여기저기 한국 ヨギチョギ韓国

韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

釜山、玩月洞(ワノルドン)散策

2009-05-09 22:53:09 | Weblog
南浦洞の先、ピビンパを食べた食堂の前の陸橋を渡って150m程進み大きな道路の信号をわたる。右に30m程進むと交差点に出る、信号を渡り一筋向こうの通りを左に歩いた一帯が玩月洞(ワノルドン)だ。

通称、緑町とも言われている。
道路に木々が植えられたりして遊歩道になっている。


韓国には四大置屋という有名なところがあるらしい。
①ソウルの588 ②釜山の玩月洞 ③仁川のイエローハウス ④テグのチャガルマタンの四ヶ所だ。


その中の一つが、釜山のワノルドン(玩月洞)だ。

2004年9月の性売買特別法施行後はすっかりと寂れている。
そんな街をぶら~りと歩いてみた。

金成館、東宮荘、東洋館、張春館、天馬館、韓成館、玉成館、美人館、慶成館、徳成荘、栄賓館、国一館、東園、大成館、一心館、天一館、韓日館、富成館、有成館、月成館、多来館、鹿園荘、福成館、京都館、現代館、香林館、華成館・・・・・・・・など等。


華やかなころは赤いランプに照らされた飾り窓にテレビを見ながらチョゴリやドレスで着飾ったアガシがずら~と並んで座っていて客を待っていた。
赤いランプは肉屋での肉でもよく見るが、どうやら アガシがきれいに見えて客の欲情をそそる効果があるらしい。

街の中は好みのアガシを探す輩や客を待つタクシー、酔っ払いなどで賑わっていたものだ。
お店の前ではやりてばあさんが客をひっぱている、一度おばさんに捉まると3人くらいに捉まるので腕をつかむ者、腰のベルトをつかむ者、荷物をつかむ者で、も~逃げようがない。

最盛期には、おそらく数百人いや千人以上のアガシがいたのではないかと思われる。

ここではアガシの部屋に泊まることができる。
部屋には風呂シャーワー、冷暖房、テレビ、ステレオ、コーヒー、大きなダブルベッドなどが備わっていて快適に過ごすことができた。

若いころは連泊したりショートのハシゴをしたものだ。

30数年前は木造の建物が多かったがほとんどがソウルオリンピックの前あたりまでには建替え改装などが進んでほとんどがコンクリートの建物になっている。

そんなワノルドンも今はほとんどの店が看板をおろしていて一部の店が細々と営業しているようだ。



寂しくもあり、懐かしい玩月洞(ワノルドン)でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将軍さまのピザ

2009-05-09 22:39:33 | Weblog
 北朝鮮の平壌に初めてイタリアンレストランがお目見えしたという。北朝鮮のメディアが伝える写真を見ると、どのテーブルにもピザとスパゲティが出ているからそうした軽食風のレストランのようだ。写真撮影のためだろうか、客はみんな正装で、男性は背広にネクタイ、女性は高級(?)チマチョゴリ姿だ。

 報道によるとこのイタリアンレストランのオープンは金正日総書記の直接の指示によるもので、ローマとナポリに調理人を送り料理法を研修させたという。金総書記のグルメぶりはつとに知られるが、先年、「わが国の大学生たちにもハンバーガーを食べさせたい」と学生向けハンバーガーの“生産・供給”を指示したというニュースもあった。


 北朝鮮の面白いところは「主体思想」とか「わが民族だけで」とか「朝鮮第一主義」とか「世界にうらやましいものはない」などと片意地張りながら意外に“洋モノ”が好きなことだ。金総書記も最近は健康を考え酒、たばこは控えているようだが、以前は賓客を前に輸入モノの高級ワインや高級たばこを楽しんでいる。イスラム世界の原理主義者や強硬派の“西洋嫌い”とは違うのだ。


 一方、韓国では最近、大統領夫人を名誉会長に官民合同の「韓食世界化推進団」が発足した。国を挙げて韓国料理を世界に売り出そうというわけだが、その「国家代表メニュー」の第1号に「ビビンバ」が選定された。筆者の好みでいうとウーン、どうかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

李承晩氏が暮らした梨花荘に響いたヨーデルの調べ

2009-05-09 19:18:23 | Weblog
李元大統領夫人の母国、オーストリアの楽団が来韓

 8日午後4時、ソウル市鍾路区梨花洞1番地「梨花荘」。故・李承晩(イ・スンマン)大韓民国初代大統領の私邸だった梨花荘(ソウル特別市記念物第6号)に、にぎやかなヨーデルが響き渡った。


 真っ白なワイシャツに赤いチョッキを着て、黒いズボンと膝まである白い靴下を履き、アルプス風の伝統衣装に身を包んだ演奏者らが、大太鼓や小太鼓、トランペットなどでオーストリアの民謡を合奏した。


 彼らはオーストリアのチロル州からやって来た楽団「平和と喜びの大使」だ。チロル州の元・現職市長や郡長はじめ42人で構成されたこの楽団は、今月10日にハイ・ソウル・フェスティバルの「地球村、一つの広場」イベントでオーストリア代表として公演を行うため、今月3日に韓国を訪れた。


 楽団が梨花荘を訪れたのは、李承晩元大統領夫人のフランチェスカさんがオーストリア出身だったからだ。この日のイベントは、梨花荘に暮らしている李元大統領の養子・李仁秀(イ・インス)博士(78)と夫人のチョ・ヘジャさん(67)、オーストリア大使館が共同で企画したものだ。ウィルヘルム・ドンコ駐韓オーストリア大使は、「“韓国人は団結してこそ生きる”と強調した李元大統領。当の本人がなぜオーストリア人と結婚したのか分からない」とジョークを飛ばし、笑いを誘った。


 李仁秀博士は「母も天国から今日の音楽会を見て、微笑んでいることだろう。この公演が、韓国とオーストリアの友愛をさらに深めるきっかけになればと思う」と語った。


 この日の音楽会では、フランチェスカさんと李仁秀博士夫妻のために作曲された行進曲(曲名『大韓民国』)が初演された。楽団長にして指揮者を務めるチロル州シュヴァーツ市のカール・マーク市長(58)は、「歴史的な場所である梨花荘でフランチェスカさんのための曲を演奏し、韓国とオーストリアの友好に寄与できる機会を持つことができ光栄だ」と語った。音楽会には、オーストリア大使館の関係者など合わせて100人余りが出席した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駐日韓国文化院が30年ぶりに新館オープン

2009-05-09 19:14:52 | Weblog
駐日韓国文化院が11日、日本東京の四谷に新たにオープンする。建築費1000億ウォン(約79億ウォン)をかけた新庁舍は、敷地2200平方メートルに地下1階、地上8階規模だ。韓国文化院が独自の建物を持つのは1979年、日本に初めて進出してから初めてのこと。これまでは東京の民団の建物を借りていた。新ビルには韓国コンテンツ振興院日本事務所と韓国観光公社東京支社なども入居し、シナジー効果を高める予定だ。こうした複合的要因を考慮してこのビルの公式名称は駐日韓国大使館「コリアセンター」とした。姜基洪(カン・ギホン)韓国文化院長は「韓日共同文化行事などを通じて文化を通じた両国交流をいっそう強化するのに役に立つだろう」と話す。

公式オープンを前にマスコミに公開された韓国文化院の第一印象は現代的であるということ。銀色を帯びる外壁が曲線で作られ、韓国の躍動性を現しながら、伝統と現代をともにした洗練美を加味した。吹き抜けで涼しさを与える1階ロビーは、訪問者が入りやすい庭の役目をする。続いて1~4階まで上がると各種ショールームやイベントホールが入場客を迎える。韓国固有の建築様式をテーマとした点が目を引いた。

1階には美術展・写真展など多様な展示会が可能な「ギャラリーMI」が設置された。ここではオープン記念として11日から1週間「伝統紙のちぎり絵展」が行われる。27日からは韓国と日本の重要無形文化財、伝統工芸作品展示が計画されている。

高い天井が必要な公演場「フェスティバルホール」は2~3階を合わせて作った。307席規模の大型ホールで、各種舞台公演はもちろん、映画上映も可能。3階図書映像資料室は韓国関連書籍2万3000冊を備え、閲覧席も十分に設置した。日曜日と祝日を除けばいつでも閲覧できる。4階にはセミナー室と防音設備を取り揃えた伝統楽器練習室を配置し、鼓・伽椰琴など韓国伝統楽器実習も可能だ。

特に4階に作られた韓国伝統部屋(サランバン=男性の居間で書斎や応接間として使われた文化交流の場)と韓国式庭園の「ハヌル(空)庭園」では、韓国伝統家屋を体験できる。部屋には夏に風通しをよくするために畳んで上げておけるブラインド式の扉を下げ、韓国式古家具も小物として配置した。広間前にあるハヌル庭園の縁側に座ると、伝統韓屋に来たような錯覚に陥る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童・青少年の「幸福感」、OECD加盟国で最下位

2009-05-09 05:24:44 | Weblog
 韓国の児童・青少年が感じる幸福感が、経済協力開発機構(OECD)加盟国のうち最も低いとの研究結果が出た。延世大学・社会発展研究所が8日、先ごろ全国の小学4年生~高校2年生5000人を対象に実施したアンケート調査などを国連児童基金(ユニセフ)の2006年研究と比較した結果を明らかにした。

 それによると、韓国の児童・青少年の主観的な幸福感は71.6点で、OECDに加盟する20カ国のうち最下位だった。1位のギリシャ(114.0点)より40点以上低い。研究所は、アンケートと併せ保健福祉家族部の資料などを根拠に韓国の児童・青少年の教育、物質的幸福など6部門を点数化した後、ユニセフの2006年研究と比較・分析した。

 部門別では、韓国の生徒のうち「幸福だ」と答えた割合は55.4%で、OECDに加盟する20カ国の平均(84.8%)を大きく下回った。また、自分が健康でないと考えている生徒の割合は24.4%で、OECD平均(14.9%)より10%ほど高い。

 研究所関係者は、調査の結果、韓国社会では健康や教育、安全など下部構造網は相対的にきちんと備わっているが、児童や青少年が感じる幸福度は非常に低いことがわかったと説明した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

警察、デモ鎮圧中に日本人観光客を殴打

2009-05-09 05:19:33 | Weblog
 警察が2日、ソウル明洞(ミョンドン)でデモ隊を鎮圧中、日本人観光客に暴行を加えていたことが明らかになった。

東京に住む義煎亮さん(43)は7日、中央日報に送った電子メールで、「2日夜、明洞を観光していたが、警察に殴られて肋骨にひびが入った」と主張した。

義煎さんは「この日午後10時30分ごろ、母親と一緒に明洞へ出かけたが、ミリオレ付近でデモ隊とぶつかった。 母をわき道に避難させた後、100人以上の警察が私に向かって突進してきた」と伝えた。

義煎さんは「デモを鎮圧する警察が私を囲んで殴り、足で蹴った」とし「私が英語で‘日本人だ’と叫ぶと暴行をやめた」と説明した。

警察の報告によると、警察は当時、明洞ミリオレの前で4人を連行し、瑞草(ソチョ)署所属の警察バスに乗せて九老(クロ)警察署へ向かった。 この時、日本語を話し続ける人が日本人であることを確認し、3日午前0時5分ごろソウル中央郵便局の前で降ろしたという。

義煎さんは「宿舎のロッテホテルに戻り、ホテル側の助けを受けて明洞付近の仁済(インジェ)白病院で検査を受けた結果、右側8番・9番の肋骨にひびが入ったという診断を受けた」と主張した。

義煎さんは「医師が入院を勧めたが、言葉が通じない病院に入院することに不安を感じ、鎮痛剤の注射を受けた後、飲み薬を受け、3日午前2時30分ごろホテルに戻った」と説明した。

当時通訳をしたホテルの関係者は「義煎さんが胸に痛みを訴えた。 ホテルの職員が見ても体が不自由そうに見えたので病院に案内した」と述べた。

義煎さんは「警察に殴られたという話をすると、ホテル側が警察に申告し、調査に来た南大門(ナムデムン)警察署所属の警察に病院の診断書を見せたところ、旅行者保険処理ができるよう事故事実証明書を書いてくれた」と説明した。

義煎さんはホテルで2度、警察の調査を受け、「自分を殴った警察が誰なのか確認を願う」という言葉を伝えた。

義煎さんは駐韓日本大使館にも暴行を受けたことを伝え、領事部の職員から「損害賠償を請求できる」という説明を聞いた、と伝えた。

一方、警察側は暴行を否認した。 ソウル警察庁は日本人観光客の連行は認めながらも「当日デモ鎮圧部隊員を調べた結果、日本人観光客に暴行を加えたという事実はなかった」と釈明した。

さらに南大門警察署は「内容を知らない」とし、義煎さんを調査した事実自体を否認した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする