AKB48 チームBのファンより

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YOASOBI『アイドル』は令和の『なんてったってアイドル』か?(ときめき研究家)

2023-06-23 21:22:03 | ときめき研究家
YOASOBI『アイドル』が世界中でヒットしているようだ。
アニメ『推しの子』の主題歌ということで、そのアニメの世界観を反映しているのだろう。しかし私はそのアニメを観たことがなく、原作も読んだことがないので、純粋に1曲の楽曲として鑑賞した感想を記したい。

曲の印象は、複雑で目まぐるしい。そしてそんな曲を完璧に歌いこなしている。素人がカラオケでいきなり歌えるようなものではない。高度な音楽だと思う。
そして、歌詞も複雑だ。ファンの視点、同僚アイドルの視点、そしてアイドル本人の視点が混在して、立体的にそのアイドル像が描かれる。即ち、絶対的な至高のアイドル、完璧で一寸の隙も無く、万人に崇めたてられる教祖のような存在だ。「恋愛はしたことがない」という嘘を平気でつくが、いつか嘘が嘘でなくなる、皆がそれを信じればそれが真実になる、そんな一種オカルト的な内容だ。

昭和の末期、アイドルの存在を客体化し、パロディーのように歌ったのが小泉今日子『なんてったってアイドル』だった。小泉今日子本人は「大人が悪ふざけしている」と受け止めていたらしい。しかし、今聴き直してみると、それほど過激な内容ではないと思える。
「恋はするにはするけど スキャンダルならノーサンキュー」「イメージが大切よ 清く正しく美しく」というフレーズは、元も子もないようだが、当時から「アイドルとはそういうものだろう」と一般に認識されていたそのままだ。強いて言えば、誰もがそう思っても敢えて口に出さない「暗黙の了解」を、あーあ言っちゃったという感じが過激だったのだろう。
アイドルだって人間、恋もするし、オナラもする(本田美奈子は薔薇の香りだと絶妙なことを言っていたが)。それは分かっていても、テレビの中のアイドルは「清く正しく美しい」存在だという虚構を楽しんでいたのだ。

昭和と令和では時代が違う。昭和、アイドルは主にテレビで鑑賞するものだった。生身のアイドルに関する情報は、明星・平凡に載っている「取材用のプライベート情報」か、歌番組の中の短いトークくらいしかなかった。ファンクラブに加入すればもう少し詳しい情報が得られたかもしれないが、それだって事務所が介在した公式の情報に違いなかっただろう。だから我々は「TVの国からキラキラ」したオーラを放つ存在を、一方的に見るだけの「ファン」たり得たのだ。
平成から令和、「会いに行けるアイドル」という風潮が広まり、更にインターネット、SNSの普及により、アイドル自身がプライベートも含めて積極的に発信せざるを得ない状況になっている。受け手側もそれを求め、一方的に見るだけでなく、彼女を「推し」て、育てて、一緒に生きて行く存在になったのだ。令和のアイドルは、だから気が休まる時がなく、しんどいと思う。人気が出ないということは、ルックスや楽曲や事務所のプロモーションが悪いからではなく、彼女の人間性全部に魅力がないからだと受け止めてしまいかねない。
そんな時代の『アイドル』は、昭和の頃のように生身と虚像を使い分け、見えるところだけ「清く正しく美しく」あればいいわけではない。嘘を言ってもそれが真実になる、世の中の全員を全身全霊で愛し、愛される、そんなあり得ないような存在を目指し、信じ込み、そして実際にそうなりきって行くのだ。24時間アイドルを演じているうちに、それが人格そのものになっていくのだ。

昭和から令和まで、一貫して主に音源のみで楽曲を鑑賞している私は、そういうアイドル観の変遷とは比較的遠い位置にある。しかし、『なんてったってアイドル』と『アイドル』の圧倒的な違いを考えると、もう引き返せない所にきてしまったのだなと実感する。
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