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여기저기 한국 ヨギチョギ韓国

韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国は必死に騒ぎたてている割に、何故か強制連行の証拠は出てきません

2020-02-26 03:12:01 | 韓国旅行

やっている内容は別として、韓国人の行動は本当に目を見張るものがある思いますし、ある意味尊敬します。
日本人もこれくらいの行動力が必要です。
 
韓国の活動家は慰安婦、慰安婦と世界で騒ぎまくって、アメリカでも活発にやっているわけです。
本当にふざけているのかという話です。
韓国国内なら分かりますが、何故アメリカに建てるのでしょうか。
おそらくアメリカで慰安婦という存在を認知させ、アメリカから日本へ圧力をかけさせようとする魂胆と、単純に日本の地位を落とそうということでしょう。
 
これはアメリカに住む日本人の尊厳を傷つけるのはもちろん、日本に対する冒涜でしかありません。
さらに今後全米での設置を目指しているといいます。
もうアホかと・・・。
 
政府外務省はどれくらい動いたのでしょうか。
実際動いていたのは民間人です。
政府がやれよという話です。
これは韓国が悪いというのはもちろんですが、付け入る隙を与えてしまった日本の対応にも問題があります。
 
慰安婦強制連行の証拠がないのに、「強制性」という謎の言葉を使って謝罪した河野談話というものがあるから、余計な足かせになって今も響いているのです。
テキサス親父さんという人が、慰安婦に関する資料を紹介して話題になりました。
その資料とは、アメリカが慰安婦に聞き取りをして、結果強制連行ではなく、売春だったということを示すものです。
 
韓国は必死に騒ぎたてている割に、何故か強制連行の証拠は出てきません。
逆に強制連行ではないという証拠はどんどん出てきます。
当たり前ですが、しっかりと事実を元に語る必要があります。
 
確かに貧困から売春にという手段に出るしかなかったという方もいるでしょう。
悲しい時代ではあります。
しかし感情論に流されてはいけません。

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韓国にないのが、勤勉と信用という資本主義の精神である

2020-02-24 03:17:05 | 韓国旅行

 
資本主義の精神は、日本の“商道“のことである。
 
「今日の儲けより明日の信用」の老舗の精神や誠心誠意とご贔屓の精神で発展した日本企業は、いずれも商道の大家で、それが日本的経営、商法だった。
商道がいちばん大事にしたのが信用だった。
 
韓国にないのが、勤勉と信用という資本主義の精神である。
儲けや付加価値が盗みや詐欺とかわらぬ悪徳だった韓国では、いまもインチキや悪知恵、コピーで買い手を騙すことが頭のよい商人の証拠になっている。


韓国の重工業や造船技術は、ソフト、ハードとも半島に残した、あるいは日本が戦後提供した設備や技術を引き継いだものだが、韓国人は感謝のことばを一言も口にしたことがない。
 
そして、日本は韓国からすべて盗んだと主張する。
国家予算の何十倍にもなる、産業・生活インフラをつくった日本をドロボー呼ばわりするねじ曲がった心で、経済が発展するはずはない。
 
経済を悪とする韓国儒教の下で育たなかったのは商業だけではなかった。
手工業が卑下された韓国には技術者(職人)も不在だった。

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日本の武士は、儒教の〃忠“を、朝鮮人は“考“を重んじた

2020-02-23 03:11:28 | 韓国旅行

 
日本の武士は、儒教の〃忠“を、朝鮮人は“考“を重んじた


 
忠義に生きる武士のモラルが、質素倹約だった。
両班が、身分差別の上にあぐらをかいて、搾取を貪りキーセン遊びにうつつをぬかしていたのとはおおちがいである。
 
学校では、「士農工商」を身分制度と教えているが、正しくは身分ではなく職業の“区分“である。
も身分制度からでてきたものではなく、都市に流れ込んできた離農者や無宿者、元犯罪者などのドロップアウターの特権的職業をとりきめたもので、物乞いや刑場使役人、墓掘り(墓守)は、の既得権だった。
 
に対する差別は、あくまで情緒的なもので、制度による李氏朝鮮の身分制度と同一視できない。
日本における差別は、あくまで「心の問題」で、法などによる「制度の問題」ではなかったのである。
 
儒教から脱皮できなかった李氏朝鮮では、日韓併合まで身分制度が残った。
儒教的な因習の下では、合理的精神が否定される。
 
それが、もっとも顕著にあらわれたのが経済だった。

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立て膝が韓国の文化なら、椅子がけは西洋の文化、正座は日本の文化である

2020-02-22 03:13:51 | 韓国旅行

韓国人の立て膝、茶道や華道を生んだ日本の正座
 
日韓併合前のソウルは、都会であり首都であるにしては、ソウルのお粗末さは形容しがたい。
併合前の韓国人は、泥壁のようにしか見えない藁葺きのあばら屋に住み、道の地べたの上に暮らしていたのである。
泥壁のあばら屋に、床はなく人々は直接地べたに座って食事をとっていたはずである。
 
韓国人が、立て膝の姿勢で食器を手に持たず、片手のスプーンだけで食事をとるのは、その名残で当時、食器は地べたにおかれていたのである。
地べたの上で、正座することはできない。
そこから、韓国の立て膝が生まれた。
 
韓国で正座を「罪人座り」とするのは拷問にみえるからだという。
だが、日本人の足腰の強さは、正座がつちかったもので、正座からまっすぐ立つことができるのは日本人だけである。
 
立て膝が韓国の文化なら、椅子がけは西洋の文化、正座は日本の文化である。
といっても、日本人はいつも正座しているわけではない。
リラックスしているときは、膝を崩して男はあぐら、女は横座りだった。
正座はかしこまったときの座り方で、日本人は神仏や指導者、年配者や地位が高い者の前では膝を正す。
 
正座は立て膝やあぐら、横座りのような座り方の一種ではなく、宗教的な色合いをもつ礼の一種で、日本の文化は正座という「かしこ(畏)」の姿勢から生まれた。
韓国にないのが、かしこという価値観である。
 
礼儀や感謝、恥知らず、ウソや告げ口が平気なのは、かしこという思想がないからである。
立て膝で茶を点て、「茶道は韓国からつたわった」などといってもらいたくないのである。

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韓国に国風文化がうまれなかったのは、公の精神という文化の土台がなかったからである

2020-02-21 03:14:53 | 韓国旅行

 
日本が、西洋列強から侵略されなかったのは、島国だったからではない。


剣術の達人で槍衾をやすやすと破って、大刀でで敵兵を切り伏せる日本のサムライがこわかったのと、足軽が全員、鉄砲を持つ日本軍に勝てる見込みがなかったからである。
 
韓国には、日本の国風文化に該当する文化の相がない。
理由は、文化は「私」をこえた「公」の領域にあるもので、韓国には公という観念がなかったからである。
 
日本の武士は、私人ではない。
私人なら、抜刀して敵陣にふみこむという超人的なことはできない。
命あってのモノ種で、恐怖心のため戦場から逃げ出すのが私人である。
 
前大戦で中国兵(国民党軍)は、逃げてばかりいたという。
中国兵が弱かったのは、死を恐れる私人的な感情があったからで、中国の書物には、日本のサムライの勇猛さを記述したものが少なくない。
 
日本が野蛮だったのではなく、公人である武士は死を恐れなかった。
日本人は、何ごとにも命がけなのである。
前大戦では、職業軍人ではない一般の徴集兵が、幾千、幾万も神風特攻や「バンザイ突撃」などの生還の見込みのない戦法に殉じた。
日本人のサムライ魂は、庶民レベルまで浸透していたのである。
 
公の精神で、私心の上に公の精神が形成され文化となる。
日本の職人は、生業のために木を削り、鉄を叩いていたのではなかった。
精髄を極めるためで、そのためなら命とひきかえにしても惜しくなかった。
 
韓国に国風文化がうまれなかったのは、公の精神という文化の土台がなかったからである。
公の精神は「男性原理」で、子供を産み、生命を最大の価値とする私心は「女性原理」である。
韓国が、男なら問題にしない「慰安婦問題」を国策に掲げ、女性大統領が告げ口外交をくり広げたのは、「女性原理」の国だからで、韓国の唯一の特有文化が、台所の産物である「キムチ」である。
 
「男性原理」の文化の日本と「女性原理」のキムチの文化の韓国では、永久に対話が成立しないのである。

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韓国では、特権階級が身分制度を作って民から搾取した

2020-02-07 03:31:59 | 韓国旅行

 
韓国の身分制度は、両班が頭をひねって、つくりあげた差別のための差別だったが、日本には制度的な身分差別も差別的政策もなかった。
戦後、教科書は士農工商を身分区別としたが、のちの研究や海外歴史家からの指摘もあって、職業的区分に改められた。
 
士農工商は、紀元前1000年頃の『漢書』にある「士農工商、四民に業あり」の四民のことで、業は生産の業である。
 
官吏だった士を武士におきかえたのは、江戸の儒学者だが、それでも生業の本位を示したもので、日本の士農工商は武士の倫理観、商道という経済哲学、技術の継承と発展の土台となった子弟制度と職人気質、百姓の勤勉など、職業的使命感や職業に対する誇りを示すものだった。
 
勤労を下賎なものとみて、働く者を貶める韓国の身分制度とのちがいは、天と地である。
日本にも、他の国と同様、身分や職業上の差別があった。
だが、武士が威張り商人が腰を屈めるのは慣例や風習で、法や掟によるものではなかった。
エタやに対する差別も、江戸時代に一部制度かされたのを除いて、法にもとづいたものではなかった。
 
韓国では、特権階級が身分制度を作って民から搾取した。
だが、日本の特権階級は、みずからをきびしく律して腹まで切った。
 
一方、豪農、豪商が育ち、江戸の町はヨーロッパの宣教師や朝鮮通信使が書き残しているように、世界一賑わっていた。
朝鮮の差別的身分と日本の職能的身分を同列に論じることはできない。
日本で、経済や手工業芸術などが発達したのは、制度的身分がなく、士農工商がそれぞれ誇りをもっていたからだったのである。

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日本と韓国では、エリートの意味がまったく異なる

2020-02-06 03:14:36 | 韓国旅行

 
日本と韓国では、エリートの意味がまったく異なる。
 
本来エリートは、公の精神をもつ人々のことで、かられが社会的に高い地位につくのは、「位高ければ徳高きを要す」という自己犠牲や高徳性とひきかえだった。
新渡戸稲造は、著書『武士道』で、武士たる者は、国や君主のために命を捨てる覚悟をもち、日常においても、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義の徳を忘れず、と書いている。
 
エリートが私心を捨てて、公の精神に尽くすのは、日本の武士道を挙げるまでもなく、先進世界の最大のモラルでアル。
ところが、韓国のエリート(=両班)は、高い精神性どころか、泥棒まがいの利権集団でしかなかった。


 
イザベラ・バードの『朝鮮紀行』に次のような記述(要約)がある。
「朝鮮の災いのひとつに、両班という特権階級の存在がある。両班にもとめられるのは、究極の無能さだけである。両班はみずから働かず、従僕に引かせた馬に乗り、従者たちは近くの住民を脅して、鶏や卵を奪い、金を払わない」


 
両班を引き継いだのが、現在の官僚群で“官僚マフィア“と呼ばれている。
旅客船セウォル号の事故で明らかになった制度的欠陥から内政や経済、外交面の迷走は、政権と癒着した官僚マフィアによって、つくりだされたといっていい。
 
ところが、韓国では官僚にたいする批判がマスコミからも国民からもおこらない。
それどころか、大方の韓国人は祖先が両班だったとするニセの家系を自慢しあうありさまである。
理由は、かって朝鮮が、「両班にあらずんば人にあらず」という極端な身分差別社会だったからである。


韓国人は、両班=官僚という権力を批判するよりも、権力に取り入ることのほうに熱心なのである。

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韓国には庶民文化がなかった

2020-02-05 03:15:46 | 韓国旅行

 
陶器は、日本の伝統的産物だが、5世紀(古墳時代)に、百済から帰化人によって、窯やろくろの技術がもたらされて、発展した。


さらに、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、鍋島藩らが、儒学者といっしょに李朝の陶工を連れてきて、有田で陶器の生産が始まった。


 
徳川時代にはいって、儒学者は帰還したが、陶工のなかで、帰国を望む者はいなかった。
日本では、りっぱな住まいや多額の報酬が約束され、師匠として敬われる。
 
有田焼きの陶工、李参平は、祭神として、陶山神社に祭られている。
韓国の陶器に銘がないのは、芸術作品ではなく、陶工は、最下層の扱いだったからで、日本の陶器に銘があるのは、芸術作品で、陶工が、芸術家、技術者だっらからである。
朝鮮の陶工たちが、母国に帰るのを拒んだのは当然だったろう。
 
文化文明は、技術者たちの情熱や能力によって花開く。
朝鮮では、その技術者が人間扱いされなかったため、建築や土木、染料や火薬などの科学技術が育たず、さらに商行為を不道徳としたため、国民経済が停滞して世界の最貧国となった。


 
日本は朝鮮陶工の神社をつくるほど、技術に対する関心が高く、陶器にも次々と改良をくわえて、世界一の陶器生産国となった。
朝鮮とのもうひとつの大きなちがいは、国民が陶磁器のスポンサーになったことである。


ヨーロッパでも、王家だけのものだった絵画、音楽、美術品、陶器が日本では庶民のもので、当然、日本人は、家に浮世絵を飾り、三味線やびわ浄瑠璃をたのしみ、華道や茶道をたしなみ陶磁器を愛でた。
 
最近韓国は、茶道や華道も韓国が本家だといいだした。
だが、韓国には庶民文化がなかった。
庶民文化のないところで、どうして茶道や華道が生まれるのだろう。

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大学受験の一発勝負にそれまでの勉強をかけます

2020-02-02 03:17:31 | 韓国旅行

 
日本の受験といえば、まず高校受験と大学受験。
また「お受験」で名門小学校を目指したり、中学受験で中高一貫校に入ったりと、選択の幅は広い。
こうしたステップをふみながら、それぞれの学力にあった進路が決まっていく。
 
それに対して韓国は受験競争対策として、中学受験、高校受験を廃止してきた。
小中高まで、公立も私立もみな同じ学力レベルというのが建前だ。
したがって学力を試されるのは、「修能」と呼ばれる大学受験の一発勝負。

とりわけ社会全体の学歴志向が強いので、これを踏み外せば一巻の終わりだ。
結婚相談所の調査でも女性の9割、男性の6割が相手の学歴を重視するというから、もう就職だけの問題で済まなくなっている。
 
修能が行なわれるのは、毎年11月の決まった日。
大学の選考では修能の成績が最も重視されるので、実質的にたった1日で人生が決まってしまうことになる。


幼児の頃から重ねてきたすさまじい勉強は、何もかもこの1日だけのためだ。

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韓国の大学進学率は非常に高く、大卒という肩書きだけでは何の意味もない

2020-02-01 03:19:33 | 韓国旅行

 
勉強していい大学、いい会社に入れば豊かで安定した生活が手に入る。
 
こうした事情は日本、韓国に限らず世界共通だ。
資源がないので人材教育に頼るしかない、戦後の急激な経済発展のひずみで受験競争が拡大した、といった点も日本と似ている。
所得格差や雇用の不安定さから一流企業志向が強いという面もあるが、これも韓国に限った話ではない。
 
にもかかわらず、韓国でここまで教育熱が高いのはなぜか。
理由の一つは「大学修学能力試験」、略して「修能」と呼ばれる大学の受験システムだ。
修能は日本のセンター試験のように、同じ日に全国で同時に行なわれる。
国立、公立、私立も全て同じだ。


内申書や二次試験もあるが、選考の比重は修能の点数が圧倒的に高い。
つまり全ての受験生が、同じ試験の結果でランクの高い大学から順に振り分けられていく格好だ。
 
したがって出身大学のランクが学力レベルを表す形になり、就職活動の結果を大きく左右する。
また韓国の大学進学率は非常に高く、大卒という肩書きだけでは何の意味もない。
こうしたことから少しでもランクの高い大学を目指して、受験戦争がいっそう過熱していく。

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