ハングルの禁止は、日本で仮名文字を禁じられたようなものである。
書き言葉を失った民には、自分の考えを表現する方法も自分の意思を他人に伝える手段もなかった。
文字を奪うことが、究極の愚民化政策で、両班が読み書きできない平民のために作られたハングルを封印したのは、漢字至上主義に陥っていたのにくわえ、平民に文字をあたえたくなかったからでもあろう。
考えは、文字化することによって、客観的に検討することができる。
韓国人が、妄想の中に住み、矛盾や論理破綻に気づかず、世界から相手にされない歴史捏造や韓国起源説、“恨千年“などの自己中心的な主張をくり出すのは、日韓併合で日本がハングル文字を普及させるまで、平民が読み書きできる文字を持たなかったからである。
ソウルの街を歩いていると、あちこちからどなり合うような声が聞こえてくる。
韓国人の会話が、荒々しく聞こえるのは、韓国語には奥行きのある複雑な表現がなく、したがって強調するには大声を出すほかないからである。
日本人は、韓国人に対して話せば分かるという甘い幻想を捨てるべきである。
なぜなら、彼らは話す内容ではなく、声の大きさで物事を理解しようとするからである。