ワイロ疑惑で自殺した盧武鉉前大統領に対する国民の哀悼熱気には驚いた。故郷の村での弔問の人波は100万人を超えたといい、29日のソウルでの国民葬や追悼式には約20万人もの人びとが集まった。死亡から葬儀までの1週間、全国各地での弔問、追悼者の数もすごかった。
多くの普通の人が涙を流し、時に号泣し、祭壇で失神する人も。韓国では事故現場などでの家族、親族の号泣や失神はよくあるが、政治家の前大統領が亡くなったからといって…。
この1週間、テレビなどマスコミは哀悼一色で毎日、繰り返しその人物像をほめたたえ、疑惑そっちのけで盧武鉉氏を英雄扱いしていた。まるで大統領選の盧武鉉陣営のPRキャンペーンのようだった。
正直言って「盧武鉉氏はそんなすごい人物だったかしら?」「そんなに人気があったとは?」「なぜまた急に英雄になったのだろう?」と不思議に思った。
盧武鉉氏は大統領在任中(2003~08年)、支持率は低迷し、その結果、次の大統領選では与党候補は惨敗し、現在の李明博大統領が圧勝している。
しかも今回の自殺の原因は600万ドルのワイロ疑惑という、本人の言葉を借りればまったく「面目ない」ものだ。
非エリートの庶民派大統領として「人が暮らせる世の中」を目指し、貧富格差解消など弱者重視に意欲満々だったが、在任中、庶民の暮らしがとくによくなったことはない。庶民の最大関心の教育問題や住宅問題でも、きわだった成果はなかった。
「開かれた心・開かれた社会」を強調していたが、保守派とは最後まで和解しようとしなかった。
どう考えても死後、全国的にものすごい哀悼ブームが起き、あらためて英雄視されるような要素はなかった。しかし実際には爆発的な哀悼雰囲気となった。
あの人びとの集まり方や熱気は、ソウル都心を埋めた02年のワールドカップサッカーの群衆応援や、昨年の“狂牛病騒ぎ”から広がった大規模な反政府ロウソク・デモを連想させるものだ。
こうなると盧武鉉前大統領の業績評価や人物論より「韓国人とはいったいどういう人たちなのか?」が関心の対象になってくる。韓国人自身に「なぜなんだ?」と聞いてみた。
その答えとしてはまず「やはり国家元首の死は痛ましく国民はそれを身近に感じ涙する」「韓国人は人の死にはことさら反応し感情移入が激しい」「人がやるとわれもわれもと動きだし、人びととの一体感によって自己の存在確認をしようとする」「群集心理が強く、悲しみでもそれに加わらないと不安になる」というのが一般論。
これにプラスして、人びとは「清く貧しく正しい」イメージの庶民派大統領を追慕し「自分も洗われた気分」になる。そして支持者たちは「経済人出身の李明博大統領はもっと汚いのに、わずかな疑惑で死に追いやられた盧武鉉前大統領はかわいそうだ、いたわしい」と思い現政府批判の感情をつのらせている。今や「600万ドル」を話題にする人はいない。
葬儀の際、街頭を埋めたイエローカラーは盧武鉉氏の大統領選の際の応援カラーだ。支持者たちはその再現で盧武鉉氏を追慕したが、あの風景は「盧武鉉政権5年」の印象が逆に弱いことを物語っている。在任中が(疑惑発覚を含め)期待ほどにはふるわなかったため、その記憶を忘れ当初の“盧武鉉イメージ”に戻ることで彼を評価し、安心したいのかもしれない。
それにしても瞬時に大量の人びとが街頭に繰り出す韓国人の風景は今回も印象的だ。その熱気の中ではヘタなことは言ったり書いたりできない。
多くの普通の人が涙を流し、時に号泣し、祭壇で失神する人も。韓国では事故現場などでの家族、親族の号泣や失神はよくあるが、政治家の前大統領が亡くなったからといって…。
この1週間、テレビなどマスコミは哀悼一色で毎日、繰り返しその人物像をほめたたえ、疑惑そっちのけで盧武鉉氏を英雄扱いしていた。まるで大統領選の盧武鉉陣営のPRキャンペーンのようだった。
正直言って「盧武鉉氏はそんなすごい人物だったかしら?」「そんなに人気があったとは?」「なぜまた急に英雄になったのだろう?」と不思議に思った。
盧武鉉氏は大統領在任中(2003~08年)、支持率は低迷し、その結果、次の大統領選では与党候補は惨敗し、現在の李明博大統領が圧勝している。
しかも今回の自殺の原因は600万ドルのワイロ疑惑という、本人の言葉を借りればまったく「面目ない」ものだ。
非エリートの庶民派大統領として「人が暮らせる世の中」を目指し、貧富格差解消など弱者重視に意欲満々だったが、在任中、庶民の暮らしがとくによくなったことはない。庶民の最大関心の教育問題や住宅問題でも、きわだった成果はなかった。
「開かれた心・開かれた社会」を強調していたが、保守派とは最後まで和解しようとしなかった。
どう考えても死後、全国的にものすごい哀悼ブームが起き、あらためて英雄視されるような要素はなかった。しかし実際には爆発的な哀悼雰囲気となった。
あの人びとの集まり方や熱気は、ソウル都心を埋めた02年のワールドカップサッカーの群衆応援や、昨年の“狂牛病騒ぎ”から広がった大規模な反政府ロウソク・デモを連想させるものだ。
こうなると盧武鉉前大統領の業績評価や人物論より「韓国人とはいったいどういう人たちなのか?」が関心の対象になってくる。韓国人自身に「なぜなんだ?」と聞いてみた。
その答えとしてはまず「やはり国家元首の死は痛ましく国民はそれを身近に感じ涙する」「韓国人は人の死にはことさら反応し感情移入が激しい」「人がやるとわれもわれもと動きだし、人びととの一体感によって自己の存在確認をしようとする」「群集心理が強く、悲しみでもそれに加わらないと不安になる」というのが一般論。
これにプラスして、人びとは「清く貧しく正しい」イメージの庶民派大統領を追慕し「自分も洗われた気分」になる。そして支持者たちは「経済人出身の李明博大統領はもっと汚いのに、わずかな疑惑で死に追いやられた盧武鉉前大統領はかわいそうだ、いたわしい」と思い現政府批判の感情をつのらせている。今や「600万ドル」を話題にする人はいない。
葬儀の際、街頭を埋めたイエローカラーは盧武鉉氏の大統領選の際の応援カラーだ。支持者たちはその再現で盧武鉉氏を追慕したが、あの風景は「盧武鉉政権5年」の印象が逆に弱いことを物語っている。在任中が(疑惑発覚を含め)期待ほどにはふるわなかったため、その記憶を忘れ当初の“盧武鉉イメージ”に戻ることで彼を評価し、安心したいのかもしれない。
それにしても瞬時に大量の人びとが街頭に繰り出す韓国人の風景は今回も印象的だ。その熱気の中ではヘタなことは言ったり書いたりできない。