啄木は渋民尋常小学校を卒業し明治28年4月、盛岡高等小学校(現・盛岡市立下橋中学校)に入学しました。下橋中学校は中津川沿いにあります。
(15)下橋中学校の歌碑
この歌碑は昭和52年秋、中学創立90周年を記念し、建立されました。歌碑は校門から入るとすぐ左手にあり、啄木の2年上級で少年時代から晩年まで親交が厚く、堅い友情で結ばれていた金田一京助の揮亳です。この歌碑は昭和52年秋、中学創立90周年を記念し、建立されました。
下橋中学校正門
下橋中学校の歌碑
その昔
小学校の
征屋根に
我が投げし
鞠
いかにかなり
いかにかなり
けん
京助書
京助書
下橋(しものはし)中学校の校門の前の道路脇には、啄木の歌と、啄木が晩年もっとも心を許しあい、啄木の最後をみとったといわれる若山牧水の歌が並んで刻まれている歌碑があります。
(16)啄木と牧水の友情の歌碑
この歌碑は、平成9年、啄木生誕111年{啄木の本名一(はじめ)}を記念して、啄木と牧水の友情の歌碑として建立されました。
啄木と牧水の友情の歌碑
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな
石川啄木
城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき
波の遠音かな
若山牧水
向かって左側が啄木の歌、右側が若山牧水の歌。二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれています。
啄木と牧水の友情の歌碑
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな
石川啄木
城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき
波の遠音かな
若山牧水
向かって左側が啄木の歌、右側が若山牧水の歌。二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれています。
下橋中学校は中津川に架かる「下ノ橋」から100mほど下流にあります。
下の橋(しものはし)
中津川は下橋中学から下流100mほどで北上川に合流、合流した川は、さらに50mほど下流で雫石川に合流、新しい北上川となって宮城県の石巻まで流れていきます。
中津川、北上川、雫石川の合流地域
写真の右側の手前の川が中津川、奥が北上川。写真左側の上部から雫石川が流れこんでいる。