タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

初めての「裏山」

2020年03月01日 | 山歩きから
天気が回復しました。しかし、今日は何となく山に行きそびれました。

まぁ、こんな日もあります。

    

私たちの山歩き、は3月3日の裏山歩きが1,788回になります。

その記録を仲間が克明に記録してくれています。

最初の山は窓ヶ山でした。しかし、その日は雨で中止になり、窓ヶ山は幻の「第1回登山」になっています。

1788回と言う数字は、本当は正確な数字ではありません。その理由は記録係の怠慢ではありません。

いつの頃からか記録はありませんが、裏山は歩いていました。しかし、半日で終わる山歩きを「登山として認めていなくて」、記録には残さなかったのです。

そのためかなり多くの数字が欠落したはずです。

    

私たちの記録に初めて「裏山」と言う記録が見えるのは2000年11月4日です。228回目の山行きです。

記録をチェックしましたが、それまでに「自然歩道」と言う記録はありましたが、「裏山」と言う記録はありません。

しかし、裏山という記録は残っていませんが、裏山は歩いていました。

   

初めての集合写真を特別公開します。あの頃はタカ長もふさふさしていました。

25年の変化には大きなものがあります。

私たちの記録に「裏山」が登場する前に北アルプスなどの山に登っています。

初めての高山は1997年に登った加賀の白山です。

初めての3000メートル峰は木曽御嶽です。ロープウェイ利用ではなく、岐阜県側の濁河温泉から往復しました。

99年には立山三山の縦走、2000年には北岳に登りました。

それらの山に登るひと月前に四国の石鎚山や剣山に登りました。しかし、当たり前のことですが、それだけの準備で私たちのような弱いチームがアルプスの高峰に登れるわけがありません。

記録にはありませんが、裏山を歩いた記憶はあります。「ジャイアントコースを登らされた」と言うのが今でもわが家の語り草になっています。

雨具をつけて歩くトレーニングと称して、わざわざ雨の日を選んで裏山を歩いたこともあります。

    

台風の動きを気にしながら登った白馬岳です。

この登山が終わったあとの11月に初めて「裏山」が記録されているのです。

その様なわけで1788と言う数字は正確なものではありませんが、だからと言ってその記録は、裏山を除けば正確に、克明に記録されているので、今の私たちはこの数字を公式記録として活動しています。

    

その裏山歩きですが、牛池往復だけで1万歩にはなります。歩くコースを変えれば2万歩の裏山歩きが出来ます。

歩数の記録はありませんが、累計の標高差を見ると、毎年インド洋の海の上からエベレストの頂上を2回往復するくらいは歩いたことになっています。

私たちの山歩きは小さなものですが、その数字でも累計すると大変な数字になることを実感します。

そのようなことを考えると、裏山歩きを登山として認め、登山回数を増やすためにもなることを考えたことはタカ長のヒットだったと思います。