韓国に最初に行ったのは、1970年代のことでした。
すべては今と大違いでした。
まず夜間通行禁止という規則があって、夜の12時からはいっさいの外出が禁じられていました。
これを破るとただちに警察署に連行され、一晩留置されてしまいます。
ですから夜更かしができません。
酒を飲むには、おのずから早く始めなければなりません。
飲み方もイッキ飲みが一般的でした。
11時ともなると、繁華街ではタクシーの争奪戦が必死に行なわれていました。
もちろんタクシーは今と違って、相乗りが普通でした。
街角は軍事色でいっぱいでした。
大学では週に一度、午後に軍事教練がありました。
ソウルの街角には土嚢が積まれ、橋の両側には見張りの兵士が立ち、いつ北朝鮮の攻撃があっても応戦できるようになっていました。
夕方になると街角には国歌が流れ、通行中の人は全員直立不動の姿勢をとって、それに敬意を表しなければなりませんでした。
あらゆる学校や職場の壁には国旗と、陰気な顔をした大統領の肖像写真が掲げられていました。
軍事独裁とは、そのようなものだったのです。
若者たちは誰もが鬱屈していました。
長髪は禁止。
日本や共産主義に関するものは禁止。
ヌード写真も禁止。
民主主義も禁止。
なにもかも禁止の中で、彼らは薄暗い喫茶店に閉じこもって煙草を吸うか、徹夜で酒を飲んでうさ晴らしをするしかないという印象が残っています。
「병태・ぴょんて」という言葉が流行っていました。
漢字で書くと「病態」です。
体がまっとうでない。
どこかおかしなところがあったり、障害を患っているという意味の言葉です。
それは、屈辱的な生活を送っている自分をいっそ嘲笑してしまいたいという若者たちの気分に似合った言葉でした。
70年代の小説や映画には、よくこの「병태・ぴょんて」なる名前をもった人物が登場します。
けれどもそれは、若者が強い希望を抱いていた時代でもありました。
2000年代の韓国では、どこを探しても「병태・ぴょんて」に代表される自嘲意識はもはや見当たりません。
すべてが許されてしまい、変わってしまったのです。