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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

英雄化された盧武鉉氏 

2009-05-30 18:54:27 | Weblog
 ワイロ疑惑で自殺した盧武鉉前大統領に対する国民の哀悼熱気には驚いた。故郷の村での弔問の人波は100万人を超えたといい、29日のソウルでの国民葬や追悼式には約20万人もの人びとが集まった。死亡から葬儀までの1週間、全国各地での弔問、追悼者の数もすごかった。

 多くの普通の人が涙を流し、時に号泣し、祭壇で失神する人も。韓国では事故現場などでの家族、親族の号泣や失神はよくあるが、政治家の前大統領が亡くなったからといって…。


 この1週間、テレビなどマスコミは哀悼一色で毎日、繰り返しその人物像をほめたたえ、疑惑そっちのけで盧武鉉氏を英雄扱いしていた。まるで大統領選の盧武鉉陣営のPRキャンペーンのようだった。


 正直言って「盧武鉉氏はそんなすごい人物だったかしら?」「そんなに人気があったとは?」「なぜまた急に英雄になったのだろう?」と不思議に思った。


 盧武鉉氏は大統領在任中(2003~08年)、支持率は低迷し、その結果、次の大統領選では与党候補は惨敗し、現在の李明博大統領が圧勝している。


 しかも今回の自殺の原因は600万ドルのワイロ疑惑という、本人の言葉を借りればまったく「面目ない」ものだ。


 非エリートの庶民派大統領として「人が暮らせる世の中」を目指し、貧富格差解消など弱者重視に意欲満々だったが、在任中、庶民の暮らしがとくによくなったことはない。庶民の最大関心の教育問題や住宅問題でも、きわだった成果はなかった。


 「開かれた心・開かれた社会」を強調していたが、保守派とは最後まで和解しようとしなかった。


 どう考えても死後、全国的にものすごい哀悼ブームが起き、あらためて英雄視されるような要素はなかった。しかし実際には爆発的な哀悼雰囲気となった。


 あの人びとの集まり方や熱気は、ソウル都心を埋めた02年のワールドカップサッカーの群衆応援や、昨年の“狂牛病騒ぎ”から広がった大規模な反政府ロウソク・デモを連想させるものだ。


 こうなると盧武鉉前大統領の業績評価や人物論より「韓国人とはいったいどういう人たちなのか?」が関心の対象になってくる。韓国人自身に「なぜなんだ?」と聞いてみた。


 その答えとしてはまず「やはり国家元首の死は痛ましく国民はそれを身近に感じ涙する」「韓国人は人の死にはことさら反応し感情移入が激しい」「人がやるとわれもわれもと動きだし、人びととの一体感によって自己の存在確認をしようとする」「群集心理が強く、悲しみでもそれに加わらないと不安になる」というのが一般論。


 これにプラスして、人びとは「清く貧しく正しい」イメージの庶民派大統領を追慕し「自分も洗われた気分」になる。そして支持者たちは「経済人出身の李明博大統領はもっと汚いのに、わずかな疑惑で死に追いやられた盧武鉉前大統領はかわいそうだ、いたわしい」と思い現政府批判の感情をつのらせている。今や「600万ドル」を話題にする人はいない。


 葬儀の際、街頭を埋めたイエローカラーは盧武鉉氏の大統領選の際の応援カラーだ。支持者たちはその再現で盧武鉉氏を追慕したが、あの風景は「盧武鉉政権5年」の印象が逆に弱いことを物語っている。在任中が(疑惑発覚を含め)期待ほどにはふるわなかったため、その記憶を忘れ当初の“盧武鉉イメージ”に戻ることで彼を評価し、安心したいのかもしれない。


 それにしても瞬時に大量の人びとが街頭に繰り出す韓国人の風景は今回も印象的だ。その熱気の中ではヘタなことは言ったり書いたりできない。



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ワタリガニ戦争

2009-05-30 18:51:10 | Weblog
 1970年代に北欧のアイスランドと英国の間で“タラ戦争”というのがあった。タラの漁場をめぐる紛争で、双方が海軍の艦艇まで出して対立した。漁獲をめぐる国際間の争いはしばしばある。カナダと米国などのほか、領土紛争がらみの日本とロシアは周知の通りだ。

 朝鮮半島でも近年それがあり、ワタリガニの好漁場になっている西海岸沖がその現場だ。南北軍事境界線あたりで、南北双方の漁船のほか近年は中国漁船まで加わってお互いケンカ腰だ。とくに南北で軍事緊張が高まり南北の漁船が操業を見合わせたりすると、そのスキに中国漁船が文字通り“漁夫の利”をねらって入り込む。


 1990年代以降、南北間で2回、大規模な海戦があり、筆者は勝手に“ワタリガニ戦争”と名付けてきた。しかしこの“戦争”はカニの奪い合いが目的ではなく、政治的対立からカニ漁が犠牲になるという話だ。ワタリガニ漁は5、6月が最盛期でそのころが味も最高である。


 ワタリガニは殻が相当固い。蒸したり湯がいたり断ち割って鍋にし、身をほじくって食べるが、珍味は生の醤油漬けで「カンジャンケジャン」という。手足のトロッとした肉をかみしだくように食べる。


 しかし「カンジャンケジャン」は頭の殻にご飯を入れ、漬け汁で食べるのが最高にうまい。食通はみんなこれをやる。旬に“ワタリガニ戦争”が起きると値段が暴騰する。グルメには頭が痛い。

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延坪島 緊張漂う南北境界

2009-05-30 18:40:55 | Weblog
韓国・延坪島 緊張漂う南北境界、豊かな海で銃撃戦の過去

 ワタリガニ漁の最盛期を迎えた普段は静かな漁村に、時ならぬ緊張感が走っている。黄海の南北境界である北方限界線(NLL)一帯。核実験を強行した北朝鮮が、制裁への対抗措置として武力行使の可能性をちらつかせ、周辺海域を航行する船舶の安全を保証しないと言い始めたからだ。延坪島(ヨンピョンド)周辺で99年と02年に起きた南北艦艇の交戦は、いずれもカニ漁真っ盛りのこの時期だった。

 延坪島は人口約1660人。ほかに韓国軍兵士約600人がいる。島周辺はワタリガニの好漁場で、約860世帯のうち半数が漁業に従事する。

 韓国西岸の仁川港からは約130キロ離れ、高速船で2時間。一方、北朝鮮黄海南道の海岸まで約10キロ、NLLまでは約3キロしか離れていない。北朝鮮側で演習が始まると「ドーン」という砲撃音が聞こえてくるという。北朝鮮の「挑発」に備え、米韓連合軍司令部は境界線付近の監視体制を強化している。

 過去2回の衝突は、いずれも6月だった。カニの産卵期を控え漁の最盛期にあたるからだ。カニを追う北朝鮮の漁船と共に警備艇も南下してNLLを越え、韓国軍の警備艇と銃撃戦に発展した。

 島の役所によると29日現在、北朝鮮の漁船の姿は見えない。一方、NLL付近ではこの日、中国漁船97隻が操業中で「いつもより若干少ない程度で、撤収はしていない」(島の役所)という。

 島民は中国漁船に警戒の目を向ける。カニの漁獲量は豊漁だった昨年に比べ、4月は約6割にとどまった。中国漁船の乱獲が原因とみられている。地元の漁業関係者の間には「北朝鮮が中国漁船に金をもらい漁をさせている」との見方もささやかれる。

 韓国が大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への全面参加を表明したのを受け、北朝鮮は27日、朝鮮戦争の休戦協定の「拘束は受けない」と主張。延坪島などの法的地位や、周辺海域での一般船舶の安全も保証できないと強調した。韓国メディアによると、北朝鮮沿岸や近くの島には、延坪島を射程にとらえる海岸砲も多数配備されているという。

 ある漁船主(52)は「海上は平穏で漁には出ているが、報道を見ていると不安にかられる」と語った。

◇北方限界線(NLL)
 朝鮮戦争(1950~53年)の休戦協定で定められた軍事境界線は、陸上に限定されていたため、西側の黄海上に国連軍側が艦艇の行動北限としてNLLを設定した。北朝鮮はNLLを問題視しており、黄海で銃撃戦が起きた後の99年9月、「NLLは無効だ」として、NLLの南側に独自に「海上軍事境界線」を設定。ただ、休戦協定で国連軍側の支配地区と規定された延坪島など5島の支配権は、事実上認めてきた。

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韓国戦争参戦の米兵士、韓国で事故死

2009-05-30 18:37:54 | Weblog
 韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦し、56年ぶりに韓国を訪問した元米軍兵士が29日、軍事境界線に近い都羅展望台(京畿道坡州市)を観光中に階段で転倒し死亡した。


 国家報勲処によると、同日午前10時ごろ、元米軍兵士のビクター・ベースさん(75)が都羅展望台の説明室に入ろうとしたところ、階段で転倒し、病院に搬送されたが、頭部の出血が原因で死亡した。


 ベースさんはオレゴン州ポートランド市在住で、1952年8月から53年7月まで国連軍兵士として韓国で戦場を駆け巡った。今回は参戦兵士訪韓行事の一員として招待され、27日に夫妻で入国した。報勲処は「思わぬ事故が起き残念だ」として、米国大使館に通知し、在郷軍人会、国連軍司令部軍事休戦委員会(UNCMAC)、在韓米軍司令部と遺体輸送問題などを話し合っている。


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盧前大統領、告別式-路祭経て、最後の道

2009-05-30 10:04:57 | Weblog
 29日、ソウル景福宮前庭で開かれた故盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の国民葬告別式で、各界要人らは各々盧前大統領を追慕しながら、故人の冥福を祈った。
 引き続き、ソウル広場で挙行された盧前大統領の路祭とソウル駅まで続いた運柩行事では、最大18万人余り(警察発表、路祭主催側は40万~50万人主張)の市民が盧前大統領を哀悼しながら、故人の最後の行く道を見送った。

 告別式は李明博(イ・ミョンバク)大統領と夫人の金潤玉(キム・ユノク)女史、韓昇洙(ハン・スンス)国務総理をはじめとする政・官界要人、駐韓外交使節、権良淑(クォン・ヤンスク)女史と盧建昊(ノ・コンホ)、静妍(ジョンヨン)氏を含んだ遺族など約2500人が参加して厳粛に挙行された。

 告別式には金大中(キム・デジュン)・金泳三(キム・ヨンサム)2人の元職大統領の他に、金ヒョンオ国会議長と李容勲(イ・ヨンフン)大法院長、李康国(イ・カングク)憲法裁判所長、梁承泰(ヤン・スンテ)中央選挙管理委員長など、5権の長と、ハンナラ党の朴[火喜]太(パク・ヒテ)代表、民主党の丁世均(チョン・セギュン)代表、自由先進党の李会昌(イ・フェチャン)総裁、民主労働党の姜基甲(カン・ギガプ)代表などが参加して、故人の最後の行く道を見守った。

 またキャスリン・スチーブンス駐韓米国大使と福田康夫前日本総理をはじめとする外国弔問団と、李海チャン(イ・ヘチャン)・高建(コ・ゴン)前総理、金元基(キム・ウォンギ)元国会議長、柳時敏(ユ・シミン)元保健福祉部長官、安熙正(アン・ヒジョン)民主党最高委員、李康哲(イ・ガンチョル)元市民社会首席、姜錦遠(カン・クムウォン)昌信繊維会長など、参加政府時期の要人と側近、朴ジョンチャン聯合ニュース社長をはじめとする各界代表などが故人を哀悼した。

 告別式は同日午前5時、慶尚南道金海市烽下村で、出棺式を終えて出発した運柩行列が、約5時間の旅程の末に、午前11時に景福宮興礼門前庭に用意された告別式場に入る瞬間、軍楽隊の葬楽演奏で始まった。

 以後、ソン・ジホン・アナウンサーの司会で国民儀礼と故人に対する黙念、葬儀委員会執行委員長の李達坤(イ・ダルゴン)行政安全部長官の故人略歴報告、共同葬儀委員長の韓昇洙総理と韓明淑(ハン・ミョンスク)元総理の弔辞が続いた。

 弔辞と生前映像が放映される間、権良淑女史をはじめとする遺族と、柳時敏元福祉部長官など弔問客らは涙を拭いたり、嗚咽することもした。

 組曲が演奏される中、権良淑女史など遺族と、李明博大統領夫妻、金大中・金泳三前大統領など、高位要人および外交使節、米大使など外交使節が順に盧前大統領の影像に白菊の花を捧げながら、故人の冥福を祈った。

 金大中元大統領が献花を終え、権良淑女史など遺族らといちいち手を握って慰労する時、権女史など遺族は涙をこらえきれなかった。

 告別式は故人が生前に楽しんで聞いたり歌った歌「常緑樹」と「アリラン」「朝つゆ」を国立合唱団合唱と、カン・ウンイルの琴演奏、陸海空軍弔銃隊員らが弔銃21発を発射する儀式を最後に、当初予定より15分ほど伸びた1時間25分で終了した。

 告別式が終わった後、横1.1m、縦1.4m大きさの影像を前面にした運柩行列は、歩道だけでなく道路にまでぎっしり埋まった市民らの哀悼の中で、世宗路を経て、ソウル広場まで徒歩で移動、路上法事を行った。

 運柩行列がソウル広場に到着する頃の午後1時20分頃、広場はもちろん世宗路十字路から崇礼門の前まで、道路全体には、すでに盧前大統領の最後を見送ろうとする10万人余りの市民らでぎっしり埋まった状態であった。

 ソウル広場の特設舞台では、歌手ヤン・ヒウンとアン・チファン、ユン・ドヒョンの追慕公演に続き、路祭では故人の霊魂を呼ぶ招魂儀式をはじめ、国立唱劇団の「魂迎えの声」、国立舞踊団の「鎮魂舞」、アン・ドヒョン・金ジンギョン詩人の弔詩朗読、アン・スクソンの葬唱、黙念、チャン・シア詩人の遺書朗読などの順に進められた。

 路祭が終わって、運柩行列は市民らが合唱する「朝つゆ」と「あなたのための行進曲」などの歌の中で、ソウル駅まで道路をいっぱいに埋めた人波をかき分けてゆっくりと移動し、市民らは2000個余りの弔いの言葉を書いたプラカードを持って行列の後に従いながら、盧前大統領の最後の道をともにした。

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「150日戦闘」に出た北朝鮮

2009-05-30 10:01:29 | Weblog
 まるでハリネズミのようにとげを立て、世界を相手に戦いを挑もうとしている北朝鮮。その戦いは一体いつまで続くのだろうか。


 専門家たちは「すべての住民の労働力を動員する“150日戦闘”が終わる今年9-10月ごろまで、北朝鮮の国内外に対する強硬策は続く可能性が高い」との見方を示している。北朝鮮は長距離ミサイルの発射(先月5日)によって国際社会の制裁が本格化したのを受け、「150日戦闘」に打って出た。今月4日、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が社説で「全党・全国・全人民が心意気を新たにし、“150日戦闘”に挑もう」と訴えて以来、北朝鮮のすべてのメディアは「戦闘」のアピールに力を入れている。「核兵器よりもさらに強力な一心団結の威力を示せ」(労働新聞7日付)、「食糧問題の解決に向けた決定的な転換をもたらす」(同11日付)、「労働党の歴史における特筆すべき大変革」(12日の朝鮮中央放送)といった報道が相次いだ。また、朝鮮中央テレビは毎日、労働者などの組織が決意集会を開く場面を放送している。


 とりわけ北朝鮮は、「150日戦闘」に打って出て以来、「口だけの脅迫」を実際の行動に移す動きを見せている。4月までは「(韓国に対する)全面的な対決態勢に突入」「6カ国協議の拒否」「米朝間の対話は無用」といった脅し文句を並べてきた。だが今月に入り、核実験の強行に続き、短距離ミサイルを相次いで発射した。西海(黄海)における南北間の武力衝突の可能性も次第に高まっている。


 韓国政府の関係者は「北朝鮮は“150日戦闘”の期間について明らかにしていないが、重要な記念日が集中する10月初めまで続くものとみられる」と話した。10月初めには「10・4南北首脳宣言(2007年)記念日」や、金正日(キム・ジョンイル)総書記の推戴(すいたい)記念日(8日)、労働党創建記念日(10日)などがある。また、9月9日は北朝鮮の建国記念日だ。中央大のイ・ジョウォン教授は「北朝鮮による最近の挑発は、外国との交渉を意識したものではなく、体制を守るためという性格が強い。住民たちへの統制を強める“150日戦闘”が終わり、米国の対北朝鮮政策の方向性が定まる9月から10月ごろになれば、対話に応じようとするのではないか」と指摘した。


 体制の強化を図るため、「70日」「100日」「150日」「200日」といった期間を設けて住民たちを総動員する手法は、金総書記が1970年代から用いてきたものだ。最近では05年7月3日から10月10日(労働党創建60周年)まで行われた「100日戦闘」がある。当時、北朝鮮は「戦闘」を始める前に核兵器の保有を宣言し(05年2月)、さらに寧辺の原子炉から使用済み燃料棒8000本を抜き取ったことを発表(5月)していた。その後、「100日戦闘」が終盤を迎えた9月になって、北朝鮮は核兵器の廃棄に向けた「9・19共同声明」に合意した。


 こうした動きに関し、京畿大の南柱洪(ナム・ジュホン)教授は「北朝鮮との関係におけるこう着状態が当分続くという前提の下で、戦略を打ち出していくべきだ」と述べた。

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