昼の部序幕『嫗山姥』に、役で出演いたしますのは初めてでございますが、平成12年1月国立劇場公演で、成駒屋(芝翫)さんの八重桐で、師匠が煙草屋源七をなさったおりには、後見をいたしておりました。主演者によっていくつかの<型>がある演目ですが、いずれにしても八重桐の<しゃべり>による廓話と、後の怪力ぶりが見せ場になります。
夫である源七、実は坂田の蔵人の魂魄が宿って、通力を得てからの八重桐には14人の<花四天>がからみ、立廻りとなりますが、義太夫の節に合わせて動くようになっており、『吉野山』や『京人形』ほどリズミカル、かつ舞踊的ではございませんが、全員がきちんと間合いを把握していなくてはなりません。
私も、不出来ながらトンボを数回返らせて頂いておりますが、うち1カ所は<この音で着地!>というツボがございます。私の前にシンにからむ方の動きもございますから、日によって微妙な差は生まれますが、トンボを返るまでの動作で調整しながら、ドンピシャで嵌まるよう努力いたしておりますけれど、もとより次にからむ方の迷惑にならぬよう、私自身も重々気をつけ、全体の中のひとりとして、流れ、段取りを大切に勤めてゆきたいです。
全員でひとつの形を作ったり、一斉にトンボを返ったりと、集団の演技の美しさを見せる部分も多いので、かつて申し上げましたように、皆と<合わせる>ことの難しさを再び味わってはおりますが、心地よい緊張感も。寒さも本格的になってきた師走の朝一番の演目ですので、身体を十分に目覚めさせて、よくほぐすのには時間がかかります。返り立ちや後返りといった技をなさる方、リードしてくださる先輩方にくらべましたら、はるかに負担は軽いのですが、とにかく無事に乗り切りたいです。
…立廻りとは別の話ですが、劇中、館に入ってきた八重桐が、自己紹介で「浮き川竹の流れの身でござんす」と言いますと、三枚目の腰元お歌が、「流れ、流れといやるからは、そなた蝋燭屋の娘かや」と尋ねる台詞がございますが、これは火をつけた蝋燭から滴った蝋のかたまりを<蝋燭の流れ>と申したそうで、これを買い歩き、再び安価の蝋燭を作る業者がいたことからきているのだそうです。いろんな商売があったものですね。
夫である源七、実は坂田の蔵人の魂魄が宿って、通力を得てからの八重桐には14人の<花四天>がからみ、立廻りとなりますが、義太夫の節に合わせて動くようになっており、『吉野山』や『京人形』ほどリズミカル、かつ舞踊的ではございませんが、全員がきちんと間合いを把握していなくてはなりません。
私も、不出来ながらトンボを数回返らせて頂いておりますが、うち1カ所は<この音で着地!>というツボがございます。私の前にシンにからむ方の動きもございますから、日によって微妙な差は生まれますが、トンボを返るまでの動作で調整しながら、ドンピシャで嵌まるよう努力いたしておりますけれど、もとより次にからむ方の迷惑にならぬよう、私自身も重々気をつけ、全体の中のひとりとして、流れ、段取りを大切に勤めてゆきたいです。
全員でひとつの形を作ったり、一斉にトンボを返ったりと、集団の演技の美しさを見せる部分も多いので、かつて申し上げましたように、皆と<合わせる>ことの難しさを再び味わってはおりますが、心地よい緊張感も。寒さも本格的になってきた師走の朝一番の演目ですので、身体を十分に目覚めさせて、よくほぐすのには時間がかかります。返り立ちや後返りといった技をなさる方、リードしてくださる先輩方にくらべましたら、はるかに負担は軽いのですが、とにかく無事に乗り切りたいです。
…立廻りとは別の話ですが、劇中、館に入ってきた八重桐が、自己紹介で「浮き川竹の流れの身でござんす」と言いますと、三枚目の腰元お歌が、「流れ、流れといやるからは、そなた蝋燭屋の娘かや」と尋ねる台詞がございますが、これは火をつけた蝋燭から滴った蝋のかたまりを<蝋燭の流れ>と申したそうで、これを買い歩き、再び安価の蝋燭を作る業者がいたことからきているのだそうです。いろんな商売があったものですね。