たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木生誕130年(3)

2016年02月01日 | 啄木歌碑
啄木上京
啄木は明治35年盛岡中学を退学し、文学で身をたてんと、上京します。当時渋民駅はなかったので、好摩駅を利用していました。歩いて1時間はかかるでしょう。


好摩駅舎の啄木歌碑


霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の虫こそすずろなりけれ

啄木



好摩駅広場の啄木歌碑

ふるさとの停車場路の
川ばたの
胡桃の下に小石拾へり

啄木



東京で寂しい時には、上野駅に行って、懐かしい訛り言葉を聞いていたのでしょう。



上野駅の啄木歌碑


ふるさとの 訛なつかし 
停車場の 人ごみの中に 
そを 聴きにゆく
啄木


啄木は上京するが、思うようにいかず、また、体調も崩し、翌年2月、父一禎に付き添われ帰郷しました。



盛岡市岩山の啄木・節子の歌碑

汽車の窓はるかに北に故郷の
山見えくれば
襟を正すも
啄木


盛岡駅前広場の啄木歌碑

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
啄木


渋民公園の啄木歌碑

やわらかに柳あをめる
北上の岸邊目に見ゆ
泣けどごとくに

啄木




啄木は徐々に体調も回復し、新聞等に短歌を載せたり、友達と遊んだり、楽しんでいたのでしょう。



笹平大橋の啄木歌碑

ほたる狩
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき

啄木



啄木は体調も回復し、節子との婚約も成りたった。啄木は再び上京を考え、資金援助を求め、北海道の義兄を訪れることにし、青森県の野辺地に立ち寄り、初めて津軽海峡を渡った。



野辺地の啄木歌碑



潮かをる北の濱辺の
砂山のかの濱薔薇よ
今年も咲けるや

啄木


啄木は北海道から戻り、再び上京、半年ほど東京で暮らし、いろいろとあったようだが、節子との結婚もあり、盛岡に戻ることにした。節子は当時、岩手県滝沢村の篠木尋常高等諸学校の代用教員をしていた。



篠木小学校の節子の歌碑


今日も又
夢は追ひつと人に云ひ
かくれてききぬ
厨こほろぎ

節子



啄木は結婚式には出席しなかったが、盛岡に帰省し、新婚の家での生活に入る。