温故知新~温新知故?

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マルクス解体 斉藤幸平著 読了 〜農業革命以前の古代文明は興味深い、見直すべきだ〜

2024-03-23 14:31:59 | 
この本は、いつも通り、朝日新聞の書評を見て図書館に予約したと思う。
 本書は派手に広告されているが、その内容は晩期マルクスの環境思想を発掘しようとする実直な研究書である。しかも、もとは英語で刊行された。<br>人文・社会科学の分野で、日本人が外国語で理論的著作を発表し、それが好評を得ることはめったにない。この快挙は、著者が普遍的な地平で思考してきたことを物語る。
 マルクスの『資本論』は未完に終わったが、その代わり晩年にかけて大量の研究ノートと草稿が遺(のこ)された。著者はこのノートの核心に、エコロジカルな経済学批判を認める。マルクスは自然科学に熱中し、特にリービッヒによる掠奪(りゃくだつ)農業批判に触発された。
掠奪的な資本主義は、自然と人間のあいだの「物質代謝」の循環に亀裂を入れ、土壌を荒廃させ、そこから来るトラブルを他に「転嫁」することで拡大する。彼はこの資本の飽くなき成長が、世界規模の裂け目を生じさせることを予想していた。  ゆえに、晩年のマルクスが前資本主義的な「最古」の協同生活を評価したのも不思議ではない。
自然の支配に駆り立てられた近代のプロメテウス主義、自然と社会の区別をあいまいにするB・ラトゥール流の現代の一元論、そのいずれも批判する著者は、ルカーチ流の「方法論的二元論」に立つ。そして、具体的な実践の手がかりを、古い社会にあった「協同的富」の回復が「ラディカルな潤沢さ」につながるというマルクスの考えに求める。それが「物質代謝の亀裂」を修復する道なのである。
内容に関しては、まず、私としては、以下のAmazonのどなたかの書評に近い感想だ。
まずは、「膨大な予備知識が必要だ」ということだ。
まず、この本は「大変な本」である。何が大変か、と言えば、まず、総てを読みこなすには、膨大な予備知識が必要だということだ。
ルカッチの「再検討」から、エンゲルス批判、ローザ、ハーヴィー、シジェク等々の批判的検討についていくのが大変だ。
「100分で名著」の番組を見たり、「人新世の資本論」読んで、マルクスや斎藤氏の主張に共感を覚えたばかりの方や、私のような「理系の人間」にとって、すべてを追いかけるのはとても難しい。 つまりは、斎藤氏がマルクス同様、先行研究を丁寧にしているということなのだが。
さらに、どのように難しいかを説明すると、下に引用したAmazonの他の方の評にあるように、下に出てくる人の名前や「物質代謝」、「一元論か二元論か」、「脱成長派」、「 加速主義 」、「環境社会主義 」、「プロメテウスの夢」などの言葉の意味を知っている必要があるということだ。私はこれら言葉の意味は想像はつくが、一応辞書で確認すると、哲学でよく使うような言葉のようで、簡単な説明を読んで、「ああ、そういう意味ね」と一部は確認しながら読まざるを得なかった。
yasuji
マルクスを参照すれば、名案が浮かぶことを期待して
原題は、「Marx in the Anthropocene: Towards the Idea of Degrowth Communism」である。Anthropocene(人新世)は、アメリカ合衆国の生態学者ユージン・F・ストーマーが1980年代に造った用語とされていることが多く、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者パウル・クルッツェンがそれを独自に再発見して普及したとされている(ウィキペディア 2023.10.26)。
人新世の研究は、環境問題や地質学ばかりでなく、生物学、人類史などに拡大している。
そのうねりの中にマルクスを登場させる意味はあるのだろうか。それぞれの科学はマルクスの時代より圧倒的に知識を蓄えている。マルクス研究者として、マルクスが資本主義の弊害の一つとして環境問題を扱ったことを知らしめるのは意味あることかもしれないが、それだけでは本書に価値はないだろう。
それともマルクスが嘗(かつ)て近代社会の未来に希望(共産主義社会)を提示したように、人新世の時代に新たな希望が提示できるのだろうか。
1.物質代謝  本書は資本の論理ではなく、物質代謝の論理から始まる。物質代謝は、絶えざる人間と自然の相互作用の循環である。従って、労働は人間と自然の物質代謝の媒介活動として定義される(p.33)。
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2.一元論か二元論か  アクター・ネットワーク理論で有名なブルーノ・ラトゥールは、晩年にはエコロジストとして有名だったそうだ。なぜ彼はエコロジストになったのか、その答えを提供してくれるのが、福島直人氏の論文である。カトリック信者のラトゥールが書いた博士論文は、ドイツのプロテスタント神学者ブルマンであった(福島p.25)。
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3.諸派  著者に限らず、「人新世」や「エコロジー」などの言葉を使って人類の危機を訴える学者は数えきれないほど存在する。そこで僭越ながら、脱成長派、加速主義、環境社会主義の3派に分けてみた。 ①脱成長派 ②加速主義 ③環境社会主義 ④プロメテウスの夢
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4.脱成長コミュニズム  著者の提言は、「脱成長コミュニズム(Degrowth Communism)」である。
つまり、経済成長なきポスト希少性社会という理念である(p.374)。ポスト希少性社会がコミュニズムということになるのだが、少し説明が必要であろう。
色々な言い訳が先になってしまったが、いろいろ予備知識がない中で不消化ではあるが、先日読んだ「万物の黎明」にもつながるが、古代文明というのは、狩猟採取民族で、定住していなかった、組織的な農耕はなく国家を形成する必要はまだなかったあるいは敢えて国家を作らなかったなどの考えがあったのでは?と述べられていることが古代民族はすごいなという感想を持つ。現代は資本主義で、皆、欲望のおもむくまま破滅に向かっているというのは、私も破滅に向かっているかはともかく、起きている現象として実感できる。私には、十分理解できる知識のない、難しい内容の本であったが、いつものように印象に残ったキーワードを挙げておく。
ー…………古代の考え方は、生産が人間の目的として現れ、富が生産の目的として現れている近代世界に対比すれば、はるかに高尚なものであるように思われるのである。
ーリービッヒは、農作物が遠方の大都市で販売されると水洗トイレを通じて、土壌養分は失われ、堆肥として元の土壌に還らないことを問題視した。
ー(土壌回復に使われるアンモニアの生産は)大量の二酸化炭素を排出する。こうして工業的農業は水だけでなく大量の化石燃料も消費するため、気象変動の推進力となっている。
ー「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という資本家のスローガンは「大洪水よ、我が隣人に来れ!」となっている。
ーディストピアを恐れて科学技術の進歩を遅らせる代わりに、ポスト資本主義における人間解放に向けて、その進歩をさらに加速させることを主張する左派がいるのだ。
ー資本の生産力は労働者を従属させ支配するために生み出されるため、それを使って自由で平等な社会に移行することはできない。
ー資本主義の危機は「資本主義制度の消滅によって終結し、また、近代社会が集団的な所有及び生産の「原古的な」型のより高次な形態へと復帰することによって終結するであろう。
斉藤幸平氏の他の書籍を読んでから、この本を読んだ方が良かったかもしれない。しかし、大変示唆に富んだ本でした。


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