武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

お荷物

2015-02-03 15:09:31 | 武久の視線
働き盛り、一家の大黒柱、、、そんな立場から重度障害者


必死だった病院生活を終え、家での在宅生活になり落ちついて来た頃
(ここで寝ている俺は、、、家計の、社会の、、、?)


自分の存在する意味を考えてた


家族にとっては脳卒中から助かったお父さん、動けなくても生きててくれるお父さん、と言う思い


僕の中では、、、
家計の負担になるのだろう、介護する妻の負担になるのだろう


社会的には何の生産性もない存在、社会保障で国費のお世話になる存在、、、僕はお荷物的な存在そんな思いが強くなる
実際、パワリハデイサービスに通ったのも、機能回復にかけてみようと言う思いと


四六時中、僕の介護をしている妻をいくらかでも介護から解放してあげ普通の時間をもたしてあげたい、と言う思いがあった


結果的には、妻は介護職となり介護の仕事をし、僕は機能回復はみられたものの高齢者と同じ扱いを受けストレスが貯まって行った4年間だった
パワリハデイの利用を断られ、妻以外の他人からの下のお世話の羞恥心の限界を知った僕は、元の生活、妻との在宅介護生活にもどった


僕の介護から解放された時間でも介護の仕事をしていた妻は「お金をもらう介護とは大変だったよ」と
「私はお父さんの出来ない事をしているだけで、介護をしていると言う意識もないよ」


周りから「大変ねー」と言われても、一応、言葉は合わせるけれど内心は(大変とも思ってないよ、父さんと生きている)と言う感じだそうだ。





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