うまでも無い。
だからこそ第二次世界大戦時にアイドルを守る為にアイドルファンは命を捧げたのである。
しかし、戦後AKB48によってもたらされたこの「恋愛禁止条例」という思想によって「アイドルの基本的人権」の概念は破壊されてしまった。
「恋愛禁止条例」という言葉に表された思想の根底には、アイドル本人がどうなろうと、アイドルシーンがどうなろうと自分の「アイドルは処女であるという願望」は守られるべきだという、身勝手な「ファン至上主義」が存在している
従って、ファンはアイドルシーン全体の利益に奉仕することをしなくなり、その身勝手な願望主義に基づく投票行動がアイドルシーンを衆愚政治に向かわせ、秋元康プロデューサーは大衆迎合するようになっていった。
それは言うまでも無く「アイドルの処女性が第一」を高らかに叫ぶ今の柏木由紀批判に如実に表れている


パロディの元は、自民党衆院議員武藤貴也ブログ、滋賀四区 http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html
 次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。それは言うまでも無く「国民の生活が第一」を高らかに叫ぶ今の政治に如実に表れている。

感想、
アイドルの恋愛禁止がよいのか、やめるべきなのかを議論する基本的人権は確保しておきたいものだ。
戦前の国家至上主義は江戸川乱歩の小説でさえ発禁にした。
基本的人権がなければ、アイドル鑑賞が国家により禁止される。

アイドルこそ、国民に厭戦気分を蔓延させる文化。

武藤貴也氏が鋭いのは、
国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「アイドル鑑賞権」は守られるべきだ、とアイドルファンの本能を喚起したこと。

ナッキー
コメント (2)
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