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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国の代表的な食べ物のひとつに비빔밥(ピビンパ)がある

2017-12-31 03:46:57 | 韓国旅行

韓国の代表的な食べ物のひとつに비빔밥(ピビンパ)がある。


비빔밥(ピビンパ)は混ぜる飯という意味で、つまり混ぜご飯である。


もともとは味付けしたご飯の上に、五つの色彩の具、たとえばゼンマイ、ほうれん草、コンブ、モヤシ、玉子焼きといったものをのせる。

日本人はそれをそのまま食べようとするが、韓国人はスプーンをもち、豪快に混ぜ合わせて食べる。

汁気が足りなければ、ついてきたスープをスプーンですくってかけて、混ぜやすくして食べる。

とにかくすべてを混ぜてしまいます。


韓国人は日本のざるそばをたべるときも、ざるそばの上に麺つゆをにんなかけてしまって混ぜ合わせて食べようとする。


カレーライスも、はじめから混ぜ合わせて食べる。

混ぜていない食べ物はうまくないという考え方が基本的にあって、すべてを混合させるわけである。


日本は韓国とまったく違っていて、食べるという行為にあってつねに念頭に置かれているのが、けじめをつける、分断をするということである。

菜箸というものがあり、めいめいが必ずそれで取る。

自分の皿にきちんと取って、それを切り分けて食べる、皿に取ったものは、ちらし寿司にしても、ヶエアーライスにしても、それを改めて混ぜ合わせることはいけない。


混ぜ合わせるご飯は、猫飯とかいわれて軽蔑の対象になっている。

しかし、韓国では、混ぜ合わすことがものをおいしくさせるという立場から、積極的な意味を비빔밥(ピビンパ)という言葉に与えている。

ここにちらし寿司と비빔밥(ピビンパ)の違いがある。


韓国では、食べる側がより積極的に食べ物に関わるのである。

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韓国人は平気で食べ物を残す  少しずつ残しておくのが、両班気分で望ましいということになっている

2017-12-30 03:51:36 | 韓国旅行

韓国人は平気で食べ物を残す。

少しずつ残しておくのが、両班気分で望ましいということになっている。


日本人の場合には一つひとつ注文して代金を払うわけだから、食べなければ惜しいという意識がどうしても働いてくるし、食べ物を残してはいけない、粗末にしてはいけないという教育を受けている。

しかし韓国の場合には、外食の才には両班として振る舞うべきであって、適度に残してゆとりを見せるというのが正しい食べ方と見なされている。


大衆的な食堂でキムチをすべて食べ終わったとしよう。

そのあいている皿を見て、店のアジュモニ(おばさん)が「おいしかったのか」と尋ねながら、ただちにまた同じだけの量をもってくるはずだ。

したがって残さず食べ終わると、永遠に食べるということになってしまう。

これが現在にいたるまでの韓国の典型的な外食におけるサービスの仕方である。


家庭においても客人が来たときには、お膳の脚が折れるほどに皿にならべよというのが決まり文句になっている。

とにかくたくさん食べてもらうというのが基本にあるから、おかわりの基本的に自由となっている。


このような食習慣が可能になるには、保存食料が発達しているということが条件になっている。

西洋料理や日本料理では、いちいち作って十数種類も並べることはできない。


韓国はキムチの文化が発達しているからこそ、このようにずらりと並べる共時的な出し方が可能になったのである。

逆に言えば、保存食料の発展は、韓国における食生活を保守的なものにとどめてしまったといえなくもない。

どこの家庭でも冷蔵庫のなかにはキムチがかならず数種類は作り置きがあるわけで、それを出しておくだけで、あとは目玉焼きとご飯だけで一回の食卓としてはさまになってしまう。

日本のように、毎回作らなければいけない料理ではない。

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韓国では職業の貴賤意識が強く、現場での手仕事をとくに卑しく思う傾向がある

2017-12-29 03:52:36 | 韓国旅行

現在でも韓国では職業の貴賤意識が強く、現場での手仕事をとくに卑しく思う傾向がある。


これは両班の持つ独特のエリート意識のなせるわざで、身体を動かさないことが偉いという考えからくるものである。

男は何もせずじっとしていながら、まわりの人間を動かすのがよしとされる。


日本人は立場が上の者でもきょさい如才なくまめに動き回る人が珍しくないが、これは韓国では軽く見られてしまうことになる。

たとえば食堂商売に成功したとする。

すると韓国人は店をすぐに人に売り払うか、管理職に回って現場から遠ざかってしまう。


日本のように、齢八十を超した鰻屋の老主人が、生活の苦労もないのに鰻のタレを毎日検分するという職業意識は、まず考えられない。

したがって韓国では、日本のように長く続いた鰻屋とか蕎麦屋とかが存在していない。逆に日本では、どんな小さなことも大仰な「道」にしてしまう。

そこに精神主義をもちこみ、大袈裟にあつかってしまいがちである。


この職業意識は芸能界にもいえることで、芸能人には社会的地位が低いという意識がまだまだ強い。

美人女優が人気のさかりに財閥の御曹司と結婚すると、芸能界になんの未練もなく去ってしまう。


こうした韓国人の民族性は、おそらく南北の統一が実現したとしても、その根底はいささかも揺らぐことはないだろう。

社会体制を越えて、はるかに深いところで韓国人の意識と行動を決定しているからである。

 

韓国人の世界観と行動様式は今日、転回を急速に迫られている。形骸化して習俗になりさがった儒教イデオロギーが、抑圧体系として韓国人の日常生活をどこまで支配できるかはわからない。

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韓国は交通マナーが悪いというより、交通マナーが無いといったほうがいいかもしれない

2017-12-28 03:46:41 | 韓国旅行

韓国は交通マナーが悪いというより、交通マナーが無いといったほうがいいかもしれない。



たとえば横断歩道。

横断歩道を渡ろうとしている人がいても、クルマが止まってくれない。

日本の感覚で横断歩道を安全ものと思い込むと歩行者の油断を招いて危険な目にあってしまう。

韓国では歩行者は横断歩道がないところで道を横切るほうが安全だという者もいる。



違法駐車も多い。

対面通行できる道路の両側に車が駐車されているので、車はすれ違うことができず、実質的に一方通行になっている。

違法駐車で立ち往生している車もよく見かけるが、警察が取り締まっているところを見たことがない。

日本だったら住民が警察に通報するところだが、通報されることはまずない。

それでも駐車違反のステッカーをフロントガラスのワイパーに挟んだまま走っている車を見かけることがある。


韓国人は自分も違法駐車をやっているから、他人の違法駐車に目くじらを立てたりしないようだ。

日本では車庫証明がないと車を購入できないが、韓国では車を購入するのに書庫証明は必要ないという。

農村なら駐車する庭もあるだろうが、街の中では車を停めるスパースがない家が多い。

すると街の中では家の前の道路を駐車場として使うことになる。

だから誰もが駐車違反をしているし、他人の違法駐車にも寛容のようだ。


韓国では運転マナーもよろしくない。

韓国ではタクシーはせっかちで乱暴な運転手が少なくないので、そういうタクシーに乗り合わせると乗車中は気が休まらない。


路線バスも負けてはいない。

混雑していてもわずかなすき間に割り込んで車線変更するし、道路がすいていれば急加速して突進する。


そんなことだから韓国では交通事故も多い

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インスタントラーメンの作り方にも日本と韓国では料理法が違っている

2017-12-27 03:44:08 | 韓国旅行

インスタントラーメンの作り方にも日本と韓国では料理法が違っている


インスタントラーメンを買ったときに、日本人は必ずそこに書かれている説明を律儀に読んで、三分間とあるときちんと三分間待ち、ネギとタマゴを入れろとあると、ネギとタマゴをきちんと準備してから調理する。

できるだけ説明に沿った形で、そっくりに作ろうとする。


ところが韓国人は最初に袋を破ってしまって、説明などいっこうに読もうとしない。

まずインスタントラーメンの麺をむき出しに出してしまってから、勝手にいろいろな料理に利用してしまう。

鍋物を作ったあとで、鍋の底にスープが残ってしまうと、そこにインスタントラーメンを入れて、あっという間に即興的な料理を作ってしまう。


インスタントラーメンとご飯を同時に入れて鍋物を作る場合さえある。

つまり、あらかじめ定められているような用法などは平気で無視し、その場のあり合わせもので独創的に料理を作るのである。


料理が家々で違っていたり、その場その場で違っているというのは当然のことであって、これをしなければいけない、これをここに入れなければいけない、これがないためにこの料理ができない、といった日本人的な律儀で生真面目な発想を、韓国人は最初から捨ててかかっている。


この即興性は料理にかぎらず、日常生活の全般においていえることでもある。

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韓国では、街角のいたるところに김밥の店(海苔巻店)がある

2017-12-26 03:16:54 | 韓国旅行

韓国ではひとつの素材そのものを生かして味わうというよりは、いろいろなものを加えて複合的な味を作り出して食べる。


たとえば海苔であるが、日本ではただ乾燥させて切り、醤油をつけて食べる。

韓国の場合には、まず海苔にゴマ油が塗ってあったり、ゴマがついていたりする。

海苔巻きは김밥(キムパプ)という。


街角のいたるところに김밥の店(海苔巻店)がある。

  

1990年代後半の韓国の小学生のアンケートでは、好きな食べ物ナンバーワンは김밥(海苔巻き)と答えたという。

김밥(海苔巻)も、韓国では、まずゴマ油を塗った海苔の上に、ゴマの入ったご飯をおき、具を入れて巻く。

具の種類は何十種類もあって、김밥(海苔巻き)専門店に行くと、ピザ屋のメニューのように、細かな品目がある。


ともかくいろいろなものをたくさん入れて一緒に食べるというのが重要なのである。



カルビの食べ方でも、日本人はビールを飲みながら、カルビを焼いてそのまま食べたりする。

韓国人の場合には、まずサンチュとよばれるサニーレタスなどの菜をかたわらに置き、ご飯、ニンニクのスライス、練り味噌といったものをもう一方に置く。

焼いたカルビをそのサンチュにのせ、ご飯、ニンニク、そしてネギのあえものをのせて、そこに練り味噌をつけて巻いたものを口の中に頬張る。

この頬張った口のなかに入りきらないような感じがうまさの中心になっていると、多くの韓国人は幸福そうに説明する。


けっしてカルビだけ出を食べるということはない。

必ず野菜やご飯と一緒に総合的に食べるのであって、バランスを考えながら食べている。

焼き肉だけでなく、豚足を食べるときにも、やはり野菜に包んでいろいろなものを混ぜ合わせて食べる。

混ぜ合わせて、同時にいろいろなものを口いっぱいに食べるという考え方が、韓国料理の食事作法の根底にある。

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韓国では誰でも美人になりたがっている 韓国では1980年代に入って整形手術が盛んとなり、90年代に入って韓国が世界的な整形大国になった

2017-12-25 03:21:56 | 韓国旅行

韓国では1980年代に入って整形手術が盛んとなり、90年代に入って韓国が世界的な整形大国になった。


その背景には、経済水準の上昇によって女性が自分のために用いるお金ができてきたことが大きく作用している。

これはつねにワンランク上を目指す、韓国的自己表現の一形態でもあるのだ。


韓国では誰でも美人になりたがっている。

親より受けた身体を傷つけるのは不孝であるという儒教道徳は、ここではほとんど意味を持たない。


およそ女性に関する限り、観念的な道徳よりもまず物理的な外見を優先する社会であることが、整形手術の流行を生んだ。

またそれは、女性の社旗的地位と選択肢の狭さの問題をも露呈している。


まだまだ社会通念として女性に要求されることは多く、それは「女は~すべし」という言説が長い間まかり通ってきたことからもうかがえる。


「処女のまま結婚すべし」「夫は社会的地位のある男性であるべし」「子供、それも男の子を産むべし」ということは、結婚もせず、子供をもたない女は社会的に排除され、不孝であるという烙印を押されることになる。

つねに女性を家族という共同体との関係においてしか考えようとしない社会システムが、強固に機能しているのだ。

 

「あなたは처녀(処女)ですか?」という表現に驚いてはいけない。

単に「結婚していますか」くらいの意味で、日常的にきかれることなのである。


韓国では離婚率と再婚率が急速に増えており、社会がゆっくりとではあるが、習俗化された儒教のくびきから脱し、多元的で自由な選択を可能とする方向に向かいつつある。

韓国女性の社会的あり方は、化粧を含めてこれからも変化していくことでしょう・・・・。

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1970年代までの韓国女性のメイクは、日本とは逆に控えめだった

2017-12-24 03:43:46 | 韓国旅行

 

1970年代までの韓国女性のメイクは、日本とは逆に控えめだった。


70年代にソウルに行ったとき一般女性の化粧は控えめで、ホステスなどの女性はメイクが濃くて見分けが付きやすかった。


その韓国も、1980年代からだんだん化粧が濃くなっていった。

1988年、ソウル・オリンピックのころになるといわゆるコリアンメイクが出現し、高校を卒業するあたりから化粧を始めるようになった。


1990年代後半には、西洋を真似たオーヴァーリップスタイルで唇を強調するようになる。

実際よりもとりわけ下唇を大きく、たっぷりとルージュを塗り、西洋人の大きな唇に近づこうとするメイク法で、それならと、一方では唇を厚くする整形手術が流行した。

セクシーな大人の女を演出するダークレッドの口紅やブラウンメイクが好まれるようになった。


黒人モデルのナオミ・キャンベルは少なからぬ影響を韓国女性に与えた。

ナオミは日本ではすでに流行遅れになっていたが、韓国では依然として人気があった。


口を大きく見せるということは、女性の発言権、自己主張に大きく関係している。

これは伝統的美人のあり方とは正反対のものである。

朝鮮時代には美人は唇が「梅桃の実のように、赤くて小さくなければならない」と考えられていた。

女は大きな口などきいてはいけないという、男の女に対する要求が口を小さくさせていたことが、ここからわかる。


目に関して言うと、二重瞼にする整形手術が大流行している。

メイクも瞼のきわをアイラインでくっきりと描き、付け睫毛をするようになる。


日本人のように気さくに笑わずに、ツンとすましているのがいいとされる。

こうした化粧は現在の韓国社会に横たわっている無意識的な女性の欲望を反映している。

男性中心社会の中でいかに自己主張をしていくか、その積極的意思表示がすぐれて化粧となって表れている。


韓国は高いプライドと強い自己主張を求められる社会なのである。

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韓国料理というと、日本人がすぐに思い浮かべるのは、焼肉やモツ焼き、あるいはホルモン料理といったところだろう

2017-12-23 03:52:31 | 韓国旅行

韓国料理というと、日本人がすぐに思い浮かべるのは、焼肉やモツ焼き、あるいはホルモン料理といったところだろう。


しかし、基本的に日本の焼肉文化と韓国料理は重なっていても、よく見るとそこには大きな差異があり、その差異から民族的、文化的な違いが見えてくる。


日本の焼肉文化は、敗戦直後の物資欠乏のおりに、在日韓国人が市場に捨ててあった牛や豚の内臓を使って、ホルモン料理というのを始めたのが一般化の始まりである。

「捨てるもの」、つまり大阪弁で「放るもの」という言葉からホルモンと呼ばれるようになったという説がある。

真相はもはや分からない。


しかしこうした説を生み出し、それを信じてきた人々の心性の歴史は、それ自体として検討に値する。

もちろんこれは栄養、あるいは活力という意味でのホルモンもかけているわけである。


内蔵はフランスやイタリアなどヨーロッパでは高級料理の食材であるが、一般の日本人はそれを日本料理として使いこなすことができず、捨てていた。

これを貧しかった在日韓国人が集めて、ゴマ油や唐辛子やニンニクや醤油で味付けして焼いてみたところ、材料費が安いわりには美味しくて栄養価もある。

というわけで、焼き肉は在日韓国人の集落を中心として、戦後の日本社会に広がっていった。


民族の持つ味覚の正当性などというものは、存在しない。

それは五十年で簡単に変化してしまうものである。

ホルモン料理は、今日では日本の焼き肉屋において立派な日本料理になったと同時に、日本人の味覚というものを決定的に買えてしまった料理でもある。

そういう焼き肉文化というものが、確固として日本に存在している。


ところが、ホルモン料理は本来韓国になかった。

在日韓国人の多くにとって、生活は貧しかったわけで、カルビ焼きのような肉料理はけっして庶民が日常的に食べることができるものではなかった。

だからこそ戦後の混乱のなかで内臓を焼くという料理が新しく考案されたのである。


日本人が通常考えている焼き肉料理は伝統的な韓国料理だと信じてしまうと、そこには大きな間違いが生じてしまう。

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韓国人がよく用いる言葉に「自尊心」がある  日本ではよほどのときにしか用いないこの言葉を、韓国人は日常会話で普通に用いる 

2017-12-22 03:17:34 | 韓国旅行

 

韓国人がよく用いる言葉に「自尊心」がある。


日本ではよほどのときにしか用いないこの言葉を、韓国人は日常会話で普通に用いる。

たとえば買い物をしていて、よその店の方がもっと安かったというと、無理をしてでも値段を下げようとする。

「ウリにも自尊心がありますから」というのがその理由だ。


韓国人は、いかにも目に見えるところに自分のプライドの根拠を置く、富裕な者はそれを誇示しようと、金の指輪をいくつも両手指にはめる。

美人はいかにも美人であることに自覚的であるように、ツンとして行動する。

年長者は年長者らしく威厳を、社長は社長らしく権威を誇示し、社長令嬢は社長令嬢らしく運転手付きのクルマでミッションスクールに通学する。


生活のあらゆる側面において感情表現が直接的で明確であり、日本、とりわけ教徒の人間に典型的に見られるように、意図した韜晦や曖昧化は好まれない。


猫かぶりと二枚舌ほど、韓国人の性格から遠いものはないのではないでしょうか・・・

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