田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

凛とした町、南三陸町(2011/5/20)

2011-05-20 22:34:21 | 3.11東北大震災の頃
 昨日、5/19日、晩ほろ酔い気分で自宅のTVを見ていたら、テレビ東京のカンブリア宮殿、チャンネルを変えようとすると、この番組はいい番組よとの妻のひと言で、そのまま見るとはなしに見ていると、ケニアでナッツ、コーヒーの農園兼工場を経営する佐藤芳之氏(70歳)の特集。

 東京外大を卒業の後、ガーナの大学院に留学、ケニアでナッツの会社を設立、売り上げはケニアの従業員の生活がなりたつようにと、給与、住宅貸付、医務室無料化などにケチらず振り向け、業績も売り上げ30億円/年のケニア一の食品会社に育てたというもの。4000人の従業員の笑顔がなによりの報酬らしい。こんな人がいたのかと、感心してみていると、事業拡大で、お隣のタンザニアに四国と同じ面積の土地を取得し、農地にしようとしたら、象の大群が来て、農地を踏み荒らして去っていったとの話に。竹田農園のイノシシと同じで、どうしたのかと身を乗り出してみていると、「象のテリトリーなら、引き下がるしかない、撤退しました」とのことで、ケレンミのない決断に尊敬。会社の経営権(株式)はケニア人に2年前、二束三文で譲った、理由は、自分は日本人でやがて去る、ケニアの人に事業は返すべきと。現在は貧困のルアンダ?で、衛生面、特に昔ながらのボットントイレが伝染病の元になっているので、現地の枯草を分解する細菌を培養、これが病原菌やトイレの悪臭を防ぐ効果があり、1L1ドルで販売するビジネスを始めたとのこと。確かに竹田農園でも枯草を集めて腐らせるといい堆肥になり、悪臭は無くむしろ香ばしい芳香、この枯草堆肥を畑に大量に鋤き込むと野菜が病気にかからない、多分、病原菌を抑えている。この作用のある微生物を確かめて培養したのだろうとこれも感心。70歳で新たにビジネスを始めるというのも驚き。この佐藤氏、津波で大被害の南三陸町の出身で、津波の一か月後親戚の見舞いに日本に帰国の映像。避難所のトイレが悪臭と不衛生で最大の悩みとの町長の言葉に、新ビジネス中のこの微生物の培養液(アフリカからでなく、日本で入手)南三陸町の避難所のトイレにボランティアの皆さんと振りかけると、2時間で悪臭は消えた。番組の最後に子供の時、野球のボールが当たり、左目?が失明し、そのハンデが行動のエネルギーの一つになっているとのこと。終わってから、いい話を見聞きできたとさわやかな気分。

 今日の日経新聞夕刊の記事で、大きく「南三陸、市民も町も走る」とのタイトルが踊る。やはり南三陸町のスナック経営で店は津波で全壊の兄弟二人が、自身暮らしている避難所の食事の準備を一手に引き受け、また、自宅避難で物資不足の孤立した住民に毎日支援物資をきめ細かく箱詰めして配送しているという紹介(「被災兄弟、一軒ずつ物資を」)。また南三陸町では町がマイクロバスとワゴン車計8台用意して無料の巡回バスを毎日走らせ、病院、買い物通いの住民が助かっている、運転手の一人は避難所で暮らす、タクシーの運転手さんで、「お世話になった町に恩返しするつもりで運転している」と笑顔とのこと。(「無料バス、高齢者らの足に」)
2011/5/20の日経新聞夕刊 下に


 南三陸町というところには、無私の行動を徹底的にやるという伝統が息づいているらしい。
 津波にさらわれる最後まで防災無線で町民の避難を呼びかけた町の職員の遠藤未希さんという方も、強い印象がいつまでも残っているがこの方も南三陸町の若者。

 来年にでも、落ち着いたら一度この町を旅してみたいもの。

 明後日、名高い漁場の汐巻での釣り、天気予報は波は日中は1.5メートルの予報で、多分、出港できそう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 農園の畑、フル稼働(2011/5/16) | トップ | 汐巻の釣りギブアップ(2011/... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

3.11東北大震災の頃」カテゴリの最新記事