(42)「啄木ふる里の道」敷石の歌(盛岡市渋民) 平成18年設置(『一握の砂』より)
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし
明治40年5月4日、啄木は、追われるような気持で、妹・光子を連れて渋民村を出、好摩駅から青森へ、青森からは船に乗って、北海道に向かいます。斉藤家での渋民滞在は1年2か月でした。その後、啄木は、二度と故郷「渋民」の土を踏むことはありませんでした。この歌は、盛岡市立渋民小学校周りの歩道を「啄木ふるさとの道」と名付け、その敷石に記されています。
啄木日誌
明治40年5月4日 午后1時、予は桐下駄の音軽らかに、遂に家を出でつ。あゝ遂に家を出でつ。これ予が正に1ヶ年2ヶ月の間起臥したる家なり。この美しき故郷と永久の別れにあらじのかとの念は、・・予は骨の底のいと寒きを覚えたり。夜九時半頃、青森に着き、直ちに陸奥丸に乗り込みぬ。 あゝ、故里許り恋しきはなし。我は妻を思ひつ、老ひたる母を思ひつ、をさなき京子を思ひつ。我が渋民の小さき天地はいと鮮やかに限にうかびき。さてまた、かの夜半の蛙の歌の繁かりしなつかしき友が室を忍びつ。我はいと悲しかりき。三等船室の棚に、さながら荷物の如く眠れるは午前一時半頃にやありけむ。
啄木ふる里の道には敷石に刻んだ啄木の歌が30基ほど埋め込まれています。