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1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

鳥取・境港~韓国・東海、フェリー片道最安7900円に

2009-05-21 16:55:26 | Weblog
 鳥取県の境港と韓国・東海(トンヘ)、ロシア・ウラジオストクを結ぶ貨客船の就航計画で、運航する韓国・DBSクルーズフェリーの金昌允(キムチャンユン)専務理事ら幹部3人が20日、知事公邸に平井・鳥取県知事を訪ね、旅客と貨物の運賃を正式に明らかにした。境港―東海間の片道旅客運賃は、最も安い2等船室の大部屋が1人7900円、最も高いロイヤルスイートは16万6600円(1室料金)で、幅広いニーズに応えるという。就航時期は「6月下旬」としか示されなかったが、平井知事は「料金決定で航路セールスをより具体的に進められる」と評価した。

 金専務理事らによると、船名は「イースタンドリーム」。約1万3000トンで、旅客定員は約500人。境港から東海まで8200円の2等船室(ベッド付き8人)、1万1600円の1等(ベッド付き4人)などもあり、レストランやサウナ、プールも備える。境港―ウラジオストクの最安運賃は2万1600円。

 貨物は通常のコンテナ(長さ約6メートル)が東海まで550ドル、ウラジオストクまで1100ドル。冷蔵コンテナや乗用車、大型バスなども運べるという。

 就航日については「船の改修に時間がかかっている。6月末までの就航には間に合う」とし、同月上旬に伝えるとした。

 平井知事は「低予算の旅行も、豪華な船旅も楽しめる。北東アジアの経済発展の原動力になる航路だ」と笑顔を見せていた。

 運賃について、韓国への日本酒輸出を検討している中井酒造(鳥取県倉吉市)の中井秀雄常務(59)は「他港に荷を運ぶ時間が省け、一晩で届くようなので値頃感がある。あとは就航日など具体的なことを早く決めてほしい」と話していた。


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面目丸つぶれの新世界センタムシティー店

2009-05-21 16:44:40 | Weblog

 今年3月、アジア最大規模をうたい華麗にオープンした釜山の新世界百貨店センタムシティー店で最近、アイスリンクの氷が溶け、映画館の天井が崩れるなど、手抜き工事の問題が起きています。


 同店の4階にあるアイスリンクは、海雲台の沖合いの眺めを満喫できるよう全面ガラスで設計されましたが、これが問題でした。開場直後から、暖かい日差しがガラス窓からそのまま室内に注ぎ、氷が溶け始めたのです。これに加え、リンク周辺に設けられたレストラン街で調理の際に発生する熱も、氷を溶かす原因の一つになりました。


 アイスリンクの利用客からは「転ぶと服がぬれる」といった不満の声が上がり始めました。結局、新世界百貨店は先月21日から1週間、アイスリンクを閉鎖し、緊急の補修作業を行いました。もちろんこの期間中、会員らはスケートの講習を受けることができませんでした。いったん補修作業は終了したものの、会員たちは真夏の暑さを無事に乗り切ることができるのか心配しています。


 さらに「11.1チャンネル」を誇る8階の映画館でも事故が起こりました。11.1チャンネルとは、スピーカーが11個設置され、立体的な音響を楽しめるというものです。一般の映画館は大半が5.1チャンネル・システムを採用しています。


 この11.1チャンネル映画館で先月25日午前11時40分ごろ、天井から「バキバキ」という音と共に長さ10メートル、幅1メートルほどの石こうボードが70センチほど落下し、資材くずが座席に散乱しました。幸いけが人はいませんでしたが、その日の午後、映画を見に来た予約客は引き返すことを余儀なくされました。


 新世界百貨店の関係者は、「アイスリンクは熱を遮断するガラスに取り換えた。映画館は映画館側が工事した部分だが、11.1チャンネルに合った仕上げ材を使用、再処理したため、これ以上問題は起きないだろう」と説明しました。


 しかし業界では、「新世界百貨店が外見の見た目に力を入れすぎて、基本にいい加減だったのではないか」という指摘が出ています。「中身が充実してこそ外見が光る」という平凡な真理を、新世界百貨店はしばし忘れていたのではないでしょうか。

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仁川空港~江南が56分、地下鉄9号線開通で便利に

2009-05-21 11:35:27 | Weblog
 仁川国際空港とソウル・江南地域が1時間圏内となる。今月末に開通予定のソウル地下鉄9号線と空港鉄道を利用すれば、仁川空港から江南高速バスターミナルまで56分で到着できる。

 空港鉄道が20日に明らかにしたところによると、仁川空港~金浦空港間無停車の空港鉄道直通列車と地下鉄9号線急行列車を利用すると、仁川空港から金浦空港まで28分、金浦空港から江南高速バスターミナルまでは27分で到着する。

 9号線急行列車は全25駅のうち佳陽、堂山、汝矣島、鷺梁津など9駅に停車する。普通列車を利用しても所要時間は仁川空港から金浦空港まで33分、金浦空港から江南高速バスターミナルまで39分。従来の地下鉄路線利用に比べ、所要時間が30分以上短縮される。

 また、乗り換え時間も短くなる。仁川空港から空港鉄道を利用し金浦空港で下車すると、目の前に地下鉄9号線のホームが見える。乗り換え距離は19メートル、乗り換え待機時間は最長で3~4分。長く複雑という従来の地下鉄乗り換え問題を画期的に改善した。

 空港鉄道関係者は「これまでは江南から仁川空港まで地下鉄と空港鉄道で移動するのは非常に不便だったが、これからはバスやタクシーよりも便利で速く行き来できる」と、利用客増加に期待を示した。
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料亭の没落…不況に売春斡旋

2009-05-21 11:27:37 | Weblog
 一時、高官らのための最高の接待名所として、各界指導層の集い場所として名声をとどろかしたソウル市内の代表的な料亭2カ所が売春を斡旋して警察に摘発された。

 ソウル鍾路警察署は先月16日、ソウル地方警察庁との合同取り締まりで、鍾路区のA料亭で売春が行われた情況を捕捉し、事業主と従業員など7人を売春斡旋など行為の処罰に関する法律違反疑惑で不拘束立件したと20日明らかにした。

 翌日の4月17日には鍾路区の別の料亭のB業者が取り締まりにかかって、事業主など10人が同じ嫌疑で不拘束立件された。

 警察によれば、彼らは客と女性従業員をあらかじめ準備しておいた乗合車を利用して、近隣モーテルに連れていく手法で売春を斡旋した疑惑を受けている。

 A業者は韓国で最も古い料亭の一つで、日本植民地時代から政府高位層官吏をはじめとして、文人・言論人などがしばしば出入りした所と知られている。

 B業者もやはり40年を越える伝統を持っており、1970年代まで、各界指導層の集い場所として有名だった。

 しかし、最近ではいわゆる「夜文化」のトレンドが変わったうえに、不況まで重なり、客がずっと減るなど、衰退の道を歩んできたというのが警察の説明だ。

 取り締まりを行ったある警察官は「最近では有名人はもちろん、一般の客も大幅に減ったことが明らかになった。この前までは、しばしば訪ねてきた外国人観光客も足が途切れた状況」と伝えた。

 彼は「経営が難しくなって、売春斡旋を始めるようになったのではないか」とし、「最高級接待施設という料亭も、今は昔の話になったようだ」と話した。
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文明と日本侵略の道具、鉄道の双面

2009-05-21 05:11:31 | Weblog
1876年、修信使の金綺秀(キム・キス)は列車に乗って「たばこ1本を吸う、あっという間に」横浜から東京に着いた。

鉄道が日本に敷設されてから4年後のことだった。「先頭の汽船が動くと、後ろの車両の輪もともに動き出す。雷のような音を出し、稲妻のごとく走るから、風雨にさらされたような感じだ。1時間に300里(1里=約4キロメートル)も走るというが、車体はを安穏でちっとも揺れない。山河と草木、家と人が見えるものの、現れた途端消えていくから目まいがした」。

しかし、同氏は驚き感心するだけで、朝鮮(チョソン、1392-1910)にも鉄道を敷く欲望を抱くことができなかった。1881年になって、ようやく朝鮮王朝は文明開化の模範答案を日本から見いだそうとした。西欧化した近代文物のあれこれを、日本全国津々浦々を歩き渡って見学した「朝士視察団」。

それらは大阪と神戸、横浜と東京を、それぞれ結ぶ鉄道で東京へ向かった。当時、それらは鉄道の敷設費用が国家の財政にどんな影響を及ぼすかをめぐり、論戦を交わした。「毎年の収入は約80万ウォンだが、鉄路の補修費用が毎年50万ウォンを上回る。収入から費用を引けば、わずか約30万ウォンが残る。この収益金で架設費用の全額を返済するには、30年以上もかかる。ましては架設費の全額が国債だ。毎年の収益金は利子を返済できるほどにすぎず、元金をいつ全部返済できるものかわからない」。

維持費や補修費を除いた運営収益では国債の利子も支払いにくい、という懸念が大方の見方だった。朝鮮には、空間を短縮し疾走する近代文明の象徴、鉄道を自力で敷く技術も、財力もなかった。長い歳月が流れた後の1899年になって、ようやくこの地の人々は轟音(ごうおん)をあげて疾走する列車を見ることができた。

しかし、鷺梁津(ノリャンジン)から済物浦(チェムルポ)までの33.2キロメートルを1時間40分で走った米国製のモーガルタンク型の蒸気機関車を覆いかぶせた日の丸の旗が雄弁するように、京仁(キョンイン、ソウル-仁川区間)線の鉄道は自力ではなく、日本の手で敷かれた。

首都ソウルと関門の仁川(インチョン)を結ぶこの鉄路で、日本はわれわれの襟首をつかんだ。文人の崔南善(チェ・ナムソン、1890-1957)は1908年に唱歌「京釜(キョンブ、ソウル-釜山区間)鉄道歌」を作り、近代文明の象徴の鉄道を賛美した。

「力強く響き渡る汽笛の音/南大門(ナムデムン)を背中に出発し/高速で吹きこむ風のごとく/翼のある鳥も追いつけぬ」--。

京釜線と京義線、湖南(ホナム、大田-木浦区間)線と京元(キョンウォン、ソウル-元山区間)線など日本による植民支配時代に設けられた鉄路は1910年、総延長2197キロメートルにのぼったが、8割は国内での物資と人の行き来ではなく、大陸と日本を結ぶ兵站(へいたん)や商品の輸送を目的に敷かれた。このため、植民地民の目に映った鉄道は「近代文明の利己であり、侵略の刃」という双面のヤヌスに迫った。

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