たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木生誕130年(6)

2016年02月13日 | 啄木歌碑
啄木の友人

小沢恒一 小沢恒一は盛岡中学時代の文学仲間ユニオン会のメンバで、岩手県北上市出身です。北上市の帰帆場公園には啄木歌碑があります。


帰帆場公園の啄木歌碑

わが戀を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日

石川啄木


板垣玉代 玉代は盛岡女学校(現・盛岡白百合高校)で節子と同級生で、茨島(現・盛岡市厨川)に住んでいた。啄木もよく遊びに行っていたのでしょう。この歌碑は国道4号線の厨川駅から500mほどのところに建立されている。



厨川の啄木歌碑


茨島の松の並木の街道を
われと行きし少女
才をたのみき
啄木



堀田秀子 秀子は啄木が渋民尋常小学校に勤めていた時の同僚です。秀子は渋民小学校に来る前は平舘小学校に勤務しており、この縁で、啄木歌碑が昭和39年12月、岩手県八幡平市平舘に建立された。





かの家の
かの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ

啄木



吉野章三(ペンネーム白村)は、函館での文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」同人で啄木とは特に親しい関係にあった。吉野白村は宮城県柴田郡船岡村出身であり、その時から百年の歳月が流れ、それを記念して平成15年2月に、船岡駅の上り線のホームに啄木歌碑が建立された。



船岡駅の上り線ホームの啄木歌碑




汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも

啄木



橘智恵子 啄木は函館弥生尋常小学校に勤めていた時、同僚の "橘智恵子" に心を惹かれることになる。智恵子は後に岩見沢の北村牧場に嫁いだこともあり、牧場の入り口に歌碑があります。



岩見沢北村牧場前の啄木歌碑

石狩の空知群の牧場の
お嫁さんより送り来し
バタかな
石川啄木



中野(旧小林)寅吉
 寅吉は啄木が小樽日報に勤めていた時の先輩で会津美里町(旧会津高田町)雀林出身です。晩年この法用寺の住職を務めたこともあり、啄木生誕100年を記念して昭和60年に会津啄木会が二つの歌を刻んだ。



法用寺の二つの啄木歌碑
 



敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに

啄木



あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ
啄木



金田一京助 金田一京助は盛岡中学の先輩で、啄木の才能を認め、東京に来た石川を自らの下宿に招き寄せるなど生活費など一切面倒を見ていた。友人というより、恩人になるのでしょう。



盛岡先人記念館


先人記念館の中に金田一京助の部屋があり、部屋から啄木歌碑が見えるようになっています。



盛岡先人記念館の啄木歌碑




ふるさと能山尓向ひて
言う事那し
ふるさとの山者あ里可多記可奈

啄木歌碑
金田一京助の書
昭和29年4月23日


菊池忠七 菊池さんは啄木とは直接面識はありませんが、大学の恩師である金田一京助先生に、この歌「軍人の・・・・」は、誰も歌碑などを建立する人はいないと思うので、お前が建立するようにと言われており、菊忠印刷操業85周年記念として、平成16年10月、花巻市東和町にある釜石線「土沢駅」前にある菊忠印刷の玄関前に建立した。



菊池印刷所前の啄木歌碑


軍人になると言ひ出して、
父母に
苦労させたる昔の我かな。
啄木



田中正造 栃木県佐野市出身の近代日本の先駆者田中正造翁は 明治34年12月10日第15議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民の窮状を直訴した。当時盛岡中学3年在学中の啄木はこの感動を短歌に托した。佐野市にある惣宗寺(そうしゅうじ)は厄除け大師として有名で、ここに啄木歌碑が建立されています。 


田中正造翁の墓



惣宗寺の啄木歌碑

夕川に葦は枯れたり 
血にまとう民の叫びの  
など悲しきや 
石川啄木


啄木の短歌が好きで、自宅の庭等に歌碑を建立しているところも多くあります。ここでは、盛岡の山奥にある歌碑、岩手県外の神奈川県と九州にある、三つの歌碑を掲載します。

山口さん 盛岡市玉山区の山口さんの庭にも啄木歌碑があります。山口さんは、旧玉山村のだいぶ山に入ったところで農業を営んでおります。旧・玉山村で歌碑があるのはここだけです。旧・玉山村は、啄木が生まれた日戸村、幼少期を過ごした渋民村等と合併し新・玉山村になり、現在は盛岡市玉山区になっている。



旧玉山村の啄木歌碑




仂らけど
仂らけど
我が暮し
楽にならざり
じっと手を見る

啄木歌詩より



本町中学校 本町中学校は神奈川県秦野市富士見町にあり、昭和39年に建立された啄木歌碑があります。


秦野市本町中学校


本町中学校の啄木歌碑


あたたかき飯を
子に盛り
古飯に湯を
かけたまふ
母の白髪
啄木


片江風致公園  風致公園は九州福岡にあり、もともとは私設の公園「日本文学碑公園」だったようです。ここに啄木歌碑が建立さています。


片江風致公園


片江風致公園の啄木歌碑

東海の
小鳥の磯の
白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
啄木



宮崎郁雨
 宮崎郁雨は啄木の友人であり、啄木夫人・節子の妹の夫でもあります。啄木一家を物心両面にわたって支え、啄木の死後も墓碑を建立している。
啄木歌碑ではありませんが、宮崎郁雨の歌碑が函館山の南端にある立待岬へ向かう坂の途中に建立されています。


宮崎郁雨の歌碑


蹣跚と
夜道をたどる
淋しさよ
酒はひとりし
飲むものならず
郁雨


蹣跚(まんさん)とは「よろめき歩くさま、酔歩」をあらわすようです。