仏教の言葉で
良い事も悪い事も自分の行いによって生じるみたいな意味なのだが
僕は脳幹出血に倒れたことも
四肢麻痺と言う後遺症が残ったことも因果応報だと思っている
否
思わなくてはやって来れなかった、と言った方が良いのかも知れない
以前は(俺より悪いことしている奴もいるのに、何で俺だけ?)とか
(運が悪かった、運命だった)とか、何かのせいにしたりしていた
しかし、ある時思えた
何かのせいや運だのとか言っていても悔しさや惨めさは増すだけ
それじゃいっそのこと自分のせいにしちゃえ、と!
たとえ無茶でも、倒れたのも自分のせい
四肢麻痺になったのも自分のせいなのだ、と思えたら
何か背負っていたものが少し下ろせた僕が居た。