武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

死について考える

2017-01-25 15:57:40 | 武久の視線
最近、ブームかのように語られる「死」終活、デスカフェなど、、、
確かに、この現代にタブー視な「死」について考え、語り合うことは大切なのだろう 


人は、誰しも必ず死ぬ
しかしながら順調にゆけば、誰にでも死の前には「老い」がある 



僕は生死をさ迷った、が、それは寝ているのと同じ感覚だった
ただ、それなりの夢を見た、三途の川らしきものとか、、、
その後、目が覚めれば「生」、目が覚めなれば「死」なのだろうとも思った 


僕は死ななかったので、死はどういうものなのか分からないが
死にかけた僕は、死ねば本人には何も分らないものなのだと思う


 要は、死んでみなきゃ分からないし
死んだ後のことは、自分の意思では何も出来ない 



死を考え語り合う前に、死の前に確実にある
「老」老いる、と言うことを、介護されると言うことを
直視し考え、語り合った方がいいと思う


オムツをあてがうこと、他人に下の世話をしてもらうこと 
認知症になって、自分が誰なのかも分らなくなってゆくことなどなど、、、


それらを真剣に考えたあと
誰も経験したことのない「死」について考え語り合えばいい、僕は思う。




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