タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

日野山下見登山

2014年08月18日 | 山歩きから
相棒と日野山に登りました。といっても全国的には超マイナーな山、その存在を知っている人は少ないはずですが、広島では多少有名(?)な里山です。

地元の中国新聞社が出版した「ちゅうごく山歩き」という本にも紹介されています。

     

     

赤い線が今日走ったところです。ほとんどが車で走った軌跡ですが、、、、、、、

311の数字の左にひげのように伸びた赤い線が日野山登山の軌跡です。標高差300m、歩数にして1万歩に満たない小さな山歩きです。

     

     

日野山が多少は有名なのは毛利家と関係ある山だからで、来月仲間たちと登る予定を立てたのも、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなんでいます。ついでに言えば、今年中に吉田郡山に行くことを考えています。毛利元就の居城だった城があるからです。

     

国道261号線を少しはいったところから歩き始め、、、、、、、最初は林道、、、、その林道がいつしか終わり、、、、

     

小さな沢沿いの道をつめていくと次第に尾根み導かれ、、、、その尾根の端に、、、、

     

米蔵という小さな平坦地があり、それから上に中城とか、、、姫路丸とか、、、何ヶ所かそのようなものがあって、、、、

     

     

更に進んでゆくと本丸に至ります。

先ほどの本には「頂上は眺望がよく、北側にはひときわ高く石見冠山がそびえたっている」と紹介されていますが、、、、、

     

このような草ぼうぼうの平坦地の中に三角点はありましたが、まわりの木が繁っていて眺望はありませんでした。

そのあと二の丸に行きました。眺望があったのはこの一角だけ、、、、、、

   

   

これといった特徴ある山は見つからなくて、、、、、、、この山は眺望を楽しむために登る山ではないのかも分かりません。

でも、ほとんど全山自然林で、そのうえ簡単に登ることができるので、私たちのような年寄り向きの山なのかも分かりません。

    

登山口の近くに「常仙寺跡」と言う看板があり、それに導かれて由緒ありげな階段を登ってみました。

     

寺跡というと大きな敷地を連想したのですが、実際に行ってみると小さな墓所でした。

毛利元就によって誅殺された吉川興経の墓所でした。このあたりの歴史的なことを勉強してゆくと面白いのでしょうが、、、、

歴史にうといタカ長の、ぶっつけ本番の旅では気の利いたコメントを書くことが出来ません。

最初の画像のように、今日はこの日の山だけでなく、あちらこちらを走りまわりました。この山だけでは一日の予定が組めないので、そのほかの楽しみを見つけるために走りまわったわけです。

    

    

その中にはこのような楽しみもあります。今日はコメントしませんが、、、、、

わがメンバーの皆さんが見ておられたら楽しみにしてください。これ以外にもまだまだ楽しみをそろえ、来月の日野山登山を実施するつもりです。

このように書いたら、、、、、、、参加者がふえるかなぁ???