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田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

正岡子規の病牀六尺を読む 2/3(2013/1/25)

2013-01-25 22:23:09 | 俳句、短歌
印象に残った箇所(2/3)

病牀六尺(岩波文庫 ワイド版 p168)

日一日同じ処に畑うつ(子規)
という句を評して(碧梧桐)作者自身が畑うつ場合であるかわからぬといふてある。これは余の考えは人の畑打ちを他から見た場合を読んだつもりであるのぢやけれど、作者自身が畑打つ場合と見られるかもしれん。・・・・・(8月28日)


 この句は、特に春や秋、種まき・苗植えの準備を竹田農園でやっている光景とぴったり。一つ畝の表面に積み上げた枯草を他の畝に移し、牛糞を入れて、鍬で耕し、畝の表面を整地し、種まき・苗植えの溝を作り、やっと種まき、苗植えつけが終ると、既に日は暮れ、帰りの時刻になる。今日はこの一畝で終わったなと呆れる。この句を木片にマジックで書いて、林の木の枝に吊るしておこうと思っている。今日、さっそく、我が家の物置にあった木の板にマジックで句を書いて、今度の農園行に持っていこう。それにしても下手な字。

コメント (4)
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正岡子規の病牀六尺を読む 1/3(2013/1/24)

2013-01-24 23:12:35 | 俳句、短歌
 昨年の秋、四国今治の両親の墓参りのついでに立ち寄った松山の正岡子規記念館で買った、「病牀六尺(岩波文庫 ワイド版)冒頭の写真」を取り出して読んだ。小説、坂の上の雲で、正岡子規の最後の様子が詳しく書かれていて、この本のことにも触れられていたので、いつか読もうと思っていたもの。子規は俳句、短歌に革新をもたらした人と聞いていたが、俳句の才ばかりでなく、この本を読んでみると、実際家で、経綸の才も豊かな人でもあったとよく分かる。

印象に残った箇所(1/3)

病牀六尺(岩波文庫 ワイド版 p7)

 土佐の西の端に柏島という小さな島があって二百戸の漁村に水産補習学校が一つある。教室が十二坪、事務所とも校長の寝室とも兼帯で三畳敷、実習所が五、六坪、経費が四百二十円、備品費が二十二円、消耗品費が十七円、生徒が六十五人、校長の給与が二十円、しかも四年間昇給なしの二十円ぢゃそうな。そのほかには実習から得る利益があって五銭原料で二十銭の缶詰が出来る。生徒が網を結ぶと八十銭位の賃金を得る。それらは皆郵便貯金にして置いて修学旅行でなけりや引き出させないという事である。この小規模の学校がその道の人にはこの頃有名になったさうぢやが、世の中の人は勿論知りはすまい。余はこの話しを聞いて涙が出るほど嬉しかった。我々に大きな国家の料理が出来んとならば、この水産学校にはいって松魚(かつお)切ったり、烏賊を干したり網を結んだりして斯様な校長の下に教育せられたら楽しいであろう。(5月5日)

 柏島とは初めて聞いた名前で、ネットで見てみると、高知の宿毛港から20キロほど南西にある島で、車でいける。周辺の海は透明度が高く、スキューバーダイビングの愛好者の来島が多く、民宿もあり、釣り船もだしてくれるとのこと。何の変哲もない離れ小島だったのが、土佐藩の名執政の野中兼山が長さ700メートルの馬蹄形の防波堤を築き、波除のある良い漁港に変貌し、漁業で栄える島となつたとのこと。野中兼山の築いた防波堤だけでも見る値打ちがある。またこうした校長が教鞭をとった学校の校風は島の人々に今も受け継がれているのではと期待もある。暖かくなったら、不良爺さんたちとこの島に行き、民宿に泊まって釣りを楽しんできたいもの。そう思って、不良爺さん達のリーダーの、小倉室町のラーメン屋錦龍のI氏に行きませんかと持ちかけると、二つ返事で、行こう。5月頃、爺さん達の予定を合わせて、柏島で釣りやれることに。

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バスハイク エピローグ(2010/4/15)

2010-04-15 23:42:30 | 俳句、短歌
今日は小倉室町のラーメン屋の錦龍で、先日のバス旅行の慰労会。
車内の缶ビール買い出しの私の妻、俳句会の選者の世話好きのS女史と歴史家のT氏、休憩の都度人数を数える係のY氏など総勢8名。
俳句会の景品の絵を3枚提供してくれた、M画伯は、今日の打ち上げ会を忘れて、足立山のアトリエで客人3人と宴会中で欠席。
 錦龍のI氏のご厚意で、ヒラメ、鯛、シマアジの刺身がメインディッシュで、赤薩摩、日本酒の銘品と惜しげもなく秘蔵の酒の封をあける。
 よもやま話で、一番盛り上がったのは、車内の俳句(短歌OK)で、入賞を逃したが、皆さんの心を打った、Fさんの一句。

 「春が来て あなたの居場所を 知りました
   遠くのみ山の 山桜かな」


 国東半島の点々と彩を添える山桜を詠んだ短歌。
私が全員の句を詠みあげる役目で、詠みながら、思わず意味もわからず涙。
すぐ後で、隣に座っていた錦龍のI氏が、Fさんのご主人は亡くなったんよと、耳元で一言。

 フェミニストのM画伯、揺れるバスの中で、Fさんの書いた短冊に、素敵な菜の花の絵。

 国東の三浦梅園生家前で、酔っ払い達でパチリ(冒頭の写真)の写真、改めてホノボノ。
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