梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

沖縄旅日誌3

2010年05月11日 | 芝居
9日から13日までの、石垣・沖縄本島旅行の記録です。 (5月28日 記)

11日 曇りのち晴れ 『そう遠くない過去を訪ねて』


盛りだくさんの石垣島とは今日でお別れ。最後に訪れたのが、川平湾です。
実は、石垣に着いてすぐ乗ったタクシーの運転手さんから、『石垣に来たら絶対川平に行かなきゃ!』と、かなり強く勧められまして、そこまでおっしゃるならばと、当初予定に入れてなかった入江見物を、ホテルを早めにチェックアウトして出かけることにいたしました。
午前9時頃、川平湾着。まだ観光客は誰もいず、静かに波の音が聞こえる入江は、曇り空の下でもとても綺麗な碧色で、おもわず溜息が出ました。
白砂の浜辺に腰を下ろし、しばしボーッと。



景色の独り占めも長くは続かないもので、しばらくすると団体客がやってきまして、急に賑やかになりました。
皆さんはグラスボートでの海底見学がお目当て、私たちも一緒に乗ってみました。
スキューバとはまた違った海中の見え方。船員さんがそこにいる魚の説明をしてくれるのが便利ですね。最後の方で、ウミヘビを発見! なかなか敏捷な動きをするのですな。
…綺麗なことはもちろんなんですが、一方で死んだ珊瑚の死骸も散見され、ちょっと心配にはなりました。



お土産屋で作ってくれるパインとマンゴーのフレッシュジュースがまたおいしいこと! 前夜の泡盛で疲れた体に効きましたね~

           ◎

これにて、石垣島とはお別れ。
お昼の飛行機で那覇空港へ。こちらは見事なまでの青空! そして強い日差し、照りつける暑さ!

私が沖縄本島に到着して、まず訪ねたかったところ。それが「平和祈念公園」(沖縄県平和祈念資料館)と「ひめゆりの塔」(ひめゆり平和祈念資料館)でした。
ただいまも、基地問題で揺れる沖縄ですが、我が国唯一の地上戦の舞台となってしまったことは知識としては理解していても、その実態がどんなものだったのか、60余年前この土地に生きていた人々はどんな苦しみを受けたのかを、どうしても知りたかったのです。
平和祈念公園内、資料館の前庭は、南に大海原を臨む断崖になっております。おりからの好天。空の青、波の蒼、その美しさ、雄大さ、息をのむ壮観でございましたが、この眺めすら、かつてここが、逃げ場を失った住民たちの投身自決のまさにその現場であったことを知ってからでは、手放しで誉め讃えることはできませんでした。
あまりにも美し過ぎる景色は、ここで起こった出来事の悲惨さを思うにつけ、美しい故にかえって悲しかった。時は流れ、この地を訪れる人々は変わるけれど、この海、この空はずっと続いている。この景色そのものが、過去の悲劇を無言で伝えているように思いました。



両資料館を巡り、写真で、文字で、遺品で語られる、戦争がこの地に与えたたとえようのない苦しみと哀しみと悔しさとを体で受け止めながら、この地で命を落とした数多の方々に、今生きている者として、かつてここで起きたことを<忘れない>ことを誓いました。そして、忘れないために上の写真を撮りました。

空港から両資料館、そして宿泊地である県北部今泊(いまどまり)まで、全ての行程につきあってくださったタクシーの方は、昭和17年久米島生まれの方で、23歳から那覇で運転手をなさってらっしゃるそうです。当然ながら、終戦、占領、本土復帰、そして現在までの沖縄を全てご存知というわけですから、道中様々なお話を伺わせていただきました。これもご縁ということでしょうか。占領下でのエピソードなど、聞き書きが1冊できそうでした。

…本当に、私は知らないことが多すぎました。
反省とともに、「これからどう過去を理解するか」を真剣に模索してゆく必要を感じました。
やっぱり、まずこの地を訪れて良かったです。


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