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여기저기 한국 ヨギチョギ韓国

韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国では、無料とサービスの境目が曖昧というか、もらえるものは何個でもという感覚のようです

2021-06-30 02:57:30 | 韓国旅行

 
『サービスは』は無料ではない
 
日本のスーパーは韓国に比べて「バラ売り」が進んでいます。
一人でも食べきれるサイズの商品が多くて、大変便利で助かっています。
 
韓国でも最近になって「一人用」「一~二人用」を意識した商品の売り方が目立っていますが、日本の方がずっと進んでいます。
韓国もすでに一人暮らしが多く、一~二人で暮らす家庭が総世帯の半分近くまで増えていますが、まだまだその対応が遅れています。
 
日本では、牛肉売り場には「牛脂」がサービスとしておいてあります。
サービスの「牛脂」は、韓国では見たことがありません。
 
あくまでも、サービスであって無料ではありません。
サービス品はタダではない。
それをタダだと思うのは間違いです。
店側のサービス品をタダ(無料)扱いしてはいけません。
一部の韓国人がやっているように、一人で多数持っていくとか、そんな態度はダメです。
 
韓国では、無料とサービスの境目が曖昧というか、あまり意識していないとか、眼中に無いとか、もらえるものは何個でもという感覚のようです。
 
怖い顔のアジュンマたちが、大型スーパーのサービス品を当たり前のように持っていく姿。
子どもたちが試食コーナーで当たり前のように料理を要求する姿。
とある教団の会食で、ある牧師が、店員の女性に「ナプキンの質が良い。ちょっともらえないか」と言い、ナプキンをたくさん持っていく姿。
「サービス品をもらえなかった」という理由で、食堂のアジュンマにマジギレした市役所の人、などなど・・・。
スーパーに置いてあるロールタイプのビニール袋を、いっぱい取っていく姿。
 
日本人が仕事などで韓国人と知り合うようになった場合、生活の中で「あ、これは日本人と(悪い意味で)違うな」と実感するのは、「反日」とか「親日」とかではなく、まさにこのパターンです。
 
 

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韓国で、「コピーはどこにありますか」と聞いたら、コーヒーの自動販売機の場所を教えられたことがあります

2021-06-29 02:40:31 | 韓国旅行

韓国で、学生に「コピーはどこにありますか」と聞いたら、コーヒーの自動販売機の場所を教えられたことがあります。

 

韓国語でコーヒー「こぴー・커피」「コピー(複写)」「かぴー・카삐」なのです。

 

ついでに、口を突き出して「こ」を発音する「こぴ・코피」「鼻血」のことです。

 

日本人には、かなりこんがらがりますので、要注意です!

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ピッタリ着物の日本、ふんわりチマチョゴリの韓国

2021-06-28 02:52:33 | 韓国旅行

ピッタリ着物の日本、ふんわりチマチョゴリの韓国
 
外国人が日本に来て面白がることの一つが、街を歩く女子高生の制服。
あの極度に短くしたスカートは、日本のちょっと変わったポップカルチャーとして海外でも知られている。
 
韓国人の反応も同じだが、インパクトはより大きいようだ。
人前で肌をさらすことをしたくないと感じる意識が強いからだ。
アイドルの水着写真は日本ではあたりまえだが、韓国のアイドルではあり得ない。
 
日本人も別に、露出が好きな国民だったわけではない。
フォーマルな和服は端正に着こなすし、女子高生のミニスカートも90年代以降の現象だ。
性に対しての慎み深い伝統は、むしろ朝鮮半島と根を同じくしている。
女性の伝統衣装は日本と朝鮮半島でだいぶシルエットが違うが、ボディラインを隠すという目的は同じだ。
 
だが朝鮮半島は、そうした性意識が近代以降も根強く残った。
また日本と韓国の気候の違いもある。
韓国も夏は30度を超える日が珍しくないが、大陸性の乾燥した暑さ。
湿度が高い日本と違い、日差しが強い午後でも日陰に入るとひんやりする。
そんな環境も、露出に対する意識に違いをもたらしているのだろう。
 
ただし韓国でも2000年代中頃以降、ミニスカートの大流行を迎えた。
これは従来の伝統的な価値観が、猛スピードで変わった結果だ。
日本の80~90年代の意識変化が、たった数年で起こったともいえる。
そんなファッションのトレンドも、日韓の違いは鮮明なようです。

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日本では、感情を抑制することが美徳だが、韓国では逆に感情をさらけ出すことが、人間らしさとうけとめられる

2021-06-27 03:04:22 | 韓国旅行

 
韓国人は、感情の表現が露骨で、葬式を盛り上げるために招かれる泣女が「アイゴー、アイゴー」と泣き叫ぶ。
日本では、感情を抑制することが美徳だが、韓国では逆に感情をさらけ出すことが、人間らしさとうけとめられる。
 
日の丸を踏みつけ、焼くなど、韓国の反日でもの過激さもアイゴー精神で泣女ならぬ怒り男が、叫び狂う。
怒り狂い、亡き、呪うのは、私的感情で、「恨の思想」は、私怨である。
一方、韓国には社会の不正や制度の弊害などに対する公憤がない。
 
“私“をこえる“公“という世界観がないので、社会悪や制度悪に関心がむかず、憎悪の対象となるのは、不正蓄財などの個人的な悪業だけである。
公憤は、私的利害をこえた社会的感情で、公憤がはたらかなければ社会はよくならない。
 
日本で、韓国のような官僚特権社会が出現しなかったのは、曲がりなりにも公憤をひきうける世論が機能しているからである。


韓国では、世論をリードする朝鮮日報や東亜日報などの新聞メディアが反日という私怨を煽って世論をミスリードしている。
 
従軍慰安婦と竹島、日韓併合謝罪の“3点セット“をもちだせば、韓国世論は一本にまとまる。
メディアによる反日キャンペーンが、腐った社会にむけられるべき批判の矛先をかわす安全弁になっているように思える。

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韓国に最初に行ったのは、1970年代のことでした

2021-06-26 03:00:50 | 韓国旅行

 

韓国に最初に行ったのは、1970年代のことでした。

 

すべては今と大違いでした。

まず夜間通行禁止という規則があって、夜の12時からはいっさいの外出が禁じられていました。

これを破るとただちに警察署に連行され、一晩留置されてしまいます。

ですから夜更かしができません。

 

酒を飲むには、おのずから早く始めなければなりません。

飲み方もイッキ飲みが一般的でした。

11時ともなると、繁華街ではタクシーの争奪戦が必死に行なわれていました。

もちろんタクシーは今と違って、相乗りが普通でした。

 

街角は軍事色でいっぱいでした。

大学では週に一度、午後に軍事教練がありました。

ソウルの街角には土嚢が積まれ、橋の両側には見張りの兵士が立ち、いつ北朝鮮の攻撃があっても応戦できるようになっていました。

 

夕方になると街角には国歌が流れ、通行中の人は全員直立不動の姿勢をとって、それに敬意を表しなければなりませんでした。

あらゆる学校や職場の壁には国旗と、陰気な顔をした大統領の肖像写真が掲げられていました。

軍事独裁とは、そのようなものだったのです。

 

若者たちは誰もが鬱屈していました。

長髪は禁止。

日本や共産主義に関するものは禁止。

ヌード写真も禁止。

民主主義も禁止。

なにもかも禁止の中で、彼らは薄暗い喫茶店に閉じこもって煙草を吸うか、徹夜で酒を飲んでうさ晴らしをするしかないという印象が残っています。

 

「병태・ぴょんて」という言葉が流行っていました。

漢字で書くと「病態」です。

体がまっとうでない。

どこかおかしなところがあったり、障害を患っているという意味の言葉です。

それは、屈辱的な生活を送っている自分をいっそ嘲笑してしまいたいという若者たちの気分に似合った言葉でした。

 

70年代の小説や映画には、よくこの「병태・ぴょんて」なる名前をもった人物が登場します。

けれどもそれは、若者が強い希望を抱いていた時代でもありました。

 

2000年代の韓国では、どこを探しても「병태・ぴょんて」に代表される自嘲意識はもはや見当たりません。

すべてが許されてしまい、変わってしまったのです。

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韓国人から見れば、一度彼女に迫ってフラれてしまうと、もう二度と口説かなくなるような日本の男は、理解に苦しむ存在のようです

2021-06-25 03:04:25 | 韓国旅行

 

韓国人から見れば、一度彼女に迫ってフラれてしまうと、もう二度と口説かなくなるような日本の男は、理解に苦しむ存在のようです。

最初の一回どころか、二回、三回、フラれるのはもとより計算のうち、四回目くらいから本格手にな口説きが始まる。

 

九回、十回と回数を重ねていくうちに、周囲もだんだんと気がついてきて、あそこまで懲りずに口説くのだから、そろそろ手を打ってやったらと、助言が入る。

女の方も、まあそれだけ男に手間ひまかけさせたのだから、一応メンツは保てる。

じゃあ、せっかくだからつきあってやるか、という気になる。

 

こうしてカップルが誕生します。

これが韓国式の口説き方です。

せっかちな韓国人がよくもまあ、これだけ手間をかけるものだと感心もしますが、堪えきれなくなって強引な手段に訴える男もけっこういるようです。

 

韓国人の女性には、日本の男のあっさりさにはいささかもの足りないのではないでしょうか・・・。

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無形(心)に価値がない韓国、無形に価値を認める日本

2021-06-24 02:48:45 | 韓国旅行

 
無形(心)に価値がない韓国、無形に価値を認める日本
 
韓国は、日本の茶道や華道が、朝鮮半島からの移入と主張している。
これが「韓国起源説」で、世界的に有名なモノは、すべて朝鮮半島から生まれた、世界の偉人は、すべて朝鮮人だったと主張する。
 
この国家的な誇大妄想は、「ウソも百回言えば真実になる」という国民的「(反)道徳」にもとづいている。
韓国では、ウソに対する罪悪感がない。
韓国検察が起訴した偽証事犯は、日本と比較しても200倍を超えている。
 
韓国には「泥棒も弁明する」「処女が子供を産んでも言い分がある」などのことわざがあり、「ウソをつくのは簡単だが、本当のことを言うのは骨が折れる」という、国民総うそつきの国である。
 
韓国人がウソをつくのは、内面世界や精神文化をもたないからである。
心のなかに、正直や誠実という鑑がないので、利益になると思えば口からでまかせにウソをつくのである。

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韓国で“物づくり“の精神が育たなかったのは、職人が蔑視されたからである

2021-06-23 02:49:02 | 韓国旅行

 
韓国人は、二言目には「焼き物(陶磁器)は韓国が日本に伝えた」「日本が韓国から大勢の陶工をを“強制連行“したので、以後、韓国の陶器は衰退した」などと口にする。
 
約1万6千年前の世界最古の土器(1999年青森県蟹田町出土)が日本で発見されており、ヨーロッパの王宮や宝物館などに飾られている陶磁器の多くが、古伊万里などの日本の焼き物である。


伝統的な有田や九谷から、茶の湯の楽焼、大窯の美濃や瀬戸、他にも萩や信楽、益子、万古、常滑、備前、丹波、伊賀、唐津など、日本には、数え切れないほどの窯元があり、日本の陶磁器は、名実ともに、世界一である。
 
一方、韓国の陶磁器は、高麗時代の高麗青磁を頂点に、あとは衰退の一途をたどって、現在では、日常使う食器まで、ステンレス製である。
韓国人は、モンゴル人の侵入で各地の窯が大きな打撃を受けた、豊臣秀吉の侵略軍が陶工を連れ去ったなどの理屈をつけるが、原因は、ただひとつ、職人が並みの低い身分だったため、技術が、伝統として、根づかなかったためである。
 
ところが日本では、芸術品で、銘を入れて、殿様に献上された。
韓国で“物づくり“の精神が育たなかったのは、職人が蔑視されたからである。
 
韓国儒教では、みずから体を動かすことは、下賎なふるまいで、高貴な者は、自分の顔を下女に洗わせ、李朝時代の王は、外国人外交官のテニス戦を見て「なぜ、使用人にやらせないのか」と尋ねたという。
高貴な者は、生産にたずさわらず、それが、両班政治で、朝鮮では、科挙試験に合格した家柄のよいエリート集団の独裁体制だった。
 
両班が重んじるのは、韓国流の儒教序列だけで「目上の者を下に見る二階建ての家は建ててはならぬ」「商人は下賎なので、馬や船を使ってはならぬ」などという、経済活動を制限する掟を発令して、悦に入っていたのである。


職人が、顧客の気に入らないものを作った場合、体罰をくわえるしきたりもあったため、日韓併合によって、長男を生んだ女性が着る「乳出しチョゴリ」などとともに旧弊が一掃されるまで、男たちは、働くよりも路上でサイコロをころがすような生き方をえらんだ。
 
これで国家が成り立つわけはない。

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日本は「恥の文化」、韓国は「恨の文化」・・・韓国には恥の文化は存在しない

2021-06-22 03:00:47 | 韓国旅行

 
日本は「恥の文化」、韓国は「恨の文化」
 
日本で罪にあたるのが他人の目で、他人の目にうつった自分のみっともない姿が恥である。
我欲をふりまわして、全体の利益をかえりみないのは、恥知らずで人目が眼中にない。
日本人は、人目を気にするが神の目など信用しない。
 
日本人が、他人の目(=恥)を気にするのは、恥が個と全体の調和をとる基本原理になっているからで、名誉心や誇りをもっている人は、他人の目を意識するので、後ろ指をさされるようなことをしないものである。
 
韓国には恥の文化は存在しない。
あるのは、500年、1000年の恨みだけで恨みの裏返しが依存である。
恨みや依存、嫉妬や虚栄、甘えや無責任、ウソや告げ口は成熟した大人のものではない。
韓国人が大威張りでふりまわしているのは、すべて未成熟な子供の感情や心理で、大人がまともにとりあえるものではない。
 
韓国人の精神が、子供の段階で止まってしまった理由は2つあるだろう。
ひとつは事大主義で、2つ目は教条主義である。
事大主義は、母親に依存する幼児心理で母親が自分の一部になっている。
恨みは、母親への甘えが裏切られたときに生じる幼児心理で、根底にあるのが依存心である。
 
大人なら、他人からきびしい仕打ちを受けても、冷静な対応ができるが、相手が母親の場合失望が屈折して恨みになる。
韓国は、幼児が母親に甘えるように、中国や日本、ロシアに保護を求めてきた。
事大主義は、計算づくの政策ではなく、本能のようなものなので、子供が母親に感謝しないように、依存し保護を受けていることへの感謝はない。
 
日韓併合によって、世界一の最貧国から先進国に仲間入りを果たした恩恵を感謝することなく、その一方で属国となったことだけには猛然と抗議する。
到底、大人の対応ということはできない。
 
2つ目は、教条主義である。
朝鮮では、儒教だけが真実で科挙試験合格を目指して、人々は儒教だけを学んだ。
学ぶは「真似ぶ」で、当時朝鮮人は儒教のコピーだけに精をだした。
その結果、儒教の知識はそなわったが、知恵は未発達のままだった。
 
知識をつなげても、そこに知恵がはたらかなければ、考えたことにはならない。
韓国の停滞と混乱は、独立心をもたず、自分の頭で考えることができない幼児的な二代欠陥によってもたらされたのである。

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2000年代以前の韓国でコーヒーといえば、インスタントに砂糖とクリームをたっぷり入れた甘い飲み物のこと

2021-06-21 02:25:20 | 韓国旅行

 

2000年代以前の韓国でコーヒーといえば、インスタントに砂糖とクリームをたっぷり入れた甘い飲み物のこと。

いまでも中高年以上の人にコーヒーを勧められると、これが出てきたりします。

 

また喫茶店でも、甘いコーヒーを出すところが多かった。

注文すると小さなやかんでお湯を沸かし、インスタントを溶いて運んでくるというのが、中高年世代には懐かしい光景だ。

 

豆を挽いて入れるコーヒーは、90年代から普及。

やがて2000年代から、内装をセンスよくまとめた若者向けのカフェが大流行する。

もちろん見た目だけでなく、コーヒーも本格的だ。

 

2000年代から雪崩を打ったように広まった食生活の西洋化は、こうして喫茶店の文化も完全に塗り替えてしまった。

40年以上前から韓国に行っているが、時系列に喫茶店を検証してみると興味深いが、昔ながらの다방(タバン・喫茶店)が懐かしい。

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