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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

당신은 아줌마?언니?(あなたはおばさん、お姉さん)

2015-11-30 13:02:02 | 韓国旅行

당신은 아줌마?언니?タンシヌンアジュンマ?オンニ?(あなたはおばさん、お姉さん)

 

「お姉さん(オンニ・언니)」と呼ばれることが、多くなっているようだ。

オンニ(언니)はもともと妹が姉に対して、または女性同士で親しい年上の人に対して使う呼称なのに、どうもその使い方が変わってきているようだ。

店に入って服を選んでいる女性がいると店員が来て、「オンニ(언니)にはこれがお似合いですョ」なんて言う。

客の方も店員に向かって、「オンニ(언니)、もっと大きいのはないかしら」なんて聞く。

あるいは食堂で、「オンニ(언니)、キムチもっと下さい」と店員に言う。

 

以前は、客が店員を呼ぶには「アガシ」(若い女性)、「アジュンマ」(中年女性)、「アジョシ」(成人男性)の3っつで足りた。

ところが「アガシ」はなんだか水商売のおねえちゃんを呼ぶみたいで失礼だと言われるようになって(アガシの本来の意味は「お嬢さん」で、むしろ敬称に当たるのだが)、かといって「アジュンマ」と呼ぶには相手が若すぎる場合、手をあげて大声で「ヨギヨー(こっちです)」あるいは「チョギョー」と呼ぶようになった。

店員が近づいてきたら、「お水下さい」などの要求事項を伝えるのである。

 

ところが最近使われる「オンニ(언니)」は、客が店員を呼ぶときだけでなく、店員が客に対して使えるわけで、ちょっと新しい感覚だ。

それが「オンニ(언니)」の急速な浸透の原因かもしれない。

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「妄言」というレッテルを貼る韓国人

2015-11-26 10:04:30 | 韓国旅行

「妄言」というレッテルを貼る韓国人

 

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アンカー 2011.12.14-4   04

韓国人は、自分の気に入らない日本人の主張には、例外なく「妄言」というレッテルを貼る。

独島「妄言」慰安婦「妄言」植民地支配に対する「妄言」・・・・・・。

それらの「妄言」とはいったい何だろうか。

 

妄言とはつまり、「たわごと」だ。自分の主張はすべて道徳的・論理的・法的・歴史的な妥当性を持つが、相手の主張はすべて狂った「たわごと」だという。

そうやって相手の話すことを「たわごと」だと罵倒する毎日を繰り返すなら、日韓関係は永遠に平行線をたどるしかないだろう。

 

韓国人は、一度考えてみるべきだ。相手の意見を聞かず、常に、「自分の意見のみが真理だ!」とわめきちらす相手と、どんな対話が成立するかということを。

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日本はいつも汚い手を使って韓国に勝とうとする

2015-11-22 07:54:24 | 韓国旅行

日本はいつも汚い手を使って韓国に勝とうとする

 

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日本にとって韓国は最大のライバルであり、スポーツ競技で韓国とぶつかれば、「どんな汚い手を使ってでも勝とうとする卑怯な国である」と多くの韓国人が思っています。

2008年(平成20年)に行われたフィギアスケート世界選手権の時に、韓国のキム・ヨナ選手が「日本選手がいつも練習を妨害する」と言ったことが報道され、韓国の反日感情が一気に燃え上がりました。

 

しかし、「真央ちゃん」がそんなことをするはずがありません。これには、おとなしい日本のスケートファンもさすがに怒りました、日本スケート連盟へキム・ヨナ選手への抗議依頼が殺到し、日頃は「友好第一」の日本スケート連盟もその重い腰を上げて、韓国スケート連盟へ事情の確認を依頼しました。

そしてようやく判明したことは「選手の数が多くて練習しにくかった」と言っただけであり、「日本選手が妨害した」など一言も言っていなかったのです。実際にはキム・ヨナ選手にインタビューした韓国のテレビ局SBSの記者が、反日感情の強い韓国人の受けを狙って「日本選手による妨害」とわざと付けくわえたことが判明しました。

韓国では「日本人は汚い」と言えば、誰もが無条件で“納得“してしまうからです。

記者の狙いどおり、ビッグニュースとなり韓国中のメディアが取り上げて韓国の世論は沸騰したのですが、事実が判明するとあっという間に収まりました。このへんは韓国の人々の特性のようです。

日本スケート連盟はSBSに抗議したようですが、この件でSBSが謝罪や訂正をしたのどということは聞いたことがありません。

日本からの抗議で取り消したり謝罪や訂正をしたりすれば、それこそ「屈辱的だ」として韓国世論に火をつけることになるからでしょう。

 

マスコミに振り回されて日本のファンの失望を買ったキム・ヨナ選手こそ「いい迷惑」でした。日本人から見れば、韓国はただの「外国」のひとつにすぎません。韓国の対日ライバル意識は、日本への“片思い“なのです。

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韓国で快適暮らすために必要なことはただ一つ、無条件で韓国を賞賛することだ

2015-11-18 16:08:55 | 韓国旅行

外国人が韓国で快適に暮らすには・・・・・

フィフィ「韓国は素晴らしい人権大国」 露骨な「ほめ殺し」,皮肉とジョークは大人のたしなみ。それが分からない民族がいるらしい.

 

 

韓国に住む外国人たちがどうすれば韓国で快適に暮らすことができるのか、そのノウハウを公開しよう。特別なことではない。とてもたやすいことである。

韓国で快適暮らすために必要なことはただ一つ、無条件で韓国を賞賛することだ。

エミレの鐘(韓国の国宝)は世界で最も美しい鐘の音を持っていると言ってやり、ハングルは世界で一番優秀で科学的な文字だと言ってやればよい。そして韓国の食べ物が一番美味しいのは常識だと言ってやればよい。

それで万事OKである。

しかし、世界中の鐘の音をどのように比較した結果、エミレの鐘の音が世界一になるかについては絶対に語ってはいけない。ハングルをいかなる基準で比較した結果、世界で最も優秀な文字になるかについては決して語ってはいけない。さらに、韓国料理より日本料理が美味しいというような話は絶対にしてはいけない。理解しがたいかもしれないが、これが韓国で快適に暮らすためのルールである。

郷に入れば郷に従えということわざもあるではないか。飽き飽きするほど褒めちぎればいい。

すると韓国人はその言葉に感動して、こんな風に言う。「いい外国人だ。本当に人間的だ」

 

しかし、韓国社会の不条理性や閉鎖的民族主義が見せる非理性的な醜態に対しては絶対に批判してはならない。夜には巨大なゴミ箱と化す新村(シンチョン)の学生街の汚さに対して、絶対に不満を述べてはいけないし、ラッシュアワーに満員となる地下鉄を指さして、韓国人は可愛そうだと言ってはいけない。好ましくない部分には触れてはならない。

さもないと、こう言われることになる。「まったく悪い外国人だ。汚い人間だ」

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韓国で「慰安婦」といえば、1990年までは韓国社会がタブーとしている「米軍慰安婦」のことだった

2015-11-14 07:53:18 | 韓国旅行

韓国で「慰安婦」といえば、1990年までは「日本軍慰安婦」ではなく、いまでは韓国社会がタブーとしている「米軍慰安婦」のことだった。

 

 

 

しかし、今となっては慰安婦問題を解決できなければ、日韓関係は永遠に平行線のまま距離が縮むことはありえない、と思われるほど重要な問題に問題になってしまった。

両国の間に過去に存在しなかった大きな「壁」がこの時期に出来たのである。

 

韓国の3大新聞の一つである東亜日報の記事で「慰安婦」という単語がどのような状況で使われたかをデータベース検索を通して調べた結果を見てみよう。

これを見ると不自然な現象を発見できる。

東亜日報の「慰安婦」関連記事数
年度日本軍慰安婦関連記事数米軍・国連軍慰安婦関係記事数
1951-55 1件 17件
1956-60 0件 36件
1961-65 0件 56件
1966-70 1件 118件
1971-75 5件 39件
1976-80 0件 20件
1981-85 4件 9件
1986-90 5件 8件
1991-95 616件 3件

終戦から1990年代までの40年間、「日本軍慰安婦」と関連する記事は20件以下だが、1991年から1995年までの5年間は、616件に爆発的に増加する。

一方、戦後40年間「米軍」を相手にする売春婦を意味した「米軍慰安婦」と関連する記事は急激に減少し、現在はほぼ使われなくなったのだ。

つまり、韓国社会は終戦後40年近く、「日本軍慰安婦」問題についてはほとんど批判も言及もしてこなかった。

この空白の40年間、韓国で「慰安婦」という言葉が示す対象は主として米軍慰安婦、UN慰安婦であった。

とこらが1980年代、「日本軍慰安婦」が国際的な話題に浮上すると米軍慰安婦の存在は紙面から姿を消してしまう。

この変化を自然な流れと言えるのだろうか。

逆に反日感情が強かった戦後から1970年代までの「日本軍慰安婦」が問題視されてこなかったことに理由があるのだろうか?

ところで、この新しい問題提起は韓国内で起きたのではなく日本からの「逆輸入」によるものであった。

そのキッカケとなったのは吉田清治の『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』(1983年)という本である。

吉田清治は日本共産党出身で、この本は1989年韓国で出版され「良識ある日本人の告発本」と評価されたが、まだ社会的な反響は大きくなかった。

しかし、人権派?の朝日新聞などによって1992年突然センセーションを起こし韓国内で一躍ベストセラーとなった。

朝日新聞も最近なってやっと誤報だと認めたが、一度広まってしまった「伝説」がそれ以降の韓国社会の対日感情を支配するという、恐ろしい結果を招いている。

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日韓国交正常化以後、日本から韓国への買春ツアー「妓生(キ―セン)観光」が盛んに行われていた

2015-11-10 08:08:06 | 韓国旅行

摘発されても生き延びる性産業

ソウル清涼里588の置屋街、通りを通るとアガシにオッパ―と声をかけられる。

 

 

朝鮮半島の芸者にあたる存在が「妓生 (기생)」。

韓国ドラマや映画でももてはやされるが、中高年以上の男性にとってはまた違った意味で記憶に残っているに違いない。

1965年の日韓国交正常化以後、日本から韓国への買春ツアー「妓生(キ―セン)観光」が盛んに行われていたからだ。

 

妓生はもともと高麗時代からあったが、14世紀末以後の朝鮮王朝じだいからは国家が管理する「官妓」の制度が設けられた。

身分は自由が制限された下層階級だったが、特に高級な妓生は官庁の礼宴で歌舞音曲を披露するなど重要な役目を担っている。

また教養を積んだ官吏の相手として、漢誌や書画に精通した者も多かった。

 

1876年の日朝修好条規によって、朝鮮王朝は開国を余儀なくされる。

その後日本資本がソウルに料亭を設け、日本人芸者も朝鮮半島に渡った。

妓生たちも1910年の日韓併合を経て、日本の認可のもとで料亭に派遣されるようになる。

やがて最下層の妓生をまとめて組織化する形で公娼制度が確立され、終戦まで性風俗産業を担った。

この公娼制度は1948年に廃止される。

 

しかし娼婦たちは再就職のあてもなく、非合法で売春を続けるしかなかった。

こうして非合法の売春が半ば公然と性風俗産業の中核を占め、あちこちに売春街が生まれる。

在韓米軍駐屯地の近くで営業が行われることもあったが、やがて1965年以降は日本人観光客向けの妓生観光が活発化していった。

一説では外貨獲得に必死だった朴正煕(在任1963~79)政権が、国策として男性客を誘致したともいわれている。

だがもちろん韓国では快く思わない人が多く、70年代前半には金浦空港で妓生観光反対デモも行われた。

 

やがて80年代以降、妓生観光は少しづつ下火になっていく。

在来の売春街はその後も根強く繁盛していたが、2004年の性売買禁止特別法の施行で本格的な取り締まりが始まった。

しかしいったんは壊滅したかにみえたものの、また看板を替え普通の街のなかに溶け込んで再開している。

本能に直結した産業だけに、摘発だけで根絶するには難しいかもしれない

 

 

2013年秋 韓国風俗街を歩く ソウル城北区ミアリテキサス風俗街(置屋街)

2013年秋 韓国風俗街を歩く 釜山最大の遊郭だった玩月洞(ワノルドン)

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日本は、韓国との請求権協定により慰安婦問題を含め、すべての賠償責任を済ませています

2015-11-06 07:39:07 | 韓国旅行

“世界の10万人の韓国人売春婦を何とかしろ“と言っておくべきでは・・・・


 

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日本は、韓国との請求権協定(基本条約)により慰安婦問題を含め、すべての賠償責任を済ませています。

それから、アジア女性基金など、十分に誠意を見せました。

韓国にとって女性人権がそんなに大事なら、世界の10万人の韓国人売春婦を何とかしてから言うべきではないでしょうか。

もはや、慰安婦問題の本質は、女性人権問題でも何でもありません!

ただ、日本のイメージを「引き下げる」ことが目的なのです。

日本を絶対悪とするための、反日を確固たるものにするための最終兵器、それが慰安婦問題なのです。

だからこそ誰かが“世界の10万人の韓国人売春婦を何とかしろ“と指摘しておく必要があるのでは・・・。

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「従軍慰安婦」という言葉は、戦後しばらくし経過してから作られた作為的な造語なのだ

2015-11-02 08:32:28 | 韓国旅行

従軍慰安婦問題の真実

 
強制連行・日本兵による強姦というのは全くの嘘であり、従軍慰安婦は捏造された歴史である何よりの証拠です。 巡査の初任給が45円だった時代、月収300円というのは現在の価値に換算すると月収133万円以上の高給であり、軍の高級将校の給与に匹敵します。慰安婦の募集内容からして、誰が読んでも 「売春の仕事だ」 と分かります!

 

 

「従軍慰安婦」というと、ついつい日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた・・・・・というイメージを漠然ともっている日本人も実はいるのではないだろうか。

しかし、それは間違いである。

そもそも「従軍慰安婦」という言葉さえ当時はなかった。

この言葉は、戦後しばらくし経過してから作られた作為的な造語なのだ。

戦前の時代を少しでも想像してみればすぐにわかることだが、当時の日本(本土)はとても貧しかった。

とくに東北などの地方の農村では悲惨極まりない状況であった。

その頃日本には「公娼制度」という売春制度が存続、貧しい農村などでは経済的事情などから、やむを得ず若い娘たちを前借金の形に遊郭に年季奉公することも珍しくなかった。

その際、「女衒」と呼ばれる民間のブローカーが間に入り売買を行っていたが、その中には質の悪い業者もいて、金銭や条件面で騙されるケースも多かった。

 

一方、当時は日本の一部であった朝鮮半島の貧しさの状況は本土よりもさらに激しかったことは言うまでもない。

もちろん朝鮮半島にも各所に多くの遊郭があり、多数の女郎(当時の公娼の俗称)がいた。

本土と違い、女郎のほとんどは朝鮮人で、「女衒」も朝鮮人であった。

また、同じように中国大陸の日本人が多く住む街にも遊郭はあり、女郎は日本人もいれば朝鮮人や中国人もいた。

そして、昭和12年(1937年)7月には日中戦争(日華事変)が始まり、戦争が徐々に拡大するとともに、公娼業者も営利目的で戦場周辺にまで進出して行った。

それにともなって、女郎として働く女性の中にも、早く借金を返したいという止むにやまれぬ気持からより稼ぎの良い戦地を希望する者たちもいたという。

 

このように「慰安婦」と呼ばれる人は存在したが、決して軍が徴用した「従軍慰安婦」ではなかった、というのが歴史的事実である。

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