タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

三つ子の魂

2020年03月12日 | 日々雑感
   

昨日は中学校の同級生たちとの食事会でした。

中学校の同級生といっても、ほとんどは小学校から机を並べた友だちです。その友だちと奇数月に集まっていますが、話題が尽きることはありません。

昨日盛りあがった話のひとつです。

    

その女子は小学校の5年生の時から「子ども銀行」の世話をしたそうです。

その世話をすることがとても好きだった、と言っていました。そのことが縁だったのでしょうが、中学校では珠算部に籍を置きました。

そのようなことがあって、学校を出たあと役所で経理の仕事をすることになりました。その仕事で、これまで1円の間違いをしていないのが彼女の誇りになっていました。

その話を聞きながら、人間って小さな時の経験が人生を左右するのだなぁ、、、、、

と、自身の子ども時代を思い出しながら、彼女の話に同意していました。

    

タカ長は、村では賑やかなところで育ちました。

道路向かいのお兄さんは少し年が離れていて、一緒に遊ぶ機会は少なかったのですが、その人は東大の歴史に残るような秀才でした。

そのそばの呉服屋には同級生がいて、その子もそのお兄さんも秀才でした。

もちろん、遊び仲間のすべてが秀才ではありません。鈍才もいれば悪ガキもいました。

少々のろまで、身体的にも頑健ではなかったタカ長はそのような中で育ちました。

そのような中で育ちながら、親から「〇〇チャンは悪い子だから一緒に遊んではいけない」と言うようなことを聞いた記憶はまったくありません。

いわゆる「学」など何もない親でしたが、友だちを何かで差別するようなことを言わないで育ててくれたことには今でも感謝しています。

     

子ども銀行の経験から経理関係に進んで成功したその人も、タカ長がクラス会の世話をはじめ、色々なことの世話をする話ばかりが舞いこむような人生を歩いて来たのも、その根っこは同じように、子どものころの生活体験の中にあるように感じるのです。

昨日も同級生たちの話題がたくさん出て、多くの同級生のことを思い出しました。

その中には、いわゆる有力者の子もいれば、戦争で親を失い、近くの施設から通学していた子もいます。そのどちらもタカ長には大切な友だちでした。

そのような子ども時代を過ごしたので、そもそもタカ長には人を出自などで区別する感覚が育っていないのです。

その感覚の延長でしょうか、趣味のバードウォッチングで外国人を案内することを依頼されたとき、言葉が出来ないとか言って断ったことはありません。

同級生たちとの関係では特に顕著なのでしょうが、そもそもタカ長の中には秀才も鈍才も無いのです。

    

同級生とそのような話をしながら、先月、天狗城山を下りた後、呉ポートピアパークでお菓子を持って来てくれた小さな子どもを思い出しました。

今の時代、人を見たらドロボーと思え、と言う育て方もアリかも分かりません。

しかし、そのような時代にあって、暇そうにしているタカ長たち登山者に菓子を持たせて、小さな交流を経験させているあのお母さんは素晴らしいと思いました。

三つ子の魂百までですから、あの子たちはきっといい子に育ってくれると信じています。

   級友と語る窓辺や風光る   鷹蝶