Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

天然記念物に打たれたボルトの問題で、JFAに対する反応について感じたこと

2016-07-08 01:10:23 | フリークライミング

クライミングルートを開拓してきたクライマーは、この問題が潮時を迎えるのを待っていることでしょう。

私は、この問題に対する多くのクライマーの意見の中には違和感を持つものがあります。もちろん共感できるものもあります。新たにボルトを打ったクライマーの気持ちや事情まで理解しようとしているのか。その問題を解消しようと努力しているJFAの目的を理解しようとしているのか。この問題に関して、あまりにも思いやりに欠けたコメントが横行していることが気になります。これは単なるマナーの問題ではなく、クライミングの文化にかかわる問題だと思うのです。同じクライマーであるにも関わらず、自分は「犯人の仲間ではない」という人は、ただ人が作ってくれたルートをトレースしているだけで、開拓者の心を感じ取れない感性の持ち主であるような気がしてならないのです。私も共感できる開拓者とそうではない開拓者がいますが、ルートによっては、その感じ方も違います。

もちろん、天然記念物に指定された岩に、ボルトを打つという行為を許そうとしているわけではありません。しかし、その経緯を十分に理解し、許せることは許し、許せないことは罰するというような理解をしないと、「誤解が生んだ理不尽な結果」、または「人の善意が報われない結果」になりそうな気がします。ただそこには、当事者の「考慮の甘さ」があったことは否定できませんが。

さて、それに対してJFAも行動を起こしてくれています。その行動は、我々クライマーの活動を守るための行動です。そのためにはクライマーの文化を、一般社会に理解してもらわなくてはなりません。なぜ、天然記念物の岩にボルトがあったのか。そして、どうして新たにボルトが打ち直されたのか。その辺を理解してもらおうと努力してくださってるのだと思います。しかし、仲間であるはずのクライマーの中から、問題をJFAの責任と感じているコメントも見受けられます。果たしてそうなのでしょうか。

JFAに限らず、スポーツや文化組織というのは、大抵、そのスポーツや文化の正しい普及や振興を目的に存在しているわけで、そのスポーツや文化を楽しんでいる人たちを組織化することや、規制をすることが目的ではないはずです。フリークライミングを楽しむためにはJFAに登録をしないとできないわけではなく、誰でもフリークライミングをすることは出来るのです。
私は子供の頃、川や貯水池で水泳をしていると、「危ないからここで泳いじゃいけない」と、近所の大人にしかられましたが、水泳連盟が「川や貯水池で泳ぐのはやめましょう」
などと言いません。私を叱った大人だって、水泳連盟の責任だなんて思いもしないでしょう。今回のように、クライマーと社会の摩擦は、クライミング文化の妨げになるので、JFAはそれを取り除くために活動されたと思います。全く頭が下がる思いです。こうやってクライミングのできる環境を守ったり、一部のクライマーの起こした問題で、クライミングという文化が社会から否定されないよう活動してくれているのだと思っています。問題は我々クライマー一人一人にあるのに、JFAに責任があるような言い方をするのは、問題を、またはJFAという組織を理解していないのだと思います。

 
 さらにこの問題を理解するには、クライミングそのものの歴史、クライミングの方法やスタイルの変化、それに伴うプロテクションの変化と使い方、プロテクションに関わる倫理的な理解が必要になります。だけどクライミングを知らない記者が理解するのは大変だなあ、と思います。
色々な誤解を解いていくには時間がかかるでしょうね。